櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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比類なき魂で魅せる美しさー櫻坂46、3rd single BACKS LIVE 2022年1月16日付

【前書き】

ブログを開いていただきありがとうございます。

総文字数16000字を越える長編のため、全てをご覧になるには相当の時間を要することをご了解ください。もしお時間がないときは、下の目次から飛べるようになっておりますので、そちらをご覧いただけると幸いです。

彼女たちが自分の全てをぶつけてきてくれたので、私も生で観て感じたことの全てをぶつけようと思った結果がこちらです。

宜しくお願い致します。

                                                川島 雅隆

 

 

 

 

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M1:ソニア(小池美波)

ソニアはそもそもBACKS曲。

とすれば、小池美波以外のメンバーがセンターを務めるのも、二重の意味となってしまい煩雑だ。

それにしても…

5年以上彼女を見ているけど、最近本当に思う。

小池美波は、女優である。

曲の雰囲気に合わせて、その空気を纏うことができる。もちろんメンバーはみんなそれができるんだけど、小池美波のそれは何かが違う。

時が、経験が、それに伴う感情がそうさせたのか。

ソニアの柔らかさを見ていると、彼女を取り巻くこれまでのすべてを思わずにいられない。

自分のことが好きになれなくて、どうしようもないと涙したあの瞬間であったり。

「ガラスを割れ!」MVで、一人だけロックに徹していないと言われてみたり。

平手友梨奈が不在の二人セゾンのソロダンスを、何かに突き動かされるように、衝動的に務めたあの瞬間であったり。

欅坂幻の9th選抜発表で選抜から外れることになった瞬間の涙であったり。

彼女自身はどう思っているかわからないけれど、一つ言えることは、これらを乗り越えたからこそ今がある、ということ。それだけは間違いない。

そこには、周囲に助けられたとはいえ、自分の力で立ち上がったという現実があって、だからこそ自分を保てているのではないかと想像する。

そしてそのことが、しっかりとパフォーマンスに表れる。

これまでの人生の全てをパフォーマンスに捧げろ、というのは、あまりにも酷な話。

でも、結果としてそうなっていることが、小池美波の強さである。

それがわかっているからこそ、彼女の柔らかい表情を見ると涙腺が刺激されるのである。

 

M2:BAN(松田里奈)【DAY1】

正直松田里奈とBANの空気はフィットしていない。いい悪いでも、ましてや正しい間違っているでもなく、フィットするかしないかで言えば、しないと私は思っている。

だが、だからと言ってそれが何だ。

フィットなんかする必要があるのか。

合わないものを合わせようとするところから、生まれるものだってある。合わないからこそ面白い、というものもある。

まつりBANで言えば、曲の雰囲気というより彼女の雰囲気に合わせて他のメンバーが表情を作っていたような気がする。それを彼女たちが意識していたかどうかはわからないが…。

松田里奈の持つパーソナリティがもたらした効果。

切込隊長だ、副キャプテンだと何かと前に出る機会の多い推しメンではあるが、心の奥底で考えていること。ずっと歪みを溜めた爆発力が、その爆発を待っているかのような感覚。

BANという曲は、結局甚だしくセンターの色で空気が決まる、その最たる曲。ということは、このBANは、松田里奈の奥底に眠る破壊力に沿ったパフォーマンスであったのだ。

遠慮なんか、要らない。

心を許した仲間と、全力を尽くせば必ず声援を送る私たちの前で、遠慮なんか最も必要のないもの。

さらに進化した爆発を、その青白さが増す光を見てみたいと思った。

 

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M2:BAN(遠藤光莉)【DAY2】

これは櫻坂をずっと見てきている人なら同じ感想を持つ人も多いだろうと思うのだが、遠藤光莉が前に出てこないのは不思議で仕方がない。

本当に、一度遠藤光莉センターの曲を見てほしい。何なら、櫻坂46というグループのイメージすら変えかねない強さがある。

いや、それで言うなら、彼女になら変えられてもいいかなと思ってしまう。

彼女のことを取り上げると必ず触れるのだけど、加入当初はやはり性格なのだろう、前に出ることはおろか、人前で何かを話すことさえ苦手意識があったようで、でもダンスをさせたら超一級品で、という落差が逆に気になって仕方がなかった。

