櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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ケヤフェス2022、昨年との意味合いの違いー日向坂46視点 2022年5月28日付

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日向坂46は、延期になっていた7thが発売される直前というタイミングで、ケヤフェスの発表を迎えた。

もちろんそれ自体はめでたいことではある。現状で日向坂はどういう状態でコニファーに凱旋することになるのか。

 

まずグループとしてはなんと言っても、ようやく念願のドーム公演を終えることができた、というのが昨年との最大の違いだろう。グループとしてずっと目標にしていたことが達成される前と、達成された後ではいろんなものが変わる。メンバーもスタッフもおひさまも、基本はさらにその上を見据える。次の目標をどこに設定するかを模索する段階だと踏む。ドームがあまりにも大きく、遠く、そして具体的な目標だっただけに、「次」がなかなか定まりにくいのは確かだろうし、でも時間をかけるわけにもいかないわけで、日向坂の一つの大きな課題と言える。

 

もう一つの大きなポイントは、オーディションの進捗である。

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ちょうど今頃、4期生の候補生となる研修生が決まる頃であり、6月頃から本格的に研修期間に入る予定。ということは、当然ながら7月のケヤフェスもその研修の対象となるので、お披露目されることはないにしても、帯同はしているものと考えて間違いない。

8月とも言われる正式加入を迎えれば、その新メンバーはもとより、グループ全体が一つのターニングポイントになるだろう。前述した「次」の目標にも関わってくる。

つまり、そういうとてもデリケートなタイミングでケヤフェスを迎えることになるのだ。

 

そして、何より私が個人的に気にしているのは、そのスケジュールのタイトさである。

 

そして、そのタイトさから心配が尽きないのは、体調面で不安を抱えるメンバーと、直前まで舞台をこなすことになる濱岸ひよりである。

あれだけ明るく振る舞われると忘れがちになる、というより心配させまいとして振る舞っているならおひさまとしては忘れたほうがいいのかもしれないが、体調面で不安を抱えるメンバーは結構いる。

松田好花もそう、宮田愛萌もそう、佐々木美玲もそう、丹生明里もそう。

そして何より、復帰即センターという大仕事を引き受けた小坂菜緒も、もちろんそうだ。

 

 

 

www.hinatazaka46.com

 

小坂菜緒については、よくセンターを引き受けたと思っている。それだけに、本当にその重責に耐えられるのか心配になるのも当然だ。

休養というのは、確かに人間にとって必要で、その理由がなんであれ、ずっと走り続けてくると、必ずどこかで体が悲鳴をあげる。その体の声には素直に耳を傾ける以外にない。彼女の場合はその結果が例の休養であったと思っているが、その休養期間は本当に不安に苛まれるものである。

これは私自身も休職をして入院をしたことがあるのでわかるけれど、まさに自分だけが取り残されたような感覚。他の人の時間は動いていて、自分は時が止まっている。だからどんどん離されていくように思えてしまうのだ。ブランクが空きすぎると、今度は今までできたことができなくなってるのではないかという別の不安も襲う。つまり、復帰というのは実は相当なエネルギーを要するのだ。

だからこそ、復帰は本当に強い決断だったと思う。

 

よく帰ってきてくれた。本当に本当にありがとう。

 

でも、復帰を決めたとはいえ、それでもずっと自分の中にある葛藤と戦っているのが彼女である。そしてその気持ちも、微かではあるがわかる気がする。復帰センターを決め、レコーディングもし、振りも入れて、既に7thが走り出そうとしている今も、である。ドームで初めて披露され、そしてMステで披露されたそのセンターの姿。正直、彼女の不安というか、葛藤がそのまま映し出されているように見えた。ただ皮肉なことに、その心の揺れ方が、曲の主人公の心情とオーバーラップしたように見え、それが逆にリアリティーとなって映し出されたように感じた。

 

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エンタメ的には幸くあったということではあろうけれど、一人の女性・小坂菜緒の「今」を考える上で果たしてそれはどうなのか。

 

もちろん体調が万全ではない。それは彼女自身も自分の言葉で語っている。

その状態で、梅雨明けの暑さが予想される4日間のうち、数日間を耐えられる力が彼女にあるだろうか。

体力、というか、最も私が心配しているのは精神面の方である。

 

日向坂46は、おひさまに照らされることで自らの輝きを増し、そのおひさまを照り返す相乗効果が、おひさま以外のところにまで波及した結果大きくなってきたグループである。周りの人を巻き込んだ明るさが日向坂の代名詞ではあるのだが、全力でそのエンタテインメントを構成している分、自らが背負う傷も大きい。しかも、グループカラーのこともあるのであまりそれを表に出せないという事情もある。だから、おひさまから見ればあまりに突然に休養の発表が来たりするのである。本人たちに無理をしている、という意識がなさそうなところも逆に心配になる。

 

 

最後の注目点は、渡邉美穂がいないという形で迎える、おそらく最初のLIVEになるということ。

 

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未来の4期生は、渡邉美穂を知らずに、日向坂として活動することになるのであるが、ケヤフェスはちょうどその端境期にあたる。

単純な足し算引き算で言えば、美穂の抜けたところを、近い将来新メンバーが埋める、ということになりそうにも思えるが、事はそんなにシンプルではないだろう。美穂の穴は当然ながら、新メンバーに急に埋められるような大きさではないからだ。ただ現実問題として、美穂の顔がなくなるところに新しいメンバーが入るのは間違いなく、それは全体として考えたときに相当大きな変化になるのは言うまでもない。

櫻坂も実は、もしかしたら渡邉理佐が卒業して初めてのLIVEがこのケヤフェスになる可能性が今のところ高いけれど、同じことが日向坂にも起きるということ。

 

順風満帆に見え、そして見た目には本当に明るくステージを構成してくるはずの日向坂ではあるけれど、内実そのような「課題」を抱えていることは、私たちも心の隅に留めておかなければならない。確かに、その面で私たちにできることは多くない。でも、だからこそ無事にこの端境期を乗り越えることができたら、おひさまは彼女たちを全力で褒めてあげるべきなのだ。

