櫻坂日向坂の上り方

ブログ移転しました…長い間本当にありがとうございました!

あなたの存在そのものが、欅の幹であるー菅井友香、櫻坂46卒業発表 2022年8月22日付

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予感。

人間から、予感という機能が消えてなくなればいいと、思った。

 

出会いがあれば、別れがある。

それは必定であって。

でも感情というものを手に入れた人間は、理屈抜きにそんな必定に抗いたい気持ちが生まれることもあって。

正しいとか、間違っているとか、そんなことは関係ない。

ただひたすら、子どものようにその運命を呪い、自分の感情のままに叫びたくなることもある。

大人になるというのは実に面倒で、理性と理性の狭間で、自分にも他人にも品行方正に生きることを強いる。

大切な人との別れが迫っても、嫌だ嫌だ離れたくないと、泣き喚きたくなる気持ちをグッと抑えることを要求されて。

 

なぜ人は大人になんかならないといけないのだろう。

生物の運命というものにすら、本当にそれが正しいことなのかと疑問を投げたくなる瞬間はあるもので。

 

そんな必定な時間が訪れる。

予感が走る。

別れのときは、そう遠くない。

ならば、自分は何をしなければいけない?

自分にできることとは一体何なのか?

確信はあれど、確証がない時間の中で、もがき続ける自分の姿。

 

 

 

 

 

私がブログを書くときのモットーとして、他の方のブログを見ない、ということを徹底している。

何故か。

流されるからだ。

私は芯をしっかり持とう、と心がけてはいるものの、それは裏を返せばそうしないとフラついてしまうことが自分でわかっているのだ。

特に櫻坂46や日向坂46のこととなると、様々な意見に頷けるところがあり、自分の考えがブレてしまう。

だから見ないのだ。

 

少なくとも、ブログを書き上げるまでは。

 

 

推しメン菅井友香と、卒業。

こんなにイコールが結びつかない二つの事象も、あまりない。

予感や予兆はあったにせよ、いざとなると本当に結びつかない。

 

 

私のことは、もしかすると佐藤詩織さん推しとしてご認識の方々もいらっしゃると思うし、それはもちろん間違いないのだけれど、敢えて言ってなかっただけで、私の中には菅井友香推しもずっとあった。

ただ彼女を推す、というのは、他の人を推しメンにするとか、そういうのとは微妙に意味が違う、というのか。

 

この人を応援しないわけにはいかない、という静かで強い感情。

 

 

 

 

 

鳥居坂46募集のオーディションから、結成されたときは欅坂46となり、最強のデビュー曲を引っ提げて、あれよあれよという間にスターダムへのエレベーターに乗って進む感じ。

本人たちがどう思っていたかは、私がそこにいない限りわかるわけはないのだが、大きく違わないと感じている。

 

2017年1月21日。

「二人セゾン」ミニライブの日。

 

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欅坂46にキャプテンが生まれた日であった。

 

いつも自分なんかが、とか、自分でいいのかな、という言い方をしていた彼女ではあるが、振り返って考えてみたとき、このとき菅井友香をキャプテンに選んだことは大英断であったと自信を持って言える。

結果として、これほどまでに人に愛され、人に信奉され、メンバーもファンもその背中についていきたいと思わされるキャプテンとなった。キャプテンというとどうしても、パワープレイで人をぐいぐい引っ張る、というイメージが持たれがちではあるけれど、個性的なメンバーの調整にあたる、というキャプテンだって非常に重要だ。引っ張るばかりが能じゃない。

彼女はそのタイプの、お手本のような存在となった。

 

 

当然、欅坂46を推す身ではあるが、その欅坂が順風満帆なグループでなかったことは、誰の目から見ても間違いない。

彼女たちが何か罪なことをしてしまったわけでもないのに、グループの状況がお世辞にもいいとは言えない方向に向かっていたのも、また間違いない。

生々しい話ではあるけれど、キャプテンとして、運営と、メンバーと、そしてファンとの間に挟まれる形となったのが彼女であった。今だから思うこととして、本当に彼女以外の人だったら精神的にもたなかったかもしれない。意識するしないに関わらず、おそらく彼女の精神性に柔軟な部分があって、しなやかな強さというものを持ち合わせていたからこそ乗り越えられた気がするし、彼女が乗り越えたから、グループも乗り越えられた、そんなふうに言える気もする。

 

 

 

欅坂46から推してきた人はもちろん、櫻坂46になってから推し始めた人も含めて、彼女のことを嫌いだという人にお目にかかったことがない。彼女のことを悪く言うというのは、その理由がどう考えても無理やりというか。しっかりグループを見つめてきた人が嫌いになる要素が一体どこにあるというのか、と思えるくらい、他推しの皆様にもとても人気が高い。

そのことがやはり誇らしい。推しとして。

もちろん、彼女自身が苦労したことも、その苦労を全く表に出そうともしない、あれだけ穏やかな面を前面に見せながら、実は溢れるほどの熱さを秘める、そういう部分が慕われる要素であることも確かだ。

 

 

 

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欅坂が、櫻坂に変わる、あのタイミング。

 

櫻坂46一期生は、おそらく全員一つの節目を感じていたと想像する。当然、自分の身の振り方も考えたはずだ。卒業する道を選ぶのも、続ける道を選ぶのも、彼女たちに与えられた権利だった。

そして彼女は、続けることを選んだ。

 

このときのことを著書で振り返っている。

 

実は改名が決まったあとに、自分の中での個人ルールみたいなものを作ってみたんです。まず「人生の最後」を先に考えて、大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の人生が終わる時に、周りの人たちにどういうふうに言ってもらいたいか、どう思われたいかを考えて、それをアイドル人生にも置き換えてみたんです。いつか自分が卒業する時に、周りに何かを、どういうふうに思ってもらえるかを大事にしていきたいなと思って。その時に私が決めたのは、「誠実に生きて、自らの行動によって他者の人生にいい影響を与えられる人になりたい、それを1番の軸にしていきたい」ということです。

 

正直なことを話すと、最初に欅坂46が改名すると決まった時は、「新グループに自分はいらないんじゃないか?」と考えてしまいました。新しく生まれ変わるのに、むしろ私の存在が邪魔になるんじゃないかなって。ずっと欅坂46にすべてを懸けたいと思っていたし、ライブでも「ここで死んでもいい!」と心から思えたのが欅坂46のライブでしたし。それがなくなる寂しさもあったから、ここでアイドル人生に区切りをつけたほうが美しいのかなと考えたんです。

