櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり 2022年5月24日付

織田信長が、桶狭間の戦いの前に、この敦盛を舞って出陣した、というのは有名すぎるくらい有名な話。

下天という仏教世界における最下層の一日は、人間の寿命の五十年に相当すると言われる。

つまり人間の五十年間など、下天に比べれば夢幻の如く儚い、ということ。

 

いや、確かに儚いというか、今思えば自分の半生は長いようで一瞬だった気がする。

 

 

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今思っても、欅坂46との出会いは本当に運命的だった。

そしてそのきっかけを作ってくれたのは、実は乃木坂46である。

乃木坂を推す、というよりは、純粋に乃木どこ乃木中を楽しんで観ていただけだったのだが、そこに坂道シリーズ第2弾のお知らせが来たのは、2015年6月のことだった。

 

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これが、原点中の原点だった。

 

自分でも思うポイントは、なぜこれを見つめようと思ったか、である。

そこが全くもって思い出せない。

立ち上げからの古参ヲタクを標榜したかったのか。違う。違うというよりそんな記憶がない。そもそも自分のことをヲタクだとまだ思ってないし、乃木坂を推しているつもりすらなかった。

 

ただそこから乃木中→けやかけという視聴ルーティンができたのは確かだった。

とは言うものの、それで欅坂を推すという意識が芽生えていたわけでもなかった。

乃木中の延長、やはり楽しんで観るというただの視聴者で、例えば欅坂お見立て会の映像も当時番組で観た記憶はあるけれど、行こうともしなかったし、行けた人を羨ましいとも思っていなかった。本当に純粋に、エンタテインメントの一部として楽しんでいただけだった。

 

だから、一気に熱が上がったわけではない。

そこからはずっとけやかけの一視聴者だったわけだけど、少しずつグループアイドルにハマっていく自分を自覚するようになっていた。とはいえ、現場に行こうという発想すらまだなかった。

サイマジョ、セカアイ、セゾン、不協和音。全く現場に行っていない。

京都に住んでいたのに、なんならパルスプラザまでなら自転車で行けるのに、握手会に行こうともしなかった。

ライブにすら行く気がなかった。

 

現場というものに興味が湧いてきたのは、2017年の後半である。

最初の握手会参戦は、風吹か個握京都。

いや、正確に言うと、その前日に同じ京都で行われた乃木坂個握。確かあれは、逃げ水だったか。

このブログでは何回か触れてきたけれど、坂道シリーズで初めて握手したのは、乃木坂メンバーだった川村真洋である。グループアイドルの握手会に初めて行き、勝手もわからずに並び、それも5部だけのために京都まで向かい、数秒の握手をして帰った。

でもそのときに、実感した。

 

これは、ハマる。ヤバい。マズい。

 

…まぁそう思ったときには既に遅かったわけで。

 

その翌日、推しメン佐藤詩織さんを始めとする多くの欅坂メンバーと握手して、そこから遂に約4年半が経過した、というわけである。

 

 

 

話を戻すけれど、五十年という月日も本当に儚いというか一瞬のように今になってみれば思えるけれど、自分で言うのも烏滸がましいが、その中でもキラリと光る瞬間というものはある。おそらく誰にでもあるだろうし、それも人によっては一回や二回ではないかもしれないけれど、私の場合は漢字欅ひらがなけやき、そしてそこから流れ来る櫻坂日向坂を推している自分、結構好きだ。

報われるかどうかは、大きな問題ではない。

なぜなら、彼女たちは、私にとってやはり恩人だからだ。

熱いものを取り戻させてくれた、恩人なのだ。

 

人間には、ちゃんと感情がある。

そんな当たり前のことを、自分たちの活動を通して私たちに教えてくれたのが彼女たちだったのだ。

アイドルというと、どうしても下に見られがちな、実に割に合わない職業だと思うことがある。

もちろん、誰かに夢を与えるという意味でそんな素晴らしい職業もないのだが、世の中的にはその立場を下に見る人がいることはいる。

アイドルとしての「顔」、表に見せる部分などほんの氷山の一角で、その一瞬の煌めきのために凄まじい努力をする。そんなことを知っているのかいないのか、評価しない人は本当にしない。

だから、たくさんの賞賛を浴びることも確かにあるだろうが、言われなき中傷を受けることだって少なくない。

こんな理不尽な話はないと。

 

アイドルとして、ステージで本当に煌びやかな姿を見せて感動を与える。一方で、全てがうまくいくわけでもなく、苦悩の日々を過ごす部分があって。

嬉しいことも辛いことも共有したいと思わせてくれた。

元々私に備わっていた、感情的な人間の部分を取り戻させてくれた。

これを恩人と言わずして、何というのか。

 

夢幻の如くなり、というのなら、鳥居坂46募集のこの瞬間からの7年間など、本当に夢幻のようだった。

鳥居坂は欅坂となり、その欅坂は5年で活動休止し、さらに櫻坂となる。

欅坂の中にひらがなけやきというもう一つの胎動があり、それこそ誕生から様々な葛藤と闘いながら、日向坂となる。

たった7年で、これだけの激変。

何か本当に、ここまでが壮大な夢だったんじゃないかと思うほど。

 

 

でも、それでもあえて言いたいのは、プラスな意味であろうとマイナスな意味であろうと、心を震わせてくれる存在に出会えたというのは、本当に感謝しかない、ということ。

人間は感情の動物である、という考えに私も賛成である。

ならば、感情を忘れてしまっては存在意義に関わる。

何か試練に行く手を塞がれれば一緒に切り開く道を考え、何か悲しいことがあれば自分のこと以上に涙を流し、そして何かを達成したときには心の底から喜ぶ。

誰かのためにそれをしてあげられる人でいられることを、私は素直に喜びたいし、そうさせてくれたのは彼女たちだ。

 

 

 

勢いで生涯を懸けて、などと軽々しく口にするものではない。

でも、心の底から彼女たちと、厳しくも温かいそんな旅路を共にするという覚悟があるのなら、話は別だ。

 

私の半生、確かに夢幻のような速さだった。

だが、ここで終わるような私ではない。

もちろん、永遠の命など望まない。ただ、できるだけ長く、そんな私にとっての恩人であるグループをずっと見ていられれば…彼女たちの姿と共にあれば、それでいい。

 

 

 

 

 

本日、川島雅隆は50歳を迎えました。

いつもお世話になり、本当にありがとうございます。

このブログ、取り止めのなさでは日本一を自負しておりますが笑、そんなとっ散らかった内容でもお読みいただいている皆様には頭が上がりません。

 

そんな内容でお時間取っていただいて構わないと仰っていただける皆様には、これからも何卒よろしくお願い申し上げたい次第です。

 

 

 

 

 

櫻坂46、日向坂46とともに、川島もまだまだ走り続けます。

 

 

 

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