やはり世の動きと無関係ではいられない芸能活動ー櫻坂46「摩擦係数」MV解禁延期 2022年7月8日付
本日7月8日(金)22:00〜櫻坂46 OFFICIAL YouTube CHANNELにて公開を予定しておりました「摩擦係数」のMUSIC VIDEOですが公開を延期させて頂きます。#櫻坂46https://t.co/Z1m9IUdJFW
— 櫻坂46 (@sakurazaka46) 2022年7月8日
私は学習塾で文系の科目を担当しているが、中学生に「社会」という科目を教えるときは、他の科目にない特異性をよく感じることがある。
まして中学3年生に教える範囲は「公民」。扱うのは憲法・政治・経済・国際の4分野だ。
とすると、教科書やテキストに書いていることだけではなく、今の世の中で起きていることと無縁でいられるはずがない。英語や数学で時事問題を扱うことなど殆どないだろうが、社会はそういうわけにいかない。
そうすると、そこから一人一人の生き方、大人とは何ぞや、大人として生きるとは何ぞやという、おおよそ保護者から学習塾が求められていないような話にまで及ぶこともある。
ご存知の方も多いだろうが、2022年7月8日、本日近鉄大和西大寺駅ロータリーにて、参院選の選挙遊説中だった安倍晋三元首相が、二発の凶弾を受け、懸命の救護活動も実らず、その後亡くなった。
このブログは、櫻坂46日向坂46を心から応援しようという趣旨のブログなので、世の政治的社会的なことを取り上げるのは趣旨に反する。いい悪いでも、正しい間違ってるでもなく、ただ一点「趣旨と違う」ということである。
それに、政治信条の話や社会的動揺の話をすると、その主義主張と違う人たちからのツッコミを呼びそうで、それこそ全く趣旨と違ってくる。だから敢えて一切そこに触れてこなかったのである。
ただ今回はそういうわけにもいかなくて。
それは、櫻坂46が1stアルバム「As you know?」収録曲「摩擦係数」のMVを解禁する予定の日だった、という関係性があるからだ。
こんなときにアイドルグループのMVがどうのとか言ってる場合か、というお叱りももう十分承知してこれを書いている。
安倍元総理の訃報を受けて、世の中はやはり動揺が続いている。
その亡くなり方があまりにも衝撃的だったから、なおさらだ。
当然世の中がエンタメに向ける視線は厳しくなる。
軒並みエンタメ関係は休止延期の措置をとった。
偶然、本当に偶然にこの日にMV解禁を予定していた櫻坂46運営がどういう判断をするか、少なくとも我々は注目した。そして、冒頭のお知らせになる。
このときのTLも見させてもらっていた。
日本の要人が襲撃される、民主主義の根幹が揺らぐそんな日に、ミュージックビデオを公開したところでファンは楽しめない。仮にそれがトレンド入りでもしようものなら、グループが叩かれる。或いはメンバーが叩かれる。そんな姿は見たくないので延期が相当。
という意見。そして
こういうときだからこそ、エンタメが人々の心を潤せる。全員で気が滅入ってしまう必要はない。そもそも、要人が襲撃されたから自粛するなど、人間の命に優劣をつけているようで不快だ。予定どおり解禁すべき。
櫻坂を推す人たちでも、意見が分かれた。
どちらの意見も一理ある。
ファンとしてMVが観たい気持ちは、ファンならば誰でも同じだ。ただ個人的に、正直な話を言えば、今日公開されていたとして楽しめたかと言われれば、疑問符は確かにつく。
YouTubeのコメント欄、おそらく、いや間違いなくこの日に公開したことを批判するコメントは来るだろう。そんなコメント欄は、メンバーも見ていることを以前から公言している。当然全力を尽くした楽曲制作において、ある意味彼女たちの責任ではないところで批判されてしまうのは、私たちとしても避けてほしいと願うところ。
だからこればかりは、私たちが公開賛成反対とそれを声高に叫んだところで、その後に起きる事態に対して責任が取れるかどうかをリアルに考えられるのは運営だけなのだ。だから、少なくとも私は運営の判断を尊重したい。
英断だ、とか、賢明な判断(Twitterで「“懸命な”判断」と誤字になっているツイートが多くて驚いたが)だ、とか、そんな上から目線なことは私には言えない。ただ、下す決定を尊重する、ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、アイドル活動といえど、世の中の動きと全く切り離されたところで行われているわけではない、ということである。至極当然の話ではあるけれど、意外と推し活をしているとそのことを忘れることがある。リアル生活と切り離したいという願望があるのかもしれない。それでも、やはり繋がっているということをまざまざと思い出させてくれる。
欅坂から櫻坂を推している人たちにとっては、何度かそういう場面に出くわす。
AKB48を推している人たちもそうだろうが、あの忌まわしき握手会での出来事もその一つだ。
世の中の動きと、全く切り離されているわけではない。ファンタジーではない。メンバーも私たちと同じ人間で、同じ血が通い、同じ時を生きている。
だから、こういうことが起きたときは私たちにできることは何もないと思っている。運営に任せるより他はないのだ。その運営が延期する、と言ったらそれしかない。
いい悪いは別にして、そのリプ欄にはこんなツイートもある。敢えて貼り付ける。
ごめんなさい、なんでって思ってしまいました。
— たるたるちきん (@tarutaruhinata) 2022年7月8日
関連性ないって思ったから...
なぜMVの公開を延期するんですか?
