櫻坂日向坂の上り方

ブログ移転しました…長い間本当にありがとうございました!

光と陰の狭間の色に名前をつけたいー櫻坂46「五月雨よ」フォーメーション発表 2022年2月15日付

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私も含めて、もうそれこそ様々な予想が飛び交った。冠番組で発表されるのがわかっているのだから、冷静に考えれば待てばいいだけの話なのに、落ち着かなくて仕方ない。それが深い思い入れというものの体現された形なのだろうと、一方で妙に冷静な自分が意味のない分析を行う。

 

私がなぜどうしても全員選抜にこだわりたかったか。

渡邉理佐原田葵のラストシングル。当然それが最も大きい。

ならばやはり全員で二人を送ってほしかった。

全員で楽曲を届ける、というわりに、その表題曲に全員がいないことの矛盾点が疼く。

その表題にいないメンバーがどういう想いでこの曲を見つめるのだろうか。

そんな情緒的なものを排して、エイトや表題選抜を優先する意味を考えたくないけど考えてしまう。

 

もちろんそれはそれとして、もう一つの大きな理由。

選抜は、誰かしらが喜び、誰かしらが悲しむ制度であり、単純にそれを見たくないという意味があった。これも情緒的な部分ではある。

枠が決まっている以上、そこに入れたメンバーとそのメンバーを推している人は喜ぶ。一方で、入れなかったメンバーとそのメンバーを推している人が悲しむ。

自明の理。

表題に入れなかったメンバーは、自分を推してくれているファンに対して申し訳ないと謝り、そんな謝る姿を見てファンはそれ以上に申し訳ない気持ちに苛まれる。

一体何度この光景を繰り返してきたことか。

 

松田里奈と大園玲を推す私としては、二人の選抜入りを喜ぶべきなのかもしれない。

もう一人の推しメン・菅井友香の表題不参加は、ミュージカルという大仕事とスケジュールが被っている以上、仕方のないこと。それでもそこに彼女の名前がないという事実は衝撃的ではあったけど、卒業を控えた二人を中心にした共通カップリング曲への参加を喜ぼうと思う。

 

 

そして何より、私としては推しメンとか、推しメンではないとか関係なく、それぞれのメンバーの情念が体の中に入ってくるような感じがして、それがとても心を揺さぶられるのだ。

 

私は、全体を見通す目を忘れたくはない。

だから、喜ぶべきことはしっかりと喜びたい。

 

まず、山﨑天センター。

彼女の表題センター曲というのなら、どうしても私がこだわりたいのは、やはりこれだ。

 

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欅坂46そのものが活動休止してしまった以上、それを引き継ぐ櫻坂46を頂点に導く。

彼女が過去の自分のこの言葉を、現時点でどういうふうに捉えているのかわからないけれど、言葉には言霊というものがある。

大勢の人が見る前で放たれ、何なら世間的にも報じられたこの言葉を、ついに実現させるときがやってきたと私は思っている。

欅坂に入らなければできないような経験が、それこそ波のように襲ってきた。いいこともあった。一方で、本当に心がどうにかなってしまうような出来事もおそらくあったはず。

その全ての経験値を、表題センターとしてぶつけるときが来たのだと。

 

 

 

 

 

 

3列目とはいえ、初めて表題メンバーに名前を連ねたメンバー。

 

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上村莉菜

彼女には、感謝しかない。

欅坂46を経て、櫻坂46の現在地まで、それこそ様々すぎる想いを膨らませてきたに違いない。もしかすると、心折れてもおかしくない状況だってあったかもしれない。

それでも、ここまでやってきてくれた。

もう本当にそれだけで感謝しかないんだ。

だからこそ表題メンバーに名前があったこと、心から喜びたい。

BACKS LIVEの「美しきNervous」で魅せたあの輝きをまたぜひ放ってほしい。

 

 

 

 

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関有美子

もっともっと、前に出るべきメンバー。

強く個性のあるメンバーたちに、どうしても隠れがちになっているのが相当惜しかった。

殻を破る、という意味では、自分にいろんな挑戦をしている姿が見て取れる。

まさに実った、というべきか。

見方を換えれば、それだけ運営の方から期待をかけられ始めたとも言えるか。

最近の彼女を見ていて思うのは、明らかに以前と雰囲気に変化が見られること。

今まで見せなかった表情を見せるようになったこと。

人は環境が変わるとこうまで表に出てくるものなのか。

そのことがはっきりと伝わってくる最近の彼女から、ようやく時代が来るのかと思わされている。

 

 

 

改めて言うまでもないのだけれど、表題に選抜されなかったメンバーが劣っているとは、微塵も思わない。

BACKS LIVEを観た人なら、誰だってそう思うに違いないと確信する。

 

こだわるようで悪いけど、「全員で楽曲を届ける」と告げたのは彼らだ。

 

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そしてここには、「メンバー・スタッフ一同」との署名がある。メンバーもそのことは了解済み、と捉えられる。

ということは、全員で楽曲を届けるためには、本人たちの日頃の努力は言うに及ばず、スタッフもそのために奮闘していきます、という意味合いに捉えて間違いないと思っている。

メンバーは努力している。

スタッフさんも獅子奮迅の動きをしているのは知っている。

だから問題なのは、一人ひとりのメンバーに対してそれらの動きがつながる未来図が描けているかどうか。その絵が完成しそうな方向にしっかり向かっているのかどうか。

 

 

 

 

 

 

二人の卒業生を出すシングル。もちろん全員曲があることは嬉しいしありがたい。それは間違いない。

ただそれと表題曲というのは、全く違う意味合いの重さがある。

表題に入れなかったメンバーは、理佐と葵のラストを飾るシングルに自分がいないことをどう思うのか。

その想いを犠牲にしてまでこの状況の甘受を強いるなら、それ以上のリターンを彼女たちに与えてあげてほしい。

 

 

 

 

 

光と、陰。

陰があるから光が生まれ、光あるところに陰ができる、とはよく言ったものである。

でもその光が、全てを凌駕する強さを放てばどうだろう。

陰のできる余地などあるだろうか。

 

櫻坂46、全員で放つ光で陰を打ち消せ

陰という存在をこの世から消し去るがいい

 

もっともっと眩しくて眩しくて、直視できないほどの存在

全員にそうであってほしい。

 

全員が輝くグループ、なのだから。

 

 

 

 

 

さらに輝きが増すことを祈念して。

 

 

 

 

 

 

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五月雨や 起き上がりたる 根無草 ー櫻坂46、4thシングル「五月雨よ」発表 2022年2月10日付

根がちぎれ枯れかけていた草が、梅雨の雨を浴びて再び根を出して起き上がってきたことだ。

 

五月雨、といえば、かの有名な芭蕉の句が思い出されるが、今の櫻坂にはこちらを手向けたい。

村上鬼城の句。

欅坂46の改名に端を発した櫻坂46。改名の頃はメンバーはもちろん私たちも不安だらけだった。枯れかけていたとは思わないが、グループの存続すらどうなるか不明瞭な状況があったのは確かだ。そこから走り出し、少しずつ櫻坂46としてのステータスを色づけているように感じるのは、彼女たちの努力であり、運営を始めとするスタッフさんの東奔西走であり、そして私たちBuddiesの強い声援が全てミックスされてのこと。

それ全てが、すなわち五月雨に当たる養分なのだろう。

 

櫻坂46、満を持しての4thシングル発表。

 

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五月雨は、五月の雨と書きはするものの、季語は旧暦で考えるもの。

新暦の6〜7月にあたるため、実は五月雨とは梅雨のことである。

同時に発表された個握ミーグリは5月8日までだが、ここに全握ミーグリが加わると、もしかしたら6月や7月にまで渡るかもしれない。ただ実際その方が五月雨の本来の意味としては合っている。

と言うよりも、五月雨っぽい云々より何より、渡邉理佐原田葵のラストシングル期間、Buddiesなら少なくとも、少しでもその期間が長い方がいい、と思うのが人情だ。

 

注目点まとめ

 

 

 

1.センター

私たちや運営側がいくら「全員で輝く」と言ったところで、MVやTV披露のときはセンターを中心に写すのは当然だし、その曲の「顔」である以上それが大きな役割とも言える。ということは、今作もその「顔」を誰に据えるかというのが最大の注目点にならざるを得ない。

1stと2ndは、森田ひかる。

3rdは、田村保乃。

ほのセンター継続か、それとも変えてくるか。

正直私のような箱推しになってくると、全員の「五月雨よ」センターを1回ずつ観たいくらいになってはくるが、それはまた別の話。

別の話ではあるけれど、ただ誰がセンターとして戦っても勝負はできる。それだけの力はあると信じる。

りさあおラストだからセンター、というのは本人たちが受けない気もするし、そもそもそれありきで曲が作られるような感じがしない。櫻坂全体の流れの中で、たまたま卒業の時期がここだった、というのが正しいような気がする。

