櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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敢えて「サイレントマジョリティー」を考察するーテレ東音楽祭、平手友梨奈欠席 2019年6月27日付

平手友梨奈という人は、いい意味でも悪い意味でも話題を呼ぶ人です。

本人に自覚があるかどうかは定かではありませんが、そこにいてもいなくても話題になる。

 

6月26日に放送された「テレ東音楽祭」。欅坂46は「サイレントマジョリティー」を披露しましたが、事前に公式から平手友梨奈欠席が発表されていました。

それに基づき、披露されたサイマジョのセンターを務めたのは、小林由依でした。

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発売当時はまだ全員が未成年ということもあり、「成年ー未成年」「大人ー子供」という対立軸で語られることが多く、世間的に話題になったのも

笑わない

センター平手友梨奈の存在感

世の中に対する反抗心

といった辺りで取り上げられていたのではないかと個人的には思っています。

 

でも本当にそういう意味合いで世に放たれた曲だったのでしょうか。

 

今回は敢えて「サイレントマジョリティー」の歌詞を個人的に考察してみたいと思います。

 

人が溢れた交差点をどこへ行く(押し流され)

似たような服を着て

似たような表情で

 

群れの中に紛れるように歩いてる(疑わずに)

誰かと違うことに何をためらうのだろう

 

欅坂は当初から渋谷をイメージした曲が多かった印象ですが、その原点はやはりサイマジョにあります。

日本には大都市もあれば地方の町も当然あります。人の数で言えばまったくもって違う。

ところが日本の象徴として紹介されるのは、首都で大都会の代表とも言える東京であり、さらにその中でも渋谷が映し出されることが多いです。

 

ただそこに集う人というのは、数は多いものの、どこか生気を欠いているというか。

「生きている」というより「生かされている」というか。

仕事や学校を本当に楽しんでいる人はそう多くはなく、自分が今やらなければならないことをただ全うする義務感で動いている。

だから「似たような表情」になる。

同じような立場の人は多ければ多いほど安心感につながります。

「群れの中に紛れるように歩いてる」

義務感で動いている自分を受け入れたくはないけど、現実に直面したときに認めざるをえない。でもほかに同じような人がたくさんいるんだから、と自分を慰めるしかない。

 

もしそこで「誰かと違うこと」をするとしたら、勇気が必要になるわけです。

ところがその勇気が持てない。

そんなふうに、自分の中の葛藤と戦いながら、でも現実を抜け出せない苦悩を抱えた群衆を主人公は客観的に見つめていると私は捉えています。

 

先行く人が振り返り

列を乱すなと

ルールを説くけど

その目は死んでいる

 

「先行く人」は文字通り自分たちよりも先に人生を歩んでいる先輩たち。

先に挙げた対立軸で言えば〝大人〟とも言えるでしょうか。

私も教える仕事をしていて思うのは、時間やすべきことが決まっていて、それに従って授業を進める必要がある以上、ルールに則ってやるしかないんですが、そこにがんじがらめになると生徒の個性は確実に潰されます。

人によってペースも違えば考えていることも違うので、最低限の決め事は必要にしても、ちと多すぎやしないかという気はしなくもないです。

でも、職務上ルールは説かなければならない。

そうしたとき、私の目も「死んでいる」のかなと思うことがあります。

 

君は君らしく生きていく自由があるんだ

大人たちに支配されるな

初めからそう諦めてしまったら

僕らは何のために生まれたのか

 

今でも忘れない〝違和感〟というのがありまして。

この曲を初めて聴いたときの衝撃と、歌詞に綴られる主人公が合致しない〝違和感〟です。

サビは颯爽と平手友梨奈がこちらへ迫ってくるわけですが、歌詞は上記の通り。

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未成年の主張だと単純に思っていた私に、これはどう見ても成人側からのアドバイスとしか思えない歌詞が飛び込んできて、しかもそのときに未成年の代表のような平手がアップで映し出される。

 

この「僕」という主人公。

当時の欅坂46と同じ未成年なのか、そうではなく成人している人間なのかで意味合いも大きく変わってくる気がします。

 

夢を見ることは時には孤独にもなるよ

誰もいない道を進むんだ

この世界は群れていても始まらない

Yesでいいのか?

サイレントマジョリティ

 

「生きる」ということは、自らの意思を持って進んでいくこと。

決して「生かされる」ということではない。

何も考えずにYesと言うな。

流されて生きるな。

 

…これは明らかに、大人側からのメッセージですよね。

そのメッセージを当時14歳の平手友梨奈をはじめとする、未成年集団の欅坂46がクールな表情で歌い上げる。

曲調も当然そうでしょうが、こういうところが世間に衝撃を与えたのだと思っています。

 

どこかの国の大統領が言っていた(曲解して)

声を上げない者たちは賛成していると…

 

これについては有名な話ですが、1969年のアメリカ・ニクソン大統領(当時)の演説の中で使われた「the great silent majority of my fellow Americans」という言葉と、そこから続く演説内容を指していると思われます。

ベトナム戦争反対の声が上がる中、自分に賛成してくれている(と彼が思っている)声を上げないアメリカ人へ向けられた演説でした。

曲解ということは、本来言葉に発していないとYesもNoもわからないはずなのに、都合のいいほうへ解釈されてしまうという意味で使われているのでしょう。

 