ある日そんな彼女が、前髪を上げた。

たったこれだけのことが、傍から見るとこれ以上ないくらいのきっかけとなった。

同じ人かと思うくらい、はっきり変わった。ここまで変化や成長が手に取るように見えた例は、そんなに多くない。

そこに掛け算となったのが、ダンススキル。

一つ殻を破ったことで、そもそも備わっていた表現力にさらに磨きがかかる。

ある意味、このBANというのはそんな彼女にうってつけだ。

3分39秒の中に、遠藤光莉の成長が全て詰まっている。

この日からしばらく経っても、彼女のあの、何かを見据える目が脳裏に灼きついている。

 

M3:半信半疑(齋藤冬優花

齋藤冬優花は世界を作れる人である。

これは欅坂46の一期生として活動が始まったときからそうだけど、自分で物語を作れると同時に、他の人の物語や世界に自分を合わせることもできる人である。

主張しすぎず、だからと言って存在感を消さない。

個人的に、齋藤冬優花の作る物語の芯になるのは、曲線美ではないかと思っている。

曲線を効果的に表現できることで、表現の幅がぐんと広がっている印象があるし、その強さといったらない。

そしてこの曲線美がパフォーマンスに与える効果は、計り知れない。

もちろんそれは経験からくるものもあるだろうし、元々彼女が備えているスキルでもあるだろう。

そしてその動きの中にある、欅坂46時代からずっと彼女が抱えてきたはずの葛藤なり苦悩なりがストレートに伝わってくる。その過程があって、自分が今ここにいるんだという主張さえ見て取れる。

正解も間違いもない。

今自分がそこにいることこそが、全てである。

前回のBACKS LIVEにおけるBANでもそうだったが、今回の半信半疑でも同じことを感じた。

 

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M4:なぜ恋をして来なかったんだろう(藤吉夏鈴)

今まで数え切れないくらいなぜ恋を観てきた。TVもそう、LIVEもそう、もちろんMVもそう。でも同じなぜ恋であるはずなのに、そのどれもが違って見えるような感覚に陥るのは不思議。

「楽曲を届ける」という言葉は、そんなに軽いものではない。もちろんそれがわかっていないメンバーなんか櫻坂にいるはずがない。

他の曲もそうだが、だからかなと思う。例えば振付がシステマティックになって、誰でも教科書どおりに踊れるのも素晴らしいことかもしれない。ただそれで観る側は心が動くのだろうか。

藤吉夏鈴という人は、特に最近、アイドルというより表現者の域に達してきているのかもしれない。そのときの空気や感情で、変わるものもあれば変わらないものもある。

でも、それは楽曲が生き物である、証拠。

今回も今までとは何かが違うなぜ恋を見たことで、その仮定は確信に変わりつつある。

というのはもちろん本音なのだが、一方で別の本音もある。

曲の世界は、どんなライブでも一定で、その世界に没頭さえすればそれが全ツであろうがBACKS LIVEであろうが、或いはTVであろうとフェスであろうと変わらないだろう。

そのときは、それでいい。

だが、曲前や曲後、藤吉夏鈴の胸中に去来するものは何なんだろう。そう考える自分もいる。

BACKS LIVEで披露する、元々自分のセンター曲である、なぜ恋。

ライブは、どんなライブでも同じく大事。それはもちろんそう。

だけど…

この〝「BACKS LIVE」におけるなぜ恋〟を経験して、彼女の何かが変わるのか。それとも変わらないのか。

パフォーマンスに落とし込まれるものに変化はあるのか。

それはもしかしたら、藤吉夏鈴にすらわからないことかもしれない。

 

M5:最終の地下鉄に乗って(井上梨名)

ここ最近の井上梨名を見て、正直言うと少し心配していた。

何か、全てに迷いが生じているような空気を感じて、もちろんそれはあまり言葉にしない方がいいように思ったので触れなかったが、それが一体どこから来ているのかと思ったことはある。

杞憂に終わればいいと思っていたし、仮に想像したとおりだとしても、それこそ「櫻坂の詩」の歌詞じゃないけど、私にできることはないし、彼女自身がそこから立ち上がるのを待つしかないと。

翻って、この曲は櫻坂というより、欅坂時代から考えても極めて特異な曲だと思っている。

秋元康の曲の作り方からすれば、詞先で作ることはあまり考えられないので、曲が先にあったと想像するけれど、この曲からあの歌詞の世界を構築できるところが、脱帽というかどうにも敵わないと思ってしまうところである。

そうすると、この曲を捉えようと思えばどこからスタートすればいいのか。

もちろん人それぞれ違うだろうけど、私はこの曲の主人公が、歌詞の内容ほど達観というか、諦観というか、残りの人生を持て余していると斜に構えているようには感じていない。最終の地下鉄に乗って、終着駅に着いても、実はまだその先があるんじゃないかと思う心情。それは未来に思いを馳せる「希望」という言葉につながる。多分そうであるからこそ、メンバーは笑顔で歌えるんじゃないかと。