— ひかる (@jugemal) 2022年7月8日
私はこれらのリプを、批判したいわけではない。こういう声があることを知るのも大切なことだと思うのだ。
特に下の方は、疑問調で書かれているが、本当にご存知ないわけではなく、理由がそれだろうとご存知の上で書かれている。命の優劣をつけているように見えてしまう、言われてみればそう見えても仕方ないかもしれない。
その是非は私には判断しかねる。ただ、延期の最も合理的な理由としては、やはり単純にこの状況でMVが出ても楽しめない、そして何よりグループやメンバーへの批判を避けたい、という思いが上位に来るのだろう。「なぜMVの公開を延期するんですか?」私なりに考えたとき、その答えはそこしかないような気がする。
こちらがいかに関係ない、と思ったとしても、そういうツッコミを入れる人はいる。おそらく、必ずいるだろうと私は思っている。
情緒面での問題。
受けなくてもいい批判は、予期して避けることができる。
人の命は、とか、人生とは、などと言い出すと、また全然趣旨が違ってくるとは思う。
安倍さんのことをここで語るのも、また何か違うだろうとは思う。
それでも一つだけ言えること。
それはやはり、握手会の場所でメンバーが襲撃されかかったグループの、ファンだから言えることでもある。
たとえどんな理由があろうと、人を殺めて事を解決しよう、もっと言えば、自分の念を貫こうとするのは、断固として間違いであると。
そうでなければ、自分の思いに反する人たちはそうやってしまえばいいという、それこそ恐怖の世の中が誕生してしまうのだ。
私は、絶対に今日という日を忘れない。
テロ行為と、そのために一人の人間の命が奪われたことと、その余波を受けた人たちがいたこと。
一寸先は闇。
— 🌸🎨🧢🏦 川 島 雅 隆 ◢͟│⁴⁶ 🌳🐴🗒☀️ (@hiroty0526) 2022年7月8日
今すべきことは今したほうがいい。
明日は何が起きるかわからないんだから。
中3の授業でそんな話をした。
みんな真剣に聴いてた。いつも以上に、子どもたちの将来を想い、いつも以上に愛しく思えた。
安倍晋三元首相のご冥福を心よりお祈り致します。
櫻坂46に配属された2期生はいないー「ラヴィット!」のテロップミスをもとに、櫻坂の歴史を振り返る 2022年7月6日付
/#はみ出しラヴィット !
— TBS『ラヴィット!』 (@tbs_loveit) 2022年7月6日
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OA直後の #櫻坂46 #大園玲 さんを直撃🎤#新ラヴィットファミリー#ゾノ#メモ #空手早食い肝試し#敵が見えない#初めて見る技#ネギギャグ#書けるかーい#食べれるかーい#よろしくお願いします!
TVerでも放送をご覧いただけます!https://t.co/kVxckJT8PC pic.twitter.com/KITnVRbLqk
改めて推しメン玲ちゃん、「ラヴィット!」シーズンレギュラーおめでとう。
この番組は全てがうまく回っている。何がいい、と一つだけを取り上げて言えないくらい、全てがうまく機能している。その中で、当然芸人さんも生き生きしているし、そこに入ってくるアイドルも持ち味をしっかり発揮していると感じる。
そこへ、玲ちゃんも魅力持ち味の塊だ。
どの引き出しを使ったとしても、必ずいい方へ持っていってくれると信じられる。
緊張はもちろんあるだろうけど、思う存分発揮してくれればいい。
メモも空手もいい。その上で、頭の回転の速さをさらに出していってくれればいいなぁと心から願って。
さて。
彼女のせいでは全くないのだけれど、やはりどうしても気になったのは、この件。
なんかね、自分でも自分がヤダなぁとは思う。
人の揚げ足とってるみたいで、とても細かい指摘をしているようで。
ただね、おそらく運営は何も言わないだろうけど、なんていうか、グループの名誉に関わることだとも思うので、誰かが言っておかないといけないような気もする。
確かに、櫻坂46は、2020年に結成されたグループではある。
その櫻坂の前身が、欅坂46であったということも、このブログをお読みいただいている皆様にとっては今更である。
ただ世間的には、今でも欅坂46だと思っている方もいるし、そんな方々は櫻坂46の存在を知らない。改名再デビュー1年半、自惚れてはいけないのは、そんな人々もたくさんいるのだということ。推しているとそういう客観的な目をどうしても忘れがちになる。
それだけ欅坂が世間に与えたインパクトが強かったということでもあるのだけれど…
時系列で言うと、2020年というのは彼女たちにとって、この上ないくらい波瀾万丈の一年だった。
もちろん世間のコロナ禍が本格化した年でもあり、徐々に活動が制限されていって、もとよりあった欅坂のグループ停滞とそのことが二重になり、とても舵取りが難しい時期でもあった。
2020年1月23日。
国立感染症研究所によると、東京都内で初めて新型コロナウイルス感染者が確認されたというこの日。
欅坂46を推す者としても、忘れえぬ一日となった。
おそらくグループにとって、メンバーにとって、そして私たちにとって心穏やかではなかったこの日から、約1ヶ月後。
2020年2月16日。
そんなグループに新しい風を起こすべく加入してくれたのが、新二期生6名だった。
坂道研修生配属のSHOWROOM。その場所にキャプテン菅井友香、そして大園玲がいた。
話を主題に戻すと…
つまり「大園玲が加入したのは、欅坂46だった」ということ。
ここから彼女を含めた新二期生は、おそらく大変な毎日を過ごすことになったはずだ。
コロナ禍が本格化し、欅坂に限らず、芸能人アーティストの皆さんが通常の活動を制限される。そもそもグループ活動が停滞していた欅坂にとっては、痛手どころの話ではなかった。