 

 

 

 

個人的には、櫻坂「五月雨よ」からの、日向坂「僕なんか」というつなぎで、主人公の想いと、自信はなくても最後は前向きに締めるという、好きという気持ちが一人の人間を成長させる力をぜひ富士の麓で見せつけてほしい。

恋愛感情はもちろんだけれど、何かを好きだという気持ちは強いエネルギーである。櫻坂を思う気持ち、日向坂を思う気持ち、それぞれに強さがある。その強さは尊いものだという心の叫びをぜひ、両グループに謳ってほしいのである。

 

日向坂には心配は尽きない。それは一人ひとりのメンバーを一人の人間、一人の女性として見るが故の感じ方である。でも、それ以上に彼女たちには何かを達成しようという前向きさは強く強く持っている。

 

 

 

実に、そこに賭けてみたいのである。

 

 

 

 

 

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ケヤフェス2022、昨年との意味合いの違い〜櫻坂46視点 2022年5月27日付

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前置きというわけではないけれど、実はこのブログ、二日前と比べて二倍以上のアクセスを頂いている。その二日間のブログといえば、この2本だ。

 

platanus0524.hatenablog.com

 

platanus0524.hatenablog.com

 

かつては、他のブログに引用されて叩かれたり、物議を醸したこともある川島ブログではあるけれど、基本的には自分の言いたいことを連ねているだけなので、ご賛同いただける方がいらっしゃるだけでありがたい。批判なんかあって当然だというスタンスだし、でもだからと言って自分の意見をあまり曲げることもないので、さほど影響はないのだけれど。

ただ今までと少し違うアクセスの数となると、ちょっと気にはなってしまう。

 

それに関連するかもしれないけれど、やはり世にはいろんな人がいらっしゃるんだなぁと。

実はめったにしないことではあるが、自分からケヤフェス反対派の意見を探りに行った。で、それを見てもやはりよくわからない。なんだっけ、自称Buddiesの人の中には、コニファーはもともと欅坂が共和国をやってた場所だから、自分たちの空間のように考えている人もいるようで、それを日向坂に取られた、と思っている人がいてびっくりした。凄すぎる発想だ。というか、そもそもコニファーは櫻坂のものでもないし、何より取られた、という発想が狭量というか、貧困だなと。

それから、反対意見を否定するのはおかしい、みたいなのもあった気がする。これは明確に言っておこう。

否定されるべきなのだ。

何故か。

 

これから素晴らしいものを見せようと準備するはずの彼女たちを傷つけるに違いないからだ。

 

たとえどんな理由があろうと、自分が推しているグループや推しメンがそのツイートを見て喜ぶわけがない。ならば間違いなのである。間違いというのはおかしい、ということになれば、それはメンバーへの攻撃に等しくなる。メンバーを傷つけても自分の意見を言わせろ、という発想は、もはやアンチである。メンバーのことなどこれっぽっちも考えていない、自分の想いの方を優先させろという、非常にタチの悪いアンチに成り下がる。仮にそんな発想はない、と言ったところで、結果そうなるから同じことなのだ。

 

知り合いでもない人のことを、そこまで嫌いだ嫌いだムカつくムカつくって言いながら生きてて楽しいのかね。

まぁいいや。昨日の繰り返しになるからここでこの話は終わりだ。

 

 

 

 

閑話休題

昨年のケヤフェス、初めてのこともあって結構期待が膨らんだのは、「W-KEYAKI FES.」という名前。これを見たら初期から推している人は当然期待する。漢字欅楽曲の復活があるのではと。名前に「けやき」とあれば、これは期待するなという方が無理だろう。でも、昨年はそのことが、メンバーと私たちの意識の齟齬を生んだ。

 

sakurazaka46.com

 

これは今でも私の反省点としてあるのだけれど、櫻坂のメンバーに対して欅坂の楽曲を期待する、というのは、それこそ前述のとおりメンバーを傷つけることになるのだと。そして、これは悪意がない分とても残酷だった。優しすぎるくらい優しい彼女たちは、そんなBuddiesの気持ちも察せるから、あまり言葉にしない。言葉にせずに、たださめざめと泣く。櫻坂としての自分たちよりも、欅坂だった自分たちがやはりまだ求められているんだという現実を突きつけられる。考えてみれば、残酷極まりない。それも自分たちのファンに言われるのだから。

 

これも何度もこのブログでは触れているが、昨年はまだ改名して一年も経たない時期。いろんな想いが複雑に絡み合っていたはずではあるが、それでも櫻坂として前へ進もうと決め、櫻坂としてのパフォーマンスに磨きをかけ、さらに有観客の全体LIVEとしては、櫻坂として初の舞台であったケヤフェス。その場で、櫻坂ではなく欅坂を求められていることを知るのだから、少なくとも嬉しいとはなかなか思えないだろう、というのも、私自身恥ずかしながら後で気づいたことである。

 

その辺り、結局ケヤフェスを快く思わない自称Buddiesや自称おひさまとどう違うのか。表現の仕方が違うだけで、自分たちの想いを表明してメンバーを傷つけるという点においては、些かも変わらないのではないかと思えてしまうのだ。

 

そんな大反省点を経たうえで、今年の合同はどう捉えるべきなのか。

 

メンバーの気持ちは知った。その上で臨むとすれば、あのときと状況はかなり変わったという現実から見る必要がある。

櫻坂としてのキャリアは1年半。昨年の今頃に比べれば、当然持ち歌は増えた。そして、これはおそらく比較にならないくらいTVでの露出も各メンバー増えている。あのときはメンバーにいた守屋茜渡辺梨加渡邉理佐が卒業してしまって今年のケヤフェスを迎えるとは想像もしてなかったが(時期的に考えると、どうも理佐の卒業プロジェクトは昨年のケヤフェスあたりから始まっていたように思えなくもないが…)。