そうだとすれば、井上梨名が何かに悩み、出口の見えない場所に置かれていたとしても、彼女自身は希望を全く捨てていないし、そんな葛藤がぴったり嵌ったのがこの曲だったのではないだろうかという予想ができる。

この後のMCでも言ってたように、前回のBACKS LIVE。Nobody's faultのセンターに立候補して、それを務め上げた。もちろん、こちら側は彼女の持つもう一つの部分というか、その気迫というものが存分に伝わったので評価は高かったのだけれど、本人としてはあのあたりからどうも袋小路に入ってしまっていたらしい。

でも、ツアーの時期に、この曲で休養していた小林由依ポジに入って救われたと。そして、この曲でBuddiesに寄り添える人になりたい、という想い。

井上梨名には、これがある。

ある意味、彼女の人生を見る想いがあって、それがストレートに突き刺さる。

彼女だけではない。

櫻坂46には、これがあるのだ。

 

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M6:君と僕と洗濯物(原田葵

とにかく原田葵が本当にキレイになった。

いや、もちろん前からそうなんだけど、なにせ小学生弄りされてたときからずっと見てきているので、そのポテンシャルが完全に花開いた瞬間を見る感じ。

一期生は誰を見てもずっとその年月を想ってしまうんだけど、彼女の場合も学業で休業していた時期はあったにせよ、欅坂の荒波を共に越えてきたメンバーである。そもそも、受験明けによく戻ってきてくれたという安心感は凄まじかった。その後の流れを考えるに、本当によく戻ってきてくれたと思う。

そう思うと、あれだけキレイになったのは間違いないけれど、その理由の一つに、なかなかグループ外では経験しない艱難辛苦を乗り越えた、磨かれた美しさがあると思う。平手友梨奈が脱退を告げたときの涙など、人知れずいろんな感情と闘ったに違いなく、もっと言えば戻ってくるという選択肢以外の方法論だって彼女にはあったはず。それでも戻ると判断した、そのときの気持ち。

グループは前に進んでる、メンバーは自分の経験していないことを経験している、半周も一周も自分は遅れている、これを取り戻すには人の二倍も三倍も練習しなければいけない、それが宿命づけられているのに、それでも戻る。

そして、それを乗り越える。

彼女の醸し出す美しさは、単なる可愛らしい、で済まされるものではない。美しさに本物や偽物があるのか知らないが、たとえあるとしても彼女の美しさは本物だ。

 

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M7:Microscope(大園玲)

推しメン大園玲は、理系を感じることが多々ある。

私自身がガチガチの文系なので、理系の方の考え方がわからないことも多いのだが、Microscopeはまさしくそんな理系男子の曲。彼女が自分で選ぶだけのことはあるなという印象。

私の周囲の理系男子女子を見てて思うのは、やはり一つの答えを追い求める姿勢はとても探究心があって素晴らしい、ということ。ただその一方、割り切れない、答えとしてすっきりしないものは避けようとする傾向がある。

ところが、だ。

世の中はそんな割り切れないことの方が圧倒的に多い。

理屈に合わない、なんでそうなっているのか誰も説明できない、そして何より割り切れないのは、人の感情。

こんな不可思議なものはないのであって、逆に言えばそこに人間ごときが作った理屈やルールを当てはめようとするから、何かがおかしくなっていく。

人の感情ほど、理系的に難易度の高いものは見当たらない。そんな気もする。

それをリケジョである大園玲がセンターでパフォーマンス。

感情が割り切れる、ということなど永遠にない。理性が感情を支配するような世界は、こっちから願い下げだ。もしそんな世界がこの世にあるというのなら、おそらく欅坂も櫻坂も存在し得ない。どちらとも、エモーショナルな部分で勝負するグループだからだ。理屈が先行してしまったら、と考えるだけで首をすくめたくなる。

感情は、割り切れないことをもってして、感情なのである。

この世には、実験や、観察や、公式なんかで解明できないことがあることを、自分が誰かを好きになることによって知る主人公。

大園玲は理系ではあるけれど、ちゃんと感情が理性なんかでブレーキングできないものもあることを知っている。

おそらく、彼女自身の感情がそれだったことがあるからだ。

理系でありながら、想うことの強さを知る女性。

そんな彼女がセンターに立つ。それは当て嵌まり過ぎるくらい当て嵌まるのだ。

 