自分達に何ができるかわからない。グループに所属しているのに、グループの力になることができない、と感じたことも多かったに違いない、そんな日々。
そして…2020年7月16日。
あの日を、迎える。
坂道研修生が、配属されてからこの日まで、たった5ヶ月。
渋谷のビジョンに、改名後のグループ名が突然発表されたのが、2020年9月20日。
世に「櫻坂46」という名前が出たのは、この日が最初である。
欅坂46としてのLAST LIVEは配信のみだった。
こんな大切な日を、会場で見送ってあげられなかったことは、ずっと私たちの心に棘として引っかかる。
それが、2020年10月13日。
欅坂としての活動に幕を下ろした直後、突如「櫻坂46」が私たちの眼前に現れる。
既に、その場所に大園玲はいた。
そんな櫻坂46が1stシングル「Nobody's fault」をリリースしたのは、2020年12月9日。
まとめると
2020年1月23日 織田奈那・鈴本美愉卒業、平手友梨奈脱退、佐藤詩織活動休止
2020年2月16日 坂道研修生6名、欅坂46加入(大園玲はここで加入)
2020年7月16日 欅坂46、活動休止・改名を発表
2020年9月20日 改名後のグループ名を「櫻坂46」と発表
2020年10月13日 欅坂46、THE LAST LIVEを持って活動休止
2020年10月14日 櫻坂46活動開始
2020年12月9日 櫻坂46、1stシングル「Nobody's fault」リリース
長々と歴史を振り返ったのはなぜか。
欅坂と櫻坂の関係性を、より世間に知ってもらいたかったからである。
つまり「櫻坂46に2期生が加入した」という事実は、ないのである。
たかがテロップ。
されどテロップ。
何度も言うけれど、もちろん世間的には細かい話なのだということは理解している。それでも、私たちにとって大切にしたい歴史、それもちょうど時代の移り変わりの部分の歴史なのである。
もう一度言う。
たぶん、誰かが言わないといけないこと。
ラヴィット!さんには本当にお世話になっています。
だからこそ、こんなことを申し上げるのは、とても心苦しいことではありますが…
櫻坂メンバーをご起用いただけるのならば、知っておいていただけると幸いです。
推しメンは、あの番組でどんな色を放つのかー櫻坂46・大園玲、「ラヴィット!」水曜シーズンレギュラー決定 2022年7月5日付
櫻坂46・大園玲『ラヴィット!』7~9月の水曜レギュラーに 初出演で抜てき(写真 全2枚)https://t.co/yfd2YjUUl3
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) 2022年7月5日
#大園玲 #櫻坂46 #TBS #ラヴィット @tbs_loveit
「ラヴィット!」水曜といえば、先日までシーズンレギュラーを務めていたのが、日向坂46の推しメン・富田鈴花だった。
いや、彼女だけでなく、各曜日一斉にシーズンレギュラーが入れ替わる時期で、アイドルグループを推している人にとっては気が気でない時期ではある。
それにしても、同じ曜日で推しメンから推しメンへのレギュラー移行が行われるとは、全く思っていなかった…
櫻坂46・大園玲、「ラヴィット!」シーズンレギュラー就任決定。
(Wikipediaより)
各曜日にアイドルグループからのシーズンレギュラーがいるのかと思いきや、知らない間に月曜と水曜だけになっていたらしい。ということは、かなりの狭い枠の奪い合いだ。坂道だけでなく、いろんなアイドルグループがいる。水曜は玲ちゃんであるが、月曜はずっと乃木坂メンバーが務めていたところ、モーニング娘。のメンバーになったと聞いた。よくその狭い枠に推しメンが入れたものだと本当に感心したし、心から嬉しい。しかも、天ちゃんやゆみちゃんのように、ロケゲストで出演したこともなかったはずだ。
櫻坂に限って言えば、過去「ラヴィット!」のレギュラーだったのは、守屋麗奈・田村保乃の二人である。そしてこの二人が、「ラヴィット!」卒業後に、明らかにバラエティのスキルが上がっていることは特筆に値するのだ。
二人とも、番組が求めるものをしっかりとこなし、やりきったからこそ次へと繋がったのである。そして、自らのスキルアップまで果たした。そういう意味でこの番組には感謝しかないのだ。
さて、となると、番組側は我が推しメンに一体何を求めているのか、という点は気になる。
ほのやれなぁとはタイプが違う。違うけれど、存在感の残し方は秀逸だ。
一見クールに見られがちだけど、全般的なセンスの高さがあり、絵画方面、言葉の選び方、理性を駆使した冷静さと頭の回転の速さ。
でも、その実は心に熱いものを持っている情熱家の面もある。
そして、何より誰にも気づかれないようなボケを発揮したがる一面もあって。
アイドルの素材としては、今まで番組にいなかったタイプかもしれない。それだけに、どういう役割を担ってほしいのか、初回の放送で垣間見ることができるだろうか。
櫻坂にはこんなメンバーもいるのだと、朝の生活時間帯の皆様に知らしめてほしい。
川島氏を始めとする芸人の皆様は、玲ちゃんをどんなキャラクターに育ててくれるのか。
そしてこのレギュラーが終わった後、玲ちゃんがどんなバラエティメンに成長しているのか。
推しメンから推しメンへのバトン、ぜひ楽しみにしたい。
…数時間後に、その1回目は早くもやってくる。
反応に対するほんの少しの違和感ー櫻坂1stアルバムジャケットアートワーク公開 2022年7月4日付
8月3日(水)発売の1stアルバム『As you know?』の完全生産限定盤、Blu-ray付、通常盤ジャケットアートワークを公開致しました📸
— 櫻坂46 (@sakurazaka46) 2022年7月4日
