櫻坂日向坂の上り方

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強さの種類ー櫻坂46「摩擦係数」MVプレミア公開を受けて 2022年7月13日付

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世の動きと芸能活動は、同じ世界線で動いている。

実に当然すぎるくらい当然の話だけど、世界中を震撼させた、日本発のあの事件から、数日。

あの日に公開されるはずだった、櫻坂46「摩擦係数」のMVが、7月13日に公開された。

 

先日の「そこ曲がったら、櫻坂?」放送内のCMで、この曲が流れた。おそらくMV公開があった前提での番組内CMだったと思うので、図らずもMVの公開が延期となったことで、このCMが初公開となった。しかも、それもサプライズのように流れたものだから、いつも以上の深い時間帯にもかかわらず、TLはざわめいた。

 

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強いからだ。

 

いや、今更な話ではあるけれど、今まで櫻坂が魅せてきた強さとは少し違う。どちらかというと、欅坂の強さを彷彿とさせるものを感じた。少なくとも私はそう感じた。

それは、おそらく曲調や歌詞に影響された部分はあったはずだ。だが、その原因をじっと探っていくと、MVの画角もさることながら、やはりメンバーの動きや表情に帰結する。

そして、矛盾するようだけど、それでいて欅坂の頃に魅せた強さとも一線を画するものが垣間見れた瞬間も多々あった。

 

 

強さには種類がある。

 

 

一般的に強さというと、例えば視線が鋭いとか、目力があるとか、もっと野暮ったくいえばケンカで勝てなさそうとか、上から下までイメージはいろいろある。欅坂時代から続く強さ、というのは、どちらかというと、負けない、負けたくない、負けられないという意志が滲み出ている、意地でも負けたくないというところから来る強さだったように思う。それも、何に対してか。他人の横槍など、自分の尊厳を傷つけられるようなことに対しても負けない、自分をブレずに持っておきたいという強さ、だったかもしれない。そしれそれを真ん中で体現していたのが平手友梨奈だった、ということ。

平手から感じ取る強さの最大の特徴は、インパクト。世の人々の心に刺さるのだ。それも深く刺さって抜けない。それくらいの爪痕を残す強さがあったのだ。平手は強いだけではない。弱さも見せた。にもかかわらず必死で戦いぬく場面が印象に残るということは、強さ、というよりももしかしたら、強くありたいと願う、己の弱さとの戦いを前面に出したからかもしれない。誰しも持っている、弱い面。これに打ち克とうとするのに、必要な強さ。

 

一方で、櫻坂46が魅せる強さは、種類を異にする。

 

一言で言うならば、しなやかさだ。

 

大木は、幹がしっかりしていれば確かに簡単には崩れない。しかし、大風が吹いたときには、その脆さを露呈する。折れまいと頑張れば頑張るほど、根本から折れる。柔軟性がないからだ。どうすれば木は折れないか。風に合わせて「しなる」こと。風に抵抗せずに同じ方向に身を任せることで力を削ぐ。風が収まれば元に戻る。そのしなやかさこそ、強さ。

 

何かに対して必死に抵抗し、それを見せることで強さを演出することもあっただろうし、それも間違いではない。そんな欅坂を戦ったメンバーが一歩ずつ大人になり、大人としての強さを身につける。正面突破だけではない。相手の力をうまく利用してそれをバネにして自分の思い描く方向へと相手を導く。この巧みさ。知らぬ間に相手が術中に嵌まっている、という強さが実に憎たらしく、そしてこの上ない甘美な味をもって存在する。

 

この「摩擦係数」MVからは、メンバーのそんな強さを感じた。

自分だけが必死で戦うのではない。どんな戦いでも勝てるという自信。余裕。相手に合わせる形であっても勝利するだけの、今までの経験に裏打ちされた自信である。風に身を任せて、抵抗せず、それでいて風が収まれば凛としてそこに立つ。そんな自信である。そんな強さである。

誰がなんと言おうと構わない。自意識過剰になる必要なんてまるでない。

己の信じた道を行け。

己の信じた道を行く、それは強くなければできることではない。

 

 

 

 

「野生と理性」がテーマだと聞く。

人間が本能の部分で求めているものを表現したのが森田ひかる、それを理性で抑えながら、実は静かなる闘志で蒼白い炎を燃やす、そのことを表現したのが山﨑天。

どちらも強い。

共通する因子は、負けないこと。

前に出る野生と、客観的に見て最小の労力で最大の力を発揮する理性。

二人の表情と動きは、如実にそのことを表していた。

 

 

 

 

その山﨑天は、かつて櫻坂46を「変化ではなく進化」と言った。

 

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一つの側面として、欅坂よりも「進化」したのは、彼女たちが身につけた「強さ」の種類だったのかもしれない。

とはいえ。

いくら強さを強調したところで、彼女たちだって本当は普通の女子である。

身を削られるくらい辛さに身を焦がす日々だってあるはずだ。

でも、そんなことを噯にも出さないこと、それも強さである。

自分の大切な人に対して心配をかけまいとする、そして自分でその辛さを引き受けようとする。

その人に対する愛情とともに、その決断そのものが強さなのである。

もちろん、強ければいいという話ではない。

弱い面を見せられる人が、彼女たちにも誰かいてほしい。

本当の自分を見せられるからこそ、それ以外の場所で強くなれるのだろうと思えるから。

 

 

 

 

 

 

ファンというのは、どのグループだろうが、どの芸能人だろうが、自分が推していることの正誤の判断がほしいときがあるという。

それはつまり、主観的すぎることへの危険性を無意識で察知するからだろう。

櫻坂46然り、日向坂46然り、ずっと彼女たちを推していてどこまでが正しいのか、どこまでのことをやるのが正しいのかと苦悩する場面は少なからずある。

 

でも忘れてはいけない。

櫻坂46は、欅坂時代に相当の批判を受けてきて、それでもまだ見ていない景色を見たいと願い、その場所に残った者たちで結成されている。

信念がなければ、できることなのだろうか。

 

そんな彼女たちが表現者として魅せるものを、私たちはどうやって捉えて差し上げるのが正解なのか。

いや、そんなものは存在しない。

捉え方は多種多様な方がいい。賛否両論ある方が、健全である。

敢えて言うなら、全ての捉え方が正解、ということだろうか。

 

摩擦係数とは、物体と地面の滑りにくさを表した、とも言われる。

物事はスムーズにいけばそれに越したことはないが、もちろんそんなことは多くない。

滑りにくいのは、世の常である。

異端と呼ばれたアイドルという名の物体と、旧態依然とした地面である世の中の摩擦係数は、相当滑りにくい数値となるはず。

 

 

それでも真っ直ぐ前を向いて、そんな滑りにくい世間を突破しようとする彼女たちを、応援しない理由がどこにある。

 

 

 

 

 


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