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M8:偶然の答え(守屋麗奈)

守屋麗奈は天然と作意のハイブリッドだと思っている。それが表れた最たるものが前回のBACKS LIVE時の「ブルームーンキス」だった。ただこれをハイブリッドにできるのは、天性の資質に常の努力が掛け合わされるからだ。

そして表に出るのが、オリジナルの表現力。

楽曲を届ける、とよくメンバーは口にするけれど、それは一体どういうことなんだろう。

誰かが何かを表現して、それを見た人が何かを感じる。そのときに、演じる側が伝えたいことと、受け取る人が感じたことが一致したとき。それがまさしく「楽曲が届いた」瞬間なのだろう。

パフォーマーの使命とはまさにそれではないのか。

だとすれば、守屋麗奈の魅せる雰囲気は、自分を目立たせるためではなく、あくまで楽曲を届けることに主眼を置くことで醸し出せるものなのではないのか。

偶然の答えの世界は、あまりに作為的になりすぎるといやらしさが前面に出てしまうし、さりげなさすぎると伝わらない。その微妙な隙間にスポットを当てなければならない。そのためには、自分が前に出ることを考えるわけにはいかない。それをしてしまうと、その瞬間に隙間からの光は遮断され、また闇の中だ。

あざとさ以外にも、しっかり切なさも表現できる。それが守屋麗奈なのである。

 

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そして注目点はもう一つ。この曲のオリジナルセンターを務める藤吉夏鈴だ。

BACKS LIVEということは、当然自分のセンター曲も誰かがセンターを務めるのだが、そのときに彼女はどの場所にいるのだろうと。

せっかくの機会なので、自分のセンター曲を他のポジションで務め上げても面白いと思う。全メンバーがセンターを務める、ということの逆の発想で、センターのメンバーが2列目や3列目を務める。もちろんそれは序列がどうとか、まるでそういう話ではなく、自分がセンターを務めているとき、後ろからはどう見えているかを知ることは、素人考えでも重要だと思えるからだ。それを知ることで、むしろセンターを務めるときに表現の幅ができるのではとさえ思っている。

 

 

結論から言えば、フォメのどこにもいなかった。

これは運営の指示なのか、藤吉夏鈴の意思なのか、それは私には知る術がない。ただどちらにせよ、大きな機会を失ったような気もしなくもない。

 

M9:思ったよりも寂しくない(増本綺良)

増本綺良に本音を聞きたい。

今のあなたは、本当に「思ったよりも寂しくない」のか。

彼女がこの曲のセンターを選んだ理由。

ブログでその理由を書いているので、外野が余計なことは言わないほうがいいとは思うけれど、一つだけ。

前回のBACKS LIVEでこの曲のセンターを務めたのは、守屋茜だった。

増本綺良はあのキャラなので、おそらく櫻坂のメンバー誰からも愛される。

実は誰よりも情に熱く、意外と常識人。ある意味、常識人だからこそ、常識外れがどれくらい外れているかを知っている、とも言える。

メンバーに対する想いは強すぎるくらい強く、それだけに誰かがいなくなることに心の底から抵抗する。

そんな人。

この曲は意外に強かった自分に出会って前に進む自信がついた、という曲であるので、寂しい顔なんかもちろん見せられない。笑顔でこの曲を演じ切る増本綺良。それはそれでこの曲としては正しい。

守屋茜の卒業から、まだ間がない。

この時点で「思ったよりも寂しくない」わけはないのだ。

でも逆に言えば、そこにこの曲を選んだ意味がある気がする。

本当に大切な存在であった守屋茜に向けて、あなたが必ず心配しているであろう自分は、思ったよりも寂しくないですよと。だから大丈夫心配しないでと。

強がりでもいい。

そのメッセージを送ることにも、意味があったのではないだろうか。

そうであるならば。

メッセージはあの人に伝わったのだろうか。

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M10:美しきNervous(上村莉菜

見ている側というのは、自分達のイメージでどうしても語ってしまう。その人の醸し出す雰囲気や言動でイメージを作り上げる。そうさせてしまうのもアイドルの仕事といえばそうなのかもしれないけれど、こういうとき、そのイメージが先行してセンター曲を予想してしまうというのは、ある意味仕方ない部分もあるかもしれない。

とはいえ、上村莉菜が例えば「君と僕と洗濯物」のセンターを務める、となると、逆にあまりにもそのまま過ぎて面白みに欠ける、という言葉だってあるかもしれない。もちろんセンターのイメージにピッタリと嵌まる上村莉菜を見たい人もたくさんいるに違いない、とは思っている。