でも、それをいざ現実として受け止めようとした時に、「じゃあ、欅坂46というグループがなくなった自分には何が残るんだろう?」って。今までの活動はすべて決して私の力ではなくて、欅坂46があってのものばかりですし、まだまだ実力が追いつけていない部分もたくさんあったりする、しかも、ファンのみなさんをいろいろとお待たせしてしまうことも多かったなかで、私がここで1人去るのは違うなと感じたんです。それに、本当の自分の気持ちは、みなさんともっとたくさん一緒に笑いたいんだと思っていたことにも気付きました。

                       【菅井友香著『あの日、こんなことを考えていた』(日経BP)より】

                       ※色は筆者

 

 

 

私たちファンというのは、どうしてもメンバーの気持ちを慮ってしまうところがある。正解などわかるはずもない場面が多いのに、今はこう思ってるんじゃないか、こんな気持ちなんじゃないか、大丈夫か、などと思ったりする。

欅坂結成当初からずっとその存在を見つめてきた一期生。この時期あまり私は触れた覚えはないのだけれど、最も気になっていたのは、改名グループが始動する頃、一体何人の一期生が残るのだろうか、ということだった。

それに彼女が書いているとおり、欅坂のライブは全身全霊感が凄まじかった。そのライブのクオリティをツアーで続けていって、体がもつのかと心配になるほどだった。その屋台骨がなくなってしまう彼女たちは、目標を見失ってしまうのではないかと。

 

でも、彼女たちはそんなにやわではなかった。

 

もちろん葛藤もしただろうし、散々悩んだはず。でもそれぞれの道をしっかりと見つけて進んでいくことを決めてくれた。

 

その中での、櫻坂残留を選んだ彼女の決断が、櫻坂46の今の姿を生み出してくれたのだと本当にそう思っている。

 

 

 

 

菅井友香という人を、一人の人間として見たとき。

当然ではあるが、ここから長い人生が待つ。

その中における7年間ではあったけれど、おそらく一生ついてまわるほどの人生におけるインパクトを手に入れた。

見ているこちら側の精神が参りそうになるくらいの、あの期間。その渦のど真ん中にいて、それを乗り切った。

こんなことが常人にできるはずはないのだ。

佐藤詩織さんが欅坂46の活動休止とともに卒業し、これから櫻坂46を頑張ろうという彼女たちを推さない理由がなかった私にとって、菅井友香を推しメンにする、というのは、自分の中で極めて自然な流れでもあったのだ。

 

 

 

頼りない、などと誰が思うものか。

あなたでなければ、

あなたがキャプテンでなければ、

このグループはここまでの強くしなやかな集団になっていたかどうか。

 

そう、特に最近の櫻坂46には、強さとしなやかさを感じる。

 

そしてそれはまさに、菅井友香さん、あなたそのものなのだ。

 

 

何より最も誇らしいのは、そのことだ。

 

 

 

 

 

ツアーファイナルを2日間とも申し込んだ、意味。

仮に今回がその舞台でなかったとしても、「そのとき」はおそらくそう遠くはない。

だから、観られるのなら観ておかないと。

 

結果、その確信は間違いなかった。

 

どちらかというと、感謝だ。

 

推しメンの、というよりも、メンバーの卒業の場所に立ち会えること。

実は、初めての経験なのだ。

 

 

 

菅井友香推しとして

そして、欅坂46ならびに櫻坂46箱推しとして

最大級のありがとうを。

 

誰よりも大変な想いを抱えていたはずなのに、自分よりもメンバーのために奔走してくれたこと、忘れない。

いつもどんなときも、自分よりもグループのことを考えて行動していたこと、忘れない。

改名を発表をしたときの、言葉で表現しようのない表情を見せてくれたこと、本当に忘れない。

 

 

私は、あなたを推せたことを、心より誇りに思っています。

 

 

 

最後まで、この想いを強く持ちながら

 

 

 

 

あの場所へ。

 

 

 

 

 

 

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全ツセトリシミュレーションー櫻坂46 2ndTOUR2022のセトリを予想してみよう! 2022年8月13日付

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W-KEYAKI FESの櫻坂LIVEが中止(注:その後振替公演決定)になり、その場で発表されるはずだった全ツ決定の報がもたらされたのは、急遽配信された、YouTubeチャンネルでの「摩擦係数」のパフォーマンス後だった。

 

それ以前に、そのケヤフェスで発表された日向坂の全ツが、正直驚かされたので気にはなっていた。3月にドームでひな誕祭を成功させたグループとは思えない、かなり数を絞った日程だったからだ。

そして蓋を開けて櫻坂の全ツは大阪を皮切りに、広島・宮城・愛知・福岡と続いて、ツアーファイナルが11月の東京ドーム。

つまり、櫻坂は合計で6箇所ということになる上、ファイナルはドームだ。

…この違いは何なんだろう??という疑問は当然ある。あるけれど、それは今は置いておく。

 

そして本日8月13日。櫻坂FC先行の当落発表日であった。

投げたのは、大阪二日間と、ドーム二日間。

大阪は地元でもあるし、インテックアリーナはほぼ勝手知ったる場所となった。初めて行ったのは、欅坂46二期生によるおもてなし会。そして2度目は昨年の全ツだ。それに、そもそも仮に全落したとしても、会場には行こうと思っていたので、あとは当たるか当たらないかだけの違い。当たらないとそりゃきつい。地元で当たらないというのは、かつての欅坂大阪城ホールにおける平手友梨奈サプライズ復活を目の前まで行って観られなかった、というあの悪夢がよぎるので。

 

そして、東京ドーム。

 

欅坂のドーム公演は2日目だけの参戦だった。それでも、あの場所であの空気の中に自分がいたというのは、今でも財産になっている。

言い方は正しくないかもしれないけれど、結果的にあの日が欅坂46のある意味の区切りになってしまったように、自分でも思うところがある。

あのあと、2020年になって123事変があり、コロナ禍になり、配信LIVEに移行し、その配信LIVEのまま改名していった、欅坂46

あのドーム公演がまさに「角を曲がる」であったとするなら、そこに置いてきた忘れ物はとても大きい気がしている。何かをあの場所に置いてきたようにしか思えない。

 

3年経って、メンバーがそれを取りに行く。

いやメンバーだけではない。個人的に、あの欅坂ドームを目撃した一人として、3年経ってあの場所で舞う彼女たちを観ることは、なんとなく責務のように思えたのだ。

仮に当たらなかったとしても、配信でも必ず観る。配信を観るために、有給を取る。

それくらいの、気持ち。

 

だから結局あのときと同じで、メンバーと共にドームの空気を吸えるかどうかがカギであった。

 

 

結果。

 

 

 

申込全当。

 

 

 

 

 

