櫻坂日向坂の上り方

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それでも坂は続くんだーW-KEYAKI FES.2022、櫻坂46公演中止 2022年7月21日付

 

第一報を聞いたとき、ひどく冷静な自分がいて驚いた。

 

ずっとずっと、心のどこかにその可能性を感じていながら、ある意味わざと蓋をして、見ないようにしてきた。

それでも、ここまで陽性反応が増えてきて、どうにも無視できない気がしてきたので、敢えてツイートでそのことを書いた。

 

 

真っ先にその報を受けて、頭に浮かんだのは、陽性反応が出てしまった5人のメンバーの体調はどこまで悪いのか、ということだった。

というか、誤解を恐れずに言うのなら、それが最初に出てこないのに何が推しメンだ、推しグループだって話じゃないだろうかと。

誰かのことを好きになるということは、自分のこと以上にその人のことを考えてしまうのが特徴じゃないのかと。

中止が残念だ、なんて後からでも言える。ましてグッズがどうとか、そんなの何よりも先んじて声高に叫ぶことか。

もちろん、私だってそうだからわかるけど、遠方からの参戦組はこれで決断が迫られる。ホテルや交通機関の確保も終わっているはずなので、キャンセルするか、予定どおり当日行くか。そして、早く決めないとキャンセル料という現実問題に直面する。

わかってる。大事なことだ。

 

でも、推すってそういうことでもない気がするんだよね。

 

自分のことを投げ打ってでも推しのことを考えたいし、推しの幸せを願いたいし、推しが苦しんでたら代わってあげたいと思うのが筋なんじゃないかなと。そこで先に自分が出てくる人は、実は推しメンじゃなくて自分が好きなんじゃないかと。

 

 

 

 

謝らないでほしい。私たちはそう願った。

Nobody's fault

誰のせいでもない。

これだけの陽性者数になって、それでもここまで一人しか陽性反応を出さなかったのは、本当に奇跡に近いのだ。

 

彼女たちの責任でもないところで、彼女たちが謝っている姿は本当に胸が締め付けられる。

 

 

 

でも、逆に私たちは、彼女たちの立場として、何か大事なことを忘れていないかと問いたい。

 

この場合、彼女たちから謝罪の言葉を奪ってしまったら、おそらく彼女たちは発信すべき言葉を失ってしまうのではないか。

何かを私たちに伝えたい。でも謝ってはいけないのなら、何を発信したらいいのかわからない。

ただでさえ体調が悪化しているかもしれないときに、そういう想いを抱かせ、余計苦しめてしまいはしないだろうか。

 

確かに、謝罪の言葉を聞くのは辛い。けれど、謝らないで、というのも実は彼女たちのことを考えているようで、その言葉を聞きたくない自分のために放つ言葉なのではないかと思うに至った。

 

 

 

 

公演前日に、コロナの陽性反応。

そこには自分たちの悔しさは当然あるとして、Buddiesへの申し訳なさがやはり大きな面積を占めたようである。

だからこのことで、メンバーを恨んだりする、そんな人はBuddiesに一人もいない!という意味もあったのが、以下のハッシュタグであった。

 

 

私の発案ではなく、これを書いていた方に乗っかっただけではあるけれど、かつてTwitter上で席巻した「#いつもありがとう欅坂46」、これと同じ内容で、このときとばかり普段の感謝を伝えたくなった。

 

 

 

そして、トレンド1位を獲得。

 

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まさにあのときと同じ感覚。

 

 

そしてこれが、メンバー・スタッフにもしっかり届いていたという事実がそこにあって。

 

 

 

 

 

 

綺麗事だと言われるかもしれない。

だいたい綺麗事だと言って批判する人って、人間はもっと汚れている、もっと自分勝手に生きているもんだって思っている人が多そうだ。

そしてそんな人たちから見ての理想論は、嘘をついているようにしか見えないのだろう。それでも放っておけばいいものを、そうやって噛みついてくるということは、深層心理で実は綺麗事に囚われているような気もするのだ。

 

綺麗事ついでに、もっと綺麗事を言う。

綺麗事を理想と呼ぶのなら、世を変えていくのは理想である。

現実はこんなものだからと、その現実を受け入れている自分が正しいと思い込んでいるだけで、そんな人には明日も明後日も同じ日々がやってくる。

 

そして生涯を閉じる。

 

 

 

私はそんな人生はまっぴらごめんだ。

 

 

 

そう考えると、まさに欅坂46の存在そのものが、世の中のアンチテーゼとして出現し、現実を受け入れすぎている人たちに対して「君は君らしく生きていく自由があるんだ」と謳った。でも時を経て、その頃の未来あるはずだった子どもが大人になり、社会で揉まれていく中でやはり量産型の「大人」と呼ばれる、現実に迎合し、理想を謳う人に対してやっかみを抱く人になる。もしあの当時、そんな人たちが欅坂を推していたとしたら、その頃の情熱はどこへ行ったんだと実に嘆かわしくなる。

 

人が誰かのことを思い、それに対して心から感謝の念を抱く。

そしてまた、立場を変えて同じことが行われる。

人間に感情がある以上、負の感情ももちろんあるかもしれないけど、そういう心のやりとりがあるのは当然ではないのか。

何より、そんな負の感情に囚われて毎日を過ごして、楽しいのか。

 

 

#いつもありがとう櫻坂46

 

またたくさんの皆様がそのタグでTwitterを埋めた。

 

そして、伝わった。

 

 

ちゃんと繋がっている。

そのことがわかっただけで、もう十分だ。

 

こういうことには慣れている、とは言わない。慣れるものでもない。

まして、遠方から向かう人、私もある意味その一人だけれど、22日のDAY2に向けて準備していた人、既に前乗りしていた人もいるかもしれない。直前すぎてキャンセルもなかなか難しいという状態に置かれているかもしれない。そして、おそらくメンバーはそのことをかなり気にしているように見える。

 

ただ一つ言えるのは、こういう逆境に置かれれば置かれるほど、メンバーと私たち、スタッフも含めたグループとBuddiesの繋がりが強固になっていくように感じるのだ。

順風満帆に物事が進めば、確かにそれに越したことはない。だけど強度を増すのはやはり、逆境であり、それを乗り越えたときなのだ。

 

 

 

 

大丈夫。

 

まだまだ坂は、道は、続くのだ。

 

 

 

 

 

忘れ物を取りに行くときは、今以上の大きな存在となって。

 

 

 

 

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