なぜ恋のセンター。それもまずまずイメージに近いし、理解はするけれど、それもそこまでか。

どうなんだろう。見ている人はそういう予定調和的な、というか、誰もの予想を裏切る現実を見せてほしいとどれくらいの人が願っているだろうか。見る側に軽いショックを与えてほしいと、実は無意識で願っているのかもしれない。

せっかくなら何かを打ち破る曲に挑戦してほしい気持ち。それはどれくらいの人が思っているのだろう。

かといって、いきなり上村莉菜に「流れ弾」のセンターを、というと、これはこれでなかなか見る側にとってもハードだ。

彼女の場合、どこが落としどころとして正解か、と考えたときに、そうかこの路線があったかと妙に感心したのが、「美しきNervous」である。

曲のチョイスの絶妙さ。イメージからかけ離れすぎず、弾けすぎず、かといって彼女の雰囲気を殺さない曲。

その意味でこの曲のチョイスは本当に、ここしかない!という気持ちにさえなった。

おそらく彼女自身の立候補だったとは思うし、どういう想いでこの曲を選んだのかは知りたいところだが、まさに無意識に自分に合う曲を選んでいたのかもしれない。

躍動感溢れる妖精をずっと観ていられたのは、大きな収穫だったと思う。

 

M11:無言の宇宙(関有美子

彼女と頭の中が同じ導線で結ばれてたのを知った瞬間、その場で本当に崩れ落ちそうになった。

渡邉理佐センターからのイメージの延長ではあるけれど、この曲で最もそのイメージに近く、そのセンターを見てみたいと思ったのが関有美子で、そのとおりになった。

妄想が現実になる瞬間の、自分に与えられる破壊力。

ずっと忘れてたその感覚を、取り戻させてくれた。

関有美子が最も映えるのは、その持つ雰囲気が存分に生かされる瞬間。

ステージに立てば、お嬢様も何もない。その人の持つパーソナリティがそこにあるだけの話。自分を修飾する言葉など何一つ取り去られた状態で、素の状態で0番に立つ。

彼女の場合は、大きく包み込む懐の深さを感じさせる、それが実は最大の魅力だと思っている。

映える、ということは、やはり自分が無理なく自分でいられる場所だからこそ成し得るものであると考えている。その意味で、この曲の関有美子はある意味最強だったのかもしれない。

他の曲でも、理佐ポジというのは、メンバーにとってどうなのだろう。やはりやりにくさがあるのだろうか。

でも彼女は見事に演じきった。

可能性、という意味で言えばとにかく伸び代しかない。

ただ矛盾するようではあるけれど、無言の宇宙は理佐のイメージが強すぎる、というのも間違いではない。

言い方を換えれば、関有美子の色が出しにくい、ということでもある。

まして渡邉理佐を彷彿とさせる、ということは、関有美子というパーソナリティが薄まっている、ということと同義である。

確かに、可能性は伸び代しかない。ここから、関有美子にしか出せない色、世界というものをどれだけ出していけるか、ということは結構勝負である気がする。

いや、それも甚だ難しい。

難しいんだけど、これほどやり甲斐のある挑戦もそうそうない。彼女にはそう思ってほしいところではある。

 

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M12:Buddies(尾関梨香)

関有美子センター「無言の宇宙」で半ば放心状態だったところへ、追い打ちをかけてきたのがこの曲。

「元気かい? 君に会いたかったよ」

で涙腺が吹っ飛んだ、という表現が正しい。

それはこっちのセリフだよ、と。

尾関梨香は、欅坂結成当時から、他人のことを慮れる人だった。

自分よりも他人のことで、涙を流せる人だった。

優しすぎる人は、自分のことと同時に、周りの人のストレスまで一緒に受けてしまう。つまり、心身のダメージは二倍あることになる。

そこにプラスして、メンバーの卒業脱退、さらに欅坂46の改名。

もちろんそれを乗り越えたからこそ今があるわけだが、「乗り越える」などと軽々しく口にすることすら憚られる。当事者にしかわからない感情が絶対にある。

欅坂46一期生に、長期の休暇をあげることなど、少なくとも私は当然のことのように思う。

その休養から、復帰する。これはこれで、相当なエネルギーを使うことではある。

だからこその「元気かい? 君に会いたかったよ」なのだ。まさにそれほどピタリのセリフはないだろう。

 