当たりすぎてちょっと引いてるのが本音ではあるのだけれど笑

まぁそれはそれとして。

 

盆休みでもあるし、一度どうしても考えてみたいなと思っていたのが、2ndTOUR2022のセットリスト。

 

今回は間違いなく、アルバムを引っ提げてのツアーになるはずではあるのだけれど、そもそもケヤフェス振替公演まで、彼女たち単独のLIVEとしては1月のBACKS LIVE以来なので約7ヶ月が経過していたということ。

あれだけパフォーマンスを主体とするグループであるにもかかわらず、1月から夏までLIVEがない、というのもそれでいいのかという思いがあるし、しかもコロナ禍だったり、ロッキンも台風で中止になったりで、とにかくアピールする場が奪われ続けていることをとても残念に思っている。もちろん彼女たちの責任ではないし、不可抗力ではあるのだけれど。

 

ただ、今年は課題だったバラエティ方面での活躍がとにかく顕著で、番組に次々と呼ばれることによる櫻坂46の存在感はとても高まっている気はする。それだけに、最もアピールポイントであるパフォーマンスを披露できる場所が欲しい。

 

外向けも、もちろん大切だ。

でも、ここはまず、身内から。

 

櫻坂のホームグラウンドである、LIVEの場所で輝いてほしい。

 

話を戻すけれど、1月からLIVEが行われていない、ということは、おそらくケヤフェスまで披露されない4thシングル表題とカップリング、そして今回のアルバム曲がどうしても中心にならざるを得なくなる。

そこを念頭にセトリを考えたいのだが、参考に昨年のファイナルであったSSAのセトリを見てみる。

 

2021年10月31日 さいたまスーパーアリーナ セトリ

 

EX.OVERTURE

VTR①

M1.Dead end

ダンストラック①

M2.Plastic regret

ダンストラック②

M3.半信半疑

MC①

M4.Microscope

M5.君と僕と洗濯物

ダンストラック③

M6.偶然の答え

ダンストラック④

M7.ブルームーンキス

M8.最終の地下鉄に乗って

M9.思ったよりも寂しくない

M10.それが愛なのね

ダンストラック⑤

M11.ソニア

MC②

M12.Nobody's fault

M13.なぜ恋をして来なかったんだろう?

M14.Buddies

M15.BAN

VTR②

M16.流れ弾

 

〜Encore〜

EN1.無言の宇宙

MC

EN2.櫻坂の詩

 

昨年は、16曲とアンコール。今年はもっと曲数を増やしてくることは十分考えられる。

何より忘れてはならないのは、欅坂ドームのときもそうだったけれど、ツアーのセトリとドームのセトリは切り離して考えた方がいいかもしれない、ということである。欅坂ドームは、大幅に変えてきた。

とりあえず、通常のセトリはどう持ってくるか。

現状、アルバム曲まで入れて、櫻坂の持ち歌は30曲強。

 

これでどうだ。

 

EX.OVERTURE

M1.条件反射で泣けて来る

M2.なぜ恋をして来なかったんだろう?

M3.ずっと春だったらなぁ

M4.ソニア

M5.BAN

M6.偶然の答え

M7.断絶

M8.君と僕と洗濯物

M9.Microscope

M10.恋が絶滅する日

M11.タイムマシーンでYeah!

M12.流れ弾

M13.On my way

M14.Nobody's fault

M15.制服の人魚

M16.ジャマイカビール

M17.車間距離

M18.五月雨よ

M19.I'm in

M20.最終の地下鉄に乗って

M21.One-way stairs

M22.Buddies

M23.摩擦係数

 

根拠は、ない笑

あと、アンコールをこちらから考えるのは失礼というか、アンコールに関しては主導権は向こうにあるはずなので、筋が通らないので入れてはいない。

 

多分一曲目が最重要で、OVERTUREからこの曲につなげる部分でLIVEの成功が占えると私は思っている。それに加えて、アルバムを引っ提げて、という主題があるのなら、一曲目はアルバム曲であるべきで、悩んだけれど「条件反射で泣けて来る」にした。

もちろん「摩擦係数」からスタートする、という王道もあるけれど、それは結構みんな思いつきそうなので、敢えて「摩擦係数」を本編のラストにしてみた。これでキレイに終わらせられるのではないかと。

 

その他の構成は、曲としての世界観のつながり、それもとても大切だけれど、メンバーの体の負担を考えて組んでみた。

激しい曲の後にゆったり目の曲を入れるか、ユニット曲を入れるか。ただそもそもユニット曲は3rdからようやく見られるようになったので数が少ない。結局誰かには負担が行ってしまう構成にならざるを得ないのか…

というより、「摩擦係数」を最後に持ってきてる時点で、どこがメンバーの負担を考えてるんだとお叱りを受けそうだけど笑

 

あとおそらく、「無言の宇宙」「僕のジレンマ」の披露はないとみた。

言うまでもなく、渡邉理佐がいないとなかなか成立しにくい曲だからだ。

 

そして、個人的にどうしてもパフォーマンスを生で観たいのが「ジャマイカビール」と「断絶」。

正直、これだけは譲れない。

 

と言うより、そもそも4th以降の楽曲は、執筆時点でまだLIVEで披露されたことがない。おそらくケヤフェスでは披露されると思うけれど、4thとアルバム曲の全てが披露される可能性は五分五分だ。

 

 

 

こう考えてみても、おそらくBuddiesが100人いたら100とおりの予想があるような気もする。

 

 

 

現実は何を魅せてくれるのか。

 

 

 

 

 

何より、ドームのセトリは果たして…

セトリ以前に、何かが起きるのか、起きないのか。

 

 

 

 

 

2022年下半期。

私たちは何を目撃することになるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

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「条件反射で泣けて来る」が、条件反射で泣けてくるー櫻坂46、1stアルバムリリース 2022年8月3日付

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夏の超多忙期を迎えているので、この時期の円盤発売はどうしても言及が遅くなってしまうのは私自身のストレスではあるのだけれど、こればかりは仕方ない。

 

まずは櫻坂46の1stアルバム「As you know?」発売を心からお祝いしたい。

 

いつもブログでは言うことだけれど、私は櫻坂日向坂以外の、他のグループのことをよく知らない。

とはいえ、どのグループも、もっと言えばどの芸能人の方々も、少なからず険しい道を進んできて到達した現在地だと思われる。

つまり、彼女たちだけが苦労した、と言いたいわけではない。

ただその数奇な運命をずっと目の当たりにしてきただけに、思い入れというものも相当深くなっているのは間違いのないところ。

 

欅坂46のデビュー前。デビュー後。その間にあった、もう全てを列挙しきれない凄まじい流れ。

そして、改名。

改名後の櫻坂46のデビュー後。

 