もちろん見たいに決まってはいるけれど…

敢えて見方を変えれば、そんな彼女たちを送り出す意味で、彼女たち以外の一期生がセンター、という可能性も多分にある。そして一期生はそれができるメンバーしかいない。

二期生。

るんほの以外だと、藤吉夏鈴、山﨑天というセンター経験者はある意味安定しているけれど、いきなりそれ以外から表題センターも面白いとは思う。

夏鈴ちゃんには、ある意味特別な想いで、表題センターを務めてほしい気持ちはある。天ちゃんも、そろそろ頂点を導く戦いが始められる経験値。

もちろん、一期生二期生関係なく、誰がなっても必ず絵は描ける。

どの絵を運営が選択するか、だと。

 

もうすでに決まっているどころか、そのセンターを中心に振り入れ等走り出しているはずなのだけど、どんな景色がBuddiesの前に現出するのか。

 

2.櫻エイト&フォーメーション

櫻エイトを継続するかどうかは現時点で不明ではあるけれど、エイト継続は選抜制度継続も意味する。

正直、23人という人数で選抜制度にこだわることの意味は理解し難い。あるとしたら、ビジネス的な、売る側の論理オンリーであって、こちら側としては、あるかどうかもわからない4th BACKS LIVEへの期待くらいしかない。もちろんそれはそれで尊いことではあるし、私もBACKS LIVEはとても好きなんだけど、りさあおラストという意味でも全員選抜を推したい。

タイムラインでもちょくちょくエイト予想フォメ予想を目にはするけれど、自分がそれをするかというと、できない。誰を入れても、誰を後ろに下げたとしてもしっくりこないからである。

仮に全員選抜だとしても、次はその問題が起きる。

誰かが前に来るということは、誰かが後ろに下がるということ。

選抜であるならば、誰かが新しく表題メンバーに入るとしたら、誰かが外れる、という、度し難い現実に直面する。

新曲は、もちろん新しい期間に入るというワクワクがある一方で、またその熾烈な様相を見なきゃいけないという側面がある。

 

3.カップリング

櫻坂日向坂共に言えることだけれど、とにかくカップリングが強い。私たちだけでなく、もっと広く世間に知ってもらいたいくらい強い。カップリングで終える、LIVEでないと披露されないというのは実に勿体無い。

櫻坂に限って言えば、前例を踏まえて7曲が収録が収録されるとすれば、これで28曲が持ち曲となる。LIVEの幅が更に広がる曲数ではあるが、「全員で楽曲を届ける」ことに拘って生まれたシステムのためか、ユニット曲がすこぶる少ない。全員で楽曲を届けるはずなのに、全員で歌唱する曲がない。そもそも「全員で楽曲を届ける」ことと、選抜制度は、水と油。矛盾しか生まないのである。無理やりこの水と油を混ぜれば、弊害を生むに決まっている。

よくわからないのは、このことに拘るのなら、なぜ3rdで急にユニット曲を入れてきたのか、ということ。「ジャマイカビール」も「On my way」ももちろんいい。ただそれとこれとは話が別で、これは4thカップリングにも大いに関わる話である。この2曲をユニット曲解禁と捉えるなら、ユニットの組み合わせの可能性はいくらでも膨らむ。

というより、その前提として、今までの櫻エイト+3チームという構成を継続するか、全員選抜で表題に戻すのかで、話が全然違ってくる。まずは、冠番組で発表されるというフォーメーション次第か。

 

4.特典映像

通常盤以外におそらく収録されるであろう特典映像。最近はLIVE円盤を単体で発売せず、シングルの特典映像に収める傾向が強いが、お得感がある一方で、個人的にはLIVE円盤という形での置いておきたいという気持ちも強い。

もし今回収録されるとすると、W-KEYAKI FES.、1st ANNIVERSARY LIVE、3rd BACKS LIVEと可能性のあるLIVEが目白押しだ。これらが全て収録されると考えるのは難しいし、どれかは単体での販売を期待したいところだが、果たして。

そして、メンバーもBuddiesも期待しているのは、やはり「SAKURA HOUSE」ではないだろうか。欅坂時代のあの「KEYAKI HOUSE」は誰のアイデアかわからないが、本当に需給が一致した珠玉のコンテンツだった。メンバーが仲良さそうにしている様子は、私たちにとってもたまらない映像となる。ミーグリにおける定点カメラがそれに近いが、あれは生中継な上にアーカイブなんて絶対に残さないだろうからまさにその場限り。そこまで行かずとも、普段の関係性が垣間見える、そしてメンバーの素顔がふんだんに盛り込まれる映像は、全てのメンバー&Buddiesの待ち焦がれるものだろう。

何より、渡邉理佐原田葵がメンバーと共に過ごす最後の姿。

ここだけでも、「SAKURA HOUSE」の意味はある。

 

5.全握ミーグリ

4th期間は、全てが「渡邉理佐原田葵のラスト」という冠がついて回る。

ミーグリは、個別はもちろんのこと、実は全握ミーグリを個人的にはかなり注目している。

守屋茜渡辺梨加の卒業時を参考にすれば、4th期間とは現時点では、この全握ミーグリ最終日までを指す。もちろん、ペーねんのときのように、個握ミーグリ特別枠が追加されれば別だし、おそらく開かれるであろうミニライブのコメンタリー版が本当のラストとなる可能性が高いが、配信される頃にはおそらく二人の活動は終了しているだろう。

今回4thは、できればこちらにも少し力を入れたい。

今執筆している時点では、個握ミーグリの抽選結果待ちの段階だが、全て当たるとは思えないので、外れた分をこちらに回そうかと考えている。スペシャルプレゼントの発表があるまでは日程から何からまだわからないが、いつも以上に注目して見てみたい。

 

6.卒業ライブ

実はここに触れるのが最も難しい。

守屋茜渡辺梨加のときは、アニラを控えていたというのもあったので、そこで二人のセレモニーを設ける機会があった。ところが、りさあおの場合は、現時点でそれに当たるLIVEが発表されていない。とすれば考えられるのは、いわゆる卒コンにあたるものが企画されるかどうかだが、もちろん櫻坂では前例がないし、欅坂時代に遡っても、長濱ねる卒業イベントくらいしか記憶にない。そしてそれも、卒コンではなかった。

4th期間、4thの楽曲を届けるために全員が全身全霊で臨むとは思うけど、裏の意味で最大の関心事になるのはこの卒コンの有無かもしれない。

果たして二人を送る手向けの舞台は用意されるのか。

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一期生を初登場の頃からずっと見てきた人間からすれば、卒業イベントでもいいので、当然あってほしいに決まっている。

 

いよいよ動き出す、4th。

改めて言うまでもないが、それは渡邉理佐原田葵のラストの時間が刻まれる期間。

繰り返したい。

そのことを悲しむのではなく、その尊い時間をどれだけ大切に彼女たちと過ごせるか。

ある意味いつも以上に尊さが増すことになるこの期間が始まることを、喜ぼうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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かくばかり 逢ふ日のまれに なる人を いかがつらしと 思はざるべきー櫻坂46原田葵卒業発表 2022年1月30日付

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こんなにも会える日が少なくなったあなたのことを、どうして、こんなにつらい気持ち、恋しい気持ちを我慢することができましょうか。

 

「逢ふ日」=「あふひ」=「あおい」の物名歌といわれる、詠み人知らずの古今集の一首。

彼女が卒業して、姿を見ることが少なくなると当然こういう気持ちに襲われる日々が待っていることだろう。

 

櫻坂46・原田葵卒業発表。

 

sakurazaka46.com

 

ただ、この歌を選んでおいてこういうことを書くと矛盾しているようにも見えるけど、ゴールを見せておいてくれたというのは、逆にそこまでの時間を覚悟を持って過ごせる、ということでもある。

先に卒業発表をした渡邉理佐然り、本人たちも、私たちもその覚悟で4th期間を過ごすことができるのは、ある意味幸せなのかもしれない。

 

先日のりさあおSHOWROOM

その後理佐の卒業が発表され、SRはそういう意味合いがあったのかと妙に納得してしまった私ではあるが、逆に腑に落ちないこともあった。どう考えても理佐の卒業を知らなかったはずのない葵が、実に普段どおりというか、寂しさを全く感じさせないSRをやり切ってしまったことを、理佐の卒業を知ってから不思議に思った。

 

 

それだけ彼女が大人になった、と言えばそれで済む話だったかもしれない。でもそれだけではどこか心の引っ掛かりが取れない。

 