後でサイトを確認したけど、意外とおぜBuddiesを予想した人は少なかったようだ。

 

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でもこの曲こそ、一度休養して戻ってきた彼女がセンターを飾るにはふさわしい。

一度休んだからこそ感じたはずの、中にいたときでは見えなかったグループの大切さ。

私たちから見たときの、彼女がそこにいる大切さとその安心感。

そして何より、初めてのセンターを務めるにはこれ以上ない歌詞とその世界観。

 

Buddies

 

まさにこのことを強く強く、お互いに感じたはずで、だからこそ流れる涙は美しい。

 

radiko.jp

 

もう一つ、忘れてはならないこと。

尾関梨香がセンターを務めたことによって、櫻坂46現役生は、一人残らず何らかの形でセンターポジションの経験を積んだことになる。

欅坂時代、平手友梨奈一強とか、平手以外がセンターを務められないと言われたあの頃。

あの頃が何か、別の世界の話のようにも聞こえる。

そして、自分以外のメンバーの強さを誰より知っていた、誰より信じていた平手友梨奈が、最もこの事実を喜ぶのではないだろうかという感慨に浸る。

 

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M13:Nobody's fault(武元唯衣)

櫻坂46の表題といえば、1stシングルのNobody's fault、2ndのBAN、そして3rdの流れ弾。アイドルグループと思えないその力強さ、そして何よりその源流となる心の葛藤をパフォーマンスに表すことが要求される。

とはいえ、メンバー個々で見たときに、それができるできないはやはり個差がある。あって当然だ。メンバーはそれぞれ違う場所で生まれ、違う家族の中で育ち、違う環境で心が醸成されてきた。そんな彼女たちが、全く同じ心の動きでこの場所にいるはずがない。

でも、逆にいえばそれがあるから面白い。

例えば、ノバフォで言えば、森田ひかるのノバフォ、井上梨名のノバフォ、土生瑞穂のノバフォ、遠藤光莉のノバフォ、全て同じ曲ではあるけれど、真ん中に立つ人の心の状態が全体の見え方にも影響する。だから全て違うものに見える。

今回で言えば、武元唯衣のノバフォはまた違ったものに見えた。

よく思うことだけれど、櫻坂の表題は、どうしても気合が入りすぎて力んでしまいがちな要素がある。当然LIVEになればその気合も違うだろうから、尚更だ。でも、それは何か違うような気がしている。

もちろん、力む、という言葉自体何かネガティブ要素が満載ではあるが、心の状態がストレートに表現される、というのであれば、自分の今の状態を素直にパフォーマンスに落とし込む方が伝わるものがはっきりするのではないだろうか。

武元唯衣のセンターは、確かに激しかった。でも、半年前のBACKS LIVEのそれとは何かが違う。

成長か。

成長と一言で言っていいものかどうかもよくわからない。

彼女は確か「表現があのときから全て変わった」という話をしていたと思うが、意図的に変えたのか、それとも自分の心に素直に従った結果自然とそうなったのか、もしかしたら本人すらわからないところがあるのかもしれない。

ただ一つ言えるのは、強く伝わるものはあった、ということ。

それが証拠に、ちゅけノバフォの評価は、終了後のSNSでもとても高かった。

私もそれに同意する。

強さの中にある、柔らかさ。

表現の仕方が変わった結果…今の武元唯衣が素直に現れた、そう取る方が正しいような気がする。

そしてそれは、櫻坂46にとってこれ以上ない武器となる。

 

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M14:Dead end(幸阪茉里乃)【DAY1】

最も予想が外れたというか、できなかったという方が正しいのが、この曲。

でも考えてみたら、幸阪茉里乃ほどいろんな表情を感じさせるメンバーも珍しいかもしれない。キャラなのか、緊張感が抜けないのか、ポーカーフェイスが多い印象の彼女ではあるけれど、本当はいろんな感情が渦巻いてて、その内包する感情の熱さというものが伝わってくる。実際見せていないのに伝わってくる。

前回のBACKS LIVEでのMicroscopeは、確かに彼女のパーソナリティから考えればピタリではあった。でも実は、妙な違和感も感じていた。いやどうもこれだけではない。幸阪茉里乃はこれだけでは語れない。絶対にそんな薄い人ではない。

例えばそれは、そんなMicroscope以上に、ファンの印象として強く残ったのがこれであることからもわかる。

 

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小池美波ポジに入った、BANにおける幸阪茉里乃。

なぜこれが印象に残るのか?それはひとえに、彼女に秘めた可能性を感じたからではないだろうか。

強さ、主張、もしかしたらそこには強烈な葛藤もあったかもしれない。

それを瞬間で伝えられる、というのは類稀な才能だ。

 