想いというのは形にはできないし目には見えないかもしれないけれど、形がないからこそ伝わる、というのもあるような気がする。

敢えて言うなら、その想いを形にしたものが、彼女たちで言うならば楽曲であり、その楽曲を閉じ込めた円盤であると。

中には彼女たちの歌声は言うまでもないけれど、彼女たちが重ねてきたかけがえのない時間と、それに伴って流したであろう涙と、心の底から笑った瞬間までもが実は封じ込まれている。

そりゃ感激もひとしおだろうと。

 

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今回のアルバムにある、新曲5曲。

どの曲もメンバーが心から好きだと言っていて、歌っている彼女たち自身のオススメなら間違いないところだとは思うけれど、本当にそうだった。

 

全ての曲について書いておきたいところだけど、中でも最も刺さった曲を。

 

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「条件反射で泣けて来る」というタイトルを聞いて最初に思ったことが、それは私たちのことですか?ということ。

彼女たちの今までの軌跡を思うと、それこそそれだけで涙がグッと押し寄せる感じというか。

例えば私なんかは「二人セゾン」のCメロなんか流れるだけで、もうまさにそれだし。

ずっと彼女たちを推している皆様はこの感覚、理解してもらえると思う。

人によってそのポイントの違いこそあれ、条件反射で泣けてくる経験はおそらく誰しもあるのではと。

 

さらにその曲を、ナスカ大先生が作曲したという、またそれも号泣ポイントであって。

 

櫻坂46に改名して、欅坂時代にはなかった新しい挑戦がそこここで見られる。

楽曲一つとっても、新進気鋭の作家さんの曲が採用される傾向も結構顕著で、そしてそれもまた櫻坂の素晴らしい色を織り成しているのも事実である。

一方で、欅坂時代を知る私たちにとっては、そのルーツを感じられるときが、まさに「条件反射で泣けて来る」ときなのである。

 

ナスカといえば…

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どれもそうなんだけど、ある意味欅坂46のターニングポイントというか、その時代の欅坂における一つの象徴となる曲を生み出す方々なので、その名前に反応しないわけにはいかない。

 

エキセンにしろ避雷針にしろ黒い羊にしろ、出だしのピアノとベースの融合でナスカのそれとわかる。わかるくらいにナスカ曲に浸る。

それはどうやらメンバーも同じようで、メンバーなんてナスカ曲の仮歌から私たち以上に聴き込んでいるはずなので、最初に聴いた瞬間からおそらくピンと来る。

 

この曲の歌詞そのものは、麻布十番を舞台にした、昔の恋愛を懐かしみながら今もある未練を歌う曲ではあるけれど、そもそもこのワード自体が欅坂から櫻坂を推している私たちに彷彿とさせるものは大きい。

欅坂を見ると、というのはもちろん当然あるとして、今の櫻坂として輝く彼女たちを見ていても、それはある。

決して平坦ではなかった道のりを、いろんな想いが爆発したこともあるはずなのに、途中で諦めることなく進んできてくれた先に現れる世界。

理由があるとしたら、それしかない。でもそんな理屈があろうがなかろうが、関係なく泣けてくる。

 

秋元康が歌詞をつけるのに言葉と格闘する際、そういう想いがあったのかどうか知らないが、私たちがそう考えても仕方ない部分はある。

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「昔のこと」って、何の、いつ頃の話なんだろうね。

 

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「地平線へと誰かの背中が消えてく」。

歌詞的には直接とると、恋人との別れを指しているんだろうと思えるけど、ヲタ的解釈をすると、卒業していった全メンバーを思わずにはいられない。それがまさに「黄昏の坂の途中」だった。

 

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確かセゾンのMV撮影のとき、新宮良平監督から「ずっとメンバーと何年間もいるわけじゃない。そのメンバーといる時間を大切にしてほしい」という言葉をもらったと聞いた。

「永遠のしあわせはない」

自分がしあわせを感じた形のものは、確かに永遠ではないかもしれない。形が変わっていくのは止められないものだ。

問題はそれを受け取る側にあって、変化したものに触れてしあわせだと感じるかどうかではないかと思うのだ。

 

欅坂46は、櫻坂46へと「進化」した。

 

私はずっと言っているように、源流はどう変わったとしても変えられない。櫻坂が欅坂からどれだけ変わったとしても、源流を感じさせるものがある以上は同じ熱量で愛せるし、ここまでその自分の想いに偽りなどない。

でも、泣けて来るんだ。

永遠のしあわせがないとわかっているからこそ、条件反射となる。

その意味の涙が頬を伝う。

 

ただ、それでいいんじゃないかとも思うのだ。

過去を振り返り、未来に想いを馳せて、現在を生きる。

永遠を望むより、限りあるからこそ注ぎ込める全ての力が生まれる方が好きだ。

出会いがあれば、別れがある。

だからこそその瞬間を愛せるのだと、そうも思ったりする。

 

結果、いろんな想いが、過去のシーンとともによぎるから、この曲そのものが条件反射で泣けてくるのであって。

でも、おそらくだけど、櫻坂の曲が増えれば増えるほど、こういう気持ちになることも比例して増えていくのかな。

 

 

欅坂の楽曲を彩ったレジェンドたちによる、櫻坂との融合。

それもまた、もっともっと見ていたい。

 

 

 

魂を預けた一日〜川島、1年ぶり2度目の富士急に降り立つ 2022年7月24日付

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確かにLIVEは中止になった。

では、なぜ行くのか。

メンバーはいないんだけど、そこまで私たちに見せないだけで、おそらく血の滲むようなレッスンがあって、リハがあって、それを私たちに届けようとしてくれていたはずなのだ。

もちろん、行かなかったとしても、仕事を休みにしたことをまた戻す、ということはできないし、ただ家にいるくらいなら、予定通り行ってしまおうという意味合いもあった。

そんな個人的事情もあったけど、それ以上に、彼女たちが捧げた魂を感じたかった、というのが最大の理由ではあった。綺麗事ではなく、自分の思いとしてそれが最優先されたということだ。

 

上記の、日向坂46のステージを配信で観て、佐々木久美の素晴らしい一言の感動も冷めやらぬ状態で、難波に向かう。フジヤマライナー。関西発の富士急ハイランド行き直行夜行バスである。

 

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私が予約したときは「残席2」という表示。ただこのLIVE中止の影響がどれくらいかわからない。実は乗り場にはまずまずの人がいて、この人たちが全員乗ったらそれなりの混雑になるなぁと思っていたのだけれど、実際に乗車の手続きをしたのは、私の数える限り7名!