プラスマイナス双方の変化を踏まえた上で、櫻坂46としてのステータスは、メンバーの中に出来上がっているのかどうか。

もちろん、まだまだ道半ばで、足りないといえば足りない。でも、キャリアを積んだ分だけ、少しずつではあっても櫻坂として、櫻坂にしか進めない道が見え始めて、そして歩を進めていることは間違いないと思っている。

 

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その上で。

 

メンバーの気持ちも知った上で、敢えてもう一度問いかけたいのだ。

欅坂の楽曲を披露する覚悟はできたかと。

櫻坂を軌道に乗せた上で、自分たちの歴史と向き合う覚悟が。

 

 

櫻坂が求められていないわけではない。たくさんのBuddiesがそこにいるのだからそれは当然だ。

そうではなく、自分たちの歴史を直視してほしい、という思いでもある。

何故そこにこだわるか。

それが、始まりの象徴でもある「KEYAKI」を冠する意味ではないかと思うからだ。

 

一期生は、守屋茜渡辺梨加卒業セレモニーで、青空とMARRYを解禁した。

渡邉理佐卒業コンサートでは、二人セゾン、制服と太陽、世界には愛しかない、手を繋いで帰ろうか、風に吹かれてもなどを解禁した。

卒業生が主体だから。それは大きな意味に違いない。でもそれだけが解禁の理由で本当にいいのか。

 

今の自分たちが地に足をつけ、しっかりと踏み出しているという自信があるのならば、過去そのときに自分がどんな想いで欅の坂を登っていたかを思い出すこと、それはそんなに罪でもあるまい。

そして、この覚悟は、卒セレ卒コンで欅曲を披露した一期生よりも、二期生の方により求められてると感じている。

 

二期生のみんなは、櫻坂46としての自分がしっかりと確立し、その上で自分たちが加入したはずのグループである欅坂46の楽曲ともう一度向き合う覚悟があるか。

繰り返すが、櫻坂が求められていないなどと誤解してはいけない。

そうではなく、原点回帰なのだ。

自分たちが憧れ、入りたいと願ったグループに入れた貴重な存在でしょあなたたちは。

そんな歴史を自ら否定するわけにはいかないでしょうと。

それは、現在の自分を否定することにもつながるのだから。

 

むしろ二期生ほど、欅坂の楽曲を歌い継いでいくべき存在なのではないのだろうか。

櫻坂としてのステータスはもちろん必要だし、それを見てほしいのもわかる。そりゃそうだ。あなたたちは櫻坂46なのだから。

でも、自分たちにはどんな想いであろうと、欅の血が流れていること、それがやはり原点なのだ。それと正面から向き合うことは、櫻坂を否定することになるはずがないだろう。

 

だから、年に一度でいいじゃないか。

欅坂を自分の中にしっかりと宿らせておく、そのことを確認しておくこと。それは、ここから先を見据える上でもプラスに働くはずだ。

 

 

 

ポイントは、メンバー全員が同じ方向を向く覚悟ができるかどうか。

もしそれが達成さえされれば…そのときこそ、

 

 

 

欅坂46」のovertureが富士山麓に鳴り響くことになるだろう。

 

 

 

 

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隣の芝生を青く見るなー櫻坂単推し、日向坂単推しの皆様にぜひお読みいただきたいブログ 2022年5月26日付

 

日向坂46の7thミーグリが、第4次受付をもって全メンバー完売という快挙となった。

これは本当に物凄いことで、私も途中からしか坂道シリーズを知らないので、過去にそんなことがあったのかは全く知らないし、自分の記憶でも、日向坂ソンコトの個握くらいしか知らない。しかもあれはリアルの握手会の話で、ミーグリでのそれはおそらく前代未聞である。復帰した小坂菜緒のミーグリが売れるのはわかる(というか、休養前でもトップクラスに売れていた)。卒業する渡邉美穂に至ってはおそらくプラチナチケットになったはず。そしてそれ以外のメンバーも各所でメディアに露出しており、名前も顔も売れているメンバーが増えた。グループの雰囲気の良さも当然、伝わっている。

 

素直に、日向坂46メンバーの日頃の努力の賜物であり、グループの結束力と熱い想いがおひさまに伝わっている結果である、と思える。

日向坂46に関わる全ての人に祝福を申し上げたい気持ちである。

 

 

 

日向坂46が、欅坂46の中から生まれたけやき坂46、通称ひらがなけやきを端緒とするのは、ここで今更言うまでもないこと。

まもなく第2弾のドキュメンタリー映画も封切られるが、その第1弾である「3年目のデビュー」でも語られていたように、当初のひらがなは本当に大変な状況に置かれていた、というのも今更の話である。

ということは。

その出自を知る以上、この二つのグループが切っても切れない関係にあり、グループカラーは全く違うものの二卵性の双子のようなものであると。

ただ二つのグループが独自に走っていけばいくほど、その出自が忘れ去られていく。忘れられた上に、たとえそれを知ったとしても意味を持たせない向きが増えてくる。

 

そんな動きには体を張って抗いたいとは思っているけれど、それはそれとして。

 

日向坂の人気が爆発しているのは、その雰囲気の良さが波紋のように広がっているから、ということと、メンバーそれぞれが全力で目の前の仕事に取り組んでいる姿が評価され、その裾野が広がっていることの表れだから、ということに尽きると考える。奇を衒うようなことは何もしていない。ただ愚直に取り組むだけ。そして自分の色を出すだけ。基本に忠実なだけだ。

そして、その姿勢が花開く環境が整えられていること、これが相当大きな要素になる。

 

そうすると、もういちいち貼りはしないけれど、それを一部のBuddiesと称する人が取り上げて、また何かを言う。すると、一部のおひさまがそれに反応して反論する、というくだらない争いを見なければいけなくなる。

なんだろうか…そういうことを言わなきゃ気が済まないのだろうか。いや、言ったところで何になるというのだろう。無駄な争いなど勝手にやってくれればいいが、見たくない人のところにまで流れてきて、わざわざブロックしなきゃいけない煩わしさが生まれていること、ちゃんと知っているのだろうか。