幸阪茉里乃は、櫻坂46のメンバーである。

櫻坂で活動ができるということは、内に秘めたるものの熱さで突き動かされてこそである、ということ。

もちろん他のメンバーも同じなのだけど、それを普段表に出さない彼女だからこそ、逆にその可能性を強く感じることがあった。

そこで、Dead end。

やはりそうか。

彼女はその容姿とは裏腹に、強い曲が似合うんだ。

どういう気持ちでこの曲を選んだのか、本当のところは彼女にしかわからないことではあるけれど、その表現を見て何となく理解できたような気がした。

 

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M14:Dead end(藤吉夏鈴)【DAY2

本当は、これを見たとき感じたことなんて一つだった。

藤吉夏鈴は、やはり強かった。

これ以外に何かあるというのだろうか。

他に言葉が見つからないのだけど、敢えて続けてみる。

これは彼女に限った話ではないのだけれど、可愛らしさとカッコよさを同居させている人が、表現の使い分けを意識してできると無敵になる。

逆に彼女に限った話で言うと、例えばなぜ恋の藤吉夏鈴、偶然の答えの藤吉夏鈴、Plastic regretの藤吉夏鈴、Microscopeの藤吉夏鈴…やはり全て違うのだ。

彼女は言葉で多く語らない人なので、この辺りをどう使い分けているかをおそらく言葉で伝えてくることはあまりないかもしれないけれど、少なくとも同じではないことだけはわかる。

それにしても、Dead endを選んできたか…これはやられた。

もちろん、ちゃんと触れておかなければならないのだけど、彼女一人でその強さが演出できるわけはない。彼女と同じく強いメンバーが周りにいて引き出した力も忘れてはいけない。

いつも彼女を見てて思うのだけれど、このポテンシャルの高さを見抜いて合格させた、秋元康を始めとする選考側の人たちの選球眼は常人の及ばないところにあるのだなと感心させられる。

センター以外のポジションでは、そのセンターを支えつつ、曲全体を作り上げる空気の一つになり、

センターを務めるときは、そのポテンシャルをフルに発揮する。

藤吉夏鈴は、やはりそれをもって藤吉夏鈴だなと改めて思わされる。

 

そして、DAY2アンコール前の、この言葉。

この言葉のチョイスすら、また藤吉夏鈴だと思わされた。

 

M15:流れ弾(大沼晶保)【DAY1】

 

予想というか、希望というか。

当然頭の中にあったのは、6月のBACKS LIVEでのBANセンターだった。

あの衝撃がずっと離れないのなら、今回のセンター曲もこの曲しかない。

そしてそれは彼女も同じだったらしい。

見たかったものが見れた、という満足感。

それにしても頭をよぎるのは、前回のBACKS LIVEのときにも彼女が言ってた、絶対勝つ負けたら死ぬという言葉。

多分、私自身が人生は勝ち負けだと思っているから、それも誰かに勝つ負けるではなく、自分との勝負に勝つことこそ人生の目標、と思っているところがあるから、アイドルがこの言葉を放つことに衝撃があったし、今でも変わらない。

この瞬間にすべてを賭ける、といえば刹那的にも聴こえるけど、そうではなくて、命の燃やし方の問題。

もののふの心。

まさに武士を見る思い。危なっかしくもあり、でもだからこそ妖しい輝きを放つ。目が離せなくなる。まさに沼である。

彼女が3列目で、本当にいいのか。

大沼晶保がセンターを務めると、必ず「狂気」という言葉がつきまとう。もちろんいい意味で、ではあるのだが、彼女が一つのステージに賭ける姿が表れているだけではないのか。

「一所懸命」という言葉がある。

一生懸命ではなく、一所懸命。

中世日本において、武士が命を懸けて守り抜いた場所。

一つの場所に、命を懸ける。

大沼晶保が務めているセンターというポジションがその「一所」であることはもちろん、櫻坂46というグループそのものが、彼女にとっての「一所」かもしれない。それを守り抜きたい、何なら守り抜くだけでなく、自分の力で発展させたい、グループの力になるために命を賭したい。

