櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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結局、櫻坂46は欅坂46を超えられたのかーあなたにありがとう2021 2021年12月31日付

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櫻坂46がまだ産声をあげた、と言えるか言えないかわからない、この頃。

欅坂46を超えろ。」このキャッチに、賛否両論があった。

私は、賛成した。

というより、櫻坂が生きる道はそこにしかないとさえ感じた。

改名が茨の道であることは、誰もがわかっていた。

どうしたって、櫻坂は欅坂だった子たちだと言われる。

欅坂の名前が人々の記憶に残る限り、その記憶が櫻坂よりも強い限りは、ずっと比較される。

欅坂が強すぎたが故に、超えることは難しい。

超えるとは何か。

それは、彼女たちを見る誰もが「櫻坂46だ」と口をついて出ること。

裏返せば「欅坂の子たちだ」と言われなくなること。

…そんなことができるのか。

いや、できるのか、ではない。

やるしかないのだ。

それしか、櫻坂が生きる道はない。

途方もないほど高い壁に挑んで、乗り超えるか叩き壊すしか。

 

でも、その壁は想像以上に高く、厚い壁だった。

 

ー「W-KEYAKI FES.2021」の開催前、「お客さんのほとんどが、欅坂の曲はやらないんですか?と言っていて悲しかった」と、小池美波さんが話してました。それって多くのお客さんが、櫻坂46じゃなくて欅坂46の楽曲を聴きたいと思っていたということですよね。だからこそ「今、自分たちは欅坂46ではなくて櫻坂46なんだ」という気迫をパフォーマンスから感じたんです。

 

大園 そうなんですよね。「W-KEYAKI FES.2021」をやると決まった時に、ミーグリをしたら「欅坂のあの曲をやってほしい」とか「欅坂ではどんな曲をやりたいの?」と聞かれることが多くて。ちょうどその話を(藤吉)夏鈴ちゃんとして、思わず2人で泣いたんです。

 

ーファンの方たちは悪意があって言ったわけじゃないから、余計に辛いですよね。

 

大園 本当にそうで。もちろん自分たちの中でも欅坂46の曲は大事ですし、やりたい気持ちもあるんですけど、やっぱり今は櫻坂なので櫻坂46として勝負したい。合同ライブだったのもあり、色んな方に櫻坂46らしさを見せたい気持ちが強い中でそうやって聞かれることが多かったから…やっぱり悔しいって気持ちはありました。

 

                                             (『MARQUEE Vol.144』より)

 

 

言い訳をするわけではないけれど、このときは「W-KEYAKI FES」という名だったこともあるし、このフェスに期待する人のおそらく誰もが、欅坂を想起したに違いないんだ。逆に、この名前で欅坂を思い出すな、という方が酷である。

私たちは彼女たちの心の奥底を知って申し訳なく感じ、彼女たちは彼女たちで感じなくていい寂寞感を感じてしまう。

誰にとってメリットのある名称だったのかと今更ながら思う。

 

彼女たちのことを考えるなら、私たちは欅坂の名前を封印しなければいけないのかもしれない。

少なくとも、彼女たちが櫻坂46として勝負できると自信が持てるその日までは。

でも。

そうは思っても、その一方では

そんな封印に意味があるのかと首を振りたくなる自分もいて。

欅坂の名前を出すことすら忌み嫌われる世界が、そんなに心地いいはずもなくて。

いや、もしかしたら、そんな葛藤をしている時点で

何かに負けているような気もしなくもなくて。

 

袋小路。

 

この一年 肯定も否定も

全てが高速で通り過ぎていった

無我夢中で走り続けたけど

まだ先は見えない

この選択は 正解だったのか

それとも 間違いだったか


0から1を作ることは 難しい

そんなことわかってる

まして 改名の後の道なんて

厳しいに決まってる

本当に覚悟はできていたんだろうか

どこかで 無理だと思っていたんじゃないか


報われない努力なんて やる意味がない

自分を出せって言われても できるはずがない

自分なんて ないんだ


でも、それがどうした


私たちは一番近くで 絶望を経験してきたんだ


自問自答に首を振った

不安は成長の糧にした

嘲笑は突き動かす力に変えた

自信がなけりゃ 毎晩倒れるほど踊った


失敗なんて たかが知れてる

ただ 前を見ればいい

雑音は 全部活力にすればいい

私たちにしかできないことが 必ずあるから


誇りを持て

凛としろ

前を向け


私たちはもう既に 1になっている


そうやって出来上がった大事な1を

千にも万にも咲かせてやれ


1年

私たちは、私たちらしく

美しく、強い、櫻へ

 

                                      (櫻坂46 1st YEAR ANNIVERSARY LIVEより)

 

彼女たちが、2021紅白歌合戦のリハーサルを行なっているであろう、クリスマス後の年末。

私は、冬期講習の教壇にいた。

国語の教材として、その日あてがわれたのは、桜という花についての文章だった。

 

桜は美しく咲くが、散ることを運命づけられている。それを私たちはいやというほど知っている。桜が美しくあるそのさなかに、すでに散る予兆をとらえ、心がどうしようもなく乱れるのだ。かいのないことだと知りながら、どうかこのままでと祈らずにはいられないその心こそが、愛するということを、より深くするのではないだろうか。逆説めいているが、散るからこそ、人は桜を美しいと感じるのである。

(中略)

つまり、桜は、この世の無常を生きる私たちの人生そのものなのである。桜を愛でるその心は、とりもなおさず、深い悲哀の情を抱いて生きることを余儀なくされた私たち自身の人生を、愛惜する心そのものなのである

                                           (高村みちる著『桜によせて』より)

 

散ることが運命づけられている花、桜。

図らずもその名を冠することになった、櫻坂46。

確かに、表面上は美しく咲いて、美しくも儚く散る、それが桜ではある。

 

でも忘れてはいけないこと。

 

「…確かに桜の花の命は短いよな。でもね、桜は美しく咲くために、一年間じっと我慢して準備してるんよ。いろんな風にも雨にも、いろんな気象条件にも耐えて、春を待っている。美しく咲くためにずっと準備をしている。そして咲く。咲いて、散る。散った瞬間から、次の年に咲く準備に入る。それが桜という花なんよ」

 

私はそう生徒に言った。

 

無常。

この世に変わらないものなど一つもない。

欅坂という坂が本当に強く、強いまま人々の記憶に残り、今も私たちの前に立っている。

だが、無常なのだ。

いつまでも、欅坂が最強だったなどと言ってられない。

過去の最強だった彼女たちを超えるのは、櫻坂しかいない。

自分たちで、自分たちを超えるしかない。

 

最強と対峙して、儚く散る、そんな彼女たちではない。

華々しく咲いたあとは、その後も咲き続ける。

ずっとずっと、何年も何年も。

 

この世は、確かに無常である。

櫻坂46が、その無常を証明しなければならない。

 

私たちはもう欅坂ではない。

欅坂だった子たちとは言わせない。

 

他の誰でもない、櫻坂46なのだと。

 

 

 

今一度。

 

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櫻坂46の2022。

2年目。

欅坂46を超えられるかどうか、それはまだわからない。

ただ、超えるところにしか道はない。それは何年目だろうと変わらない。

すべきことは、既に決まっている。

 

咲け。

櫻坂46。

 

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