櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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櫻坂4thと日向坂7thの根幹に共通してそうなもの 2022年5月18日付

 

THE FIRST TAKEに、日向坂46・齊藤京子がソロで出演した。

以前にも数人でドレミソラシドを披露したことがあるが、そこに彼女がいなかったのは確かに不思議だった。

ソロ出演を控えていたのなら、納得だ。

そして披露するのは、まだ発売されていない日向坂7th「僕なんか」。

 

齊藤京子の歌の実力については、今更言うに及ばずである。

逆に、ソロボーカリストがグループで歌い踊っているような印象さえある。もともと彼女はソロの歌い手を目指してオーディションを受けてきた経緯がある。ひらがな1期生として活動を始めたとしても、そもそも持っているソロボーカリストへの憧れが強ければ、彼女はもしかしたら最初の卒業生になっていてもおかしくなかった。それがここまでメンバーとして活動を続けることになっているのは、もちろんグループそのものへの魅力もあるだろうし、他にも私たちが預かり知らない理由があるかもしれない。

 

齊藤京子がその曲を歌うと、どの曲であろうと彼女の世界に引き込むことになる。この曲もそうだった。そんな曲を聴いて、改めて認識する、「五月雨よ」と「僕なんか」に共に存在する「何か」。

 

ずっと考えていたのだが、4月6日に櫻坂46の4thである「五月雨よ」が発売され、当初はその約一ヶ月後に発売される予定だった「僕なんか」。この2曲、曲調が全く違うのに、何故か共通点が多そうな気がして仕方がない。

もちろん、共に作曲者が温詞さんである(それを言うなら作詞者だって同じいつものあの御大なのだけれど)ことはわかっているんだけれど、それだけで語りきれない共通項が多く潜んでいる気がする。

櫻坂と日向坂の兼推しの方は、ご一緒に考察していただけないか、というブログである。

 

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これだけメロディラインが違うのに、共通点を感じる。もしかすると、底流にあるものが重なって見えるのかもしれない。では何故重なって見えるのか。そもそも私が「櫻坂と日向坂は元が一つ」という論者だから、そう見えてるのかもだが、どちらかというと表裏一体という表現の方が近いかもしれない。

決してネガティブな意味ではないのだが、仮に二つのグループが表裏一体であるならば、目を背けてはならない側面がある。それは…

 

両グループが共に日の当たる場所にはいられない、ということ。

 

表と裏。

昼と夜。

そして、陰と陽。

ポジティブあれば、ネガティブあり。

 

ただし真逆の方向を見ることができるからこそ、両グループは一つなのだ、という根拠にもなりうる。

漢字欅が躍進を遂げていた時期は、ひらがなけやきの存在は確かに「陰」だった。ひらがなの勢いに拍車がかかってきたのが2018年頃だが、この頃には漢字欅も7thから8thはまだ勢いがあったものの、その後様々な事情で9thが出せないという停滞に陥る。欅坂が苦しんでいた頃には、日向坂は改名してからのブーストがそのまま破竹の勢いへと化し、上昇気流を作り上げる。欅坂46はそのまま櫻坂46へとこちらも改名の機に接することになる。ならば櫻坂にとっては、欅坂での歴史をいったん封印して、新たな土台から作り上げなければならない。そして、その頃の日向坂は、もはや改めて言及するまでもない好調ぶり。

 

両雄並び立たず、などとはよく言ったものであるが、だからと言ってもちろん、私の中にどちらが上とか下とかそんな概念は存在しない。グループの波が並行しない、というだけのことである。

 

話を戻すが、それでいて面白いのは、ほぼ同じ時期に発売される両グループの新曲が、世間一般が持つそのグループへのイメージとは共に真逆の楽曲で勝負してきたことにある。同じような曲ではない。しかも、自分達が今まで挑戦してこなかったジャンルへの、挑戦。その意味で二つのグループの見ている方向は、やはり真逆なのだろう。でもそこは、表と裏。陰と陽。

 

闇なきところに、光なし。

 

底流には同じものが流れてのことであると解釈すれば、見えてくるものもあるだろう。

 

櫻坂46は、欅坂46で培ったものをベースに、さらに発展形を目指す。魂を伝えるのはそのままに、そこに女性らしさ、人間として成長した姿をも取り込む。4thでは特に生歌に力を入れた。歌の部分で表現力に輪をかけた。そのことが、曲の温かみをさらに何倍にもした。櫻坂になってから増やした笑顔を振りまく姿は、おそらく欅坂時代の彼女たちしか知らない人から見たら、一体誰なんだろうという思いさえあるかもしれない。欅坂時代は、確かにいろいろあった。でもそれを乗り越えて今が来て、本当に今自分たちは幸せなんだというその想いに溢れた曲になっている。

日向坂46のイメージは元気いっぱいだった。ハッピーオーラを届ける、自分たちを見た人たちに幸せになってもらいたいというメンバーの想いが具現化されたのが彼女たちの楽曲であり、またステージだった。ところが7thでは、メンバーも言っていたとおり、おそらく初めてネガティブな歌詞に挑戦する。明るくアイドル活動をしていればその反動もまたあるもので、あれだけ明るく幸せそうに活動していても、精神的な疲労は半端なくある。誰かに幸せを振り撒く分、自分たちの幸せが削られているという可能性だってある。その折り合いがつかないと、精神がもたなくなる。明るければ明るいほど、ネガティブさはすぐ隣にある。そのネガティブさから、伝えようとするものはなんだろう。

 

やはり、表裏一体。

 

 

両雄並び立たず、という昔からの言い回しは前述したとおりだ。だが、そんなのは過去の遺物で、両雄が並び立つ世界があってもいいじゃないか、と思う。競わせようとすると、ろくなことが起きそうにない。どちらも勝利でいいじゃないか。どちらも上昇気流に乗って文句を言われることなどあるものか。

 

表現の仕方が違う。ただそれだけのこと。

魂をもって、誰かに何かを伝えようとするグループである、という根幹は未来永劫変わらない。

 

 

 

 

 

五月雨式に彼女を好きになった主人公が、自信を持てずに「僕なんか」と呟く。

でも好きになる気持ちは止められない。だから「僕なんか」とはもう二度と言いたくない。

 

そして主人公は…

 

 

 

 

 

 

二つのグループが向いている方向は、真逆のようでいて

実は、同じものを見つめているのかもしれない。

 

 

 

 

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