 

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前後左右、人がいない笑

リクライニングは倒し放題だし、荷物は横の座席に置けるし、こんな贅沢な使い方はない。何より、こんなガラガラの深夜高速バスに乗るのは、この先そうそうありそうもない。

 

最初の休憩箇所である土山SAを出ると、その後は完全に消灯。

ただここでわかったのは、やはり私は深夜バスでなかなか寝られない人だということだった。

これだけ空いている車内で、前も横も後ろもいない状態でそれでも熟睡できない。普段ロングシートの電車に乗っているときの方がまだ寝ている気がするくらい笑

それでも自分の気づかないうちに寝落ちはしていたみたいで、気づいたら牧之原サービスエリアで停車中だった。

AM4:00頃。

その後東静岡駅大石寺なんかで降車扱いのアナウンスが流れるけど、そもそも数名しか乗っていないからか誰も降りることもなく笑

 

さらに二度寝三度寝を繰り返すうちにだんだん明るくなり、結構な明るさになった中でようやく富士山麓に近づく。

 

AM8:10頃か。定刻より結構早く富士急ハイランドバス停に到着。

 

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昨年熱中症対策に!と言って飲み物を売る出店があった場所に、今年はコンビニができていたことに驚きを隠せなかった…

少し体調を崩したりもしたけれど、なんとか持ち直し、発熱等もなく無事園内へ。

 

ライブがなくなった今回の目的は、とにかく①パネルをフルコンプすること②フードをできるだけ食べること、という2点だった。

幻となったコニファー入口を記念に撮ったあと、その目の前で売っていたフードテントへ。

 

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さほどお腹が空いてなかったこともあってドリンクだけにしたのだけれど、これが時間を経過して相当な後悔へと繋がるのは、その後の講釈で。

 

さて、園内に戻ってきて、いよいよパネルコンプに向かうのだけれど、とにかくこれが時間がかかるかかる笑

 

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結構ギリギリではあったけど、なんとか全部回れたので、その意味での達成感で満足してしまった笑

 

ただガチャガチャは自分の前で時間切れになるし、フードは行列が苦手なので行列が解消したら行こうと思い、行ったら食券が売り切れという笑

仕方なく「BANANAミルク」だけ最後に♪


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ただ特筆すべきなのは、Twitter上でのたくさんのフォロワーさんにお会いできたこと。

はじめましての方もたくさんいらっしゃったけれど、実はイベントのもう一つの醍醐味がそれなのだと本当に思っていて。

私はよく言うのだけれど、まず普通に生活しているだけだとお知り合いになれない皆様と交流ができる、その機会を頂けたことにとても感謝している。

櫻坂46・日向坂46×Twitter、そして何よりインターネットという環境が生み出してくれた、ある意味の奇跡であり、最大の魅力だと思っている。

 

 

 

 

 

 

コロナ禍のLIVEは、本当に難しい。

どうにもならないとはわかっていても、だからこそどの部分で自分の中の折り合いをつけるかがとても大切なことである。

考えてみれば人生も全く同じ。

自分の叶えたいことが全て叶うわけではない。

でもそれは自分の考え方次第であって、ポジティブになりすぎてもどうかと思うけど、ネガティブになりすぎるのはもっと良くない。自分のメンタルが最も健康的になれる術というのは、自分しか知り得ない。それを探しながら毎日を生きる。図らずもそういうことの繰り返しが人生なのだろうと思っている。

 

ありがたいことに、このときの振替公演が決まった。

今回仕事を休んだこともあるけれど、このとき富士急に行ったことで、私の中の納得感はあった。もちろんLIVEを観てはいないけれど、その場所に行ったことで彼女たちがそのとき置いて行こうとした魂は、自分なりに感じることができた。

 

だから、これでいいのだ。

 

そっと、チケトレの画面を開く。

 

 

 

 

 

私と同じくらい、櫻坂46が好きでたまらない人に当たりますようにと祈願しながら。

 

 

 


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日向坂46が、欅坂46楽曲を披露する意味・ケヤフェスver. 2022年7月22日付

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「語るなら未来を」を日向坂46が披露する。

W-KEYAKI FESというイベントの意義からすれば、驚きでも不思議でもなんでもない。むしろ私からすればようやくやってくれたかという想いであった。

 

 

ところが、それぞれ想いが強すぎるというか、無理解というか、はたまた誤解もあったりなど。

荒れるときというのはえてしてそういうもので、自分の想いありきで、そこに理屈や歪曲曲解した事実を後付けして正当化しているような気がしてならない。

 

日向坂メンバーが何かの間違いでこのブログに辿り着き、そんな騒動があったと知ったら心苦しいのだけれど、できうる限りの分析と私見を述べておく。

 

 

↑このツイート、執筆時点で結構な盛り上がりを見せているけれど、それはそれでいい。というか、それが一つの目的でもあったのだし。タイムリーな話題でみんないろいろ思っていることがあるだろうし、その捌け口にでもなればいいかという思いもあった。ただ、議論したいわけではないので、いちいち反応はしないけれど。

 

 

日向坂がカタミラを披露していろいろ言われている理由。全てにおいてあくまで理解はしかねるが、概ね次の四つに分類されそうだ。

 

  1. 漢字欅にルーツを持つ櫻坂にしか披露してほしくない
  2. あれだけ苦しい思いをして欅坂とお別れしたのだから、先に解禁するのは櫻坂であってほしかった
  3. けやきから改名して喜んでいた日向坂には、漢字欅の曲を披露してほしくなかった
  4. 新規なので、シンプルになぜ日向坂が欅坂の曲を披露するのかわからない

 

1は論評するに値しないくらいの、ただの排他主義

3は上のツイートに書いたとおり。日向坂メンバーの想いをあまりに知らなすぎる。もちろん私だって知り合いではないから、本当のところは、とか言い出したらわかるはずはない。でも、少なくとも彼女たちが発信していることを見ようともしない、或いは自分の想いのほうに合わせようと曲解して叩くなど、もはや暇人の所業である。

4は全然問題ないと思う。疑問に思ったら、調べる。これは基本。ただ「意味わからん!→納得いかん!」という意味で言っているなら、納得しようともせずにWhy?を垂れ流すだけで、私が教える小学生でよく見る光景と同じである。

 

ここで私が書きたかったのは、実は2について、である。敢えてツイートにも一切触れなかった。

 

どうやら上のツイートに反応するご新規様の中には、私が齊藤京子を擁護しているように見えたのか、単独おひさまで、櫻坂アンチのように思っている人もいたようで、なんと人間というのは自分に都合のいいところしか読まないものだろうと悲しいやら呆れるやら、はたまた笑えるやらで大変だった。

