櫻坂日向坂の上り方

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欅の枝に櫻は咲いたのかー欅坂46結成6周年 2021年8月21日付

 

昨年の5周年をどんな気持ちで迎えたか。

欅坂46に前向きなお別れをすることが告げられ、一方で改名後の名称がまだ発表されてない時期。メンバーのそれも計り知れないものがあったが、推している私たちも自分たちの立ち位置をどうすればいいか、わかりかねている時期でもあった。

そんなときに迎えた、5周年。

私だけでなく、大方悲壮な決意に満ちたツイートが並んでいた気がする。

 

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欅坂が、活動を休止する。

 

来てほしくないそんな日が来るのを待つしかない、そんな日々。

 

自分たちとして、もっとできることはないのか、そもそも今までだって、あれで正しかったと言えるのか。自問自答の時間。

さらに言えば、改名しか道はない、という結論に心から納得している人など、いったいどのくらいいたんだろう。

 

5周年となると、当然お祝いしなければならないわけだが、とてもそんな気分になれずにいた人たちの方が圧倒的に多かった気がする。

 

軸足をどっちに置いていいのかわからないときに迎えた5周年を過ぎ、物事は深く静かに進行していく。

 

2020年9月20日 渋谷のビジョンで改名後の名称「櫻坂46」発表

2020年10月13日 THE LAST LIVE DAY2をもって活動休止

2020年10月14日 櫻坂46、始動

2020年12月9日 1stシングル「Nobody's fault」リリース

 

メンバーの数だけ、おそらく葛藤と苦悩と、それでも前へ進まないといけないという想いがあって。

何が正解かわからないけど、模索しながらも前に進むしかなくて。

そしてそれはメンバーはもちろんだけど、彼女たちを応援する私たちも同じで。

 

欅坂が休止して、まだ一年も経っていない。

それでもここまで見てきて、私が言えること。

 

欅坂46と、櫻坂46は明らかに「別物」である、ということ。

 

もっと正しく言うと、別物でなければならない、ということ。

 

渋谷ビジョンで「欅坂46を超えろ」というテロップが出たときは、批判もあった。もちろん当時は、まだ欅坂が活動していた時期で、ある意味カウントダウンが刻一刻と進んでいる状態。欅坂への想いがみんな溢れていて、特にナイーブな心境にあった。そこへのかなり刺激的な文言だけに、今考えると批判は当然と言えば当然だった。

 

それでも私は、当時から「欅坂46を超えろ」に対して肯定的だった。

 

platanus0524.hatenablog.com

 

世間的に、欅坂は一つの大きなインパクトで、欅坂といえばコレ、というものが一般層にもできあがるくらいの認知度はあった。そうでなければ、サイレントマジョリティーや不協和音があんなに話題になるはずがない。一般層に興味のないものが、高校の教科書に掲載されるはずもない。

そして、そこまでに自分たちで育て上げた存在と対峙し、戦い、越えなければならないのが、ある意味櫻坂46の「使命」だと考える。

ファンだけに受けるものを作るだけなら、そこまでの覚悟は必要ないかもしれない。しかし、支持層の裾野を広げていくのが目標というのなら「あれって欅坂のコたちだよね?」という声を消していかなければならない。欅坂ではなく、櫻坂というグループの色と方向性と世界観を浸透させなければならない。彼女たちを見て「櫻坂だ」とすぐに名前が出てくるようにしなければならない。

 

欅坂46を超えるところにしか、櫻坂46の道はない。

 

もちろん、欅坂と同じことをして超えられるわけがない。欅坂と同じことならば、世間の認知の仕方はいつまでも欅坂のままだ。だから、方向性をずらすしかない。一方で、例えば私のように、未だに何故欅坂が改名しなければならなかったのか、その理由に心の奥底で納得しきれていない層を繋ぎ止める方策も必要かもしれない。

改名してからも、欅坂がこういう節目で話題になることは何度かあった。その盛り上がり方は、やはり欅坂の存在に想いを馳せる人はかなりの数存在している、ということを表している。

その方々は、おそらく櫻坂のパフォーマンスにも欅坂の影を感じながら推しているのではないだろうか。

 

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ある意味、全く違うベクトルを同時に達成するところにしか、櫻坂の道はないのかもしれない。

そして、そんな狭い狭い、ニッチのような道を選択した彼女たちを、今まで以上に応援したい気持ちに駆られているのもまた事実である。

 

7月のW-KEYAKI FES。

W-KEYAKIと銘打っておきながら、W-K以外の欅坂楽曲は解禁されなかった。

意図ははっきりわからない。

でもそこに、私はそんなニッチの道を進んでいく「覚悟」のようなものを感じた。櫻坂がどうこう、日向坂がどうこうという意味ではなく、それだけ欅坂46という存在を強く意識しているからこそ、敢えて触れないという覚悟。

それが正しいかわからないが、それくらい前代未聞のことに挑戦している真っ最中と言える。

 

そんな中での、欅坂46結成6周年。

 

6年前、多くの人の記憶に残ることになったデビュー曲、「サイレントマジョリティー 」。

その一節。

 

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誰もいない道を進む。

まさに櫻坂46が進んでいる道は、誰もいない道。誰も通ったことのない道。道なき道、と言ってもいいかもしれない。

 

まだ、櫻坂は欅坂を超えてはいない。

でも、それでいい。

自分たちの全てを賭けて育ててきた欅坂は、そんなに簡単に超えられる存在ではない。

 

欅の枝に、櫻が咲く。

それはそんな簡単なことではないのだけれど、その予兆は確かに感じる。櫻坂46は、思った以上に世間に浸透してきている。それも欅坂の浸透とは違った角度から、着実にその名前が入り込み始めている。

 

「えっ!櫻坂って、あの欅坂46だった人たちなの!?」

 

欅坂よりも、櫻坂の名前の方が先に出てくる。たくさんの人にそう言わしめたときこそが、まさにそのときではないのか。

 

7周年。8周年。

 

10周年。15周年。

 

櫻坂の活動が、欅坂の活動期間を超えるときが来たとして。

彼女たちの姿を見た人が、欅坂よりも櫻坂の名前が咄嗟に浮かぶようになったときが来れば。

 

欅の枝に櫻が咲いたと言えるのだろう。

 

 

 

 

 

 

道半ば。

 

でも、そのときは確実に近づいている。

 

 

 

 

 

グループは活動していなくても、敢えて言う。

6周年おめでとう。

 

これからも共にあらんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

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