Buddiesが全員曲でなければならないこれだけの理由(追記あり) 2021年11月15日付
櫻坂46が1stTOUR2021を終えて、今は1st ANNIVERSARY LIVEまでの期間。
守屋茜・渡辺梨加両名の卒業を控えている、という微妙な隙間のような時期。
櫻坂46は、ノミネートされていた「2021 MTV EMA」において、ベスト・ローカル・アクト賞「BEST JAPAN ACT」を遂に受賞し、改めて海外での評価という箔がついたわけですが、欅坂時代から実は海外の評価は高かっただけに、櫻坂になってからもそれが変わらないことを証明できて本当に嬉しいです。
もちろん投票そのものは日本からの票が圧倒的に多かっただろうと思うんですが、そもそもノミネートされる、ということが評価の高さを表していると思います。
櫻坂46がヨーロッパ最大級の音楽授賞式「2021 MTV EMA」にて、ベスト・ローカル・アクト賞「BEST JAPAN ACT」を受賞致しました🏆
— 櫻坂46 (@sakurazaka46) 2021年11月15日
詳しくはURLをご確認ください🌸#MTVEMA#櫻坂46#sakurazaka46https://t.co/1we2mJ9Yde pic.twitter.com/4Zc4nnGOgF
…ただ、そうなると、なおさらと言ってもいいかもしれません。
あまりツイートで書いたことがないんですが、Buddiesをライブで聴くたびにずっとモヤモヤしていることがあります。
お分かりの方も多いと思うんですが、
なぜBuddiesが全員曲ではないのか
という疑問がずっと心を支配するのです。
櫻坂の曲の中でも少し毛色が違うというか、実に壮大な音で作られていて、とてもスケールの大きさを感じますし、そこから懐の深さすら感じられる曲です。
だからこそ、と言うべきか、この曲は全員曲でないといけない。
そう思うのです。
歌詞を紐解いてみましょう。
Yo! 元気かい? 君に会いたかったよ
Yo! ご覧よ こんな真っ青な空
Yo! 世界は何も変わっちゃいない
Yo! 僕たちは あの頃と同じだろう?
Yo! 季節の風 花の香り
Yo! 緑の木々 漏れる日差し
生きよう 生きよう 生きよう
コロナ禍で、毎週のように行われていた握手会はもちろん、LIVEまでが制限される、そんな中で欅坂46は活動休止を迎え、櫻坂46として転生した。
世が世なら、直接面と向かって欅坂の活動に対してお礼が言いたかったし、その後始まる櫻坂の活動もしっかり見ていくと伝えたかった。櫻坂になってからも変わらず気持ちを伝えに行きたかった。
でもそれが叶わなかった。
そしてそれは私たちだけでなく彼女たちも同じで、欅坂のLAST LIVE、そして櫻坂としてNobody's faultを披露したときも無観客。欅坂の最後と櫻坂の始まりを、直の反応がわからない中で披露しないといけない、ある意味の辛さ。
伝えたいことが伝えられていないかもしれない、と感じるもどかしさ。
そういう意味で、「君に会いたかったよ」という歌詞は重い、と感じませんか。
欅坂が活動を休止して、全てが終わったかのように見えた世界に現れた櫻坂46。名前は変わった、でも「僕たちはあの頃と同じ」と言える強さで導こうとする姿勢がこの曲にはあって、それがどれほどの安心感を与えるか。
この「僕たち」が櫻坂メンバーを指すのだとすれば、やはりメンバーが全員でそれを言わないといけないのでは、というのが私の想いです。
全てを奪った嵐は
もう通り過ぎた(通り過ぎた)
何事もなかったように
この大地は穏やかだ(Everything is over)
欅坂46が私たちに与えてくれたものは、本当に様々でした。ある意味それは「様々な感情」を与えてくれたと言えるかもしれません。私たちだからこそ敢えてはっきり言いますが、その感情は決してプラスの感情ばかりではなかった。もちろんいい意味で心動かされることもそれはそれはたくさんありましたが、心配になったことや不安になったことも少なくありませんでした。
それらを仮に「嵐」と表現することは、私は良くないと思いません。むしろそれは正しい。
もちろんケジメをつけて終わらせるべきこともあれば、じっと過ぎ去るのを待ち続ける方が賢い、ということもあるでしょう。実際因果関係はわかりませんが、櫻坂になってから大きな「嵐」が吹いたことは記憶にありません。
雨降って地固まる、という言葉もあります。
かつて四大文明の頃は、大河の周辺に集落ができ、しかし度重なる洪水でたくさんの命が失われたと。でもそれはマイナスなことばかりでなく、上流の肥沃な土を運んできてくれる、という側面もあったわけです。そのおかげで食糧を量産できる下地ができる。
欅坂に吹き荒れた「嵐」は、たくさんの大切なものを失わせたかもしれません。しかし、それがあったから、と言えるかわかりませんが、メンバー同士はもちろん、彼女たちを応援する私たちにかけがえのないものを与えてくれた、という意味合いがあったと考えてみるとどうでしょうか。
だとすれば、ですよ。
その景色を一部のメンバーとだけ見つめる、などというのはやはりおかしな話ではないですか。
苦しいときに支えてくれたのは、この曲の歌唱メンバーだけではありません。
全員、なのです。
Yo! ここには立ち止まってられない
Yo! 踏み出そう 今こそ自分の足で、、、
Yo! 心は遠いどこかを見てる
Yo! 希望なんて ホントにあるのだろうか?