きょんこを擁護する、というより、これは彼女の発信から間違いないところなのである。

 

 

 

 

 

 

よく聞こえてくる話に、

ひらがなけやきが日向坂に改名したことと、漢字欅が櫻坂に改名したことは意味が違う

というのがある。

 

そもそも私は櫻坂46と日向坂46は一つのグループとして見ているので、巣立ち方の違いだろうと思うけれど、正直言えば意味が違うから何なんだ、という想いがある。

言い方として、ひらがなが改名したことより漢字が改名したことの方が意味が重い、と捉えている向きはある。そして、どうやらまだ欅坂の楽曲を封印したとか、これから永遠に披露されないと思っているような人が多そうで、ちょっと本当に大丈夫ですかと言いたくなる。どれだけネガティブな状態に身を置いているのかと。

 

確かに、キャプテン菅井友香は、「前向きなお別れ」と言った。それは事実だ。

では尋ねるが、この言葉のどこに、封印という意味が入っているというのだ?

封印しますなんて誰の口からも一度も聞いた記憶がない。あったら私の無知のせいなので教えてほしい。

 

なければ、それを「曲解」というのだ。

 

私が一つのグループとして捉えている以上、日向坂が欅坂の楽曲を披露しようが、櫻坂がひらがなの楽曲を披露しようが、当然日向坂がひらがな曲を、そして櫻坂が漢字欅楽曲を披露しても、なんら問題はないというのが私のスタンスである。一つのグループなのに、後も先もあるものかと。

 

 

 

そしてもう一つ大事な視点を忘れてはならないのは、メンバーの想いである。

これは私が反省すべき点の一つでもあるかもしれないが、結局置いて行かれているのはメンバーがどう思っているかであり、ある意味最も大切にしなければならない部分であると思うのだ。

例えば、櫻坂一期生。

彼女たちが、日向坂が先にセカアイやカタミラを披露することになって、胸中様々な想いは駆け巡ったはずだ。それはおそらく間違いない。ただその想いの中身は、一期生の人数だけ違うのではないだろうか。

そして何より考えなければならないのは、日向坂が漢字欅の楽曲を披露することを、本当に拒否している櫻坂一期生がいるのだろうか、ということである。

 

これは100%私の想像になってしまうけれど、今までたくさんの櫻坂一期生の発信や画面上での性格、さらには日向坂メンバーとの交流関係などを考えたときに、自分たちもいつかはまたやりたい、という思いになることはあっても、日向坂に先を越されてムカつく、などという想いになるメンバーはいるのかなと。

特に一期生は、ひらがなが一期生で入ってきて、その状況をよく知っているはずである。どういう想いで活動していたかも、見ていたはずである。ひらがなではあるけれど、欅坂の一員だと認めていたと私は思うのである。

 

ならばセカアイを披露すること、カタミラを披露することに抵抗などあるだろうか。

そんな心の狭いことを考えるメンバーがいるのだろうか。

 

私はいないと思う。

 

 

 

 

 

 

櫻坂と日向坂では、欅坂楽曲を披露する価値が違う、という人は、もしかしたらこの視点が決定的に欠けているのではないかと思う。

それにもっと言えば、本当の意味で欅坂が改名することになった理由を知っている人が、一体どれくらいいるのだろう。確かに日向坂のように前向きな改名ではなかったと言われればそうかもしれない。でも、ならばなぜなのか。正解を述べられる人がいるのだろうか。いたとしても、どうせそこらへんのゴシップ記事の受け売り程度のことで、あなたが本当にそれを正式な発信として聞いたのですかと。聞いてないでしょと。つまり思い込みでしょうと。

 

要するに自分たちの気持ちが納得しないからダメだ、と言っているにすぎないように見えるのだ。

 

押し付けがましいならば申し訳ないけれど、やはり櫻坂と日向坂は一つなのだ。

でなければ、W-KEYAKI FESの開催意義がない。

そして、それがわからなければ、フェスを観る資格もない。

だって、そうやって結局ストレスを溜めるだけなのだから。

 

「櫻坂は…」「日向坂は…」と主語を分けて考えてしまうことしかできない人は、観るべきではない。

 

確かに、櫻坂が先に、という意見はまだ理解できたとしても、それで日向坂が責められるのは理屈に合わないですね。結局好き嫌いがそこに混在しているから、感情と理屈がごっちゃになった意見になるのではないかと。

 

理解してほしい、というのはもし私に仰っているのなら、重々知っておりますと申し上げます。

でも自分の中では、その別れ方に些かみんな意味を持たせすぎなのではないかと。

そして何度も述べるとおり、私は一つのグループとして捉えているので、櫻坂が披露しても日向坂が披露してもそれは、欅坂を巣立っていた者たちが当時を再現するという形で全く問題ないと考えています。

 

漢字は確かに苦しい思いをした。それは知っていますが、日向坂だって苦しい思いをしたのは同じですよね。不遇アピなんてあんな言葉よく出てくるなと思います。漢字欅になれなかったメンバーが、万感の想いで漢字欅の楽曲を披露することの何がそんなにダメなのか。それだけ欅坂46というグループがリスペクトの対象のはずなんですけどね。

 

何を勘違いされてるのか知りませんが、「一生欅の曲を生で聴けない」と誰が言ったんですかと。「前向きなお別れ」というのをそう勘違いされたとしか思えません。欅坂はなぜ改名しなければならなかったのか?明確な答えが仰れるのでしょうか。日向坂が前向きな改名だったことは全くもってそのとおりだと思います。一応申し上げておきますが、私は両方推しているし、なんなら軸足はどちらかというと櫻坂に置いている人間、もっと言えばあなたと同じケヤヲタです。亡霊などではなく、今でもそうです。

 

私は兼推しではあるものの、どちらかというと欅坂櫻坂に軸足を置く人間ですが、それでもこのゴリゴリの原理主義というものは実は大嫌いです。自分の信じるものを絶対視するのは勝手ですが、相手のことを知ろうともしない、信じるもの以外は無価値であるという態度に見えてしまって非常に不快です。

 

みんなで笑いますか!ワハハハハハ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

これを書いている時点で、W-KEYAKI FES.2022 DAY3直前。

日向坂のカタミラは、またあるのか否か。

いや、その他の漢字欅楽曲の可能性もある。

 

 

 

 

大いに結構!

