櫻坂日向坂の上り方

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もろともに あはれと思へ 山桜  花よりほかに 知る人もなしー欅坂46は「失敗」だったという意見に対するテーゼ① 2022年2月26日付

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(私がお前を愛しく思うように)一緒に愛しいと思っておくれ、山桜よ。この山奥では桜の花の他に知り合いもおらず、ただ独りなのだから。

 

前大僧正行尊が厳しい山岳修行の最中、思わず美しい山桜を見かけ、山奥でひっそりと咲いている山桜に、孤独な修行中の身を投影して詠んだとされる、小倉百人一首六十六番の歌。

 

もしかすると、この歌を聞いて、

 

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このシーンを思い出した方は私だけかもしれないけれど…

 

秋元才加さんを久しぶりに見て、遠藤光莉を思い起こしたのも私だけかもしれない)

 

という話はさておき。

 

本当の意味の孤独とはなんだろう。

色々解釈はあるにしても、プラスに捉えるならば、自分の進むべき道を自分だけで決めることができる状態、とも言えそうな気がする。

孤独の中でしか信念は生まれない、と言う人もいる。

それは見方を変えれば頑固、ということにも繋がるので難しいけれど、だからと言って周囲に流されて自分というものを持たずに生きていくのも、少なくとも私の流儀ではないし。

 

いきなり何の話だという感じではあるけれども…

 

Twitterのタイムラインというのは、時々何故そのツイートが??というものが流れてくる。もちろんFFさんがリツイートしたり、いいねを押したものが流れてくるのはわかるんだけど、明らかに自分が欲していない情報。そしてその中には、どういう経緯で流れてきたのかわからないものもあったりする。

数は多くないものの、数件最近目にしてしまったのが

 

欅坂46は失敗だった」

とか

「失敗だったことをファンが理解できていないことが問題」

とかいうツイート。

 

まぁいろんな捉え方があるし、こんな内容が流れてくるのは別に珍しい話ではない。もちろん気分のいい話ではない。ないんだけど、少し興味がある、と思ってしまった自分がいたのが自分で少し驚きで、同時にその感覚に「欅坂46」という存在を、時間が経ったことでやや違う角度から見つめているのかもしれない、と思った。

またさらに、櫻坂46と欅坂46を少しずつ別物として捉え始めている自分にも気づいた。これは正直意外だった。意外だったけど、それはある意味義務なのかもしれない、という思いもある。

 

結論から言えば、欅坂46微塵も失敗だったとは思っていない。それは今でもだ。

大好きなことに変わりはないし、後悔も全くない。

 

ただ確かに、欅坂がずっと続いていれば、その中ではいろんな意見が出てきただろうし、当時は客観視できてなどいるわけがないから、叩く、ということに対して脊髄反射のようになっていたところはあった。それも欅坂が活動休止した原因の一つだと言われれば、申し訳ない気持ちもあるにはある。

 

それでも、どうしても引っかかるのは、改名がイコール失敗だったという同義語扱い。正直ちょっと首を傾げざるを得ない。

欅坂→櫻坂以外にも、世に改名した人・グループは数多ある。その全てが失敗だったとは流石に言えない。

もちろんそう言うと、今度は欅坂に限っては失敗なんだ、という反論もあるかもしれないけれど、それもそうとは言えないと敢えて言う。

櫻坂は欅坂とは別グループに感じるようになった、とは言ったが、櫻坂のベースにあるものの多くは、やはり欅坂46であるからだ。

逆にそれがないと生まれないものも多分にあったからだ。

 

「失敗」のグループを礎に置くのなら、櫻坂46も「失敗」ということになるのか?

その「失敗」したグループが、MTVで賞を取ったりするのか?