 

好き嫌いなんて感情は誰にでもあるし、別段それを否定する気はない。

だが、例えばメンバーや関係者に何かされた(そんなことありえないけれど)というならともかく、櫻坂単推しさんが日向坂を、日向坂単推しさんが櫻坂を、何故そんなに嫌いになれるのか。一体どこにそんな要素があるというのか、まるで不思議で仕方がない。直接知り合いでもないアイドルに対して、何故そこまでの感情が持てるのか。

 

日向坂のミーグリが全完売した、それはひとえにメンバーの評価が上がったからで、それを喜んであげる、それでいいじゃないか。何が不満なんだろう。

 

忘れてもらっちゃ困るのは、この世には櫻坂単推し、日向坂単推しだけが存在しているのではない。櫻坂も日向坂も両方推している、兼推しだって結構な数いるんだ。その人たちが、お互いのファン同士で責め合う姿という、情けなくて、愚かで、いかに時間の無駄なものを見せられていると思っているのか、本当知ってほしい。

 

日向坂のミーグリが全部売れたことに、何故櫻坂の界隈からケチがつく?あなたはどうしたいのだ。日向坂のミーグリが売れなきゃいいのか。売れなければ櫻坂が売れるのか。そんなはずがないだろう。それを何と言うか知っているか。嫉妬というのだ。その嫉妬を丸出しにして日向坂を責めたところで、そこに何が生まれる。結局負の連鎖しか生まないだろう。

日向坂のミーグリが全完売したから、櫻坂より上になった?いやもっと前から上だ?よしんば上になったとして、だからなんだ。上に立つことが目的なのか。マウントを取れればそれでいいのか。もしかしたらあなたは、ひらがなけやき時代の、滑走路と言われたあの時代を知る貴重な証人かもしれない。その時代に、漢字欅に対して、というより、漢字欅を推しているファンに対して恨み骨髄だったかもしれない。だとしたらなおさら情けない。誰かの上に立つことを目的として、日向坂は活動しているのか。日向坂の一体何を見ているのだ。櫻坂を下に見たとして、何が残る。無意味な優越感だけで、何も生み出さない。それより、全完売したメンバーを褒めて褒めて褒めちぎる方がよほど有益だ。そこに何故他者が介在する?

 

 

 

…私は、秋元康ほどではないけれど、自分と違う意見は積極的に聞いてみたいと思う派だ。その意見が説得力を持って耳に入れば、自分の狭い了見では気づかなかったものを気づかせてくれる一つのヒントになるからだ。ところが、世の中には自分と同じ意見の人とだけ固まって、自分の意見が自分だけじゃないことを確認して安心し、その場所に安住したがる人が圧倒的に多い。加えて、極めてくだらない争いが何より好きな方がいらっしゃるようで、ことあるごとに櫻坂を挑発したり、日向坂を挑発したり、もちろんこの二つのグループだけでなくどこにでもそんな人はいると思うけど、そんな言葉がSNS上に溢れる。

 

精神衛生上良くないと思うんだけどなぁ。

これはずっと言ってることだけど、誰かを攻撃するくらいなら、自分の好きなものを好きと叫んでいる方がメンタル的には安定するし、何より誰にも迷惑がかからないと思うのは私だけだろうか。好きだからってそれを押し付けたりしなければ。

ただ、誰かに対する攻撃は間違いなく迷惑がかかる。それに反撃を喰らって余計なストレスを増やすことになるし、何より時間を無駄に使うだろう。たとえ相手を屈服させて全面的に相手に非を認めさせたとしても、それがどうした。何を生む。

 

 

そして最も大切なこと。

 

あなたのその攻撃性は、メンバーが望んでいることなんですか、ということ。

 

お互いのグループを傷つけて、あなたの推しているグループのメンバーは喜ぶんですか。まさか、喜ぶなどと答えないだろうね。メンバーを馬鹿にするのも大概にしときなさいよ、と言いたい。

 

メンバーの気持ちを大切にしないなんて、ファンのすることじゃないと思わないか。

メンバーの気持ち以上に、自分の気持ちの方が大切なのか。自分の気持ちを押し付けることによって、メンバーが傷ついたとしても、それも是とするのか。それのどこがファンだというのだ。自分の理想に凝り固まっているだけじゃないのか。

 

 

 

 

…というブログを書こうと思っていて、そこまで書き上げて仕事に向かう。仕事が終わって目にした情報は、そろそろ来るだろうと思っていたこれの発表だった。

 

 

今年のケヤフェスは、4日間。

そうすると今度は、その構成がどうなってるかに焦点が移る。

中には、櫻坂だけで4日間やってほしい、日向坂だけで4日間やってほしい、云々という言葉まで飛び交う。

櫻共和国が見たかったという意見もあった。

 

ああ、もう、本当に…

 

全てわからないわけではない。ないけれど、これは合同でやるから意味があるんじゃないのかね。

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私なんかは前述のとおり兼推しなので、櫻坂と日向坂を同時に観れるなんて至福の極み!と考える方だけど、もちろんそうではない意見の方もたくさんいるのは知っている。

私は昨年、3日目の合同の日だけ参戦し、初めて富士急でそのステージを目の当たりにした。今思い返してすぐ頭に浮かぶのは、自分のすぐ近くでたまたま踊っていた小林由依丹生明里の、本当に楽しそうな姿。そして13回のMCと揶揄された回数よりも、その内容が櫻坂メンバーはおひさまを、日向坂メンバーはBuddiesを相当意識した内容だったことだ。

お互いのメンバーに、お互いのファンへのリスペクトがあり、なおかつ自分たちをしっかり知ってもらおうという努力がそこにあったことは間違いないんだ。

 

なのに、当の推す側はどうだ。

もちろん単推し大部分は、お互いのグループへのリスペクトに溢れている。それも知っている。ところが一部には今でもまだ、なんだか正体のよくわからない嫌悪感に苛まれているというか、取り憑かれている人がいる。見るに堪えないというか、哀れだ。

正体はわかっている?原因はわかっている?違う。あなたがそう思い込んでいるだけだ。メンバーと知り合いで、メンバーから直接その想いを聞いたなどでない限り。思い込んでいる上に、その想いに自分が囚われているだけだ。

 

あなたの推しメンが、そうしてくれと頼んだのか?