もしかして…という想いがあった。

 

こんな虫の知らせは、当たらないほうがいいに決まってはいるけど…

 

時間差があっての卒業発表で、やはりそうだったのかとようやく納得した自分がいた。

 

 

原田葵といえば、加入当初が中3で、今は大学3年生。

変人人ケーキの時代を知っている人がどれだけ今いるだろうか。

 

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二人セゾンMVのピンスポは今でも印象に残ってるし、不協和音の葵櫓とも葵タワーとも言われるあの場面も見せ場だった。セゾンで言うと、欅坂2ndアニラのセゾンにおけるソロダンス。あれこそ原田葵の真骨頂だった。

 

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実は個人的には、セゾンMVの〝What made you do that〟の場面以上に、一瞬映る彼女の横顔とさりげないバレエの所作のシーンが好きなんだけど…

 

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学業による休業。あのとき、実は彼女の卒業を感じた人は意外と多かった。

合格したらそのまま卒業するのではないか、と思っていた推しの人が目についた印象がある。

彼女が復帰したのは、2019年7月の欅共和国。

 

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このときの裏側で絶対に忘れられないのがこれ。

 

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平手友梨奈は彼女に「戻ってきてくれてありがとう」と声をかけたという。それは平手でなくても、私でも思う。

本当によく帰ってきてくれた。

どこかの週刊誌の言うように、グループの内部がどうこう、ということはあまり感じないけれど、正直欅坂の活動そのものは体力も精神力も私たちが想像している以上であったことは間違いない。命をすり減らす、という言葉が大袈裟に聞こえないくらい、一曲に己の全てを賭ける。そんな活動が長く続けば続くほど、もたなくなることは十分考えられる。

 

グループに復帰する、ということは、再びその覚悟に身を投じるということ。

 

こういう話のときはいつも書くことだけど、当然嬉しいこと楽しいこともたくさんあるに違いない。ただその一方で、辛いこと苦しいこと泣きたいことがなかったはずはない。

グループを休業し、復帰した人には概して言えることではあるけれど、それでも復帰する選択をしてくれたことには、感謝以外何もない。

しかも彼女の場合は、そこから欅坂46は改名に向かい、櫻坂46として転生することになる。このとき彼女の胸中に去来したものはいったい何だったのか。

 

卒業発表のブログで、泣かなくなったと彼女は書いた。

そういえば、確かにそうだ。

それを成長と、とるのも正しいのだろう。

あれだけの波瀾万丈の毎日を過ごして、心が鍛えられないはずがない。

涙を流す、ということは、決して弱いからではないと私は思っている。誰かのために泣く、自分が不甲斐なくて泣く、嬉しくても泣く、いろんな涙の種類がある。人は見た目だけで、泣くことを弱いと思いすぎである。

涙ほど、一瞬で空気を変える力のあるものが、この世のどこにあるのだろうか。

実は最強なのではないかと、普段からよく感じることがある。

 

涙を流す人が弱い、というのなら、その弱い人が欅坂、櫻坂をここまで成し遂げられるはずがないじゃないか。

ここまで過ごした日々に別れを告げて、新たな道を歩き出そうとする人が、弱いはずがないじゃないか。

学校と違って、グループの卒業は自分で決められる。それができる人なのだから。

 

波のように押し寄せる、卒業の報。たとえどんな理屈を述べたところで、もちろん感情はなかなか納得しない。時間という薬が必要なのだろう。いや、それすら癒せるかどうかわからない。

でも、それでも敢えて、彼女たちが踏み出そうとする一歩を邪魔だけはしたくないし、してほしくない、と言いたい。

まして「4thが来なければ永遠に卒業はない」などという考え方は、申し訳ないけど言語道断だ。

このブログを書いている時点で、まだ発表されてもいない4thの活動をもって卒業する、なんてこんな異例の発表もない。何故この形なのか、考えてみなくてはいけない。

 

それは彼女たちが、卒業までの日々を大切にしたいからに他ならないと思っている。

 

同じ瞬間は二度ない。この瞬間も二度とやってこない。

皆様がこのブログをお読みになっている時間も、同じ感情でお読みになる時間は二度とやってこない。

彼女たちと過ごせる時間も、こうしている間にも一秒ずつ刻まれていく。

 

だから大切にしなきゃいけない。

一瞬一瞬を後悔しないように。

 

そのため以外に何があるというのか。

 

4thシングルは、欅坂時代も含めて、今までにない「意味」を持つ存在となる。今まで以上に、その曲調や世界観はもちろんのこと、表題フォーメーション、カップリング、何より選抜制度の有無に至るまで、全てが最大の注目ポイントとなる。と同時に、とてつもなくハードルも上がっている。

 

越えてこい。

また身を削らせることを強いるのは心苦しいけれど、あなたたちなら心配しないでとたぶん笑って言うのだろう。

 

4thが発表されるとき、そこがスタートである。

もはやカウントダウンと言うなかれ。

そこから全ての瞬間を尊いものにする時間の幕開けなのだ。

 

 

幕開けを、喜べ。

 

 

 

 

 

 

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世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからましー櫻坂46渡邉理佐卒業発表 2022年1月25日付

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世の中に桜というものがなかったならば、春になっても桜の花の咲く楽しみ散る悲しさなど心騒がすこともなく、のどかな気持ちでいられるでしょう。

 

在原業平が、まるで古の時代から現世を見はるかし、櫻坂46というものがもし存在しなければ、心のどかな気持ちでいられるのに、と詠んでいるようにすら思える。

 

櫻坂46・渡邉理佐卒業発表。

 

sakurazaka46.coms

 

誰かが卒業をするというと、それを伝えるライターの記事然り、ファンのコメント然り、「本当に惜しい人材を失う」と綴られる。

理佐が惜しいのは言うまでもないこと。だけど、櫻坂46は今や誰を失っても惜しい。惜しくない人材など一人もいない。

でも、卒業というワードはおそらく、在籍しているメンバー全員にとっての関心事。卒業を決める決めないとか、予定があるとかないとかに関わらず、誰にとっても最大の関心事であるはずだ。

もちろん私たちにとっては、卒業なんかせずにずっといてほしいのが本音であるに決まっているのだが、一方で、アイドルではなく一人の女性としての彼女たちの将来を考えたとき、私たちの感傷的な部分で彼女たちを縛り付けていいわけがない、という現実もそこにある。

 

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欅坂46が活動休止を迎えたあの日。推しメンである佐藤詩織さんがそのタイミングで欅坂を卒業した。そのときから推しメンというものについてあれこれ考える機会が多かった。

推しメンを作るほうが、推してて楽しい。おしなべてそれは間違いない。

とはいえ、ならば推しメン以外は興味がないのかと言われれば、全くそんなことはない。むしろ逆だ。全員推しメン、と言った方が理屈に合うくらい。

だからこそ、松平璃子の卒業も、守屋茜の卒業も、渡辺梨加の卒業も、私にとっては身を引き裂かれるくらいの衝撃だし、それは卒業という事象があれば必ず覚悟しなければならない心の痛みであるのだ。

 

そして、理佐。

 

全く予感がなかったわけではない。

 

元々渡邉理佐を表現する代名詞といえば、個人的には「曲線」である。全てにおいて丸みを帯びているように見えたのが、私にとっての渡邉理佐という人だった。無言の宇宙のセンター、MV然りTV然り、なんとなくその丸みがさらに発展しているようにも思えていた。それが何を意味するのか。あまり深くは考えなかった。否、敢えて考えないようにしていた。

それにしても、守屋茜渡辺梨加卒業のときも同じことを考えたけど、やはり欅坂46活動休止は彼女たち一期生にとっての最大のターニングポイントだった気がしてならない。あの時点で、ややもすると一期生全員卒業という可能性だってゼロじゃなかった。

でもそれはある意味当然の話で、それだけ彼女たち一期生が欅坂に賭けてきたことの現れでもある。改名して心機一転頑張りましょう!と言われて心がついていけるかどうか、それこそおそらく全員が自問自答したに違いない。

 

推しメン佐藤詩織さんのように、卒業という選択肢もあったし、それを間違いなどと言うつもりは毛頭ない。

一方で、櫻坂46の転生を受け入れて、自分の居場所をその新しいグループに求めた一期生も、もちろん間違いではない。

ずっと張り詰めていた糸が切れてしまったようなグループ活動休止の後で、よくここまで頑張ってくれたと思う。櫻坂になって1年と少し。決して短くない期間。

楽しいことが多かった、それも事実だろう。でも、それと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に辛いことがあったのも間違いないはずだ。