Yo! 君とならば きっと行ける
Yo! 僕とならば たどり着ける
歩こう 歩こう 歩こう
Buddiesがどの時点で出来上がった曲かわかりませんが、Nobody's faultがLAST LIVEで披露されたことを考えると、おそらく同時期に制作されたと考えても不思議ではありません。
欅坂46の改名がもはや避け難いところまで来て、でも欅坂に未練のないメンバーなどいなくて。
そんな彼女たちに「ここには立ち止まってられない」と歌わせるのも残酷この上ないとは思いますが…
ただ、前に向かって進んでいかなくてはいけない、という意味においてはまさしくそのとおりであって。
海のものとも山のものともわからない、まだ走り出してもいない櫻坂のことを考えると、この歌入れをしているときのメンバーなんて本当に「希望なんてホントにあるのだろうか?」という心境だったと思われます。
いや、だからこそなのです。
当然ながらその想いは全メンバーに共通のもの。
だとすれば、Buddiesはやはりその想いを共有する人全員でパフォーマンスするべきなのではと。
何かを失ったって
また 明日(あす)は来るよ(明日(あす)は来るよ)
悲しみの雨風は止み
新しい夜(よ)が明ける(The sun is rising)
Yo! ここから もう一度始めよう
Yo! 自由だ 何も持ってないから
Yo! 僕らは何処へだって行けるさ
Yo! 絶望は涙と一緒に捨てよう
Yo! 君をずっと待ってたんだ
Yo! 僕をずっと待っていたか?
未来へ 未来へ 未来へ
この曲の壮大さなら、未来志向しか出てこない。
櫻坂をこれから盛り上げる、という意味ではそれしかないとも言えます。
別に欅坂や櫻坂のことに限らず、生きていれば悲しいことも苦しいことも、時には絶望感に苛まれることもありますし、そこから立ち上がって前を向いて進んでいこう、という気持ちも存在します。
まぁ敢えて言うなら、この曲が欅坂や櫻坂を指して言っているのかわかりませんが、そうだとしても決して欅坂は悲しみの雨風なんかでもなく、絶望でもなかった。前述のとおり心配はしたことがありましたが、それでも希望を捨てたことなんかありませんでした。少なくとも私は。
コロナ禍で、その最中に欅坂46は櫻坂46になり、たった二年前に見ていた景色とは、確かに変わったかもしれない。
でもね、思うんですよ。
本質的なものなんて、本質的に心に響くもの、もっと大仰に言えば、その人の人生に影響を与えるものなんて、そう簡単に変わるはずがない。変わったとしたら、それは実は本質的なものではなかったのではないでしょうか。
本質は、そう簡単に動かないのです。
あなたたちは、あの頃と本質的なものは何も変わっちゃいない。
ただグループとして、女性として、人として成長していっただけだと思います。
話を戻しますが、もちろんそれは歌唱メンバーだけではありません。成長してるのは、当然グループ全員であって。
「Buddies」を歌っているメンバーがいて、それを応援するファンの総称が「Buddies」で。
ならばその場にいないメンバーは一体何なんだと。
どんな想いでこの曲を見つめているかと考えると、胸が張り裂けそうになります。
これからもこの曲をLIVEで歌い継いでいくのであれば、全員曲として披露してほしい。
今回ツアーで何度もこの曲を聴きましたが、その度にその想いは強くなる一方です。
メンバー全員で「Buddies」を歌う。
メンバーも仲間。
ファンも仲間。
その場にいる人、彼女たちに関わるすべての人が、仲間。
そう感じられて、初めてこの曲が最も生きることになるのではないでしょうか。
(追記【11/25】)
『blt graph vol.73』における増本綺良インタビューで、彼女がBuddies問題に触れ、やはり全員曲が望ましい旨の発言をしています。
BACKS LIVEでこの曲のセンターを務めたからこその意見で、その重みは私なんかより遥かに上だと思います。
ぜひご一読を。
併せて、ぜひお手に取って実際にご覧いただければと思います。