嫌いなものを嫌いと叫んで、カタルシスは浄化されるのか?無駄に反論を呼び込むことで、更なるカタルシスを生み出すだけじゃないのか?

 

いい加減そんなくだらない争いはやめよう、などと言ったところで、どうせそんな負の感情に囚われている人はずっとその場所に安住するのだろう。だが、あなたが仮にそれでカタルシスを解消したとしても、それを見たくもない人が見る可能性も十分考えておいてもらわないと困る。さらについでに言えば、櫻坂だけ4日間とか、日向坂だけ4日間とか、そんなのあるわけがない。この二つのグループが合同で開催する意義が理解できない人など、富士山麓に足を踏み入れる資格すらない。

 

単独ライブだけ行けばいい。思う存分そのグループを応援できるでしょうに。

 

根本的なこととして、推しグループ、そして推しメンを推すという極めてシンプルなことが何故できないのか、何故自分が推していないグループを取り上げてああだこうだ言いたくなるのか、言ったところで期待できる効果など、その人がスッキリするか否かだけなのに、なんでそんなことにこちらが付き合わなきゃいけないのか。

 

今年はおそらく行くことはできない可能性が高い。

けれど、私の想いだけは、4日間とも富士の麓にある。

 

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「変化」ではなく「進化」を体現せよー山﨑天の成長に櫻坂の未来を見る 2022年5月25日付

自分でも本当に不思議だけれど、渡邉理佐卒コンのフォトはもちろん、その後に放送されたそこさくも含めて、今見返す方が涙が溢れる。いや、そのときも相当泣いたけど、今になってから次の「波」がやってくる。これはあまりに想定外。

メンバーみんな思うところがたくさんあったはずなのでいつも以上に気合が入っていたに違いないが、実は、私が卒コンで理佐以外に目を奪われたのは山﨑天だった。

 

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彼女はあの二期生の中でも少し違う立ち位置にいる。周りは同期も含めて全員自分より大人で、同世代が全くいない中で初めてのことばかりを体験しなければならなかった。おそらく右往左往しながら日々を過ごしているうちに、自分が加入したはずの欅坂46が改名するという経験をする。

思春期真っ只中だった彼女に与えた影響は如何程かと考えてしまう。

欅坂時代の彼女といえば、どうしても何かに萎縮しているというか、元気のなさがとても印象にあって、それは別に元気がなかったわけではなく、彼女の置かれている状況があまりに特殊で、それに身も心も追いついていなかったんだろうと想像する。

 

私が山﨑天の話をすると、必ずと言っていいくらい持ち出すのは、お見立て会の「頂点に導く」発言。あの瞬間は自分の中に電撃が走った。

ただかわいそうだったのは、当時そもそも二期生の加入を快く思わない向きがあったところに、今までと全く違う空気を入れたがっていると映ったのだろう、結構叩かれていたイメージがあったことだ。それから彼女は一切その発言について触れなくなった。

それどころか、そこからあまり言葉そのものを発しなくなったようにも思えた。

 

考えてみてほしい。

 

当時13歳だ。

 

ご自身の同じ歳のときのことをぜひ思い返していただけないだろうか。

 

想像もつかないような世界に飛び込み、周りはみんな大人で、もしかしたら入ったことを後悔した瞬間があったかもしれない。

もちろんわからないことが多かったから言えた、というのもあっただろうけど、ファンがいかに欅坂というものを信奉していたとしても、そんな中学生を叩くという行為がどれだけ酷いことか。それを知ったのか知らずかはわからないけれど、何故彼女があそこまで口をつぐまなければならなかったのか。

 

可能性を潰すことになる要因は、様々だ。

 

でも、応援している側がその要因になることほど、愚かなことはない。

 

それでも彼女の、というより、二期生全員に言えることだけど、反論など一切せず、自分たちの活動でそんな声たちを消し去っていった。

何かに対して反論するのではなく、自分たちの行動、そしてそれに伴う実力で批判の声を消すということが、いかに素晴らしいことで、いかに大変なことか。

それを当時中学生の彼女が一歩ずつ成し遂げていったのだ。

 

あなたにはできますか。私には、たぶんできない。

 

 

 

 

山﨑天が明らかに変わったと私が感じたのは、改名直後であった。

冠番組での振る舞いもそうだし、何よりカップリングとはいえセンターを務めることになって、本人の意識ももちろんのこと、最年少のセンターを支えようというメンバー・スタッフのおそらく相当な努力が彼女を変化、いや進化させていったのだろう。

 

だからこそ、この理佐への言葉がリアリティーをもって私に刺さる。


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実際の彼女は長女で、長女はなかなか甘えられないという話はよく聞く。そんなときの理佐の言葉はそりゃ染みるだろう。おそらく気を張って毎日を戦っていたはずだから、なおのことである。

 

もちろん、一期生全員が彼女たち二期生を心から大切に感じ、接してはきたはず。そして、そもそもそんな一期生に憧れて入ってきた二期生は、そんなこれ以上ない環境で自分をしっかり出していく。山﨑天の場合はそれが冠番組での変化であり、「Buddies」センターであり、そして4th表題「五月雨よ」の表現力に繋がってゆくのではないかと。

 

理佐と葵が卒業すると、そこにできる穴はどれくらいのものになるだろう。おそらく誰にもまだ想像ができないレベル。でもだからこそ、最年少の彼女がのびのびと楽しんで、なおかつグループを引っ張る存在になってこそ、櫻坂は真の意味で「進化」したと言われるのではないかと感じる。

 