 

自分たちは欅の木の一部であると、大々的に示せばいい。

櫻坂46の分まで。

 

 

 

 

そして時が来れば、櫻坂メンバーによるひらがな楽曲、そして漢字欅楽曲も観たい。観たいに決まっている。

 

 

 

 

 

 

この想いを背負って、私も明日富士山麓に降り立つ。

 

 

 

 

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それでも坂は続くんだーW-KEYAKI FES.2022、櫻坂46公演中止 2022年7月21日付

 

第一報を聞いたとき、ひどく冷静な自分がいて驚いた。

 

ずっとずっと、心のどこかにその可能性を感じていながら、ある意味わざと蓋をして、見ないようにしてきた。

それでも、ここまで陽性反応が増えてきて、どうにも無視できない気がしてきたので、敢えてツイートでそのことを書いた。

 

 

真っ先にその報を受けて、頭に浮かんだのは、陽性反応が出てしまった5人のメンバーの体調はどこまで悪いのか、ということだった。

というか、誤解を恐れずに言うのなら、それが最初に出てこないのに何が推しメンだ、推しグループだって話じゃないだろうかと。

誰かのことを好きになるということは、自分のこと以上にその人のことを考えてしまうのが特徴じゃないのかと。

中止が残念だ、なんて後からでも言える。ましてグッズがどうとか、そんなの何よりも先んじて声高に叫ぶことか。

もちろん、私だってそうだからわかるけど、遠方からの参戦組はこれで決断が迫られる。ホテルや交通機関の確保も終わっているはずなので、キャンセルするか、予定どおり当日行くか。そして、早く決めないとキャンセル料という現実問題に直面する。

わかってる。大事なことだ。

 

でも、推すってそういうことでもない気がするんだよね。

 

自分のことを投げ打ってでも推しのことを考えたいし、推しの幸せを願いたいし、推しが苦しんでたら代わってあげたいと思うのが筋なんじゃないかなと。そこで先に自分が出てくる人は、実は推しメンじゃなくて自分が好きなんじゃないかと。

 

 

 

 

謝らないでほしい。私たちはそう願った。

Nobody's fault

誰のせいでもない。

これだけの陽性者数になって、それでもここまで一人しか陽性反応を出さなかったのは、本当に奇跡に近いのだ。

 

彼女たちの責任でもないところで、彼女たちが謝っている姿は本当に胸が締め付けられる。

 

 

 

でも、逆に私たちは、彼女たちの立場として、何か大事なことを忘れていないかと問いたい。

 

この場合、彼女たちから謝罪の言葉を奪ってしまったら、おそらく彼女たちは発信すべき言葉を失ってしまうのではないか。

何かを私たちに伝えたい。でも謝ってはいけないのなら、何を発信したらいいのかわからない。

ただでさえ体調が悪化しているかもしれないときに、そういう想いを抱かせ、余計苦しめてしまいはしないだろうか。

 

確かに、謝罪の言葉を聞くのは辛い。けれど、謝らないで、というのも実は彼女たちのことを考えているようで、その言葉を聞きたくない自分のために放つ言葉なのではないかと思うに至った。

 

 

 

 

公演前日に、コロナの陽性反応。

そこには自分たちの悔しさは当然あるとして、Buddiesへの申し訳なさがやはり大きな面積を占めたようである。

だからこのことで、メンバーを恨んだりする、そんな人はBuddiesに一人もいない!という意味もあったのが、以下のハッシュタグであった。

 

 

私の発案ではなく、これを書いていた方に乗っかっただけではあるけれど、かつてTwitter上で席巻した「#いつもありがとう欅坂46」、これと同じ内容で、このときとばかり普段の感謝を伝えたくなった。

 

 

 

そして、トレンド1位を獲得。

 

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まさにあのときと同じ感覚。

 

 

そしてこれが、メンバー・スタッフにもしっかり届いていたという事実がそこにあって。

 

 

 

 

 

 

綺麗事だと言われるかもしれない。

だいたい綺麗事だと言って批判する人って、人間はもっと汚れている、もっと自分勝手に生きているもんだって思っている人が多そうだ。

そしてそんな人たちから見ての理想論は、嘘をついているようにしか見えないのだろう。それでも放っておけばいいものを、そうやって噛みついてくるということは、深層心理で実は綺麗事に囚われているような気もするのだ。

 

綺麗事ついでに、もっと綺麗事を言う。

綺麗事を理想と呼ぶのなら、世を変えていくのは理想である。

現実はこんなものだからと、その現実を受け入れている自分が正しいと思い込んでいるだけで、そんな人には明日も明後日も同じ日々がやってくる。

 

そして生涯を閉じる。

 

 

 

私はそんな人生はまっぴらごめんだ。

 

 

 

そう考えると、まさに欅坂46の存在そのものが、世の中のアンチテーゼとして出現し、現実を受け入れすぎている人たちに対して「君は君らしく生きていく自由があるんだ」と謳った。でも時を経て、その頃の未来あるはずだった子どもが大人になり、社会で揉まれていく中でやはり量産型の「大人」と呼ばれる、現実に迎合し、理想を謳う人に対してやっかみを抱く人になる。もしあの当時、そんな人たちが欅坂を推していたとしたら、その頃の情熱はどこへ行ったんだと実に嘆かわしくなる。

 

人が誰かのことを思い、それに対して心から感謝の念を抱く。

そしてまた、立場を変えて同じことが行われる。

人間に感情がある以上、負の感情ももちろんあるかもしれないけど、そういう心のやりとりがあるのは当然ではないのか。

何より、そんな負の感情に囚われて毎日を過ごして、楽しいのか。

 

 

#いつもありがとう櫻坂46

 

またたくさんの皆様がそのタグでTwitterを埋めた。

 

そして、伝わった。

 

 

ちゃんと繋がっている。

そのことがわかっただけで、もう十分だ。

 

こういうことには慣れている、とは言わない。慣れるものでもない。

まして、遠方から向かう人、私もある意味その一人だけれど、22日のDAY2に向けて準備していた人、既に前乗りしていた人もいるかもしれない。直前すぎてキャンセルもなかなか難しいという状態に置かれているかもしれない。そして、おそらくメンバーはそのことをかなり気にしているように見える。

 

ただ一つ言えるのは、こういう逆境に置かれれば置かれるほど、メンバーと私たち、スタッフも含めたグループとBuddiesの繋がりが強固になっていくように感じるのだ。

順風満帆に物事が進めば、確かにそれに越したことはない。だけど強度を増すのはやはり、逆境であり、それを乗り越えたときなのだ。

 

 

 

 

大丈夫。

 

まだまだ坂は、道は、続くのだ。

 

 

 

 

 

忘れ物を取りに行くときは、今以上の大きな存在となって。

 

 

 

 

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強さの種類ー櫻坂46「摩擦係数」MVプレミア公開を受けて 2022年7月13日付

