櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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世の中を 思へばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむー欅坂46は「失敗」だったという意見に対するテーゼ② 2022年2月26日付

世の中を思えばすべて散る桜のようだが
そうしたはかないわが身をどこへやればいいのか

 

西行から批評を頼まれていた20代の藤原定家が、大先輩の歌の批評を2年以上も躊躇していた。

ある日西行が病に臥したと聞き、急いで批評を送ると、西行がとても喜んだ、という話がある。

 

櫻坂46、というグループができ、正しくは欅坂46から転生し、桜という花を今まで以上にしっかり見てきた。花としての寿命は確かに短い。でも翌年また同じように花を咲かせるために、一年間の準備に入る。見た目は儚くとも、その準備に勤しむ姿は、アイドルグループという一見軽く扱われがちな彼女たちの真の姿とオーバーラップする。

桜の儚さを見つめた西行に、当時何があったかはもちろんわからない。しかし、決してその存在は、儚いものではなかったはずである。

 

 

 

 

 

このブログは後編となりますので、できればぜひ前編をお読みいただいてからこちらへお戻りください。お時間の許す限りで結構です。

前編↓

platanus0524.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

欅坂46は、決して失敗ではない。

もちろんそれで済む話ではあるのだが、意外な形で欅坂の存在が坂道を推す人たちの心に残っていることを浮き彫りにさせる出来事があった。正直、実に興味深くこの流れを見ていた。

 

 

乃木坂46から離れてから結構時間も経つので、現状乃木坂のことはよくわからない。

もちろん5期生を募集していたことも、合格者が誰なのかも一応知ってはいた。その5期生の中から、新曲表題のセンターが生まれることも知っていた。

一瞬で、かつての堀未央奈のときのことを思い出した…。あのときの、まるで地獄のような空間と時間。今でも身震いする。

 

この日、乃木坂46時間TVの中で初披露され、センターは中西アルノだと知った。

 

繰り返すけど、私は今の乃木坂46のことは本当によく知らない。彼女がセンターであることにいろんな意見があって、乃木坂のヲタクの中でも結構大変なことになってて、でもそれは加入直後の5期生がセンターだから、ということでもなく、「それ以外の理由」も含まれている、ということくらいしか。

だからもちろん、どうのこうの、と言う気はない。

そちらではなく、私が今回

 

欅坂46は失敗だったのか」

 

というテーマで書いている最中、この乃木坂の新曲が披露されたことで、人々の心にある「記憶」を呼び覚ます結果となったこと、その一点に注目した。

 

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この曲の振り付けを見て、欅坂46を想起した人が相当多かったということ。

それは中西アルノという女性の雰囲気とも相まって、欅坂で長くセンターを務めたあの人とオーバーラップさせた人が多かった、ということでもある。(欅坂界隈で想起した人は皆無だったけど)

曲の雰囲気だけだと、個人的には欅坂の感じはそんなにしなかった。確かに振り付けは似ているな、と感じた部分があった。だから欅坂界隈以外の人が見ると、そう感じる人もいるだろう。

そこまではいい。

 

それについて、乃木坂のヲタクから相当な批判が荒れ狂い、「乃木坂らしさがない」というワードが席巻した。トレンドにも入った。

それも、まぁいい。

私は昔の乃木坂を軽く見ていただけなので、乃木坂らしさが何なのかよくわからないし。

 

ただそこから、その引き合いに出される形で出てきたのが

 

「欅坂のときの失敗を繰り返してほしくない」

 

という意見。

 

これは私としても看過できない。

 

いつ欅坂46は失敗になったというんだ?

そもそもその人は、ちゃんと欅坂を見てきたのか?

私が乃木坂をよく知らないのと同じで、よく知りもしないで書いてるだけじゃないのか?

改名して活動休止したら、失敗なのか?

じゃああれだけのムーヴメントになったことはどう説明するんだ?