もしかすると、櫻坂は二期生中心のグループになることを知ったうえで、そんな二期生のバックアップに徹したいという気持ちがあったかもしれない。

想像の域は出ないけど、あの理佐のことだから、そう考えていたとしても不思議ではない。

つまり、自分がいなくてもこのグループは大丈夫、二期生は立派に成長したから…と理佐が判断したからこその、卒業発表だったと考えれば合点はいく。

誰かの心模様を推し量る、ということがいかに無粋か全て承知した上で、そう思う。

 

それにしても、慣れない。この「卒業」という言葉は。本当に慣れない。たぶん永遠に慣れることはない。

 

たとえどんな美辞麗句で覆い隠そうと、自分が大好きなグループに、大好きなメンバーが一人いなくなる、という事実だけは変わらないのだから。

 

4thの活動をもって、と理佐はブログに書いた。

ペーねんのときのように、卒コンにあたるものは開かれるのかどうか。それもコロナ禍で全くもってどうなるかわからないけれど…

そして、これが発表されたということは、大いなる意味を持つことになる4thシングルの発表も、おそらく近い。

 

4thか…

4thの活動をもって、だもんな…

一気に、4thの発表が何か怖くなってしまう自分がいる。

語弊があるのを承知で言えば、4th発表のそのときこそ、ある意味の「The beginning of the end」である。

 

理佐にまつわる全てが最後になる、と思って4thを見つめていかなければいけないとは…

 

うん、だからまだお疲れ様は言わない。

さよならなんてギリギリまで言うものか。

今までありがとう、ですらまだ早い。

 

渡邉理佐の6年間をずっと感じながら、見つめ合うのではなく、共に同じ方向を向く4thでありたい。

 

 

 

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比類なき魂で魅せる美しさー櫻坂46、3rd single BACKS LIVE 2022年1月16日付

【前書き】

ブログを開いていただきありがとうございます。

総文字数16000字を越える長編のため、全てをご覧になるには相当の時間を要することをご了解ください。もしお時間がないときは、下の目次から飛べるようになっておりますので、そちらをご覧いただけると幸いです。

彼女たちが自分の全てをぶつけてきてくれたので、私も生で観て感じたことの全てをぶつけようと思った結果がこちらです。

宜しくお願い致します。

                                                川島 雅隆

 

 

 

 

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M1:ソニア(小池美波)

ソニアはそもそもBACKS曲。

とすれば、小池美波以外のメンバーがセンターを務めるのも、二重の意味となってしまい煩雑だ。

それにしても…

5年以上彼女を見ているけど、最近本当に思う。

小池美波は、女優である。

曲の雰囲気に合わせて、その空気を纏うことができる。もちろんメンバーはみんなそれができるんだけど、小池美波のそれは何かが違う。

時が、経験が、それに伴う感情がそうさせたのか。

ソニアの柔らかさを見ていると、彼女を取り巻くこれまでのすべてを思わずにいられない。

自分のことが好きになれなくて、どうしようもないと涙したあの瞬間であったり。

「ガラスを割れ!」MVで、一人だけロックに徹していないと言われてみたり。

平手友梨奈が不在の二人セゾンのソロダンスを、何かに突き動かされるように、衝動的に務めたあの瞬間であったり。

欅坂幻の9th選抜発表で選抜から外れることになった瞬間の涙であったり。

彼女自身はどう思っているかわからないけれど、一つ言えることは、これらを乗り越えたからこそ今がある、ということ。それだけは間違いない。

そこには、周囲に助けられたとはいえ、自分の力で立ち上がったという現実があって、だからこそ自分を保てているのではないかと想像する。

そしてそのことが、しっかりとパフォーマンスに表れる。

これまでの人生の全てをパフォーマンスに捧げろ、というのは、あまりにも酷な話。

でも、結果としてそうなっていることが、小池美波の強さである。

それがわかっているからこそ、彼女の柔らかい表情を見ると涙腺が刺激されるのである。

 

M2:BAN(松田里奈)【DAY1】

正直松田里奈とBANの空気はフィットしていない。いい悪いでも、ましてや正しい間違っているでもなく、フィットするかしないかで言えば、しないと私は思っている。

だが、だからと言ってそれが何だ。

フィットなんかする必要があるのか。

合わないものを合わせようとするところから、生まれるものだってある。合わないからこそ面白い、というものもある。

まつりBANで言えば、曲の雰囲気というより彼女の雰囲気に合わせて他のメンバーが表情を作っていたような気がする。それを彼女たちが意識していたかどうかはわからないが…。

松田里奈の持つパーソナリティがもたらした効果。

切込隊長だ、副キャプテンだと何かと前に出る機会の多い推しメンではあるが、心の奥底で考えていること。ずっと歪みを溜めた爆発力が、その爆発を待っているかのような感覚。

BANという曲は、結局甚だしくセンターの色で空気が決まる、その最たる曲。ということは、このBANは、松田里奈の奥底に眠る破壊力に沿ったパフォーマンスであったのだ。

遠慮なんか、要らない。

心を許した仲間と、全力を尽くせば必ず声援を送る私たちの前で、遠慮なんか最も必要のないもの。

さらに進化した爆発を、その青白さが増す光を見てみたいと思った。

 

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M2:BAN(遠藤光莉)【DAY2】

これは櫻坂をずっと見てきている人なら同じ感想を持つ人も多いだろうと思うのだが、遠藤光莉が前に出てこないのは不思議で仕方がない。

本当に、一度遠藤光莉センターの曲を見てほしい。何なら、櫻坂46というグループのイメージすら変えかねない強さがある。

いや、それで言うなら、彼女になら変えられてもいいかなと思ってしまう。

彼女のことを取り上げると必ず触れるのだけど、加入当初はやはり性格なのだろう、前に出ることはおろか、人前で何かを話すことさえ苦手意識があったようで、でもダンスをさせたら超一級品で、という落差が逆に気になって仕方がなかった。

ある日そんな彼女が、前髪を上げた。

たったこれだけのことが、傍から見るとこれ以上ないくらいのきっかけとなった。

同じ人かと思うくらい、はっきり変わった。ここまで変化や成長が手に取るように見えた例は、そんなに多くない。

そこに掛け算となったのが、ダンススキル。

一つ殻を破ったことで、そもそも備わっていた表現力にさらに磨きがかかる。

ある意味、このBANというのはそんな彼女にうってつけだ。

3分39秒の中に、遠藤光莉の成長が全て詰まっている。

この日からしばらく経っても、彼女のあの、何かを見据える目が脳裏に灼きついている。

 

M3:半信半疑(齋藤冬優花

齋藤冬優花は世界を作れる人である。

これは欅坂46の一期生として活動が始まったときからそうだけど、自分で物語を作れると同時に、他の人の物語や世界に自分を合わせることもできる人である。

主張しすぎず、だからと言って存在感を消さない。

個人的に、齋藤冬優花の作る物語の芯になるのは、曲線美ではないかと思っている。

曲線を効果的に表現できることで、表現の幅がぐんと広がっている印象があるし、その強さといったらない。

そしてこの曲線美がパフォーマンスに与える効果は、計り知れない。

もちろんそれは経験からくるものもあるだろうし、元々彼女が備えているスキルでもあるだろう。

そしてその動きの中にある、欅坂46時代からずっと彼女が抱えてきたはずの葛藤なり苦悩なりがストレートに伝わってくる。その過程があって、自分が今ここにいるんだという主張さえ見て取れる。

正解も間違いもない。

今自分がそこにいることこそが、全てである。

前回のBACKS LIVEにおけるBANでもそうだったが、今回の半信半疑でも同じことを感じた。

 

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M4:なぜ恋をして来なかったんだろう(藤吉夏鈴)

今まで数え切れないくらいなぜ恋を観てきた。TVもそう、LIVEもそう、もちろんMVもそう。でも同じなぜ恋であるはずなのに、そのどれもが違って見えるような感覚に陥るのは不思議。

「楽曲を届ける」という言葉は、そんなに軽いものではない。もちろんそれがわかっていないメンバーなんか櫻坂にいるはずがない。

他の曲もそうだが、だからかなと思う。例えば振付がシステマティックになって、誰でも教科書どおりに踊れるのも素晴らしいことかもしれない。ただそれで観る側は心が動くのだろうか。

藤吉夏鈴という人は、特に最近、アイドルというより表現者の域に達してきているのかもしれない。そのときの空気や感情で、変わるものもあれば変わらないものもある。

でも、それは楽曲が生き物である、証拠。

今回も今までとは何かが違うなぜ恋を見たことで、その仮定は確信に変わりつつある。

というのはもちろん本音なのだが、一方で別の本音もある。

曲の世界は、どんなライブでも一定で、その世界に没頭さえすればそれが全ツであろうがBACKS LIVEであろうが、或いはTVであろうとフェスであろうと変わらないだろう。