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世の動きと芸能活動は、同じ世界線で動いている。

実に当然すぎるくらい当然の話だけど、世界中を震撼させた、日本発のあの事件から、数日。

あの日に公開されるはずだった、櫻坂46「摩擦係数」のMVが、7月13日に公開された。

 

先日の「そこ曲がったら、櫻坂?」放送内のCMで、この曲が流れた。おそらくMV公開があった前提での番組内CMだったと思うので、図らずもMVの公開が延期となったことで、このCMが初公開となった。しかも、それもサプライズのように流れたものだから、いつも以上の深い時間帯にもかかわらず、TLはざわめいた。

 

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強いからだ。

 

いや、今更な話ではあるけれど、今まで櫻坂が魅せてきた強さとは少し違う。どちらかというと、欅坂の強さを彷彿とさせるものを感じた。少なくとも私はそう感じた。

それは、おそらく曲調や歌詞に影響された部分はあったはずだ。だが、その原因をじっと探っていくと、MVの画角もさることながら、やはりメンバーの動きや表情に帰結する。

そして、矛盾するようだけど、それでいて欅坂の頃に魅せた強さとも一線を画するものが垣間見れた瞬間も多々あった。

 

 

強さには種類がある。

 

 

一般的に強さというと、例えば視線が鋭いとか、目力があるとか、もっと野暮ったくいえばケンカで勝てなさそうとか、上から下までイメージはいろいろある。欅坂時代から続く強さ、というのは、どちらかというと、負けない、負けたくない、負けられないという意志が滲み出ている、意地でも負けたくないというところから来る強さだったように思う。それも、何に対してか。他人の横槍など、自分の尊厳を傷つけられるようなことに対しても負けない、自分をブレずに持っておきたいという強さ、だったかもしれない。そしれそれを真ん中で体現していたのが平手友梨奈だった、ということ。

平手から感じ取る強さの最大の特徴は、インパクト。世の人々の心に刺さるのだ。それも深く刺さって抜けない。それくらいの爪痕を残す強さがあったのだ。平手は強いだけではない。弱さも見せた。にもかかわらず必死で戦いぬく場面が印象に残るということは、強さ、というよりももしかしたら、強くありたいと願う、己の弱さとの戦いを前面に出したからかもしれない。誰しも持っている、弱い面。これに打ち克とうとするのに、必要な強さ。

 

一方で、櫻坂46が魅せる強さは、種類を異にする。

 

一言で言うならば、しなやかさだ。

 

大木は、幹がしっかりしていれば確かに簡単には崩れない。しかし、大風が吹いたときには、その脆さを露呈する。折れまいと頑張れば頑張るほど、根本から折れる。柔軟性がないからだ。どうすれば木は折れないか。風に合わせて「しなる」こと。風に抵抗せずに同じ方向に身を任せることで力を削ぐ。風が収まれば元に戻る。そのしなやかさこそ、強さ。

 

何かに対して必死に抵抗し、それを見せることで強さを演出することもあっただろうし、それも間違いではない。そんな欅坂を戦ったメンバーが一歩ずつ大人になり、大人としての強さを身につける。正面突破だけではない。相手の力をうまく利用してそれをバネにして自分の思い描く方向へと相手を導く。この巧みさ。知らぬ間に相手が術中に嵌まっている、という強さが実に憎たらしく、そしてこの上ない甘美な味をもって存在する。

 

この「摩擦係数」MVからは、メンバーのそんな強さを感じた。

自分だけが必死で戦うのではない。どんな戦いでも勝てるという自信。余裕。相手に合わせる形であっても勝利するだけの、今までの経験に裏打ちされた自信である。風に身を任せて、抵抗せず、それでいて風が収まれば凛としてそこに立つ。そんな自信である。そんな強さである。

誰がなんと言おうと構わない。自意識過剰になる必要なんてまるでない。

己の信じた道を行け。

己の信じた道を行く、それは強くなければできることではない。

 

 

 

 

「野生と理性」がテーマだと聞く。

人間が本能の部分で求めているものを表現したのが森田ひかる、それを理性で抑えながら、実は静かなる闘志で蒼白い炎を燃やす、そのことを表現したのが山﨑天。

どちらも強い。

共通する因子は、負けないこと。

前に出る野生と、客観的に見て最小の労力で最大の力を発揮する理性。

二人の表情と動きは、如実にそのことを表していた。

 

 

 

 

その山﨑天は、かつて櫻坂46を「変化ではなく進化」と言った。

 

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一つの側面として、欅坂よりも「進化」したのは、彼女たちが身につけた「強さ」の種類だったのかもしれない。

とはいえ。

いくら強さを強調したところで、彼女たちだって本当は普通の女子である。

身を削られるくらい辛さに身を焦がす日々だってあるはずだ。

でも、そんなことを噯にも出さないこと、それも強さである。

自分の大切な人に対して心配をかけまいとする、そして自分でその辛さを引き受けようとする。

その人に対する愛情とともに、その決断そのものが強さなのである。

もちろん、強ければいいという話ではない。

弱い面を見せられる人が、彼女たちにも誰かいてほしい。

本当の自分を見せられるからこそ、それ以外の場所で強くなれるのだろうと思えるから。

 

 

 

 

 

 

ファンというのは、どのグループだろうが、どの芸能人だろうが、自分が推していることの正誤の判断がほしいときがあるという。

それはつまり、主観的すぎることへの危険性を無意識で察知するからだろう。

櫻坂46然り、日向坂46然り、ずっと彼女たちを推していてどこまでが正しいのか、どこまでのことをやるのが正しいのかと苦悩する場面は少なからずある。

 

でも忘れてはいけない。

櫻坂46は、欅坂時代に相当の批判を受けてきて、それでもまだ見ていない景色を見たいと願い、その場所に残った者たちで結成されている。

信念がなければ、できることなのだろうか。

 

そんな彼女たちが表現者として魅せるものを、私たちはどうやって捉えて差し上げるのが正解なのか。

いや、そんなものは存在しない。

捉え方は多種多様な方がいい。賛否両論ある方が、健全である。

敢えて言うなら、全ての捉え方が正解、ということだろうか。

 

摩擦係数とは、物体と地面の滑りにくさを表した、とも言われる。

物事はスムーズにいけばそれに越したことはないが、もちろんそんなことは多くない。

滑りにくいのは、世の常である。

異端と呼ばれたアイドルという名の物体と、旧態依然とした地面である世の中の摩擦係数は、相当滑りにくい数値となるはず。

 

 

それでも真っ直ぐ前を向いて、そんな滑りにくい世間を突破しようとする彼女たちを、応援しない理由がどこにある。

 

 

 

 

 


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