ぜひご覧ください🌸#Asyouknow#櫻坂46https://t.co/FTA3FveL1y
今朝、櫻坂46の1stアルバム「As you know?」のジャケットアートワークが公開されたことはもちろん知っていて、それが上記である。OSRINさんの言葉にもあるように、確かに初めてかもしれない彼女たちの満面の笑顔のジャケ写、これはとても意味が深いものだと感じていた。それは欅坂時代を知れば知るほどその意味の深さを感じることができる。
初めて笑ってくれと伝えました、か…
— 🌸🎨🧢🏦 川 島 雅 隆 ◢͟│⁴⁶ 🌳🐴🗒☀️ (@hiroty0526) 2022年7月4日
OSRINさんにとっても冒険だったとは思うけど、この感じで形として残せるのはメンバーにとっても感慨深かったんじゃないかな。#櫻坂46 #Asyouknow pic.twitter.com/aXR1Rjh9sN
欅坂時代のジャケ写は、曲調や曲の世界観も含めて、あれで私には文句はない。
とはいえ、やはり笑顔でのジャケットも当然形として残しておきたい気持ちはあっただろうと推察する。
そういう意味では、笑顔が弾けるというのもまた、櫻坂としての彼女たちの象徴であるようにも思えるのである。
それはそれでいい。
このジャケットアートワークが出てから、或いはこの運営のツイートの後から、批判が殺到した。主に運営に対してのものだった。
かいつまんで言うと、ジャケットに写っていないメンバーがいる、どういうことだ、ということ。
そもそも、私も欅坂時代の運営には散々な目に遭わされたので、さほど信用していないところがあるのは事実だ。
櫻坂になってから明らかに変わってはきた。感謝をしている部分ももちろんある。でもそれを覆い隠すくらい、欅坂時代の運営の所業は凄まじかったのだ。
それに、櫻坂になってからも疑問を呈したくなる事象もなくはない。
まして推しメンに絡めた話になると、やはりその気持ちが大きくはなる。それはもちろんわかる。自分もそのことでいろいろ運営に言いたいことは過去あった。
推しメンがジャケ写にいなかったら、何か言いたくなるのが当然だ。
そこにどういうコンセプトがあって、どうして写っていないのか、説明してほしいと思うのもわかる。「全員で楽曲を届ける」って言ってたのは運営だろうが!というツッコミも、わかりすぎるくらいわかる。
欅坂時代から、ずっとこの「戦い」がある。ビジネスとしては、選抜と非選抜に分けてそれぞれで売っておきたいという考えだと思われ、メンバーや私たちは、どうしても欅坂のときの全員選抜が記憶にこびりついているし、それ以外はどんな美辞麗句を並べられても響かない。
そんなことは百も承知の櫻坂運営のはずなので、「全員を写さない」という選択肢をとるとどんな反応が来るかも知っているはずなのだ。にもかかわらず、こういう動きになった。
それを前提とした上で。
運営のツイートに吊り下げるリプ欄。貼るのもなんかイヤなので遠慮しておくが、「推しメンは見たいけど、グループのことは嫌いになりそう」というリプがあって、正直胸が潰れそうになった。
こんな、必要の有無がわからない「失策」でファンを減らそうとしていることが、もうあまりにも辛い。
だって例えば私たちがどうにかできる、そんな話ではないからだ。
気持ちはわかる。確かにわかる。
でも思いの丈をぶつける前に、考えてほしいことがある。
それは、「あなたの推しメンが、そんなあなたのリプを目にする可能性」についてだ。
推しメンを写してくれない、それならファンをやめる、というあなたのリプをだ。
推しメンが見られない、あなたの怒りがあって。
だから自分と同じように推しメンが傷ついている、そう思い込んでいると推察する。
ただ…これは個人的な考え方だけど、そこまで自分という推しメンのために運営批判をするリプや引リツをして、仮に彼女たちがそれを目にしたら一体何を思うのだろうか。
喜ぶのだろうか。
なんとなく、そこまで自分のことを思ってくれてる、ということへの感謝は持つかもしれないけれど、正直なところ、彼女たちが喜ぶような気はしないのである。
ましてや、運営の批判殺到の手際で、何の罪科のないグループが嫌われてしまう、かもしれない。
こんな悲しいことがどこにある。
以前にも書いたことがあるのだけれど、応援する側は、グループにつくか、メンバー個人につくかによって、スタンスや接し方が変わってくる。例えば、平手友梨奈を推す方々の中で、彼女が脱けたあとの欅坂、そして今の櫻坂を推している皆様というのは、どれくらいいるかわからない。その絶対数などわかるはずもないのだが、個人的には意外と少なそうな感じがしている。それは何故か。やはり平手友梨奈の圧倒的な個性に目と心を奪われている人たちなので、平手が脱けた後のグループにはさほど興味がないようにも思える。
推しメンがいるいない、それは確かに推している側からすれば当然最重要の話ではある。
けれど、批判覚悟で言うならば、全員が輝く、というのは、全員がジャケ写にいる、ということと同義だとは少し思えない部分もある。
なぜなら、アルバムは写真集じゃないからだ。
クリエイトする側は、言葉が正しいかわからないけれど、総合芸術として櫻坂46を見てくださっている、と思う。
応援する人にとっての推しメンが大切なのはもちろん間違いないし、よくわかる。写っていないだけで大切にされていない、疎外感を感じてしまうのもわからなくはない。
そんなこと私がわからないはずがない。
その上で、やはり違和感を感じざるをえないと、はっきり言っておきたい。
もちろんそれは、私自身が、櫻坂46というグループの箱推しであるからだと思う。
櫻坂46で、一つの生命体だと思っている。
その生命体の様子の一部が切り取られたのが、あのジャケ写なのだと解釈している。
