櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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メンバーの卒業に関しまして。 2022年6月16日付

…というタイトルでブログを書くと、一体どれくらいのアクセス数の差が起きるのだろう。

などというふざけた気持ちではなく、この際だから「アイドルグループからの卒業」というものを、考えうる角度から色々考えておこうかと思ってのブログである。

 

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日向坂46は、前身のひらがなけやき時代から数えても、卒業生は柿崎芽実井口眞緒、そして6月28日に卒業を控える渡邉美穂の3名だけである。

坂道シリーズで先輩に当たる乃木坂46では、以前から卒業コンサートや卒業セレモニーといったものが普通だったかもしれないが、漢字欅ひらがなけやき、櫻坂日向坂は本当にそういうものに無縁だった。いろんな事情があったとはいえ、ずっとそのメンバーを推している人にとっては、これほど寂しいこともない。

まして芽実の場合はこれで完全に表舞台から姿を消した。芽実推しさんの想いは察するに余りある。

 

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芽実卒業の背景についてもいろいろ言われているが、それについては今回は多く触れるつもりはない。

今回どちらかといえば、この「完全引退」について触れてみたいのである。

 

坂道シリーズに属する、ということは、最初からある程度の注目を浴びる中で活動する、ということを指す。芽実も漢字欅の後に、長濱ねる一人で結成されたひらがなけやき に、一期生として集められた一人であった。今でもよく言われるが、ひらがなけやきのグループカラーなり、方向性なりを運営がどこまで考えていたのかよくわからないところもあるが、坂道シリーズであることには違いないので、どう考えても他のグループよりも注目度は上がる。

そんな中で活動し、芽実も日向坂への改名の瞬間を経験し、しばらくして卒業の時を迎える。

このブログでもそのあたりについては以前述べたことがあるが、芽実の素晴らしいところというか、その後一切メディアに出てきていない、というところを敢えて挙げたい。

 

俗にスポットライト症候群、という言葉がある。症候群などと言っているが正式に医療の分野で使われる用語ではなく、週刊誌などで使われるスラングのようなものだが、引退しても浴びていたスポットライトの感覚が忘れられない、という心の状態を指す。芸能界を引退した人は、それがために一度引退しても華やかな世界に戻ってくる傾向があるのだと。

その一面は確かにあるような気はする。するものの、完全に縁を切ってしまうというのも当然あって、その清々しさに感動すら覚える。

芽実の心の状態など誰も知る由もないのだが、例えば傷つき疲れ果てて芸能界を去っていったとするならば、戻ろうという気持ちさえ起きるのを期待するのは難しい。もちろん、日向坂が嫌になって卒業したわけではない、というのはわかる。それだけに、日向坂のことは気になっているだろうし、おそらくメンバーと今でも連絡はとっているだろう。でも、それでいいんだと思う。

 

長いようで短い人生は、こうしている瞬間にも一刻一刻進む。

道がいくつかあって、どの道に進むか迷っている間にも、時は進んでいる。

そして、もちろん芸能人という道一つではない。それ以外の道も無数に広がっている。

どの道を選ぶかも、もちろん彼女たちの自由なのだ。とすれば、一般人として生きていく道だって当然ある。いや、どちらかというとそちらの道の方が数が多い。

 

…そう考えるとファンというのは本当に因果な存在だ。

彼女たちがアイドルとしてそこにいよう、と思えないと、推せない。いや、厳密にいうとたとえ一般人になろうと推しメンだと言うことはできる。ただ、一切表舞台に出てこなくなる人を推しメンとして推すことに、モチベーションがどれくらい保てるか。

それでも推せる、と言える人が本当のファンなのだろうなぁと思うことはある。

 

欅坂けやき坂、櫻坂日向坂で、引退したメンバーは芽実を含めて何人かいる。欅坂では米谷奈々未がその代表だ。尾関梨香も、ブログの文面を読む限り、とりあえずいったんこの世界を離れることになりそうな感じがする。その後のことは、誰にもわからないけれど…

 

これはぜひ、自分で決めてほしいのだ。

 

おそらく、坂道シリーズという世界しか社会を知らずにきた人がほとんどのメンバーたちである。

社会は、もっと広い。とてつもなく広い。

もちろん坂道シリーズだって社会の中の一つだし、たとえ学生であろうが、自分の芸を見せることでお金をもらっているのならば、社会人の一人でもあるわけで。

そうではあるものの、彼女が今まで見てきた世界は、一部であって全部ではない。

そういう世界の一端でも経験してもらいたい気持ちもある。

推しメンを一人の人間として、その将来を想うからこそ。

で、その後は…

 