 

一期生の経験と培ったスキル×そんな欅坂が大好きで加入してきた二期生×一期にも二期にもない個性を提げて加入してくれた新二期生。

ベースはどう考えても欅坂46だ。

櫻坂46を見るときに、そんな欅坂に対する想いというのは、こちらにもあるし、彼女たちにもあるはずで、そこは否定できない。

 

だから、例えば

「欅坂は嫌いだけど、櫻坂は好きだ」

という感覚の人は、真反対のベクトルを自分の体に抱えながら彼女たちを見ていくことになる。自己矛盾を抱えて生きていく、そんな辛いことはないかもしれない。

 

ファンの質の話、それはあることはある。これは自省も込めて、認めなければならない。

どこのグループにも、自分たちが推しているグループがいちばんだ、と思いたい感情を持つ人がいて、それが否定されれば食ってかかる人がいる。推しグループの良さを語るときに、他のグループと比較して、わざわざ貶めないと語れない人がいる。確かに欅坂のファンにもいた。そして他のグループのファンにもいる。ほぼ例外なく、向こうが煽ってきたから返しただけだ、と自分の正当性を主張する。お互いに同じ主張をする。

 

もう一つ。これはもっと核心的なことかもしれないけれど。

 

欅坂46が世の中の陰の部分を担い、生きていくことは楽しいばかりじゃない、楽しいことももちろん大切だけどそれだけでは前に進めないよね、生きることって痛みも伴うよね、でもそれはあなただけじゃないんだと寄り添うところを、評価したから失敗したんだという意見。以前から見たことはある。

仮にそうだとしても、何故それをすれば失敗に繋がるのか、という明確な答えに出会ったことがない。

それをファンがわからないから問題だ、というのは極めて暴論だ。

 

もしそれでも失敗だという意見があるなら、ちゃんとしたアンチテーゼを置いておかなければならない。

 

欅坂46という存在は、それがあったからこその存在意義であり、誰にでもできることではなかった。

それによって救われた人も一人や二人ではない。

むしろ救われた人、心に響いた人があんなにもたくさんいたから、ある意味のムーヴメントになった。

 

それを失敗だ、というのなら、その対極として、何が成功だったというのだろう。

欅坂46として、どうしていくのが正解だったというのだろう。

それすら示さずに、あれは失敗だったよね、などと曰うのは誰でもできることである。

 

 

…まぁ個人的に元も子もないことを言ってしまうと。

本当は、欅坂46が成功だったか失敗だったか、という二分法に意味を持たせていない。

そこに彼女たちがいて、心から楽曲を届けたいとパフォーマンスし、それを目にして心を揺り動かされた。

それだけである。

それ以外に、何もない。

改名したから失敗だった、それを私たちにわかれという言葉の、実にナンセンス極まりないこと。

 

世が移ろい、時の批評家が「あの当時の欅坂46は成功だった」とか「失敗だった」と、それこそしたり顔で言ったところで、少なくとも私の評価が変わることなどない。

だったら言うなという話ではあるけれど笑

 

 

 

 

 

 

こんなアンケートをとった。

 

 

もちろん、「欅坂をベースにして櫻坂としての道を進む」というのが最も正しいと私も思うし、それが最も多くもなるだろう。そう理解しているので敢えてどちらかの二択にした。敢えて言うなら、と聞かれると、どちらの方が多くなるのか。

結果はご覧のとおりではある。

欅坂46が改名する、と知ったときの、渦巻く様々な感情を経験してから1年と少し。櫻坂46としての歴史を少しずつ刻むことによって、櫻坂としてのステータスも生まれていく。メンバーはあまり変わらないのに、確かに別のグループに見えてきてしまう。

おかしなもので、そう見えてしまう自分に抵抗を感じたこともあった。

でもその瞬間、これでいいんだと首を振る。

メンバーは同じだけれど、全く別の世界線を生きる。

別物に見えてくる最大の原因に、やはりあの、存在感としてはあまりにも強いあの人がそこに立っているか否か、ということが大いに考えられる。

 

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実にシンプルな話で、「平手友梨奈のいる方が欅坂46」「平手友梨奈のいない方が櫻坂46」

