「欅坂46を超えろ」を肯定するー欅坂46、櫻坂46に改名発表 2020年9月21日付
「欅坂46」は10月12日(月)、13日(火)のラストライブを持ちまして活動休止し、10月14日(水)より「櫻坂46」として活動していきます。
— 櫻坂46 (@sakurazaka46) 2020年9月20日
欅坂46としての残りの活動と櫻坂46としての新たな活動に今後とも変わらぬご声援頂きますようお願い申し上げます。#欅坂46#櫻坂46https://t.co/USBm7tQXFI pic.twitter.com/kuFqTOMSzn
うん…まあね😅
いざ、こう…ブログの真っ白い画面の前に対峙すると、まとまらないもんですね。
結構ブログ書いてきてる人間のはずなんだけどなぁ😁
名称に対する思い。
改名時期に対する思い。
改名発表のしかたに対する思い。
ロゴに対する思い。
イメージカラーに対する思い。
発表時に投げかけられた言葉に対する思い。
欅坂46を愛すればこその、新しい名前に対する違和感。そこからもっと進んで拒否感。それを感じる人の多さ。
その全てを否定できるものではありません。
好きになった弱み、というものがあるのです。
自分が愛するものが変わる、というのは恐怖を覚えるものですから…
そう考えたときに、この「欅坂46を超えろ」という文言を見た人の反応が、拒否反応で溢れかえった気持ちは、痛いくらいよくわかるのです。
実に矛盾したことを今からします。
まずはこの私のツイート。
なんか変な対立軸呼び込みそうで気が進まないのは進まないんだけど、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ https://t.co/x069xl3YXX
— 🌸🎨🧢🏦 川 島 雅 隆 ◢͟│⁴⁶ 🌳🐴🗒☀️ (@hiroty0526) 2020年9月21日
この伏せ字ツイート、影響力が少々読めないので相互フォローした人のみに限定しましたが、思い切ってこのブログで公開します。
なんか変な対立軸呼び込みそうで気が進まないのは進まないんだけど、「欅坂46を超えろ」を嫌がっている人は平手友梨奈推しに多いように、TL上は見受けられるな…
もちろん、運営の意図と私の思いは違うかもしれないけど、少なくとも平手友梨奈のいた欅坂46をディスるという意味ではないと思いたいんだよな…
当然かもしれないけど、平手のいた欅坂を否定されたような気持ちになるかもしれない、というところは理解できる。
でも、逆にこれから櫻坂46として活動していかなければならないメンバーの立場に立って考えたら、自分たちについたそのイメージを払拭しないことには道はないんじゃないのかな?
そうでなければ、これからもずっと「平手のいた欅坂のままのイメージでいてほしい」「欅坂を超えるとか軽々しく言ってほしくない」ってところにずっと彼女たちを縛り付けておかなきゃいけないの?
だったら、それこそ何のための改名?
私だって、平手友梨奈のいた欅坂46に身も心も魅了された人間の一人。
超えるなんて簡単にできるわけがないと本音では思っている。
でも改名して進んでいくんだ、それで気持ち切り替えて前を向くんだって言ってる彼女たちに、欅坂を超えさせないなんてそんな残酷な言葉ある?
欅坂はしまっておいて、新しいグループとして進んでいってほしい?欅坂には触れないでほしかった?