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彼女にとっては、忘れたいことかもしれない。でも、私はやはりあの発言に拘りたいのである。どういうつもりで口にしたのか、もはや本人ですらわからないかもしれないが、でも今の彼女なら本当に達成できる、そんな気がするのだ。

 

 

天ちゃん、今こそ敢えて自分の言ったこの言葉と、正面から向き合ってみる気はないか。

 

 

 

 

 

「山﨑天の“てん”は、頂点の“てん”。欅坂46をアイドル界の頂点に導きます!」

 

 

 

 

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…できるよ、きっと。

 

そしてそれは、、、

 

〝お姉ちゃん”の想いでもあるのではないのかな。

 

 

 

 

 

 

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人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり 2022年5月24日付

織田信長が、桶狭間の戦いの前に、この敦盛を舞って出陣した、というのは有名すぎるくらい有名な話。

下天という仏教世界における最下層の一日は、人間の寿命の五十年に相当すると言われる。

つまり人間の五十年間など、下天に比べれば夢幻の如く儚い、ということ。

 

いや、確かに儚いというか、今思えば自分の半生は長いようで一瞬だった気がする。

 

 

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今思っても、欅坂46との出会いは本当に運命的だった。

そしてそのきっかけを作ってくれたのは、実は乃木坂46である。

乃木坂を推す、というよりは、純粋に乃木どこ乃木中を楽しんで観ていただけだったのだが、そこに坂道シリーズ第2弾のお知らせが来たのは、2015年6月のことだった。

 

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これが、原点中の原点だった。

 

自分でも思うポイントは、なぜこれを見つめようと思ったか、である。

そこが全くもって思い出せない。

立ち上げからの古参ヲタクを標榜したかったのか。違う。違うというよりそんな記憶がない。そもそも自分のことをヲタクだとまだ思ってないし、乃木坂を推しているつもりすらなかった。

 

ただそこから乃木中→けやかけという視聴ルーティンができたのは確かだった。

とは言うものの、それで欅坂を推すという意識が芽生えていたわけでもなかった。

乃木中の延長、やはり楽しんで観るというただの視聴者で、例えば欅坂お見立て会の映像も当時番組で観た記憶はあるけれど、行こうともしなかったし、行けた人を羨ましいとも思っていなかった。本当に純粋に、エンタテインメントの一部として楽しんでいただけだった。

 

だから、一気に熱が上がったわけではない。

そこからはずっとけやかけの一視聴者だったわけだけど、少しずつグループアイドルにハマっていく自分を自覚するようになっていた。とはいえ、現場に行こうという発想すらまだなかった。

サイマジョ、セカアイ、セゾン、不協和音。全く現場に行っていない。

京都に住んでいたのに、なんならパルスプラザまでなら自転車で行けるのに、握手会に行こうともしなかった。

ライブにすら行く気がなかった。

 

現場というものに興味が湧いてきたのは、2017年の後半である。

最初の握手会参戦は、風吹か個握京都。

いや、正確に言うと、その前日に同じ京都で行われた乃木坂個握。確かあれは、逃げ水だったか。

このブログでは何回か触れてきたけれど、坂道シリーズで初めて握手したのは、乃木坂メンバーだった川村真洋である。グループアイドルの握手会に初めて行き、勝手もわからずに並び、それも5部だけのために京都まで向かい、数秒の握手をして帰った。

でもそのときに、実感した。

 

これは、ハマる。ヤバい。マズい。

 

…まぁそう思ったときには既に遅かったわけで。

 

その翌日、推しメン佐藤詩織さんを始めとする多くの欅坂メンバーと握手して、そこから遂に約4年半が経過した、というわけである。

 

 

 

話を戻すけれど、五十年という月日も本当に儚いというか一瞬のように今になってみれば思えるけれど、自分で言うのも烏滸がましいが、その中でもキラリと光る瞬間というものはある。おそらく誰にでもあるだろうし、それも人によっては一回や二回ではないかもしれないけれど、私の場合は漢字欅ひらがなけやき、そしてそこから流れ来る櫻坂日向坂を推している自分、結構好きだ。

報われるかどうかは、大きな問題ではない。

なぜなら、彼女たちは、私にとってやはり恩人だからだ。

熱いものを取り戻させてくれた、恩人なのだ。

 

人間には、ちゃんと感情がある。

そんな当たり前のことを、自分たちの活動を通して私たちに教えてくれたのが彼女たちだったのだ。

アイドルというと、どうしても下に見られがちな、実に割に合わない職業だと思うことがある。

もちろん、誰かに夢を与えるという意味でそんな素晴らしい職業もないのだが、世の中的にはその立場を下に見る人がいることはいる。

アイドルとしての「顔」、表に見せる部分などほんの氷山の一角で、その一瞬の煌めきのために凄まじい努力をする。そんなことを知っているのかいないのか、評価しない人は本当にしない。

だから、たくさんの賞賛を浴びることも確かにあるだろうが、言われなき中傷を受けることだって少なくない。

こんな理不尽な話はないと。

 

アイドルとして、ステージで本当に煌びやかな姿を見せて感動を与える。一方で、全てがうまくいくわけでもなく、苦悩の日々を過ごす部分があって。

嬉しいことも辛いことも共有したいと思わせてくれた。

元々私に備わっていた、感情的な人間の部分を取り戻させてくれた。

これを恩人と言わずして、何というのか。

 

夢幻の如くなり、というのなら、鳥居坂46募集のこの瞬間からの7年間など、本当に夢幻のようだった。

鳥居坂は欅坂となり、その欅坂は5年で活動休止し、さらに櫻坂となる。

欅坂の中にひらがなけやきというもう一つの胎動があり、それこそ誕生から様々な葛藤と闘いながら、日向坂となる。

たった7年で、これだけの激変。

何か本当に、ここまでが壮大な夢だったんじゃないかと思うほど。

 

 