 

そうすると今度は

「欅坂の運営の失敗を繰り返してほしくない、という意味だ」

と。

 

つまり、平手友梨奈にグループの相当な重みを背負わせ、潰して行った歴史を繰り返すな、中西アルノを潰すような運営になるな、という意味だという。

 

……

………

平手友梨奈は、潰れたのか?

 

 

 

必死で戦っている姿は確かにあった。

平手に多くを背負わせ過ぎているきらいもあった。

多くの怪我に苛まれ、満身創痍で欅坂と相対していたのはもちろん事実だ。

彼女も自分と戦いながら、それに応えようとしていたところはあったはずだ。

 

結果だけ見れば、平手友梨奈は欅坂を脱退し、欅坂46そのものは改名して欅坂の歴史は終わったように見える。

 

おそらく、だからこそ「潰れた」「潰した」という表現になっているのだろう。

 

 

 

 

でも本当にそうなのか。

 

ここは彼女自身が、彼女自身の言葉で本当のことを語る以外、真実がわかるはずもない。

もしかしたら永遠にわからないかもしれない。

むしろ私はそれでもいいと思っている。

 

ただ、どうにも「潰れた」という表現だけは、ずっと違和感が残っている。平手が脱退したときから散見されたワードではあるけれど、その度に違和感というか、モヤモヤした感じが抜けない。

もちろん、当時の欅坂運営のやり方に全面的に賛成していたわけでもないし、もうちょっと他にやりようもあるだろうと思ったことは一度や二度ではない。

それは確かにそうだが…

 

 

 

前編にも書いたが、欅坂の雰囲気というと、私たち界隈はいざ知らず、一般的にはダークサイドなイメージがあるのは否定し難いところだ。

けれど、ダークサイドなんて誰しも持っているもので、根っから明るい人であっても抱える闇はあっておかしくないし、人間一面だけで全てが語れるわけでもない。そんなのわかりきっていることなのに、表面に見えるものだけで全てを知った気になってしまうのが、また人間の愚かな部分というか。

人間の好悪の感情も結局、深いところを知る前段階の、見た目やイメージや一つの側面で決まってしまっていることのなんと多いことか。

 

今回の中西アルノセンター曲に対する、乃木坂界隈の反応を見ていると、欅坂の雰囲気をよしとしない、乃木坂のイメージはそれではない、というイメージ重視の人が多いことが浮き彫りになった。もっと言えば、声の大きい反対意見の人の中には、欅坂をどうも毛嫌いしているであろう人も散見された。

 

イメージが大切、というのであれば、そのイメージだって作り上げたのはいったい誰だと思ってるのか、と問いたい。

乃木坂のイメージを作り上げたのが運営側なら、欅坂のイメージを作り上げたのも運営だ。

そこに意見するならまだわかるが、乃木坂のイメージで画面にいる乃木坂メンバーは是で、欅坂のイメージでステージに立った欅坂のメンバーは非だというのは、理論が破綻している。

 

ということは、結局感情なんだ。

 

乃木坂が好きで、欅坂が嫌いで、大好きな乃木坂には変わってほしくない、という保守性。

 

 

 

万物流転。

 

 

 

乃木坂が変わってきたのかそうでないのかは私にはわからないが、櫻坂46は常に「変化」と共に生きてきたグループだ。

 

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鳥居坂46のオーデに応募して合格したはずが、いきなりその日に〝改名〟して欅坂46に「変化」して。

その後のひらがなけやきの誕生から何から、おそらく一期生は聞いてないことの連続の中でメンバーとしてずっと活動してきた。

そして、櫻坂46への、通算二度目の〝改名〟という「変化」。

慣れなどしない。

慣れるわけはないけれど、自分たちの環境が流転する中でずっと愚直に活動してきたのが彼女たちである。

「変化」とは仲良くはできないかもしれないけれど、ずっとそばに居る知り合いみたいなもの。

 

櫻坂として今活動している彼女たちに、欅坂時代を感じさせるものはあってほしい、というのは確かに私の本音ではある。

でも、それこそ様々なタイプの楽曲に挑戦してほしいし、様々なタイプの世界観に身を置いてほしい、その世界観を自分のものにしてほしい、という願いも同時にある。

 

「流れ弾」も「君と僕と洗濯物」も「ジャマイカビール」も、それで言うなら全て「櫻坂らしさ」である。

 

私たちは、それを受け入れる。

受け入れる素地はある。

どんな雰囲気でもどんな世界観でも、自分たちのものにしてくれると信じているから。

 

なぜ信じられるのか?