こちらの世界に戻るか戻らないかは、自分で決めればいい。

 

それを決めるのが、自分の人生に責任を持つということではないのかな。

 

 

 

 

 

一度引退してから復帰した人もいる。

これはやはり長濱ねるの話をしないわけにはいかない。

 

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ねるの細かい紹介などは今更だから省くとして、これも正直今となってはわからないことが多すぎた卒業ではあった。改名してしまった欅坂としては、おそらく唯一の、卒業セレモニー経験者である。

 

ねる卒業についてもこのブログでは取り上げたが、とにかくねるは明らかに働かせすぎだったと思う。もちろん外的要因もあったかもしれないが、漢字とひらがなの兼任など、尋常ならざる動きだった。どうにもこの頃の運営がしようとしていたことはよくわからなかった。今でもさほど説明はつかない。

だから、充電が切れてしまうことなんて容易に想像がつく。

 

グループのメンバーが卒業する、となると、どうしても起きてしまうのが、他のメンバーとの扱いの温度差である。

後述するけれど、他のメンバーとねるの卒業時の扱いの違いは、もはや誰かが考えるまでもなく歴然だった。例えば今回の、櫻坂における渡邉理佐の卒業が他のメンバーと明らかに違うのと似ている。ねるや理佐がもちろん悪いわけではない。ただ他のメンバーを推している人たちの心にモヤついたものがずっと残る。それが変な火種になってほしくない一心である。

 

ねるはゆっくり休んで一般の生活をしてみた結果、この世界に戻ってくることを選んだ。それはそれでもちろん嬉しい。ねる推しだった人が歓喜したツイートを連発していたのは記憶に新しい。

 

 

 

 

卒業しても、そのままタレントや女優、ソロシンガーとして活躍するパターン。これが最も多い。

 

欅坂46、櫻坂46、欅坂46けやき坂46

全国的に凄まじい注目度の中に身を置き、自らのパフォーマンスでそこに集う人たちの大喝采を得る。

私がそれを経験することは一生ないだろうけど、この経験を一度でもしてしまうと、その快感から離れることは難しいのかもしれない。

目の前にいる人たちが、全力で自分を応援してくれている。

こんな素晴らしい時や場所があるだろうか。

 

そして、卒業しても自分を必要としてくれる、需要がある、となれば。

当然もっと表現を突き詰めていきたいという欲求に駆られるのは無理もないところ。

 

 

それぞれの卒業生に、それぞれの道があって、どの道を進むかは当然本人次第。明らかにその人の人生の一部であり、一生の中で言えばほんの数年間かもしれないけれど、ある意味人生を決める数年間だったかもしれないのである。

だから、自分の心と向き合って、その望むことに素直であってほしいと願うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業生は、本当に長きに渡って私たちの心を高揚させてくれました。

これは感謝してもしきれない。

だからこそ、これからは私たちではなく、自分の進みたい方向に悔いなく進んでほしいのです。

 

坂道シリーズ、特に櫻坂や日向坂に惹かれる人は、意識無意識に関わらず、何か求めているものがあって、その求めているものにある日突然ピタッとはまってしまったのでしょう。だとすれば、意外と離れない人が多いイメージ。

離れる、というのが、気にも留めなくなる、という言葉と同義だとすると、離れる人ってどれくらいるんだろう。もし仮にいたとしても、モチベーションの低下とか、そういう曖昧な言葉で推さなくなる人って本当にどれくらいいるんだろう??

 

卒業というイベントは、メンバー個人にとって最大のイベントでもあるのだけれど、ファンにとってはどういう想いでその日を迎えればいいのか。私も推しメン佐藤詩織さんの卒業を経験しているので、その気持ちの複雑さは痛いくらいよくわかります。

 

 

 

 

卒業生が卒業したらグループからその姿が消える、それを悲しむ気持ちは当然みなさんにあるでしょう。

それが本音。本音中の本音です。

だから、どちらがファンとして正しい姿勢なのか。

「卒業おめでとう!これからもずっと応援してるよ!」と笑顔で手を振るのが正しいか、

「卒業しないで…!」と推しメンの前で泣き喚き、ジレンマに陥らせたとしても果たして間違いだと言い切れるのか。。

 

 

 

 

卒業という事象は本当に難しい。

ここまで頑張ってきてくれたメンバーを、どう送り出すのが正しいか今でもわからないからである。

 

 

 

でも、だからこそ誰かが卒業するということを、時間をかけてでも自分の中に落とし込んで、一つの結論を導いていくしかないんだろうね。

 

 

 

 

 

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