櫻坂日向坂の上り方

ブログ移転しました…長い間本当にありがとうございました!

共通テーマは「自分らしく生きる」ー櫻坂46・日向坂46、隠れた名曲をパフォーマンス 2022年7月2日付

f:id:platanus0524:20220703010649j:image
f:id:platanus0524:20220703010652j:image

 

THE MUSIC DAY」に出演した坂道シリーズの面々。私が知らない間にこんな企画が進んでいたらしい。

 

f:id:platanus0524:20220703010934j:image

 

櫻坂は欅坂時代からのバキバキのパフォーマンスが一般層の目を惹き、日向坂は一糸乱れぬダンスで結束力の強さを見せつけ、もちろんそこに可愛さも組み込んでくる。そんなイメージが強いというより、そんなイメージを前面に押し出している気もするが、実はその歌詞がかなり含蓄があるというか、私なんぞが上から目線のようになってしまって申し訳ないけれど、聴いている人を惹きつけるのは歌詞の中身というのもあるはずだ。

櫻坂に関して言えば、それは欅坂の時代からそうだった。もちろん歌詞だけでなく、楽曲の強さ、メンバーの表情などのメッセージ性、そしてパフォーマンス。そこにジャケ写や衣装も加わる総合芸術だ。今でもそうなのだが、欅坂の時代から誰かの心に留まる、そのことを目指していたのは今更言うまでもない。

 

秋元康は、もちろん言葉を操ることを生業にしている人である。その操り方が常人とは違う、と感じることは多々ある。でも、その一方でどこか自分ともそう変わりはないのではないかと思わせられる部分も持っている。少なくとも私はそう思っている。もちろんそれは勘違いであろうことはわかるが、でも、誰にもできないことをあの御大がやっている、とも思っていない。

それはなぜかと言うと、秋元康の頭の中にしか存在しない世界だとするなら、誰も共感できないことになるからだ。それでは世間が見てもくれない。誰でもできそう、書けそうな世界でなければ、気にも留めてくれない。誰にもできそうで、誰にもできない。そんな極めてニッチな世界で勝負しているのが秋元康という人間だと私は思っている。

 

だから、感覚として、あれだけの雲上人のようになりながら、一般人の感覚を決して忘れてはいけないのだ。それは実に難しいことであると思ったりする。

 

 

 

 

 

櫻坂46の楽曲で、心に刺さった1位。

 


f:id:platanus0524:20220703012019j:image

 

企画とはいえ、おもさびが地上波で流れる日が来るとは、本当に思わなかった。

この曲、歌詞としては確かに一人でも意外と寂しくない、だから大丈夫、という歌詞ではあるのだけれど、実は最初から最後まで強がり一辺倒の歌詞、と取ることもできなくない。

でも、万が一そうだとしても、私はその生き方を否定したくない。強がることで自分を奮い立たせる生き方だってあっていいと思うのだ。

 

オリジナルは山﨑天センターではあるけれど、4th BACKS LIVEでセンターを務めたのは、増本綺良だった。

 

f:id:platanus0524:20220703014721j:image

f:id:platanus0524:20220703014734j:image

 

その前。3rdのBACKS LIVEでこの曲のセンターを務めたのは、守屋茜だった。

 

f:id:platanus0524:20220703014819j:image

f:id:platanus0524:20220703014822j:image

 

きらことしては、思ったよりも寂しくないと言わなければならないのだ。

いや、もちろん知っている。

あかねん卒業を知ったときに、泣いて泣いて泣き散らしたことも、知っている。

どうしても耐えられなくなったきらこを、田村保乃が抱きしめに行ったというエピソードも知った(『BUBKA』2022.8月号より)。

 

ただその時間を超えて、あかねん卒業を自分の中で消化するとき、どうしてもその寂しさに勝てないなら強がるしか方法はない。それを間違っているとは、私にはどうしても言うことができない。

 

本当に大切な人がいなくなったときに知る、心の奥底の寂しさ。

それを知る人のみが、この曲の世界を体現できるのだと思う。

そういう意味では、天ちゃんにとっても、たくさんの大切なメンバーの卒業を見送ってきた経緯がある。「思ったよりも寂しくない」と言うことで、そんな人たちを安心させなければならない。自分との別れを悲しがるばかり、ずっとその場に立ち止まっているなんて、去る人間にとってこれこそがまさにジレンマになる。

 

 

 

 

一方、日向坂46が披露したのは、上村ひなのセンターの「何度でも何度でも」だった。

 

f:id:platanus0524:20220703015528j:image

 

日向坂こそ、明るく元気で爽やか、というのが世間的なイメージではあると思うのだけど、その内実は重厚である。

かなりガチめのメッセージソングは結構ある。

 

この曲は、他人と比較しても仕方ない、自分のペースで進もう、失敗したっていい、何度でもやり直せばいい、という詞をひなのが歌うことによって主に10代に向けられるメッセージソングだった。

ではあるものの、人間の弱い部分というか、わかっていてもやってしまうところが如実に表れている。10代だけではない。世で大人と呼ばれる人とて同じことだ。そしてこの曲を聴くにつけいつも思うのは、それこそまさに乃木坂櫻坂日向坂それぞれのファンこそ「他人と比較しても仕方ない」という言葉を肝に銘じるべきだということだ。

もちろん近しい存在はどうしても比較する。特に櫻坂日向坂はその誕生の経緯を考えても、どうしても比べてしまう。場合によってはメンバーですら、それをしてしまうこともある。

たまに私もブログで書く言葉だけど、やはり隣の芝生は青く見えてしまうのである。

それをそう見ないようにするためには、自らの努力が必要になる。

 

本当の敵は、そうやって相手をどうしても意識してしまう、己という存在なのである。

 

自分らしく、ということは、逆にいえば他者が介在しない、ということと同義だと私は感じている。だとすれば、誰かや何かと比較してしまう己の存在そのものが、乗り越えなくてはいけない壁なのである。

 

 

 

 

だとすれば、この2曲、何かが繋がっているような気がしてくる。

おもさびは、誰かに依存してしまいがちなところを、一人で、自分の足で歩いていく勇気を出してみたら、意外と寂しくなかったわけだし、何度でも何度でもは、自分らしく生きていく尊さを謳う。

つまりそれぞれの坂道には、それぞれの魅力があって、どちらが上とか下などないんだ。もっと言えば坂道だけでなく、全てのアイドルグループにはそのグループを構成するメンバーがいて、その人たちがきっと毎日努力して、そしてそのグループにしかない魅力を発信してるんだ。上も下もあるものか。それぞれがそれぞれで尊いんだ。

 

少しでも気に留まれば、短い時間でもいいからじっくり見てみよう。

そして、その人たちにしかない魅力に気づいてみよう。

 

そうやってグループを応援する裾野が広がっていくのだと思っている。

 

 

 

 

何より、櫻坂や日向坂にはこんな曲があるんだと世間に知らしめてくれた「THE MUSIC DAY」には、足を向けて寝られないくらい感謝している。

 

f:id:platanus0524:20220703230118j:image
f:id:platanus0524:20220703230134j:image
f:id:platanus0524:20220703230121j:image
f:id:platanus0524:20220703230131j:image
f:id:platanus0524:20220703230115j:image
f:id:platanus0524:20220703230124j:image
f:id:platanus0524:20220703230127j:image
f:id:platanus0524:20220703230112j:image

 

来年もどうぞよろしくお願いします。