そのときは、それでいい。

だが、曲前や曲後、藤吉夏鈴の胸中に去来するものは何なんだろう。そう考える自分もいる。

BACKS LIVEで披露する、元々自分のセンター曲である、なぜ恋。

ライブは、どんなライブでも同じく大事。それはもちろんそう。

だけど…

この〝「BACKS LIVE」におけるなぜ恋〟を経験して、彼女の何かが変わるのか。それとも変わらないのか。

パフォーマンスに落とし込まれるものに変化はあるのか。

それはもしかしたら、藤吉夏鈴にすらわからないことかもしれない。

 

M5:最終の地下鉄に乗って(井上梨名)

ここ最近の井上梨名を見て、正直言うと少し心配していた。

何か、全てに迷いが生じているような空気を感じて、もちろんそれはあまり言葉にしない方がいいように思ったので触れなかったが、それが一体どこから来ているのかと思ったことはある。

杞憂に終わればいいと思っていたし、仮に想像したとおりだとしても、それこそ「櫻坂の詩」の歌詞じゃないけど、私にできることはないし、彼女自身がそこから立ち上がるのを待つしかないと。

翻って、この曲は櫻坂というより、欅坂時代から考えても極めて特異な曲だと思っている。

秋元康の曲の作り方からすれば、詞先で作ることはあまり考えられないので、曲が先にあったと想像するけれど、この曲からあの歌詞の世界を構築できるところが、脱帽というかどうにも敵わないと思ってしまうところである。

そうすると、この曲を捉えようと思えばどこからスタートすればいいのか。

もちろん人それぞれ違うだろうけど、私はこの曲の主人公が、歌詞の内容ほど達観というか、諦観というか、残りの人生を持て余していると斜に構えているようには感じていない。最終の地下鉄に乗って、終着駅に着いても、実はまだその先があるんじゃないかと思う心情。それは未来に思いを馳せる「希望」という言葉につながる。多分そうであるからこそ、メンバーは笑顔で歌えるんじゃないかと。

そうだとすれば、井上梨名が何かに悩み、出口の見えない場所に置かれていたとしても、彼女自身は希望を全く捨てていないし、そんな葛藤がぴったり嵌ったのがこの曲だったのではないだろうかという予想ができる。

この後のMCでも言ってたように、前回のBACKS LIVE。Nobody's faultのセンターに立候補して、それを務め上げた。もちろん、こちら側は彼女の持つもう一つの部分というか、その気迫というものが存分に伝わったので評価は高かったのだけれど、本人としてはあのあたりからどうも袋小路に入ってしまっていたらしい。

でも、ツアーの時期に、この曲で休養していた小林由依ポジに入って救われたと。そして、この曲でBuddiesに寄り添える人になりたい、という想い。

井上梨名には、これがある。

ある意味、彼女の人生を見る想いがあって、それがストレートに突き刺さる。

彼女だけではない。

櫻坂46には、これがあるのだ。

 

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M6:君と僕と洗濯物(原田葵

とにかく原田葵が本当にキレイになった。

いや、もちろん前からそうなんだけど、なにせ小学生弄りされてたときからずっと見てきているので、そのポテンシャルが完全に花開いた瞬間を見る感じ。

一期生は誰を見てもずっとその年月を想ってしまうんだけど、彼女の場合も学業で休業していた時期はあったにせよ、欅坂の荒波を共に越えてきたメンバーである。そもそも、受験明けによく戻ってきてくれたという安心感は凄まじかった。その後の流れを考えるに、本当によく戻ってきてくれたと思う。

そう思うと、あれだけキレイになったのは間違いないけれど、その理由の一つに、なかなかグループ外では経験しない艱難辛苦を乗り越えた、磨かれた美しさがあると思う。平手友梨奈が脱退を告げたときの涙など、人知れずいろんな感情と闘ったに違いなく、もっと言えば戻ってくるという選択肢以外の方法論だって彼女にはあったはず。それでも戻ると判断した、そのときの気持ち。

グループは前に進んでる、メンバーは自分の経験していないことを経験している、半周も一周も自分は遅れている、これを取り戻すには人の二倍も三倍も練習しなければいけない、それが宿命づけられているのに、それでも戻る。

そして、それを乗り越える。

彼女の醸し出す美しさは、単なる可愛らしい、で済まされるものではない。美しさに本物や偽物があるのか知らないが、たとえあるとしても彼女の美しさは本物だ。

 

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M7:Microscope(大園玲)

推しメン大園玲は、理系を感じることが多々ある。

私自身がガチガチの文系なので、理系の方の考え方がわからないことも多いのだが、Microscopeはまさしくそんな理系男子の曲。彼女が自分で選ぶだけのことはあるなという印象。

私の周囲の理系男子女子を見てて思うのは、やはり一つの答えを追い求める姿勢はとても探究心があって素晴らしい、ということ。ただその一方、割り切れない、答えとしてすっきりしないものは避けようとする傾向がある。

ところが、だ。

世の中はそんな割り切れないことの方が圧倒的に多い。

理屈に合わない、なんでそうなっているのか誰も説明できない、そして何より割り切れないのは、人の感情。

こんな不可思議なものはないのであって、逆に言えばそこに人間ごときが作った理屈やルールを当てはめようとするから、何かがおかしくなっていく。

人の感情ほど、理系的に難易度の高いものは見当たらない。そんな気もする。

それをリケジョである大園玲がセンターでパフォーマンス。

感情が割り切れる、ということなど永遠にない。理性が感情を支配するような世界は、こっちから願い下げだ。もしそんな世界がこの世にあるというのなら、おそらく欅坂も櫻坂も存在し得ない。どちらとも、エモーショナルな部分で勝負するグループだからだ。理屈が先行してしまったら、と考えるだけで首をすくめたくなる。

感情は、割り切れないことをもってして、感情なのである。

この世には、実験や、観察や、公式なんかで解明できないことがあることを、自分が誰かを好きになることによって知る主人公。

大園玲は理系ではあるけれど、ちゃんと感情が理性なんかでブレーキングできないものもあることを知っている。

おそらく、彼女自身の感情がそれだったことがあるからだ。

理系でありながら、想うことの強さを知る女性。

そんな彼女がセンターに立つ。それは当て嵌まり過ぎるくらい当て嵌まるのだ。

 

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M8:偶然の答え(守屋麗奈)

守屋麗奈は天然と作意のハイブリッドだと思っている。それが表れた最たるものが前回のBACKS LIVE時の「ブルームーンキス」だった。ただこれをハイブリッドにできるのは、天性の資質に常の努力が掛け合わされるからだ。

そして表に出るのが、オリジナルの表現力。

楽曲を届ける、とよくメンバーは口にするけれど、それは一体どういうことなんだろう。

誰かが何かを表現して、それを見た人が何かを感じる。そのときに、演じる側が伝えたいことと、受け取る人が感じたことが一致したとき。それがまさしく「楽曲が届いた」瞬間なのだろう。

パフォーマーの使命とはまさにそれではないのか。

だとすれば、守屋麗奈の魅せる雰囲気は、自分を目立たせるためではなく、あくまで楽曲を届けることに主眼を置くことで醸し出せるものなのではないのか。

偶然の答えの世界は、あまりに作為的になりすぎるといやらしさが前面に出てしまうし、さりげなさすぎると伝わらない。その微妙な隙間にスポットを当てなければならない。そのためには、自分が前に出ることを考えるわけにはいかない。それをしてしまうと、その瞬間に隙間からの光は遮断され、また闇の中だ。

あざとさ以外にも、しっかり切なさも表現できる。それが守屋麗奈なのである。

 

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そして注目点はもう一つ。この曲のオリジナルセンターを務める藤吉夏鈴だ。

BACKS LIVEということは、当然自分のセンター曲も誰かがセンターを務めるのだが、そのときに彼女はどの場所にいるのだろうと。

せっかくの機会なので、自分のセンター曲を他のポジションで務め上げても面白いと思う。全メンバーがセンターを務める、ということの逆の発想で、センターのメンバーが2列目や3列目を務める。もちろんそれは序列がどうとか、まるでそういう話ではなく、自分がセンターを務めているとき、後ろからはどう見えているかを知ることは、素人考えでも重要だと思えるからだ。それを知ることで、むしろセンターを務めるときに表現の幅ができるのではとさえ思っている。

 

 

結論から言えば、フォメのどこにもいなかった。

これは運営の指示なのか、藤吉夏鈴の意思なのか、それは私には知る術がない。ただどちらにせよ、大きな機会を失ったような気もしなくもない。

 

M9:思ったよりも寂しくない(増本綺良)