でも、それでもあえて言いたいのは、プラスな意味であろうとマイナスな意味であろうと、心を震わせてくれる存在に出会えたというのは、本当に感謝しかない、ということ。

人間は感情の動物である、という考えに私も賛成である。

ならば、感情を忘れてしまっては存在意義に関わる。

何か試練に行く手を塞がれれば一緒に切り開く道を考え、何か悲しいことがあれば自分のこと以上に涙を流し、そして何かを達成したときには心の底から喜ぶ。

誰かのためにそれをしてあげられる人でいられることを、私は素直に喜びたいし、そうさせてくれたのは彼女たちだ。

 

 

 

勢いで生涯を懸けて、などと軽々しく口にするものではない。

でも、心の底から彼女たちと、厳しくも温かいそんな旅路を共にするという覚悟があるのなら、話は別だ。

 

私の半生、確かに夢幻のような速さだった。

だが、ここで終わるような私ではない。

もちろん、永遠の命など望まない。ただ、できるだけ長く、そんな私にとっての恩人であるグループをずっと見ていられれば…彼女たちの姿と共にあれば、それでいい。

 

 

 

 

 

本日、川島雅隆は50歳を迎えました。

いつもお世話になり、本当にありがとうございます。

このブログ、取り止めのなさでは日本一を自負しておりますが笑、そんなとっ散らかった内容でもお読みいただいている皆様には頭が上がりません。

 

そんな内容でお時間取っていただいて構わないと仰っていただける皆様には、これからも何卒よろしくお願い申し上げたい次第です。

 

 

 

 

 

櫻坂46、日向坂46とともに、川島もまだまだ走り続けます。

 

 

 

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理佐ロス。 2022年5月23日付

今日は、短めに。

というか、ロスが激しすぎて、さほど何かを書く気もしない。

 

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正直言えば、ここまでロスに苛まれるとは思ってなかった。確かに渡邉理佐は大切なメンバーだし、喪失感がスゴそうなのはわかっていたつもりだったけど、はっきり言って想定外だ。

だってまだ、理佐のいなくなった櫻坂46を、見てもいない。

にもかかわらず、卒業したという事実だけでこんなにくるとは…

 

もちろん好きだった。

でも推しメン、ということとはまた別のカテゴリだった。

だから、ずっと推しメンにしていた人には怒られるかもしれないけど、推しメンが卒業するのとどう自分の中で違うのかも知りたかった。

 

結果は、同じだった。

 

…同じ?

 

いや、もしかしたら…

 

それこそ、櫻坂46の歴史というものが上積みされた分だけ、センチメンタリズムに拍車をかけたのかもしれない。

 

 

 

 

 

…なんか、ダメだ。

こんなのを理屈で考えられるメンタルでもない。

 

 

 

 

明日は明日で、自分にとっても節目なので。

 

 

 

今日はこの辺で。

拝啓 渡邉理佐様ー櫻坂46渡邉理佐卒業に寄せて  2022年5月22日付

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久しぶりに、ブログを書こうと真っ白な画面を前にしても、一切言葉が出てこない感覚を味わっていた。

出てこない、というより理佐への言葉が次から次へと浮かんで、そして消えていく。消えるというか、いろんなものと混ざり合って溶けていくというか。

まぁそれだけ感情が整理できていない、ということでもあるのだけれど。

 

もうなんとなく最初から、いやそれこそ理佐の卒業を知ったときから、この日が来ると必ず襲うであろう感覚はわかっていた。

そして今、まさにその真っ只中にいる。

やはり渡邉理佐の抜ける穴は大きい。そして寂しい。寂しすぎる。というか、いないことが想像できない。

それくらい、理佐という人は当たり前のようにそこにいて、苦しいこと大変なこともたくさんあったはずなのに、私たちには何も見せずに時を過ごしてきて。

 

空気のようだ、というのは、存在感がない、という言葉のたとえではない。

なければ命に関わるような大切なものでありながら、当たり前にそこにあるものを言うのだ。

理佐の存在は、櫻坂にとってそれに近い。

その理佐の卒業。

 

だからダメなんだ。本当に慣れない。これからもそうだろうし、一生慣れたくはない。

でも理佐のそれは、実に特別だった。

 

 

 

実は私自身、この年齢になってくると感情を動かされることというのが少なくなって、悩みでもあった。何かに熱中したくても、琴線に触れない。だから心が動かない。心が動かなければ、感情が動くこともない。でもそれって結構不幸なことで、何をしても何を見ても、なんとなく冷めた眼で見てしまう。一歩引いたところから見て、わかったようなことを口走る。俗に言う「したり顔」というやつか。

嬉しいとか悲しいとか、そういう感情をどこへ忘れてきたんだろうと。昔は心から大笑いすることも多々あったし、悲しすぎて一日中落ち込んだこともあったのに、いつしかそれがなくなった。大人になるというのはそういうことなのか。そんなふうには思いたくなかったけど…

どちらかというと、生徒が合格したときくらいだろうか、本気で良かったと思えたのは。

それ以外は実につまらない人間に成り下がっているなと思っていた。

 

心が震える、琴線に触れる、そんな感情を取り戻してくれたのは、欅坂46であった。そしてその中で言うまでもなく、相当重要なポジションにいたのが理佐だった。

そこに理佐を置き、嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも苦しいことも私に与えてきてくれた。

 

漢字欅ひらがなけやき、そして櫻坂日向坂を知ってから、人間には「涙を流す」という行動があったことを思い出させてくれた。

 

彼女たちのおかげで、人間らしい人間に戻れた気がしている。

 

 

 

だから、今回の理佐の卒業、予想してはいたけど、こみ上げるものが止まらなかった。理佐はもちろんのこと、櫻坂メンバーの一人ひとりに歴史があって、その歴史を深く知っているからこそ。さらにそんなメンバーが形作るこのグループへの想いを知っているからこそ、涙は一粒ずつゆっくり落ちる。

理佐の想いも

理佐に対するメンバーの想いも

素直に自分の中に入ってくる

ストンと心に落ちる

そこから生じる波紋が、また新たな涙となって…

 