だから、推しメンが写っていないから云々という意見に、違和感を感じてしまうのだ。
私だって、今でも全員選抜推進派だ。全員揃って櫻坂46。決まっているじゃないかそんなこと。
でもだからと言って、ジャケ写に写っていないわーわーと言って運営に恨み節をぶつけるのは、やはり何か違うような気がしてならないのだ。
アルバムの内容を知って、それでもまだ、あなたの推しメンが疎外感を感じるような出来ならば…
そのときでも遅くはないのではないだろうか。
運営は確かに変わった。でも危なっかしい。信頼に値するかと言われれば、まだ疑問符はつく。
その一方で、特に櫻坂になってからの総合芸術度は称賛すべきものになっている。だからクリエイターチームの皆様には全幅の信頼を置いている。サウンドクリエイトの部分も同じ。
だから敢えて。
私は今回の、ジャケ写に一部メンバーが写っていない、そのことへの運営への批判は控える。
アルバムは中身。
そこを、じっくり見たいと思っている。
コラムーLIVEでコールができるようになる日 2022年7月3日付
実は本日は7月6日である笑
毎日ブログを続けてはいるものの、何かの拍子で一日飛んでしまってたことに今日気づいた。
だから7/3分はコラムで。
コロナ禍から3年も経つと、LIVEは知ってるものの、スティックバルーンをポンポンと叩き、ペンライト振るのみしか知らないファンも増えてくる。
言うまでもないことだけど、それは本当のLIVEの楽しみ方ではない。やはりコール等、こちらが声を出すことで盛り上がり、その盛り上がりでカタルシスを浄化する効用もあるはずだ。コロナ禍だから仕方ない、と言ってしまうと何も言えなくなるが、このまま続くとLIVEとはそういうもの、という認識が生まれそうで、それは違うと声を上げる必要がある。
もちろん、だからといって、マスク外しましょうとか、今すぐ声出し解禁しましょうとか、世界標準に日本も合わせましょう、とまではまだ言えないジレンマがある。
ブログもそうだけど、他人様の意見は本当に様々で、Twitterだと今まで自分が接したことのないような意見に出くわすことがある。
サッカーの声出しの件、ヤフコメのほとんどが「ルールを守らないなら処罰は当然」「海外は声出しを許されてるとかそうゆう問題じゃない。日本では声出し禁止がルールなんだから守るのが当然」ばっかりで朝から絶望的な気持ちになったわ…
— nyankoro (@nyankoro1017) 2022年7月6日
決められたルールならそれがおかしくても従うのが当然って…
ルールは守るべきだという、至極わかりやすい意見があって。
それに対し、明らかにおかしなルールなら従う必要はない、という意見があって。
どちらが正しいとかそういう話ではなく、一昔前なら確かに同調圧力で(そんな言葉すら存在しなかった気がするけれど)「ルールは守りましょう」一辺倒しかなかった。そのルールがおかしいかもしれないという考えそのものがなかった。
まぁ個人的には確かに一理あるような気もする。
とはいえ、ちょっと考えてみたいのである。
ここに、誰が考えてもおかしい、というルールが存在するとする。
誰が考えてもおかしければ、世界標準に照らし合わせても、合理性があるとは言えないルールだとする。
ではそのルールは、守らなければならないのか。
ルールは破るために存在する、と誰かが言った。
でも、そもそも自分が変だと感じるからといって、ルールは守らなくてもいいとなると、世の中が大混乱に陥る。
守らなくていい理由、それが「ルールがおかしいと感じるから」というのはあまりに恣意的すぎるし。
「国際標準じゃないから」というのも、何でもかんでも全て世界が正しいという考え方も、それはそれで怖い。
そもそもコロナ禍、最初のときからずっと思っていたのだけれど、終わりをどこに設定して動き始めたのだろうかと。切羽詰まっていたから見切り発車した面があったのだろうとは思うが、物事を始めるときは本当は、終わりを想定して動くべきなのである。ましてこんな伝染病の類であるならば、一体どうなれば終わりということになるのか。それがわからないとずっと出口の見えないトンネルを突き進み続けるという、モチベーションの保ちようのない年月を過ごすことになる。
ゼロコロナなのか、ある程度感染者を抑えられれば終わりなのか、それとも重症者がいなくなれば終了なのか、それがあやふやだから人々の足並みが乱れるのは当然ではないか。
話を戻して。
LIVEでのコールとなると、大きな声を出すのが前提なので、これも握手会同様、諸々のことが全て解禁となったうえで一番最後に設定されるものだろうとは思う。実際、政府の方針との兼ね合いもあるだろうけれど、運営側がどのタイミングで声出しを解禁するか図っているとは思うのだ。ここ最近は、また陽性者が増えてきているらしいので、どう考えても二の足を踏みそうなところではあるけれど、今のままでずっと続けていこうと考えているような気もしない。
LIVEは尊い。
なにしろメンバーの最大の見せ場でもあるし、勝負の瞬間でもある。アイドルがアイドルとして、アーティストがアーティストとして最も輝くそのときなのであるから。
メンバーも当然ながら、最大の声援で応えてほしいと考えているに違いないのだ。
私たちだってそれは同じで、コールで彼女たちに応えたいという気持ちは当然強い。
お互いの需要と供給が一致しているのに、できない。
こんなもどかしいことがこの世に存在すると、50年生きてきて初めて知った。
企業として、このご時世でコロナのガイドラインに反するようなことをしてほしい、とは言わない。さすがに。
ただ、こういうことは、誰かが先陣を切らねばならぬのだ。
運営側が最も恐れるのは、声出しを解禁した結果クラスターが発生すること。百も承知である。
では、それを恐れるがあまり、この先永遠にスティックバルーンを叩かせるのか?
