平手友梨奈と、欅坂と、日向坂と、櫻坂と。ー平手友梨奈生誕祭 2022年6月25日付
平手友梨奈が、21歳になった。
おそらくこの日が来ると毎年のように言うことだろうけれど、なにせ14歳のときから一方的に見てきたので、一つ一つの年齢の重ね方そのものがもう感慨深くなってくる。
別に誕生日というのは彼女だけに限ったことではないのだけれど、何故か彼女に関してだけは、その感慨を強くしてしまう。
欅坂46が櫻坂46に改名して再出発を始めたとき、私の中でいろんな感情が渦巻いたのは言うまでもないし、それはもちろん私だけではないはずだ。
そして今でも、欅坂46というものと本当に「前向きなお別れ」をすることが正しかったのかという疑問はある。
おそらく一生消えない。
ただその一方で。
やるからには、櫻坂の最大のライバルは、乃木坂46でも日向坂46でもない。
欅坂46だ。
欅坂を越えなければやる意味はない。
当時私がそう感じていたのもまた事実だった。
ある意味、乃木坂や日向坂以上にとてつもなく難易度の高いライバル。
だって、相手はかつての自分たちであり、今は人々の心の中に生きる伝説の存在なのだから。
その存在と戦って勝つことを要求されるなんて、こんな酷なことがあるかと。
…要求する自分自身に対して、そう思ったこともある。
いや今でもそう思うところはある。
ただ、櫻坂は櫻坂の歴史を重ねてくるにつれ、櫻坂だから好きになった、という人もたくさん聞くようになって。
少しだけど私の見方が変わってきたことに自分で気づいた。
つまり、少なくとも人々の心に棲む欅坂46は、平手友梨奈のいるグループ。そんな平手のいないグループであり、それ以外の魅力で勝負しているのが櫻坂46であると。
はっきり言えば超える超えないというより、別物なのだと。同じ道を追いつき追い越すのではなく、全く別の道を歩むのだと。
最近特に感じるようになった。
もちろんそれが正しいかどうかもわからない。
でも欅坂という母体が活動を休止しても、そこから培われたものを卒業後に存分に生かしている卒業生の姿を見るにつけ、欅坂はもちろん間違いでもないし失敗でもないのは当然だが、櫻坂が無理して超えなければならない存在、という形で自分たちを縛るのも何か違うような気がしてきたのだ。
逆に言えば、今更ながら平手友梨奈の存在は、そのまま欅坂46のイメージとほぼイコールだったんだなと思わされる。本当は、ヲタクとしてはそれは最も否定したいことなのだ。平手だけじゃない。他のメンバーもみんな魅力があって、いい子たちばかりで。みんながいて欅坂46だった。平手自身もそう見てもらうことを願っていた。だから自分だけが注目を浴びることを相当嫌がっていた。
にもかかわらず、やはり強烈な印象として自分の中に湧き上がってくるのはどうしても、欅坂46における平手友梨奈の姿なのだ。
どうしても。
今でさえそうならば、やはりあのとき、平手友梨奈が脱退という選択肢をとったことは、正解だったのかもしれない。
あのまま例えば平手友梨奈がずっと欅坂にいた、という歴史があったとしても、何かもっととんでもないことになっていたような気さえする。
歴史なんて後から専門家が作るもので、日本の歴史でさえ創作がそこここに加わっていると聞く。そうとわかっていても、学校や塾ではそれを教えなければならない矛盾がある。となると、教える人の恣意が入り込むのはある程度しかたない部分もあるかもしれない。
欅坂46は伝説となった。心に棲みついて離れない。その存在に対して思うことは千差万別だろう。
でもやはり、そこから数年経って、平手友梨奈がセンターとして躍動していた欅坂46というのは、とても特別な存在として自分の中で輝いている。
それは、何故か。
平手友梨奈の、今の活躍があるからだ。
名のある人に評価される、彼女の活躍があるからだ。
私たちの目は間違ってなかった。
彼女たちを見て、彼女たちに惹かれた自分達の目は決して間違ってなかったと信じられるからだ。
今の彼女たちが輝けば輝くほど、比例して欅坂も輝くのだ。
だからこそ、平手友梨奈の活躍が本当に嬉しいし、愛おしい。
平手の誕生日に言うのもなんだけど、あれだけ仲間思いの平手の誕生日だからこそ言える。
他の卒業生の活躍、そして言うまでもなく櫻坂46日向坂46の活躍もそこに入る。
平手友梨奈の活躍は、そのまま欅坂46での経験の裏打ちである。いいこともあれば、決してよくないこともあった。でも、それも全てだ。
そして、櫻坂46も、欅坂46としての経験の裏打ちで、今がある。
ずっとずっと、お互いがお互いのことを考え、時にはコミュニケーションもとって、でもそれを決して表には見せず、切磋琢磨する。
そんな関係でずっといてほしい。
平手友梨奈が、21歳になった。
そしてそんなことを思った6月25日だった。
平手友梨奈さん。
21歳おめでとう。
心よりお祝いを、申し上げます。