増本綺良に本音を聞きたい。

今のあなたは、本当に「思ったよりも寂しくない」のか。

彼女がこの曲のセンターを選んだ理由。

ブログでその理由を書いているので、外野が余計なことは言わないほうがいいとは思うけれど、一つだけ。

前回のBACKS LIVEでこの曲のセンターを務めたのは、守屋茜だった。

増本綺良はあのキャラなので、おそらく櫻坂のメンバー誰からも愛される。

実は誰よりも情に熱く、意外と常識人。ある意味、常識人だからこそ、常識外れがどれくらい外れているかを知っている、とも言える。

メンバーに対する想いは強すぎるくらい強く、それだけに誰かがいなくなることに心の底から抵抗する。

そんな人。

この曲は意外に強かった自分に出会って前に進む自信がついた、という曲であるので、寂しい顔なんかもちろん見せられない。笑顔でこの曲を演じ切る増本綺良。それはそれでこの曲としては正しい。

守屋茜の卒業から、まだ間がない。

この時点で「思ったよりも寂しくない」わけはないのだ。

でも逆に言えば、そこにこの曲を選んだ意味がある気がする。

本当に大切な存在であった守屋茜に向けて、あなたが必ず心配しているであろう自分は、思ったよりも寂しくないですよと。だから大丈夫心配しないでと。

強がりでもいい。

そのメッセージを送ることにも、意味があったのではないだろうか。

そうであるならば。

メッセージはあの人に伝わったのだろうか。

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M10:美しきNervous(上村莉菜

見ている側というのは、自分達のイメージでどうしても語ってしまう。その人の醸し出す雰囲気や言動でイメージを作り上げる。そうさせてしまうのもアイドルの仕事といえばそうなのかもしれないけれど、こういうとき、そのイメージが先行してセンター曲を予想してしまうというのは、ある意味仕方ない部分もあるかもしれない。

とはいえ、上村莉菜が例えば「君と僕と洗濯物」のセンターを務める、となると、逆にあまりにもそのまま過ぎて面白みに欠ける、という言葉だってあるかもしれない。もちろんセンターのイメージにピッタリと嵌まる上村莉菜を見たい人もたくさんいるに違いない、とは思っている。

なぜ恋のセンター。それもまずまずイメージに近いし、理解はするけれど、それもそこまでか。

どうなんだろう。見ている人はそういう予定調和的な、というか、誰もの予想を裏切る現実を見せてほしいとどれくらいの人が願っているだろうか。見る側に軽いショックを与えてほしいと、実は無意識で願っているのかもしれない。

せっかくなら何かを打ち破る曲に挑戦してほしい気持ち。それはどれくらいの人が思っているのだろう。

かといって、いきなり上村莉菜に「流れ弾」のセンターを、というと、これはこれでなかなか見る側にとってもハードだ。

彼女の場合、どこが落としどころとして正解か、と考えたときに、そうかこの路線があったかと妙に感心したのが、「美しきNervous」である。

曲のチョイスの絶妙さ。イメージからかけ離れすぎず、弾けすぎず、かといって彼女の雰囲気を殺さない曲。

その意味でこの曲のチョイスは本当に、ここしかない!という気持ちにさえなった。

おそらく彼女自身の立候補だったとは思うし、どういう想いでこの曲を選んだのかは知りたいところだが、まさに無意識に自分に合う曲を選んでいたのかもしれない。

躍動感溢れる妖精をずっと観ていられたのは、大きな収穫だったと思う。

 

M11:無言の宇宙(関有美子

彼女と頭の中が同じ導線で結ばれてたのを知った瞬間、その場で本当に崩れ落ちそうになった。

渡邉理佐センターからのイメージの延長ではあるけれど、この曲で最もそのイメージに近く、そのセンターを見てみたいと思ったのが関有美子で、そのとおりになった。

妄想が現実になる瞬間の、自分に与えられる破壊力。

ずっと忘れてたその感覚を、取り戻させてくれた。

関有美子が最も映えるのは、その持つ雰囲気が存分に生かされる瞬間。

ステージに立てば、お嬢様も何もない。その人の持つパーソナリティがそこにあるだけの話。自分を修飾する言葉など何一つ取り去られた状態で、素の状態で0番に立つ。

彼女の場合は、大きく包み込む懐の深さを感じさせる、それが実は最大の魅力だと思っている。

映える、ということは、やはり自分が無理なく自分でいられる場所だからこそ成し得るものであると考えている。その意味で、この曲の関有美子はある意味最強だったのかもしれない。

他の曲でも、理佐ポジというのは、メンバーにとってどうなのだろう。やはりやりにくさがあるのだろうか。

でも彼女は見事に演じきった。

可能性、という意味で言えばとにかく伸び代しかない。

ただ矛盾するようではあるけれど、無言の宇宙は理佐のイメージが強すぎる、というのも間違いではない。

言い方を換えれば、関有美子の色が出しにくい、ということでもある。

まして渡邉理佐を彷彿とさせる、ということは、関有美子というパーソナリティが薄まっている、ということと同義である。

確かに、可能性は伸び代しかない。ここから、関有美子にしか出せない色、世界というものをどれだけ出していけるか、ということは結構勝負である気がする。

いや、それも甚だ難しい。

難しいんだけど、これほどやり甲斐のある挑戦もそうそうない。彼女にはそう思ってほしいところではある。

 

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M12:Buddies(尾関梨香)

関有美子センター「無言の宇宙」で半ば放心状態だったところへ、追い打ちをかけてきたのがこの曲。

「元気かい? 君に会いたかったよ」

で涙腺が吹っ飛んだ、という表現が正しい。

それはこっちのセリフだよ、と。

尾関梨香は、欅坂結成当時から、他人のことを慮れる人だった。

自分よりも他人のことで、涙を流せる人だった。

優しすぎる人は、自分のことと同時に、周りの人のストレスまで一緒に受けてしまう。つまり、心身のダメージは二倍あることになる。

そこにプラスして、メンバーの卒業脱退、さらに欅坂46の改名。

もちろんそれを乗り越えたからこそ今があるわけだが、「乗り越える」などと軽々しく口にすることすら憚られる。当事者にしかわからない感情が絶対にある。

欅坂46一期生に、長期の休暇をあげることなど、少なくとも私は当然のことのように思う。

その休養から、復帰する。これはこれで、相当なエネルギーを使うことではある。

だからこその「元気かい? 君に会いたかったよ」なのだ。まさにそれほどピタリのセリフはないだろう。

 

後でサイトを確認したけど、意外とおぜBuddiesを予想した人は少なかったようだ。

 

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でもこの曲こそ、一度休養して戻ってきた彼女がセンターを飾るにはふさわしい。

一度休んだからこそ感じたはずの、中にいたときでは見えなかったグループの大切さ。

私たちから見たときの、彼女がそこにいる大切さとその安心感。

そして何より、初めてのセンターを務めるにはこれ以上ない歌詞とその世界観。

 

Buddies

 

まさにこのことを強く強く、お互いに感じたはずで、だからこそ流れる涙は美しい。

 

radiko.jp

 

もう一つ、忘れてはならないこと。

尾関梨香がセンターを務めたことによって、櫻坂46現役生は、一人残らず何らかの形でセンターポジションの経験を積んだことになる。

欅坂時代、平手友梨奈一強とか、平手以外がセンターを務められないと言われたあの頃。

あの頃が何か、別の世界の話のようにも聞こえる。

そして、自分以外のメンバーの強さを誰より知っていた、誰より信じていた平手友梨奈が、最もこの事実を喜ぶのではないだろうかという感慨に浸る。

 

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M13:Nobody's fault(武元唯衣)

櫻坂46の表題といえば、1stシングルのNobody's fault、2ndのBAN、そして3rdの流れ弾。アイドルグループと思えないその力強さ、そして何よりその源流となる心の葛藤をパフォーマンスに表すことが要求される。

とはいえ、メンバー個々で見たときに、それができるできないはやはり個差がある。あって当然だ。メンバーはそれぞれ違う場所で生まれ、違う家族の中で育ち、違う環境で心が醸成されてきた。そんな彼女たちが、全く同じ心の動きでこの場所にいるはずがない。

でも、逆にいえばそれがあるから面白い。

例えば、ノバフォで言えば、森田ひかるのノバフォ、井上梨名のノバフォ、土生瑞穂のノバフォ、遠藤光莉のノバフォ、全て同じ曲ではあるけれど、真ん中に立つ人の心の状態が全体の見え方にも影響する。だから全て違うものに見える。

今回で言えば、武元唯衣のノバフォはまた違ったものに見えた。

よく思うことだけれど、櫻坂の表題は、どうしても気合が入りすぎて力んでしまいがちな要素がある。当然LIVEになればその気合も違うだろうから、尚更だ。でも、それは何か違うような気がしている。