大袈裟ではなく、彼女なりにその想いがあるからこそ、狂気と言われる表情動きそして力加減になるのではないだろうか。

狂気、それは大いなる褒め言葉である。

そして何より特筆したいのは、アンコール前のトーク

「緊張せずに楽しめた」

と言っていたこと。

永く後世に残したい。

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M15:流れ弾(小池美波)【DAY2】

流れ弾のMVは、センターである田村保乃が悪魔で、メンバーはそんな悪魔に取り込まれる葛藤を描いていたという。

振付がその話より先なのか後なのかは知る由もないが、MV以外、例えばLIVEや歌番組での披露でも、それらを意識した表情が見て取れる。

出だしでゆっくり歩いてくるセンターの凍りつくような笑顔が、まさにその悪魔の象徴。

大沼晶保の笑顔も狂気的だった。

もちろん、田村保乃のそれもそうだ。

だが、このワンシーンの破壊力で言うならば、小池美波のそれが群を抜いていた。

今でも思い出せば、背筋が凍りそうな程の迫力だったし、正直瞼の裏にこびりついて離れない。

結局、それが小池美波が女優だ、という所以でもある。

ソニアのセンターの人と、この人が同じ人だと言うのか。

もっと言えば、小池美波という人はおそらく、あの容姿からは想像もできないほど、自分の感情に振り回され、弱いと思っている自分が好きになれず、周りが何を言ったとしても自分が納得できないと前に進めない、そしてそんな自分にもまたさらに嫌気がさしたりと、とにかく毎日が葛藤葛藤で過ごしてきたのではないかと思ってしまう。もちろん本当の彼女のことなど知る由はないのだけれど、パフォーマンスは、必ず人となりが出る。

人生が投影される。

そこから朧げに見えてくるのは、負の感情である。そしてその負の感情を経験したからこそ出てくる、他人への慈しみ。

小池美波の流れ弾は、本当に成功だった。

その部分をまざまざと私たちに見せつけた、という意味で。

その後のアンコール前のMC。

小池美波は、泣いた。

自分のこともさることながら、共に戦ったメンバーのために、泣いた。

その葛藤は私の言葉ではなく、彼女の言葉で感じるほうが正しい。

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EN:櫻坂の詩

定番といえば定番なのだけれど、全てのLIVEのアンコールで披露されるということは、その人の達成感とか、或いはもし心残りがあったり反省があったりするとそれとか、そこにちょっとした安堵感も含めて素直に表情動きに表れる、それが最大の見どころだといつも思う。

私自身はCメロヲタクを自認しているけど、この曲もCメロで心が揺り動かされる。

「なぜ人は桜をこんなに愛するのか 胸が震える懐かしさに 一つ一つの花びらが肩を組むように 桜は満開になるのさ」

例えばこれだけ大人数のグループになればなるほど、一人一人のモチベーションに差があるのは当然で、意識の高低もあるのが自然なことのはず。ただ贔屓目を抑えたとしても、櫻坂にはそれが感じられない。もちろん、私が感じていないだけで色々あるのは承知している。でもやはり根底にあるものが「楽曲を届けたい」「グループに貢献したい」「それと共に自分も成長したい」という想いで、そこに関しては誤解を恐れずに言うなら、全てのメンバーが高水準で維持している。

もし本当にそうだとしたら、これは奇跡に近いかもしれない。

そんな奇跡のメンバーが、パフォーマンスの表情と素の表情の境目に立つ。

それがこの曲だと思っている。

表情の豊かさ、アイドルとしての表情と、一人の女性としての表情。そんな表裏一体を感じるのであれば、櫻坂の楽曲で随一だ。

この曲を聴けば、ちゃんと櫻坂の未来を感じられるのだ。

 

 

 

想いというのは、届いて初めてその形を成す。

ポジティブな想いならなおさら、自分の中だけで押し込めているだけでは、もったいない。

もしそうではなく、ネガティブな想いだったとしても。

たとえ自分の中にある葛藤であったとしても。

その想いを形にすれば、誰かからリアクションがあるかもしれない。

そのリアクションから、前へ踏み出すヒントを見つけられるかもしれない。

櫻坂46のメンバーは、元々不器用な人が多い。でもその不器用さがあるからこそ、嘘偽りのない、生の感情が伝わる。

言葉で伝える。それも大事。

でももっと大事なのは、示すこと。

言葉以外でも、態度で、背中で、動きで、示す。

偽物の想いに、これができるはずがないのだ。

たとえ彼女たちのことを誰が何と言おうと、本物をぶつけてきてくれると信じられるから、私も今ここにいる。

 

 

あなたは、本物の想いを感じたことはあるか。

 

感じたのなら、もはや離れることはできないだろう。

彼女たちが、そこにいる限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BACKS LIVE写真一旦削除しました