選べることが大事なんだ

人に任せるな

行動しなければNoと伝わらない

 

「選ぶ」にはいろんな意味が含まれている気がします。

自分の人生をどう進んでいくかは、自分で選べるんだから人に任せて決めてもらうな、という意味合いが最も大きいと思いますが。

「選挙権」という権利を得たときにはしっかり投票に行きなさい、という意味にも聞こえます。

自分たちの住んでいる国をどうしたいか、ということには一つの考え方を持っておきなさいよ、という。

…おっと、政治色がつきそうになるのでこの辺にしておきますが😅

 

君は君らしくやりたいことをやるだけさ

One of themに成り下がるな

ここにいる人の数だけ道はある

自分の夢の方へ歩けばいい

 

見栄やプライドの鎖に繋がれたような

つまらない大人は置いていけ

さあ未来は君たちのためにある

Noと言いなよ

サイレントマジョリティ

 

これは完全に「大人」側から送られる未成年へのメッセージですよね。

また私の仕事の話になりますが、今の子供たちに限ったことではないんですけど、どうも「面倒くさい」という言葉がそこらじゅうで子供を支配している気がしています。

面倒という言葉は、どう考えても「やりたくないのにやらされる」というときにしか出てくるはずがありません。

そうすると、その対義語は「やりたいことを自分で選んでやる」ということにならなければならないはずなんですが、実はそうではないと見てて思います。

 

自分のやりたいことが、ない。

夢の方へ歩けばいい、と言ったって、その夢がない

 

そんな子供達も結構います。

 

そんな子たちにとっての面倒の対義語はシンプルです。

 

「楽」

 

たのしいではありません。「らく」です。

 

楽なほうへ向かう。

 

誰かが作ってくれた道を進むほうが「楽」です。

何かを考える必要がない。

何かを考えることは、「面倒」なのだろうなと想像しています。

 

これがもちろん危険な風潮であることは認識していますが、だからといって個人でできることも限られていますし。

この辺りが私も仕事をしているとき、最も頭を悩ませる壁だったりします。

 

Noと言うのは簡単です。

でも、その大人が敷いたレールを全部拒否して、自分が道を作って進んでいく!と言える子供がどれだけいるかというと、少数派だと言わざるを得ません。

私はもちろん、そういう気概を持っている子供の方が大好きですが。

 

そして、歌詞が次へ繋がります。

 

誰かの後ついていけば

傷つかないけど

その群れが総意だとひとまとめにされる

 

傷つかないし、それに加えて上記のとおり「楽」なんです。

楽な方へ逃げようとする人にこの歌詞を響かせるのは並大抵じゃできない。

「その群れが総意だとひとまとめにされる」と言ったところで、

 

「それの何が悪いの?」

 

と言われてしまう可能性が高く、そこが本当に難しい。

 

面倒くさいとか、どうでもいいとか、そういう言葉を聞くと怒りよりも悲しみの方が強いです。

虚しさとも言えるかもしれません。

でもそういう言葉を吐き出させる今を作ってしまったのも私たち「大人」なのかなと思うと、彼らを責められない。

 

ただ本当にこの状況をそれでよしと思っている人が多いのなら

サイレントマジョリティー」がヒットするわけはないと思うんです。

 

敢えて大人からのメッセージを、彼女たち未成年に訴えさせるという〝違和感〟で成功した、と私は思っています。

 

だとすれば、あれから3年が経って、

成人メンバーがほとんどとなった欅坂46において、

「今」を切り取る形での「サイレントマジョリティー」を披露することの意味。

 

3年で本当にいろんなことがありました。

予測のつかない日々。

いいことばかりでない日々。

楽しいことばかりでない日々。

卒業メンバーも出て、いつまでもあの日のままでいられないと知った日々。

そんな経験を経て大人の年齢になった彼女たちだからこそ、説得力が増すはずなのです。

 

そういう意味では、最も予測不能な3年を過ごしてきた平手友梨奈が真ん中にいる、そのほうが当然説得力は計り知れないでしょう。

でも。

私たちが単純に見たいとか否というレベルではなく。

逆に「平手友梨奈がいない」ということで、その説得力を強める。

平手がそこにいる、というのは当然じゃないんだよと。

人生は何が起きるかわからないんだよと。

それを体現する。

そんな方法もあっていいと思います。

 

人生に予定調和なんて、ない

当然そこにあるものなんて、ない

一秒後の世の中だって、保証されているものは何もない

 

そんな中でも前へ進んでいかなければならないのが、人生

様々な経験をした私たちが、そのことを伝えなければならない

 

…私は、成人した欅坂46が「サイレントマジョリティー」を歌い、届けるメッセージとしてはそれに尽きると思っています。

言い方を変えると、初めて聞いたときに私が感じた〝違和感〟が消え、ようやく彼女たちの年齢がこの曲に追いついたとも言えるでしょうか。

 

「大人の代弁者」としてでなく、真の意味でこの曲が彼女たちのものとなった。

彼女たちの言葉として届けられる時が来た。

 

その意味で、昨日のサイマジョ披露は特別だったと思います。

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