申し訳ないけど、世間はそんなふうに見ないよ。
しばらくは間違いなく「欅坂46から改名した櫻坂46」って言われるよ。
「あれって欅坂のコたちだよね」って言われるよ。
それが言われている間は、本当の新しいスタートなんかじゃないんだよ。
そのイメージとの戦いから始まるんだよ彼女たちは。
欅坂云々っていう文字が消えてからが、櫻坂の本当のスタートなんじゃないのか。
改めて言うけど、欅坂をディスるわけでもなければ、平手友梨奈をディスるわけでもないはず。
むしろリスペクトの対象であるからこそ、目標にするんでしょ。
自分たちに課せられた高い高いミッションであるからこそ、敢えて最初に言ったんじゃないのかな。
私が最も恐れているのは、櫻坂の活動が欅坂を超えようとすればするほど、超えろアンチの人が「超えさせない!」って暴れること。
平手友梨奈は、本当に自分の仲間を、そして周囲の人へのリスペクトが強い人。自分以上に周りが輝いてほしいと願っている人でしょ。欅坂に在籍していたときも、グループのことを、メンバーのことを本当に強く強く想っていた人でしょ。
自分と一緒に進んできてくれたメンバーが新しい坂を上ろうとしている今を、彼女がどう感じていると思っているんですかと。
間違いなく「応援しています」って言うんじゃないかと思いませんか彼女なら。
それは平手推しの方々が最もご存知のことなんじゃないんですか。
もちろん彼女の心の内は、わからない。
でももし、今でも平手友梨奈がグループのこと、メンバーのことを真摯に思っているとするなら。彼女たちの活動を阻害するような動きを喜ぶと思いますか。
改めて。
櫻坂46は、欅坂46を越えなきゃいけないと私は思っています。
欅坂46という名前への思いは、私もそれなりに持っています。
それが櫻坂46になります!引き続き応援を!って言われて、はいそうですかと切り替えられるかと言われれば、簡単にいくはずがない。
でもね。
メンバーがそれを受け入れて、しっかり前に進んでいこうという気持ちだけは尊重したいんですよね。
ある意味、自分の想い以上に尊重したい。
例えば自分に好きな人がいたとして、その自分の思いのためにその人を傷つけることになるとしたら…
それでも自分の思いを通しますか。
それとも自分の思いを封印して、好きな人のために生きますか。
いろんな答えがあるとは思います。
自分の思いは捨てられない、けれど好きな人を傷つけるのもイヤだ。
だから離れる。
そういう選択肢だって間違いとは言えない。
ただ…その好きな人が嫌がるかもしれないと分かっていながら、自分の思いに固執するというのは、少なくとも私の流儀ではありません。
TL上、この「欅坂46を超えろ」という文言に対する拒否反応はかなり大きかったです。
気持ちはもちろん分からなくもありません。
ただそれはある意味、「欅坂46」という存在に対する固執だという気もするのです。
自分が大好きなものをずっと大切にしたい、その気持ちは当然私も同じです。
でももっと大切にしたいのは、自分が信じた人たちの持つ感情です。
櫻坂で頑張ると言ってる彼女たちを、自分の思いで迷わせてしまうことだけはしたくない。
名称に対してもいろんな意見がありました。
素敵な名前だという意見もたくさん見かけましたが、欅からのイメージの落差に当惑している人もかなり。
さくらだと散るイメージで縁起が悪い、というのもありました。
桜は確かに散ります。
でもそれは花の持つさだめでしょう。
生きとし生けるものの持つ運命でしょう。
あなたにもあれば、私にもある。
植物に対してど素人の私が感じることではありますが、花の持つ強靭さは時期がきたらまた咲かせるという連続性にあると私は思っています。
散っても散っても、また可憐な花を咲かせ、魅了して、人々を嘆息させる。
特に日本人の多くの心に、桜の花は輝いています。
たとえどんなことがあっても、という言葉は当事者しか使ってはいけないのかもしれませんが。
必ず自分たちの手で乗り切ってみせるという強い気持ちがなければ、彼女たちがそこにいるわけがありません。
花は散る。でもそれがどうした。
また咲けばいいだけの話。
諦めない心を象徴している、そんなふうに私には思えるし、ここまで必死で坂を上ってきた彼女たちにふさわしいとさえ。
だからこそ、欅坂46を超えさせないと平気で言える人が、私には残念でなりません。
それだけの覚悟を持って推します。
欅坂を超えてもらうために、櫻坂46を推します。
欅坂46は大好きです。平手友梨奈さんのことも本当に尊敬しています。
平手友梨奈さんのいた、もっと言えば今まで卒業したメンバーも全員含めて、欅坂46が本当に大好きです。
でも、それはそれ。
茨の道を進もうとする櫻坂46メンバーを軸に考えるなら、その私の好きで好きでたまらない欅坂46を超えてもらう以外、方法は考えられません。
別のグループとして。
新しい坂として。
そんな甘い考え方では成功は望めない。
私はそう思っています。
もちろん、この移行期。もしかしたら、全員が揃わない事態があるかもしれない。
はっきり言ってしまえば、卒業生がまた出るかもしれない。
そしてそれは、ひょっとすると推しメンかもしれない。
たとえそうだとしても。
推しメンがいる櫻坂の方がいいに決まってるけど、仮に推しメンが卒業するとなったとしても、だからといって「はいさよなら」と私ができるわけもありません。
あの1.23を受けてのブログにも書きましたが、今一度同じことを書きたいと思います。
改めて「あなたへ」お尋ねします。
私は彼女たちと長い長い旅路を共にします。
あなたはどうされますか。