誰かが先陣を切るのを、じっと待つのか?
そんなLIVEで、コロナ禍であるからという理由で10000円近い、学生には支払いが厳しいような価格のチケットをこれからも売っていくのか?
国のガイドラインだから仕方ないと私たちに思わせたいのか?
コールは楽しいのだ。
私たちも、普段のストレス発散になるうえ、それでメンバーのステージにも熱がさらに高まる。コールがあることでメンバーのモチベーションにも効果がある。
確かに、スティックバルーンも、ペンライトも、一体感を演出するには必要なものだろう。でも、やはり自分の声に勝るものはない。
コールで声を出し、推しメンの名前を叫び、さらにその叫びに推しメンが応えてくれたときの感覚など、一生忘れられない財産になるかもしれないのだ。それほどの力がある。
陽性者を数えて、増えた減ったとやっているようでは、おそらく永遠に終わらない。
この3年で、あの自粛期間でさえも塾から配信するためにずっと出勤していた私から言わせれば、結局周囲にコロナが増えようがならない人はならないし、周りに濃厚接触すらいなくても、なる人はなる。基本的な感染対策さえしっかりしてるなら、批判覚悟で言うなら、後は「運」だ。そんな感じがしている。
LIVEで、コールが解禁される日。
その当日がやってきたとして、ステージには一体誰と誰と誰がいるのだろう。
一人でも卒業生が出ない段階で、その日がやってきてほしいと切に願うのみだ。
共通テーマは「自分らしく生きる」ー櫻坂46・日向坂46、隠れた名曲をパフォーマンス 2022年7月2日付
「THE MUSIC DAY」に出演した坂道シリーズの面々。私が知らない間にこんな企画が進んでいたらしい。
櫻坂は欅坂時代からのバキバキのパフォーマンスが一般層の目を惹き、日向坂は一糸乱れぬダンスで結束力の強さを見せつけ、もちろんそこに可愛さも組み込んでくる。そんなイメージが強いというより、そんなイメージを前面に押し出している気もするが、実はその歌詞がかなり含蓄があるというか、私なんぞが上から目線のようになってしまって申し訳ないけれど、聴いている人を惹きつけるのは歌詞の中身というのもあるはずだ。
櫻坂に関して言えば、それは欅坂の時代からそうだった。もちろん歌詞だけでなく、楽曲の強さ、メンバーの表情などのメッセージ性、そしてパフォーマンス。そこにジャケ写や衣装も加わる総合芸術だ。今でもそうなのだが、欅坂の時代から誰かの心に留まる、そのことを目指していたのは今更言うまでもない。
秋元康は、もちろん言葉を操ることを生業にしている人である。その操り方が常人とは違う、と感じることは多々ある。でも、その一方でどこか自分ともそう変わりはないのではないかと思わせられる部分も持っている。少なくとも私はそう思っている。もちろんそれは勘違いであろうことはわかるが、でも、誰にもできないことをあの御大がやっている、とも思っていない。
それはなぜかと言うと、秋元康の頭の中にしか存在しない世界だとするなら、誰も共感できないことになるからだ。それでは世間が見てもくれない。誰でもできそう、書けそうな世界でなければ、気にも留めてくれない。誰にもできそうで、誰にもできない。そんな極めてニッチな世界で勝負しているのが秋元康という人間だと私は思っている。
だから、感覚として、あれだけの雲上人のようになりながら、一般人の感覚を決して忘れてはいけないのだ。それは実に難しいことであると思ったりする。
櫻坂46の楽曲で、心に刺さった1位。
ゆいぽんだったか、「衣装も見えないようにアップになってます」みたいなこと言ってたけど、ほんのこれだけの衣装の端っこだけで何の曲かわかってしまう、そんな人たちをガチ勢と呼ぶんだよなぁ…😅
— 🌸🎨🧢🏦 川 島 雅 隆 ◢͟│⁴⁶ 🌳🐴🗒☀️ (@hiroty0526) 2022年7月2日
ガチ勢の私より😆#MUSICDAY #櫻坂46 #思ったよりも寂しくない pic.twitter.com/l1r7OSvUrA
企画とはいえ、おもさびが地上波で流れる日が来るとは、本当に思わなかった。
この曲、歌詞としては確かに一人でも意外と寂しくない、だから大丈夫、という歌詞ではあるのだけれど、実は最初から最後まで強がり一辺倒の歌詞、と取ることもできなくない。
でも、万が一そうだとしても、私はその生き方を否定したくない。強がることで自分を奮い立たせる生き方だってあっていいと思うのだ。
オリジナルは山﨑天センターではあるけれど、4th BACKS LIVEでセンターを務めたのは、増本綺良だった。
その前。3rdのBACKS LIVEでこの曲のセンターを務めたのは、守屋茜だった。
きらことしては、思ったよりも寂しくないと言わなければならないのだ。
いや、もちろん知っている。
あかねん卒業を知ったときに、泣いて泣いて泣き散らしたことも、知っている。
どうしても耐えられなくなったきらこを、田村保乃が抱きしめに行ったというエピソードも知った(『BUBKA』2022.8月号より)。
ただその時間を超えて、あかねん卒業を自分の中で消化するとき、どうしてもその寂しさに勝てないなら強がるしか方法はない。それを間違っているとは、私にはどうしても言うことができない。
本当に大切な人がいなくなったときに知る、心の奥底の寂しさ。
それを知る人のみが、この曲の世界を体現できるのだと思う。
そういう意味では、天ちゃんにとっても、たくさんの大切なメンバーの卒業を見送ってきた経緯がある。「思ったよりも寂しくない」と言うことで、そんな人たちを安心させなければならない。自分との別れを悲しがるばかり、ずっとその場に立ち止まっているなんて、去る人間にとってこれこそがまさにジレンマになる。
一方、日向坂46が披露したのは、上村ひなのセンターの「何度でも何度でも」だった。
日向坂こそ、明るく元気で爽やか、というのが世間的なイメージではあると思うのだけど、その内実は重厚である。
かなりガチめのメッセージソングは結構ある。
この曲は、他人と比較しても仕方ない、自分のペースで進もう、失敗したっていい、何度でもやり直せばいい、という詞をひなのが歌うことによって主に10代に向けられるメッセージソングだった。