理佐を知る人は、異口同音に言う。

渡邉理佐ほど、周りのことを考えている人はいないと。

それは、見えてくる部分だけでもそう思える。

そもそも欅坂46というグループは、何故かそういう人が集まっていた。人見知りが故に大人しいけれど、本当は心に熱いものを持っていて、表現のしかたがわからずにもがいているような人。理佐ももちろんそんな人の一人だったに違いない。そして、そんな姿が世の中に対する抵抗のように思えたのかもしれない。少なくともそう見えた人間が一人いた。

 

その人が、一つの歌詞を書いた。

そして生まれたのはあの曲だった。

 

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幸なのか不幸なのか、これが当たったことで彼女のアイドル人生が始まった。始まっただけではない。ブレイクまでが約束されてしまったレールに乗った。

自分たちは言われたままにやっている。それだけで何故かいろんなものが出来上がっていき、そして自分たちの想いとは裏腹に勝手に名前だけが大きくなっていく。注目されれば今度は、言われなくてもいいような話まで聞こえてくるようになる。

 

理佐は変わったのか。

成長はした、とは思う。思うけれど、変わったかと言われれば、本質的な部分がそう簡単に変わるとは思えない。今の理佐の評価は、おそらく持って生まれたものが評価されているにすぎないと思っている。

 

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欅坂の後期。理佐は、と言うより、欅坂のメンバー全員が停滞感に苛まれていた。細かいところは知る由もないが、おそらくずっと葛藤して、苦しんで悩んで、という日々。私たちが想像するより壮絶な日々がそこにあったはずだ。理佐はそういう心の動きを極力表に出さない。でもグループが改名するほどに、ある意味追い込まれていたメンバーが、何も思ってなかったはずはない。まして実は熱い理佐のことだから、相当苦しんだに違いない。

 

それを乗り越えた、という言い方が正しいかはわからない。結局グループは改名した。櫻坂46となった。理佐が青春を賭けたのは欅坂46だったはずなので、櫻坂というグループでもう一度一から、というのがどれだけ茨の道なのか、私たち以上に肌感覚で知っていたはずだ。

 

それでも理佐は、その道を選んだ。

 

ありがとう。

本当にありがとう。

 

あのとき、理佐まで一緒に卒業していたら、櫻坂46はまた違ったグループになっていたような気がする。

 

 

あれだけ熱い気持ちを胸に秘めて

あれだけ誰からも慕われて

あれだけ人のために動ける人である、理佐がいなかったら…

 

 

 

 

 

本当に、理佐は理佐らしく卒業できた。そんな気がしている。

 

何があっても、何を言われても決して怯まず、じっと耐えて耐えて、そしてメンバーファーストで動いていたであろう理佐だから、この卒業コンサートが、卒業セレモニーがあったんだろう。

理佐だからこそ。

 

 

 

そしてもう一つ理佐にお礼を言いたいことがある。

 

櫻坂と欅坂の橋渡しをしてくれたこと。

みんなで勝手に高く築いてしまっていたこの二つのグループの壁は、実はこんなに低いんだよ、だって自分たちの歴史でしょ、と教えてくれたこと。

本当に感謝している。

 

伝説、神格化、封印。どれもこれも、人々が作り上げたものだ。

活動休止はしているけれど、誰が封印するなどと言ったのか。

櫻坂46が誕生しているから、欅坂はしまわなければならない、前向きなお別れなのだから、簡単に観たいとか言っちゃいけない、欅坂を見てきた人たちはそうやって自分を縛っていたところがありはしないか。

 

理佐が教えてくれた。

いや、もちろん理佐だからできた披露だったかもしれない。

でも、それでも今まで勝手に頑丈に封印してたとみんなに思わせていた欅坂の楽曲をしっかり披露してくれたことで、間違いなくハードルは下がった。いや、元々ハードルは低かったことを示してくれた。

 

 

 

 

 

 

拝啓 渡邉理佐

 

欅坂の立ち上げ、それこそあなたがMCの二人から名前を呼ばれて入ってくるところから知っています。

 

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実はクールでもなく、熱い熱い気持ちの持ち主であるあなたのことです。

 

欅坂櫻坂の経験、それはどこに行っても間違いなく糧になってくれるはずです。

 

特に櫻坂になってからは、あなたがいることでの安心感、安定感がグループを本当に強く強く支えてくれてました。

 

私たちなんかは、内部の人間でもないですし、こうやって外野から色々言うだけの存在ではあります。でも、だからこそ見える部分から本質を知っておきたいという気持ちは人一倍強い。Buddiesとはそんなものです。どうにかして、あなたたちの力になりたい、そんな日々でした。

 

紅白でのあの事件もそうだし、

グループが改名することを知った時もそうだし、

メンバーが思い悩んでいるのは間違いないのに、私たちにできることは本当に少なかった。

それがどれだけ歯痒かったか

どれだけ悔しかったか

 

でも、本当に悔しい思いをしていたのは、あなたたちですよね。

 

そしてグループの中心にいたあなたがそのとき感じていたことを思うと…

 

 

 

だからこそ、このグループが本当に大丈夫だと、自分がいなくてもきっとこの先躍進してくれると信じられるときに卒業する、という想いと、ついにその決断ができるグループになったというその想い、私は謹んで尊重したいと思います。

そして、私たちの見えないところで、たくさんメンバーと接してあげてください。

これからも。

 

 

 

私は、どうしてもアイドルグループからの卒業に「卒業おめでとう」という言葉は使いたくない人間です。違和感がありすぎるから。

だから、やはりこういう言葉になるけど許してね。

 

7年間、本当にお疲れ様でした。

また必ず、会える日が来ることを信じています。

今回の卒業時、ミーグリも1枚も当たらず、直の言葉でお別れを一言も言えなかったので…

 

 

何かそういう機会がもしあれば、必ずそのチャンスを頂こうと思っています。

 

 

 

 

私に感情を取り戻させてくれて、本当に本当にありがとう。

 

 

これで終わりじゃないからね。

 

 

 

またどこかで。

 

 

 

敬具

 

 

 

 

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