もちろん、力む、という言葉自体何かネガティブ要素が満載ではあるが、心の状態がストレートに表現される、というのであれば、自分の今の状態を素直にパフォーマンスに落とし込む方が伝わるものがはっきりするのではないだろうか。

武元唯衣のセンターは、確かに激しかった。でも、半年前のBACKS LIVEのそれとは何かが違う。

成長か。

成長と一言で言っていいものかどうかもよくわからない。

彼女は確か「表現があのときから全て変わった」という話をしていたと思うが、意図的に変えたのか、それとも自分の心に素直に従った結果自然とそうなったのか、もしかしたら本人すらわからないところがあるのかもしれない。

ただ一つ言えるのは、強く伝わるものはあった、ということ。

それが証拠に、ちゅけノバフォの評価は、終了後のSNSでもとても高かった。

私もそれに同意する。

強さの中にある、柔らかさ。

表現の仕方が変わった結果…今の武元唯衣が素直に現れた、そう取る方が正しいような気がする。

そしてそれは、櫻坂46にとってこれ以上ない武器となる。

 

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M14:Dead end(幸阪茉里乃)【DAY1】

最も予想が外れたというか、できなかったという方が正しいのが、この曲。

でも考えてみたら、幸阪茉里乃ほどいろんな表情を感じさせるメンバーも珍しいかもしれない。キャラなのか、緊張感が抜けないのか、ポーカーフェイスが多い印象の彼女ではあるけれど、本当はいろんな感情が渦巻いてて、その内包する感情の熱さというものが伝わってくる。実際見せていないのに伝わってくる。

前回のBACKS LIVEでのMicroscopeは、確かに彼女のパーソナリティから考えればピタリではあった。でも実は、妙な違和感も感じていた。いやどうもこれだけではない。幸阪茉里乃はこれだけでは語れない。絶対にそんな薄い人ではない。

例えばそれは、そんなMicroscope以上に、ファンの印象として強く残ったのがこれであることからもわかる。

 

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小池美波ポジに入った、BANにおける幸阪茉里乃。

なぜこれが印象に残るのか?それはひとえに、彼女に秘めた可能性を感じたからではないだろうか。

強さ、主張、もしかしたらそこには強烈な葛藤もあったかもしれない。

それを瞬間で伝えられる、というのは類稀な才能だ。

 

幸阪茉里乃は、櫻坂46のメンバーである。

櫻坂で活動ができるということは、内に秘めたるものの熱さで突き動かされてこそである、ということ。

もちろん他のメンバーも同じなのだけど、それを普段表に出さない彼女だからこそ、逆にその可能性を強く感じることがあった。

そこで、Dead end。

やはりそうか。

彼女はその容姿とは裏腹に、強い曲が似合うんだ。

どういう気持ちでこの曲を選んだのか、本当のところは彼女にしかわからないことではあるけれど、その表現を見て何となく理解できたような気がした。

 

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M14:Dead end(藤吉夏鈴)【DAY2

本当は、これを見たとき感じたことなんて一つだった。

藤吉夏鈴は、やはり強かった。

これ以外に何かあるというのだろうか。

他に言葉が見つからないのだけど、敢えて続けてみる。

これは彼女に限った話ではないのだけれど、可愛らしさとカッコよさを同居させている人が、表現の使い分けを意識してできると無敵になる。

逆に彼女に限った話で言うと、例えばなぜ恋の藤吉夏鈴、偶然の答えの藤吉夏鈴、Plastic regretの藤吉夏鈴、Microscopeの藤吉夏鈴…やはり全て違うのだ。

彼女は言葉で多く語らない人なので、この辺りをどう使い分けているかをおそらく言葉で伝えてくることはあまりないかもしれないけれど、少なくとも同じではないことだけはわかる。

それにしても、Dead endを選んできたか…これはやられた。

もちろん、ちゃんと触れておかなければならないのだけど、彼女一人でその強さが演出できるわけはない。彼女と同じく強いメンバーが周りにいて引き出した力も忘れてはいけない。

いつも彼女を見てて思うのだけれど、このポテンシャルの高さを見抜いて合格させた、秋元康を始めとする選考側の人たちの選球眼は常人の及ばないところにあるのだなと感心させられる。

センター以外のポジションでは、そのセンターを支えつつ、曲全体を作り上げる空気の一つになり、

センターを務めるときは、そのポテンシャルをフルに発揮する。

藤吉夏鈴は、やはりそれをもって藤吉夏鈴だなと改めて思わされる。

 

そして、DAY2アンコール前の、この言葉。

この言葉のチョイスすら、また藤吉夏鈴だと思わされた。

 

M15:流れ弾(大沼晶保)【DAY1】

 

予想というか、希望というか。

当然頭の中にあったのは、6月のBACKS LIVEでのBANセンターだった。

あの衝撃がずっと離れないのなら、今回のセンター曲もこの曲しかない。

そしてそれは彼女も同じだったらしい。

見たかったものが見れた、という満足感。

それにしても頭をよぎるのは、前回のBACKS LIVEのときにも彼女が言ってた、絶対勝つ負けたら死ぬという言葉。

多分、私自身が人生は勝ち負けだと思っているから、それも誰かに勝つ負けるではなく、自分との勝負に勝つことこそ人生の目標、と思っているところがあるから、アイドルがこの言葉を放つことに衝撃があったし、今でも変わらない。

この瞬間にすべてを賭ける、といえば刹那的にも聴こえるけど、そうではなくて、命の燃やし方の問題。

もののふの心。

まさに武士を見る思い。危なっかしくもあり、でもだからこそ妖しい輝きを放つ。目が離せなくなる。まさに沼である。

彼女が3列目で、本当にいいのか。

大沼晶保がセンターを務めると、必ず「狂気」という言葉がつきまとう。もちろんいい意味で、ではあるのだが、彼女が一つのステージに賭ける姿が表れているだけではないのか。

「一所懸命」という言葉がある。

一生懸命ではなく、一所懸命。

中世日本において、武士が命を懸けて守り抜いた場所。

一つの場所に、命を懸ける。

大沼晶保が務めているセンターというポジションがその「一所」であることはもちろん、櫻坂46というグループそのものが、彼女にとっての「一所」かもしれない。それを守り抜きたい、何なら守り抜くだけでなく、自分の力で発展させたい、グループの力になるために命を賭したい。

大袈裟ではなく、彼女なりにその想いがあるからこそ、狂気と言われる表情動きそして力加減になるのではないだろうか。

狂気、それは大いなる褒め言葉である。

そして何より特筆したいのは、アンコール前のトーク

「緊張せずに楽しめた」

と言っていたこと。

永く後世に残したい。

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M15:流れ弾(小池美波)【DAY2】

流れ弾のMVは、センターである田村保乃が悪魔で、メンバーはそんな悪魔に取り込まれる葛藤を描いていたという。

振付がその話より先なのか後なのかは知る由もないが、MV以外、例えばLIVEや歌番組での披露でも、それらを意識した表情が見て取れる。

出だしでゆっくり歩いてくるセンターの凍りつくような笑顔が、まさにその悪魔の象徴。

大沼晶保の笑顔も狂気的だった。

もちろん、田村保乃のそれもそうだ。

だが、このワンシーンの破壊力で言うならば、小池美波のそれが群を抜いていた。

今でも思い出せば、背筋が凍りそうな程の迫力だったし、正直瞼の裏にこびりついて離れない。

結局、それが小池美波が女優だ、という所以でもある。

ソニアのセンターの人と、この人が同じ人だと言うのか。

もっと言えば、小池美波という人はおそらく、あの容姿からは想像もできないほど、自分の感情に振り回され、弱いと思っている自分が好きになれず、周りが何を言ったとしても自分が納得できないと前に進めない、そしてそんな自分にもまたさらに嫌気がさしたりと、とにかく毎日が葛藤葛藤で過ごしてきたのではないかと思ってしまう。もちろん本当の彼女のことなど知る由はないのだけれど、パフォーマンスは、必ず人となりが出る。

人生が投影される。

そこから朧げに見えてくるのは、負の感情である。そしてその負の感情を経験したからこそ出てくる、他人への慈しみ。

小池美波の流れ弾は、本当に成功だった。

その部分をまざまざと私たちに見せつけた、という意味で。

その後のアンコール前のMC。

小池美波は、泣いた。

自分のこともさることながら、共に戦ったメンバーのために、泣いた。

その葛藤は私の言葉ではなく、彼女の言葉で感じるほうが正しい。

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EN:櫻坂の詩

定番といえば定番なのだけれど、全てのLIVEのアンコールで披露されるということは、その人の達成感とか、或いはもし心残りがあったり反省があったりするとそれとか、そこにちょっとした安堵感も含めて素直に表情動きに表れる、それが最大の見どころだといつも思う。