結局のところ、今回の騒動を見るにつけ、一部の乃木坂ヲタクの中にはイメージを何よりも重視するという人がいたということ。つまり

グループ>メンバー、という扱いであったこと。

翻って櫻坂を推す私は、グループのイメージよりもメンバー重視。頑張っているメンバーがすることなら、それこそ乃木坂らしかろうが欅坂っぽかろうが、日向坂を彷彿とさせようが、AKBとオーバーラップしようが、全然構わない。その全てで、しっかりとした彼女たちだけの世界観を見せてくれるはずだし、今までもそうだった。

だから信じられる。

グループ<メンバー、という扱いであること。

 

乃木坂らしさがないからダメだ、と、それでも頑張ろうとしている乃木坂メンバーを批判する。そのことに正義があるのかどうか知らない。私にはあるように思えないが、それも知らないことだから意見を述べるまではしない。

だが、そのことを言うのに欅坂46を引き合いに出すのだけはやめてもらいたい。

こちら界隈では、中西アルノと平手友梨奈が似ている、と思った人は、私が見ただけでも0だ。

中西アルノは、中西アルノ。

平手友梨奈は、平手友梨奈

それ以上でもそれ以下でもないだろう。

 

他界隈が言いすぎるかもしれないけれど、私は欅坂のような雰囲気を乃木坂が纏ったらどうなるか、観てみたい派だ。

乃木坂メンバーの中には、当時の欅坂を相当意識していた人もいたと聞く。

追加で入ったメンバーの中には、欅坂を推していた人もいると聞く。

そんなメンバーがどう表現するか、観てみたいと思わないのかな。

それも「乃木坂らしくないから×」なんだろうか。

もっと言えば、自分が嫌いな雰囲気だから×、なんだろうか。

 

意外と今回の騒動、乃木坂を見ている人たちがかなりイメージに囚われていることが浮き彫りになったというか。

大切にしたいのはわかるけど、ちょっと原理主義が過ぎるんじゃないかなと。

それは乃木坂メンバーにとって幸せなことなのかな。

イメージ、イメージ、らしさ、らしさ。

それを殊の外強調されて、喜ぶメンバーってどれくらいいるんだろうね。

彼女たちの可能性を狭めていることになりはしないのだろうかね。

 

まぁもちろん、他のグループを下げることでしか自分たちが推すグループを上げられない書き方の人はいる。どのグループのファンにもいる。

自分ではそれでグループの価値を高めたつもりだろうが、逆に貶めたことになってるのに気づかない人もいる。

そして、私も当然気をつけなければいけない部分でもある。

 

だから、私も含めてみんなで覚え書きにしておこうじゃないか。

 

自分が推すグループ、自分が推すメンバーを書くときは、そのことだけに集中したほうがいい。

そこで他グループ、他メンの名前を出した瞬間に、それは「比較」になる。

「比較」されれば、影響は他界隈にも波及する。

その人たちがどう思うか、ということまで配慮する必要が出てくる。

嫌いなグループを推している人間がどう思おうが知ったこっちゃない?

それはSNSを使う人間として、最もタブーだ。資格がない。

 

気軽に書くなかれ。

 

そこまでの配慮をもって触れないといけないよね。

 

 

 

欅坂46は、失敗などではない。

平手友梨奈は、潰れてなどいない。

 

そして、全てに対して、リスペクトを。

 

 

 

 

 

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