ではあるものの、人間の弱い部分というか、わかっていてもやってしまうところが如実に表れている。10代だけではない。世で大人と呼ばれる人とて同じことだ。そしてこの曲を聴くにつけいつも思うのは、それこそまさに乃木坂櫻坂日向坂それぞれのファンこそ「他人と比較しても仕方ない」という言葉を肝に銘じるべきだということだ。
もちろん近しい存在はどうしても比較する。特に櫻坂日向坂はその誕生の経緯を考えても、どうしても比べてしまう。場合によってはメンバーですら、それをしてしまうこともある。
たまに私もブログで書く言葉だけど、やはり隣の芝生は青く見えてしまうのである。
それをそう見ないようにするためには、自らの努力が必要になる。
本当の敵は、そうやって相手をどうしても意識してしまう、己という存在なのである。
自分らしく、ということは、逆にいえば他者が介在しない、ということと同義だと私は感じている。だとすれば、誰かや何かと比較してしまう己の存在そのものが、乗り越えなくてはいけない壁なのである。
だとすれば、この2曲、何かが繋がっているような気がしてくる。
おもさびは、誰かに依存してしまいがちなところを、一人で、自分の足で歩いていく勇気を出してみたら、意外と寂しくなかったわけだし、何度でも何度でもは、自分らしく生きていく尊さを謳う。
つまりそれぞれの坂道には、それぞれの魅力があって、どちらが上とか下などないんだ。もっと言えば坂道だけでなく、全てのアイドルグループにはそのグループを構成するメンバーがいて、その人たちがきっと毎日努力して、そしてそのグループにしかない魅力を発信してるんだ。上も下もあるものか。それぞれがそれぞれで尊いんだ。
少しでも気に留まれば、短い時間でもいいからじっくり見てみよう。
そして、その人たちにしかない魅力に気づいてみよう。
そうやってグループを応援する裾野が広がっていくのだと思っている。
何より、櫻坂や日向坂にはこんな曲があるんだと世間に知らしめてくれた「THE MUSIC DAY」には、足を向けて寝られないくらい感謝している。
来年もどうぞよろしくお願いします。
改めて、櫻坂46オーディションを受けようか悩んでいる人へ 2022年7月1日付
7月に入った。
毎日ブログも、続けてきて丸2ヶ月か…
気づけば2022年も上半期が終了するという、この早さ。
毎年そうといえばそうだけど、この上半期もなかなか順風満帆にはさせてくれない日々だった。
さて…下半期は何が起きるのやら。
櫻坂46二期生に4万字ものインタビューを施した「BUBKA」。
精読中である。
よく生徒に、国語の授業で文章を読ませるとき、「読めたか?」と聞く。「読めた!」「意味わかった?」「わからん!」それは読めたとは言わない、という話をする。
字面を追っただけだ、と。
読めた、というのは、その文章にあるその人の伝えたいことが自分の中に入ってきて初めて、読めた!と言えるのだと私は思っている。勘違いでもいい。少なくとも、読んだけど意味不明だ、というのは読めたとは到底言わない。
4万字の中には、二期生の思いは確かに詰まっている。でもそれも、全てではない。怒涛の日々を過ごす中で、浮かんでは消えていった感情の端々を、思い出して言葉にしている部分だけが載せられているのであって、それで全てを知ったような気になるのは危険だ。でも、たとえそうであったとしても、精査は必要である。
だから、まだ軽々しく自分のブログに書くわけにはいかない段階。
もっと彼女たちの「言葉」と向き合ってみようと思う。
7月最初のブログは、締め切りが間近に迫ったオーディションについて。
一度オーデ開始のときに、個人的にではあるけれど、ヲタクの思いを書いてみたことはあった。
今度は、締め切り前に敢えてもう一度…
まぁ独り言なので、あまり気にせずに笑
私はずっと彼女たちを見てきているので、どうしてもそのグループの歴史から、その流れで出来上がったグループの空気とか、彼女たちが感じている使命感とか、やるべきこと成すべきことどうしても成し遂げたいことに対して、寄り添っていたいと思っている人間である。
確かに、そんな偉そうな立場ではない。
彼女たちに叶えたい夢があって、じゃあそれを叶えられるように力を貸してあげよう、などという立場ではさらさらない。そんな力は微塵もない、取るに足らない存在だ。
でも、夢を叶えたいと思って集っている彼女たちは、やはり尊い。
欅坂46として、ある意味ずっと尖った状態で走り抜け、世間的に大きなムーヴメントを起こしたものの、先駆者のいない道なき道を切り拓く大変さは誰よりも知っている一期生。
そんな彼女たちに憧れて加入したものの、最初は憧れの一期生とのギャップが埋まらず、しかも自分達がファンに受け入れられていないという空気を感じながらも、それでも地道に努力して現在の地位を築き上げた二期生。
同期である二期生が先に加入し、自分たちは一年近くも研修生として明日をもわからない日々を過ごし、それでも研鑽は忘れずに自分を磨いてきて、加入したら爆発的な個性でグループを彩ってくれている新二期生。
彼女たちが全て集ったあの頃に、今の結束感が想像できただろうか。いや、できなかった。何がどうしたらグループとしてまとまるか、全くもって誰にもわからなかったのが本音だと思う。年齢も、出身も、育った環境も違うこれだけの女性が集って、グループとして進んでいけるかどうかなんて、本人たちですらわかるはずがない。
でも、これだけ素敵なグループになった。
彼女たちは自分たちのことを考えると、自分たちを見る目というのが時にわからないこともあるだろう。だからこそミーグリやLIVEで、生で反応を見て、安心する。自分たちのやってきたことは間違っていないと確信する。そんな尊い時間が訪れる。
今、この瞬間。
櫻坂46が大好きで、憧れていて、或いは彼女たちに救われた、という人もいるかもしれない。だから自分も、今度は誰かの支えになりたい、自分が櫻坂に救われたように、誰かのそばで寄り添う形で力になりたい、そのために櫻坂のメンバーになってみたい。
でも、自分にはそんなことできるはずがない。どうせ応募しても受かるはずがない…
あなたは、そんなふうに思っているかもしれない。
或いは。
櫻坂46って…なんだろう?初めて聞いた。え?オーディション?やってるんだ…アイドルか…アイドルなんて今まで気にしてこなかったなぁ…でも歌やダンスは好きなんだよね…櫻坂か…欅坂とは違うのかな?え、乃木坂ってのもあったよね?どう違うんだろ?