その違いを語るのであれば、数多の時間を要する。

けれど、その複雑な相違点を全て考察していったところで、結局は最もシンプルなところに立ち返る。

これには、イメージもつきまとう。

当然平手が脱退した後も欅坂は続いていたし、じゃあその期間のグループは欅坂ではないのか、という批判もあるかもしれない。

もちろん、異論はあって当然だ。

これはあくまで、私の見方。

欅坂のその歴史全体を見たときに、欅坂と人が聞いて出てくるイメージを想像しているだけなのだ。

 

むろんどちらがいいとか悪いとか、上だ下だという話ではない。

別でなければならない、と私が感じるときに、どうすれば自分の中で分けられるのかと考えて、得た答えがこれなのだ。

 

櫻坂としての独自路線を歩む、とはそういうことなのだと考えている。

欅坂の色をバックグラウンドに置き、敢えて言及はしないものの、その世界をしっかりと受け継ぎ、そして今のメンバーにしかできない描写を提供する。

それが櫻坂46。

 

 

欅坂46のイメージ。

笑わないアイドル、などというコンセプトでメディアではよく語られたが、元々そんなコンセプトで世に出てきたかは定かでない。

冠番組ではとてもよく笑っていたのも知っている。立ち上げから番組を観ていたが、笑わないアイドルでいこう!などとシュプレヒコールを上げたのは観た記憶がない。それがいつしか、どこかダークサイドに堕ちたグループのような扱いになっていったことにとても違和感があった。

人間の、陰の部分を担当する。

処世術、という言葉が正しいのかわからないが、人間が同じ人間の波の中で生きていくための方法論として、本音と建前を使い分ける、という術を覚えた。そしてそこには、表に出す陽の部分と、自分にしかわからない陰の部分がある。自分が作り上げた陰の部分に悩まされる人も、数多くいる。

でもそれがわからないわけではない。

陰の部分に悩まされ、もがき苦しむ人に寄り添い、傍にいて背中をさすってくれる存在。

人間が誰に励まされるかは人それぞれだ。アイドル、という枠に限って言うのなら、明るく元気に歌い踊る姿を見て気持ちを晴らす人がいる一方で、一緒に悩んでくれたり、泣いてくれたりする人を欲する人も多くいる。その存在に、欅坂がなったのだ。

支持は確かに増えた。

だがその一方で、アンチも増えた。

あの空気を暗いと捉える。逆に暗い、としか捉えられない物事の見方の浅さに同情すら覚えるが、表面しか見てない人にはそうとしか映らなかったのか。

アイドルは元気で明るい、もしくは清楚で美しい。それを固定概念として持っている人にとれば、異色どころかとんでもないものが現れた、ある意味怪物を見る想いだったかもしれない。

世間から見れば異色であるが故に、他のアイドルのような理解がされないことも多かった。

名前は知られていた。

でも孤高の存在として君臨するしかなかった。

それが欅坂46

 

 

先の問いを繰り返したい。

もし欅坂がどうしても失敗だったと言うのなら、逆に成功とは何なのか。何をもって成功と呼ぶのか。

 

私が代わりに答えよう。

答えは簡単。これもシンプルである。

 

つまり、その人が欅坂を好きか嫌いか、ただそれだけである。

 

なんだかんだ言ったところで、結局そこに収斂されるのだ。

それを、何か科学的論拠でもあるような言い方をするから全てがおかしくなる。

感情なんだよ。

感情に理屈という肉付けをしているに過ぎないんだ。

嫌いなんだろ?欅坂46が。

シンプルにそう言った方が早いのに。

 

 

 

 

 

…と、ここまで書いたあと、「あの出来事」が起きる。

しかもそれが、櫻坂ではなく、あの乃木坂46が発端となって、欅坂や平手友梨奈がクローズアップされることになるとは流石に思いもしなかった___________

 

 

 

後編へつづく

 

 

 

 

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後編はこちら。

platanus0524.hatenablog.com