【コラム】大切なことを見落としてしまう前にービジネスにおける、数字以上に大切なこと 2022年9月5日付
【コラム】と冠につくブログは、川島が普段考えていることだけが綴られる内容なので、テキストのみで構成されます。いつも以上に読みにくいと思いますので、川島の考えていることに興味がおありの方だけご覧ください笑
インターネットの世界というのは、匿名性に溢れており、何か書き込むときの心理として「広く世間では、自分が何者かわかっていない」と思い込んでいるその結果として、オブラートの全くない生の感想が剥き出しになることがある。
実際はそうでもなくて、書いている人が誰なのかわかることも当然あるし、その書いた内容の責任を取らされる例も、よく耳にする。
その剥き出しが最も顕著に表れるのは、やはり昔ながらの巨大掲示板方面だろうか。
その掲示板の管理人だった人が、今やタレントのような扱いになっているのを見るにつけ、なんだかなぁという気持ちにもなるけれど、まあそれはそれとして。
アイドルグループに限らないけれど、楽曲を評価する軸というのは様々ある。
その音楽性はもちろん、芸術性であったり、歌唱力もそうだし、パフォーマンス力もそうだし、音楽というものをベースにしたトータルでの評価というものが昨今は当然になっている。だからこそ、楽曲にはMVがついてくる。そういう意味で、総合芸術になっている感じがする。
ところが、群を抜いて生々しい評価と言えば、そのCDの売上という数字である。
もちろん、ビジネスである以上、売上が大切なのを否定したいわけではない。それは、私自身が教育という公共性の高いカテゴリに身を置いているのに、お金を支払ってくれている人にだけ教えるというビジネスライクな面を見ているから、そこが大事だということはよくわかるのだ。
リアルな話として、例えば坂道シリーズでは乃木坂46の売上が群を抜いている、というのはよく言われる話で、それはまさにそのとおりだ。でも乃木坂にはそうであってもらわないと困る。常に坂道の盟主であり続けてほしい。草分け的存在で、なおかつ盟主。また訪れているのではないかと言われる女性アイドルグループ冬の時代であっても、そこに君臨してほしいのだ。
ただ、だからと言って、櫻坂46や日向坂46の売上が芳しくないのかと言われると、私はそうとは思っていない。もちろん乃木坂には及ばないかもしれないけれど、売れていない、と何故言えるのか、ということ。
どこにでもノイジーマイノリティーというのはいる。サイレントマジョリティーの対義語とも言うべきだろうか。そしてこういう連中こそが、自分が誰だかわかっていないと思って、自分の剥き出しの感情をそのまま綴る。
気になる人はご自分で調べてもらえればと思う。
繰り返しになるが、ビジネスの世界、売上が第一、というのはわかるとして、敢えてここでそのアンチテーゼを置きたい。
芸能は誰かに見てもらうことで成り立つジャンルである。ファンがいないと成立しない。とはいえ、お金を落とす落とさないにかかわらず、その影響力は多岐に渡る。中には、その発信される芸能によって、人生を変えられた人も存在する。そういうコンテンツなのだ。
確かに、ビジネスライクなやりとりは必要だし、特にこのご時世だから、売上というシビアな部分での風当たりが強いのも理解できる。でも、それでも「売上がすべてではない」という主張をどうしても残しておきたいのだ。
乃木坂メンバーが「自分たちは売れているんだ」という思い上がりをしているとは思っていない。
ただ乃木坂ファンの一部に、自分たちが推しているグループは売れていて、他のグループは売れていない、だから他のグループはダメだ、という意味不明な主張をしている人間がいる、それも事実で。
誤解なきように。
売れなくてもいい、と言っているわけではない。もちろん、ファンの裾野が広がって、たくさんの人に応援してもらえるグループであることが目標であるし、その結果として売上が上がっていくのだろう。
でも、売上が上がる、ということ以上に、人にとって大切なことがあるのではないですか、と。
ない、というのはあまりに心が荒んではいませんか、と。
金が全て、売上が全て。売れているものが官軍で、それ以外は賊軍。
私はそんな考え方は絶対にしたくない。それは自分の信じたものを否定することにつながるからだ。
その音楽から、そのミュージックビデオから自分が受けた感銘、揺り動かされる感情、そういうものを敏感に感じ取れるアンテナ。売れることだけが全てだと主張している人は、一体彼女たちに何を求めているのだろうか。他のグループと競争して、勝つ。そのために推しているのかと。
もちろん切磋琢磨していくことは大切だ。ただその結果、よしんば勝ったからといって、他を見下す性格の悪さはなんとかならんのか。
これは私たち教育産業も同じだ。
少子化+コロナ禍で、売上は本当に厳しい。
だけど、そんな中でも通ってくれる生徒、通わせている保護者に対してやはり全身全霊を傾けるのが礼儀である。それは仕事であって仕事でない。お金を払ってもらえてるから、という理由だけではない。そこには「心」が存在する。その生徒の力をなんとか伸ばしてあげたい、という「心」があるから成り立つ。綺麗事だと言われるなら反論したい。その綺麗事を排した、ビジネスライクなだけの世界で生きて、あなたは本当に生き甲斐やり甲斐を感じられるのかと。
それは人と人との関係を完全に無視した、無味乾燥した世界ではないのかと。
金銭至上主義。
あなたそのものが、金銭に支配されているのではないですか。
それで本当にいいのですか。
綺麗事の何が悪い。
私は、世の中を動かすのは現実主義とは正反対の、綺麗事であるとずっと信じている。現実に即することだけがそんなに正しいとも思えない。
話を戻すけれど、櫻坂日向坂の存在意義はもちろんしっかりとある。
だからと言って、極端な話、売上がなくてもその存在意義のためだけに存続させろ、とは言わない。
もちろんどうすれば、より広く櫻坂日向坂の影響力を伝播できるかは考えないといけない。
よく、年齢を重ねれば人は現実主義になる傾向が強くなると言われる。
夢を追い続けるのは若手のすることで、年老いていけば夢を見ることに価値を見出さなくなる、それは人生経験からくる諦観だと。
でも私は50歳という年齢になっても、現実主義、金銭至上主義にだけは成り下がりたくない。諦観など切れ端も存在しない。
現実がこうだから、などと言い出すと、だいたいネガティブな言葉しか出てこない。
そんな人に魅力を感じるのか。
お金が儲かれば是、儲からなければ非、そんな世の中が正しいのか。
それが正しいと思える時点で、既に何か大切なものを失ってやしないか。
でも、たとえそういう人であったとしても、
櫻坂46は、そっとその人に寄り添って楽曲を届けようとするし、
日向坂46は、とびきりの笑顔でもっと素晴らしいものがあると教えてくれる。
敢えて言うならば、乃木坂46にない魅力をもって、あなたの前に立つ。
そこに本当に価値はないと言い切れるのだろうか。