というような方もいらっしゃるかもしれない。
そして、どこをどう辿ったのか、そんな悩めるあなたが、偶然に偶然が重なって、今私のこの文章を読んでいらっしゃる。不思議だと思いませんか。この巡り合わせ。何かのお導きかもしれない。
これも縁だと思って、少しだけ私の話を聞いて、このページを閉じてみても遅くないでしょう。
櫻坂46は、本当に素敵なグループです。
そこに集うメンバーも、なぜこれだけいい子が揃ったんだろうと思えるほど、私としてはどこに出しても恥ずかしくないくらい、胸を張って堂々と、「全員推しているグループです!」と言える。
個性も全然違うけど、でも一人一人にしっかりと魅力があって、いろんな方向から惹きつけてくれる。
それらが一つになったときに放つパワーの大きさたるや、誰にも負けないという自負がある。
これをご覧のあなたが、櫻坂のことをどれだけご存知か分かりません。
もしかしたら私以上に櫻坂のことを心から愛していると言えるくらいの方かもしれないし、名前すらほとんど聞いたことがないけれど、なんとなくアイドルグループに興味があるな、という方かもしれません。
でもそこに優劣など存在しない。
これはやはり運命だと思うのです。
あなたが一緒にやってみたい、そのグループの中で自分を輝かせたい、そして櫻坂46というグループを、一緒にもっともっと大きく強いものにしたい、いやよくわからないけれど目に留まったから、名前しか知らなかったけど、自分の中で気になってしまう要素があったから…
たとえそのきっかけが何であれ、心に何か引っかかることがあったとしたら、それは運命なのだと思うんですよ。
櫻坂46との、運命。
現実的には、確かに合格の確率は厳しい数字です。たとえ合格したとしても、その後に待ち受けているのは、アイドルという表面上輝いている部分は表向きの一部であって、そのほとんどはレッスンだったり自分磨きだったりという地道な日々。これに耐えていけるのは、本当に何か自分の中に芯がある人のみだとは思うんですね。
まして、このSNS全盛の時代。思ったことは何も考えずに発信できてしまう時代で、それに対する責任感の薄さとも戦わないといけない。あなた自身のそれももちろんのこと、世間の責任感の薄さとも。
有名になるということは、その存在を晒されるということでもあり、自分の知らない人にまで自分が知られるということでもある。向こうは自分のことを知らない分だけ、棘のある言葉を平気で言ったりする。そして、それを目にしてしまうことだってあるかもしれない。
それでも、自分が貫きたい芯があり、叶えたい夢があり、向かっていきたい目標があるから、今日もアイドルとして私たちの前に立ってくれる。
頭が下がります。
本当に凄いと思う。
アイドルは可愛い、とよく言うけれど、もちろんそれもあるかもしれないけど、そういう心の内側を考えると、強くてカッコいいしか私には出てこない。
あなたが、この先の人生を生きていく中で、自分を変えたいと願っているとして。
そのチャンスは確かにあるかもしれない。
でも、ないかもしれない。
この機を逃して、次があるかどうかは、誰にもわからない。
そうだとしたら、この機を逃して後悔しないと言葉にすることができますか?
もちろん合格すると、人生は変わります。
では、仮に不合格だったとしたら、あなたの人生が変わることはあるのでしょうか。
もしあるとすれば、それは…
「櫻坂46のオーディションを受けた」という箔がつく、という変化ではないですか。
確かに合格はしなかったかもしれない。
でも何かに自分から挑戦しようと思った。そして実際に挑戦した。
そのことは紛れもない事実としてあなたの人生に刻まれます。
そして、一年後か、十年後か、それはわかりませんが、もしかしたら何かの機会にこの挑戦があなたの人生を変える後押しになるかもしれないのです。
挑戦しなければ、それもない。
あなたはきっと素敵な人だ。
あなたはそのままできっと素敵なんだと思います。
その人生を、さらに素敵な人たちが待つグループで、誰かに夢を与えるために時間を使ってみませんか。
そして。
もし縁あって合格して、櫻坂46の一員になったとしたら。
このグループで自分を、そしてみんなで高みを目指したいと願うなら。
改めて言います。
私はあなたを全力で推させてもらう。
そのことを誓いたいと思います。
櫻坂46を推す者として
あなたの挑戦を心よりお待ちしています。