櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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阪神淡路大震災を初めて振り返る

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もう25年経つんですね。

四半世紀などというと大仰に聞こえますが、確かにそれだけの年月は重ねたなぁと自分の年齢を考えると思えてしまいます。

 

当時大学生だった私は、その前日、サークルの後輩が参加する成人式が終わるのを待ち、彼らを連れてお祝いと称し京都の街を飲み歩きました。タクシーで帰宅し、就寝したのが午前3時頃だったと記憶しています。

当時存命だった祖母と母ですが、母が集合住宅や学校の掃除の仕事をしていたので、かなり朝が早く、この日も私が夢の中にいる頃、既に起床して支度をしていたといいます。

 

午前5時46分。

 

京都は震度5の揺れが襲います。当時はまだ5強も5弱もありません。

 

今考えると怖いんですが、私はその揺れの中でも目を覚ましませんでした。

 

後で聞いた話ですが、祖母がお手洗いから出た瞬間に揺れが始まったということで、二人とも揺れている間は身動きが取れず、揺れが収まってから母が私の部屋にやって来て私を起こします。

 

「あんた!地震やで!!」

 

前日に少々の深酒をしていたのが原因だったんでしょう。それでようやく起きた私ですが何のことかわからず、寝ぼけながら体を起こすんですが…これも今考えると怖いんですが、ベッドの横にタンスが置いてあって、そのタンスの上に乗せてあった小さなぬいぐるみが私のお腹の上にあったのです。

 

(????)

 

さらに暗がりの中、照明をつけようと立ち上がり、リモコンを取ろうとした瞬間に、これもタンスの上に置いてあったプラスチックのケースが下に落ちて割れてて、それによって手を切ってしまうという事態まで起こります。

 

その後ようやく照明をつけ、テレビをつけ、その後飛び込んでくる映像が本当に。。

この世のものかと思えるものばかりで、何が起きているのかにわかに信じられず。

 

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大学で所属していたゼミにも、神戸や芦屋から通っていた友人がいました。家が全壊半壊になった友人もいます。また、ゼミの教授は入院されていて、安否が確認できるまで結構な時間がかかったと記憶しています。

 

少し時が経って、6月。

まだ神戸の街は復興半ばです。

ある意味最も大変な時期であったかもしれない。

私は就活中です。

母校での教育実習終了直後、実は並行してエントリーしていた在京某キー局から1次の書類審査が通過したので面接に来てほしい、という案内が来ます。

 

実はそのときまでまだ東京にも行ったことがない人間だったので、面接で上京できるという嬉しさと、正直言えばミーハーなところもあるのでテレビ局に行けるという嬉しさでかなり舞い上がっておりました。

 

喜び勇んでそのテレビ局に入り、初めて見るものにいちいち感動しながら、面接の順を待ちます。

面接は学生3名と面接官2名。面接官はその局のディレクター(と思しき人)。

私は学生3名の真ん中に座ります。

 

自己PR、私の左隣の学生は

「私は衆議院議員○○先生の下で秘書の手伝いをさせていただいておりました」

と切り出し、エピソードも豊富。

右隣の学生は

「私は在阪テレビ局でカメラマンのアシスタントを務めておりました」

とのことで、震災当時の状況、取材の大変さを事細かに説明していきます。

 

私は一介の学生ですからそんなエピソードも何もなく、もうおそらくここで終わっただろうと思いながら彼らの話を頷きながら聴きます。

 

すると、ふと見たとき、前に座っていた面接官であるそのディレクターがかなり退屈そうに、特にカメラマンバイト君の話を聴いているのです。態度悪いなぁ。。と思っていたんですが、その後にこの面接官の口からとんでもない発言が飛び出したのです。

 

「関西じゃ、まだ震災のことやってんだ?こっちじゃもうオウムばっかりだよ」

 

耳を疑いました。

 

確かにこの1995年という年は、年明け早々に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件と大きなニュースが続いた年です。地理的なラグがあるとはいえ、地震の被害というものが本当にわかっていないんだなと。

ああ、いったい自分は何のために東京まで来たんだろう。

こんな、人の痛みもわからんヤツの下で働くのはまっぴらごめんだ。

 

二度と来るかこんなとこ!

 

私はもちろん、その後その局から二次面接に呼ばれることはありませんでしたが、呼ばれたとしても行ってなかったでしょうね。

 

マスメディアに携わる人間というのは、こうまで人間の心がないのかと。

 

もちろん、地下鉄サリン事件も悲惨な事件でした。そこで被害に遭われた方をどうこう言うつもりなど毛頭ありません。罪を犯した者たちへの気持ちも当然あります。

 

でも、それとこれとは話が別。

 

実はそこから約20年強、そのテレビ局の番組は一切観ていなかったんです。

チャンネルを合わせることすら憚られて。。

 

そんな私が、本当に久しぶりに、その曲にチャンネルを合わせた瞬間。

それは欅坂46が出演する歌番組でした。

彼女たちを観るためにだけ、約20年ぶりにそのチャンネルの番組を観たのです。

 

今はそもそもテレビを見ることも、当時と比べて格段と減りました。ただこの日を迎えると、マスメディアの役割、そしてそこに本来必要なはずの人を思いやる心、これを取り戻さずに商業主義に走るマスメディアを見ると、心の底から憎悪を感じるのです。

そのテレビ局はもちろんのこと、週刊文春をはじめとする、商業主義のためなら嘘でも無理やり真実にしてしまおうとする動きなど言語道断です。

 

前述のゼミの教授は、奇しくも元新聞記者で、マスメディアについて考えていくゼミだったのです。テレビ局受験はそういう意味もありました。そして、わかったことがそれだったのです。

 

大切な人を守る、というのは並大抵でできることではありません。

しかし、守りたい、という気持ちはすべての原点です。

そんな想いさえ踏みにじるようなマスメディアの動き。

25年前と何が変わったのでしょう。

 

私には悪い方へ変わったようにしか見えません。

 

25年という節目に際し、私自身今まで全く触れてこなかった話をさせていただきました。

ここまでお読みいただき感謝いたします。

 

改めて、阪神淡路大震災で犠牲になられた皆様に、心よりご冥福をお祈り致します。

 

2020年1月17日 川島雅隆