櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからましー櫻坂46渡邉理佐卒業発表 2022年1月25日付

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世の中に桜というものがなかったならば、春になっても桜の花の咲く楽しみ散る悲しさなど心騒がすこともなく、のどかな気持ちでいられるでしょう。

 

在原業平が、まるで古の時代から現世を見はるかし、櫻坂46というものがもし存在しなければ、心のどかな気持ちでいられるのに、と詠んでいるようにすら思える。

 

櫻坂46・渡邉理佐卒業発表。

 

sakurazaka46.coms

 

誰かが卒業をするというと、それを伝えるライターの記事然り、ファンのコメント然り、「本当に惜しい人材を失う」と綴られる。

理佐が惜しいのは言うまでもないこと。だけど、櫻坂46は今や誰を失っても惜しい。惜しくない人材など一人もいない。

でも、卒業というワードはおそらく、在籍しているメンバー全員にとっての関心事。卒業を決める決めないとか、予定があるとかないとかに関わらず、誰にとっても最大の関心事であるはずだ。

もちろん私たちにとっては、卒業なんかせずにずっといてほしいのが本音であるに決まっているのだが、一方で、アイドルではなく一人の女性としての彼女たちの将来を考えたとき、私たちの感傷的な部分で彼女たちを縛り付けていいわけがない、という現実もそこにある。

 

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欅坂46が活動休止を迎えたあの日。推しメンである佐藤詩織さんがそのタイミングで欅坂を卒業した。そのときから推しメンというものについてあれこれ考える機会が多かった。

推しメンを作るほうが、推してて楽しい。おしなべてそれは間違いない。

とはいえ、ならば推しメン以外は興味がないのかと言われれば、全くそんなことはない。むしろ逆だ。全員推しメン、と言った方が理屈に合うくらい。

だからこそ、松平璃子の卒業も、守屋茜の卒業も、渡辺梨加の卒業も、私にとっては身を引き裂かれるくらいの衝撃だし、それは卒業という事象があれば必ず覚悟しなければならない心の痛みであるのだ。

 

そして、理佐。

 

全く予感がなかったわけではない。

 

元々渡邉理佐を表現する代名詞といえば、個人的には「曲線」である。全てにおいて丸みを帯びているように見えたのが、私にとっての渡邉理佐という人だった。無言の宇宙のセンター、MV然りTV然り、なんとなくその丸みがさらに発展しているようにも思えていた。それが何を意味するのか。あまり深くは考えなかった。否、敢えて考えないようにしていた。

それにしても、守屋茜渡辺梨加卒業のときも同じことを考えたけど、やはり欅坂46活動休止は彼女たち一期生にとっての最大のターニングポイントだった気がしてならない。あの時点で、ややもすると一期生全員卒業という可能性だってゼロじゃなかった。

でもそれはある意味当然の話で、それだけ彼女たち一期生が欅坂に賭けてきたことの現れでもある。改名して心機一転頑張りましょう!と言われて心がついていけるかどうか、それこそおそらく全員が自問自答したに違いない。

 

推しメン佐藤詩織さんのように、卒業という選択肢もあったし、それを間違いなどと言うつもりは毛頭ない。

一方で、櫻坂46の転生を受け入れて、自分の居場所をその新しいグループに求めた一期生も、もちろん間違いではない。

ずっと張り詰めていた糸が切れてしまったようなグループ活動休止の後で、よくここまで頑張ってくれたと思う。櫻坂になって1年と少し。決して短くない期間。

楽しいことが多かった、それも事実だろう。でも、それと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に辛いことがあったのも間違いないはずだ。

もしかすると、櫻坂は二期生中心のグループになることを知ったうえで、そんな二期生のバックアップに徹したいという気持ちがあったかもしれない。

想像の域は出ないけど、あの理佐のことだから、そう考えていたとしても不思議ではない。

つまり、自分がいなくてもこのグループは大丈夫、二期生は立派に成長したから…と理佐が判断したからこその、卒業発表だったと考えれば合点はいく。

誰かの心模様を推し量る、ということがいかに無粋か全て承知した上で、そう思う。

 

それにしても、慣れない。この「卒業」という言葉は。本当に慣れない。たぶん永遠に慣れることはない。

 

たとえどんな美辞麗句で覆い隠そうと、自分が大好きなグループに、大好きなメンバーが一人いなくなる、という事実だけは変わらないのだから。

 

4thの活動をもって、と理佐はブログに書いた。

ペーねんのときのように、卒コンにあたるものは開かれるのかどうか。それもコロナ禍で全くもってどうなるかわからないけれど…

そして、これが発表されたということは、大いなる意味を持つことになる4thシングルの発表も、おそらく近い。

 

4thか…

4thの活動をもって、だもんな…

一気に、4thの発表が何か怖くなってしまう自分がいる。

語弊があるのを承知で言えば、4th発表のそのときこそ、ある意味の「The beginning of the end」である。

 

理佐にまつわる全てが最後になる、と思って4thを見つめていかなければいけないとは…

 

うん、だからまだお疲れ様は言わない。

さよならなんてギリギリまで言うものか。

今までありがとう、ですらまだ早い。

 

渡邉理佐の6年間をずっと感じながら、見つめ合うのではなく、共に同じ方向を向く4thでありたい。

 

 

 

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