「条件反射で泣けて来る」が、条件反射で泣けてくるー櫻坂46、1stアルバムリリース 2022年8月3日付
夏の超多忙期を迎えているので、この時期の円盤発売はどうしても言及が遅くなってしまうのは私自身のストレスではあるのだけれど、こればかりは仕方ない。
まずは櫻坂46の1stアルバム「As you know?」発売を心からお祝いしたい。
いつもブログでは言うことだけれど、私は櫻坂日向坂以外の、他のグループのことをよく知らない。
とはいえ、どのグループも、もっと言えばどの芸能人の方々も、少なからず険しい道を進んできて到達した現在地だと思われる。
つまり、彼女たちだけが苦労した、と言いたいわけではない。
ただその数奇な運命をずっと目の当たりにしてきただけに、思い入れというものも相当深くなっているのは間違いのないところ。
欅坂46のデビュー前。デビュー後。その間にあった、もう全てを列挙しきれない凄まじい流れ。
そして、改名。
改名後の櫻坂46のデビュー後。
想いというのは形にはできないし目には見えないかもしれないけれど、形がないからこそ伝わる、というのもあるような気がする。
敢えて言うなら、その想いを形にしたものが、彼女たちで言うならば楽曲であり、その楽曲を閉じ込めた円盤であると。
中には彼女たちの歌声は言うまでもないけれど、彼女たちが重ねてきたかけがえのない時間と、それに伴って流したであろう涙と、心の底から笑った瞬間までもが実は封じ込まれている。
そりゃ感激もひとしおだろうと。
今回のアルバムにある、新曲5曲。
どの曲もメンバーが心から好きだと言っていて、歌っている彼女たち自身のオススメなら間違いないところだとは思うけれど、本当にそうだった。
全ての曲について書いておきたいところだけど、中でも最も刺さった曲を。
「条件反射で泣けて来る」というタイトルを聞いて最初に思ったことが、それは私たちのことですか?ということ。
彼女たちの今までの軌跡を思うと、それこそそれだけで涙がグッと押し寄せる感じというか。
例えば私なんかは「二人セゾン」のCメロなんか流れるだけで、もうまさにそれだし。
ずっと彼女たちを推している皆様はこの感覚、理解してもらえると思う。
人によってそのポイントの違いこそあれ、条件反射で泣けてくる経験はおそらく誰しもあるのではと。
さらにその曲を、ナスカ大先生が作曲したという、またそれも号泣ポイントであって。
櫻坂46に改名して、欅坂時代にはなかった新しい挑戦がそこここで見られる。
楽曲一つとっても、新進気鋭の作家さんの曲が採用される傾向も結構顕著で、そしてそれもまた櫻坂の素晴らしい色を織り成しているのも事実である。
一方で、欅坂時代を知る私たちにとっては、そのルーツを感じられるときが、まさに「条件反射で泣けて来る」ときなのである。
ナスカといえば…
どれもそうなんだけど、ある意味欅坂46のターニングポイントというか、その時代の欅坂における一つの象徴となる曲を生み出す方々なので、その名前に反応しないわけにはいかない。
エキセンにしろ避雷針にしろ黒い羊にしろ、出だしのピアノとベースの融合でナスカのそれとわかる。わかるくらいにナスカ曲に浸る。
それはどうやらメンバーも同じようで、メンバーなんてナスカ曲の仮歌から私たち以上に聴き込んでいるはずなので、最初に聴いた瞬間からおそらくピンと来る。
この曲の歌詞そのものは、麻布十番を舞台にした、昔の恋愛を懐かしみながら今もある未練を歌う曲ではあるけれど、そもそもこのワード自体が欅坂から櫻坂を推している私たちに彷彿とさせるものは大きい。
欅坂を見ると、というのはもちろん当然あるとして、今の櫻坂として輝く彼女たちを見ていても、それはある。
決して平坦ではなかった道のりを、いろんな想いが爆発したこともあるはずなのに、途中で諦めることなく進んできてくれた先に現れる世界。
理由があるとしたら、それしかない。でもそんな理屈があろうがなかろうが、関係なく泣けてくる。
秋元康が歌詞をつけるのに言葉と格闘する際、そういう想いがあったのかどうか知らないが、私たちがそう考えても仕方ない部分はある。
「昔のこと」って、何の、いつ頃の話なんだろうね。
「地平線へと誰かの背中が消えてく」。
歌詞的には直接とると、恋人との別れを指しているんだろうと思えるけど、ヲタ的解釈をすると、卒業していった全メンバーを思わずにはいられない。それがまさに「黄昏の坂の途中」だった。
確かセゾンのMV撮影のとき、新宮良平監督から「ずっとメンバーと何年間もいるわけじゃない。そのメンバーといる時間を大切にしてほしい」という言葉をもらったと聞いた。
「永遠のしあわせはない」
自分がしあわせを感じた形のものは、確かに永遠ではないかもしれない。形が変わっていくのは止められないものだ。
問題はそれを受け取る側にあって、変化したものに触れてしあわせだと感じるかどうかではないかと思うのだ。
欅坂46は、櫻坂46へと「進化」した。
私はずっと言っているように、源流はどう変わったとしても変えられない。櫻坂が欅坂からどれだけ変わったとしても、源流を感じさせるものがある以上は同じ熱量で愛せるし、ここまでその自分の想いに偽りなどない。
でも、泣けて来るんだ。
永遠のしあわせがないとわかっているからこそ、条件反射となる。
その意味の涙が頬を伝う。
ただ、それでいいんじゃないかとも思うのだ。
過去を振り返り、未来に想いを馳せて、現在を生きる。
永遠を望むより、限りあるからこそ注ぎ込める全ての力が生まれる方が好きだ。
出会いがあれば、別れがある。
だからこそその瞬間を愛せるのだと、そうも思ったりする。
結果、いろんな想いが、過去のシーンとともによぎるから、この曲そのものが条件反射で泣けてくるのであって。
でも、おそらくだけど、櫻坂の曲が増えれば増えるほど、こういう気持ちになることも比例して増えていくのかな。
欅坂の楽曲を彩ったレジェンドたちによる、櫻坂との融合。
それもまた、もっともっと見ていたい。