私自身はCメロヲタクを自認しているけど、この曲もCメロで心が揺り動かされる。

「なぜ人は桜をこんなに愛するのか 胸が震える懐かしさに 一つ一つの花びらが肩を組むように 桜は満開になるのさ」

例えばこれだけ大人数のグループになればなるほど、一人一人のモチベーションに差があるのは当然で、意識の高低もあるのが自然なことのはず。ただ贔屓目を抑えたとしても、櫻坂にはそれが感じられない。もちろん、私が感じていないだけで色々あるのは承知している。でもやはり根底にあるものが「楽曲を届けたい」「グループに貢献したい」「それと共に自分も成長したい」という想いで、そこに関しては誤解を恐れずに言うなら、全てのメンバーが高水準で維持している。

もし本当にそうだとしたら、これは奇跡に近いかもしれない。

そんな奇跡のメンバーが、パフォーマンスの表情と素の表情の境目に立つ。

それがこの曲だと思っている。

表情の豊かさ、アイドルとしての表情と、一人の女性としての表情。そんな表裏一体を感じるのであれば、櫻坂の楽曲で随一だ。

この曲を聴けば、ちゃんと櫻坂の未来を感じられるのだ。

 

 

 

想いというのは、届いて初めてその形を成す。

ポジティブな想いならなおさら、自分の中だけで押し込めているだけでは、もったいない。

もしそうではなく、ネガティブな想いだったとしても。

たとえ自分の中にある葛藤であったとしても。

その想いを形にすれば、誰かからリアクションがあるかもしれない。

そのリアクションから、前へ踏み出すヒントを見つけられるかもしれない。

櫻坂46のメンバーは、元々不器用な人が多い。でもその不器用さがあるからこそ、嘘偽りのない、生の感情が伝わる。

言葉で伝える。それも大事。

でももっと大事なのは、示すこと。

言葉以外でも、態度で、背中で、動きで、示す。

偽物の想いに、これができるはずがないのだ。

たとえ彼女たちのことを誰が何と言おうと、本物をぶつけてきてくれると信じられるから、私も今ここにいる。

 

 

あなたは、本物の想いを感じたことはあるか。

 

感じたのなら、もはや離れることはできないだろう。

彼女たちが、そこにいる限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BACKS LIVE写真一旦削除しました

 

紅白歌合戦という舞台での楽曲披露の意味ー紅白2021、櫻坂46「流れ弾」日向坂46「君しか勝たん」披露 2022年1月2日付

紅白歌合戦が、数ある歌番組の中でその巨大な意味を持つことは、少なくとも私たち世代以降の方ならご存知のはずです。

そして、櫻坂46、その前身の欅坂46を推してきた人にとっての紅白は、さらにそこに違う意味を持たせてしまうことになります。

もうここでは何度も書いてきたので敢えて触れませんが、私たちにとっては欅坂46が全身全霊でこの番組に賭けていたことの表れとして、やはり紅白が近づいてくると「あの出来事」をどうしても意識せずにはいられません。

 

紅白、というよりも、NHKという放送局が坂道グループと親和性が高い。

大人の事情はもちろんあるにしてもそれはともかくとして、ただそれだけでここまで良くしてもらえるというのは本当にありがたい反面、特に欅坂櫻坂に関して言えば、NHKという局の性格からすれば実に不思議ではあります。

 

紅白歌合戦の披露曲がどうやって決まるか。

ソースがはっきりしない、ということを先に述べておきますが、NHK側からの希望があるという噂を耳にしたことがあります。

一般的には、アーティストの側から歌う曲を申し出るようなイメージはありますが、そうではないと。

もちろん単に聞いた話だけで真偽は明らかではありませんが、もしそれが真実だと仮定すると、公共放送だというNHKが不協和音や流れ弾を指定するというのは、相当攻めに入ったと思ったものです。

 

不協和音があのとき不測の事態を招き、その後2019年、今となっては欅坂として出場したのは最後でしたが、このときにもNHK側が不協和音を指定したことになります。

どういう意図だったのか。

いや、どういう意図だったにせよ、これは本当に感謝すべきことでした。

結果として、あのときのリベンジを果たすことができたと思っていますし、その舞台を整えてくれたのは他ならぬNHKだったということになります。

 

櫻坂46に改名し、1stシングルを発売した直後の昨年。発売からわずか22日での紅白出場となり、いろんな声がまた聞かれました。

そして今年。

自分自身がだんだん年齢が上がってきて、なんとなく守りに入っているなぁ…と感じることはあるんですが、2021紅白に櫻坂46が出場するとなったときに

「紅白で披露するなら、流れ弾ではなくBANだろうな」

と思ってしまった自分がいたのです。

 

これは猛省点です。

 

NHKが公共放送だから、「リンチパーティ」という単語が入っている歌詞を紅白で披露させてくれるはずがない、という妙な守りに入った考え方に基づく予想でした。

何が猛省点かというと。

守りに入る云々もそうですが、あの曲は断じて「リンチパーティしようぜ!」という曲ではなく、ネット上の悪意ある書き込みを、愛と信頼をもってなくしていこう!という曲なのです。

それを、単なる言葉狩りで叩こうとしている連中に忖度して披露しない、というのは守り以外の何物でもない以上に、彼女たちを含めた制作陣の皆様に対して非常に失礼な考え方だったのです。

そして、公共放送であるNHKだからこそ、このメッセージを広く伝えてもらわなくてはいけない。

 

だから、これでよかった。

このご時世、内に籠ることが多くなり、外部との接触というとネット上、というのが増えてくると、それに比例して活字の暴力が増える。

一般人のみならず、マスメディアですらそうです。

もはや叩くことが前提で、そこから物語を作ったとした思えない記事も一つや二つではない。

直接言われる言葉以上に、感情が感じられない活字の言葉。傷は当然深くなります。

言葉を放った方は忘れるけれど、受け取った方はずっと覚えている。

それを愛をもって変えたいという彼女たちの楽曲の大切さを、私なんかよりNHK、もっと言えば紅白制作に関わる皆様の方が見抜いていたということになります。

 

そして。

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全員での披露。

彼女たちは持てる力を全て発揮してくれました。

 

曲の長さは確かに短かった。それは当然気になる点ではありました。

でもそのことを差し引いても、もっと言えばそれは彼女たちのせいでもなんでもないし、与えられた時間空間で最高のパフォーマンスだったと私は思っています。

 

 

 

 

東京国際フォーラムのガラス棟でのパフォーマンスとなった櫻坂46とは違い、メイン会場のホールAでのパフォーマンスとなったのが日向坂46。

今になって考えると、どちらかというとこちらの楽曲の選定は、別の意味で不思議ではあります。

もちろん「君しか勝たん」ではダメだという意味ではありません。同時に「ってか」でなければならない、という意味でもありません。

前述のとおり、NHKが指定してきたとしたら、その理由がなんなのかが見えない、という意味です。

もっと言えばそれこそ表題でなければならない理由もないんですが、やはり紅白披露後の影響力を考えると最新曲を歌って数字に繋げたい、という事務所やレコード会社の意向は当然あるはず、というのは素人考えでしょうか。

 

もしかしたらそこから間違っているのかもしれませんが…

 

ただある意味、今年の楽曲として、世間の日向坂のイメージとしては「ってか」よりも「君しか勝たん」だったのかもしれません。

日向坂のイメージをより強く浸透させるために紅白の舞台をチャンスと捉えるなら、それもわからなくはありません。

まぁここからは、個人の好みの問題も出てくるので言及は避けますが😁

 

紅白2021における日向坂の最大の見せ場は、あの「変身」でしたね。

 

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少なくとも、視聴者の目を惹きつけることには間違いなく成功したと思っています。

 

物事というのは、どこにフォーカスを当てるかで自分の印象はもちろん、見方全てが変わってくると言われます。

坂道グループは乃木坂46が先鞭となり、櫻坂46が新しい層を切り拓き、日向坂46で裾野を広げた、と私は思っています。

口の悪い人には、いろんなことを言われることもあります。

ただ、SNSを広く見ていると、それこそアイドルグループには想像を絶する数があり、そこにこれまた想像を絶するくらいの数のメンバーが、今この瞬間も活動しています。

 

繰り返しになりますが、私はアイドルグループをずっと推してきた人間ではありません。

申し訳ないですが、櫻坂日向坂以外のグループやアイドルを見ても、心が反応しないのです。懸命に頑張っておられるのはもちろんわかりますし、決して否定しているわけでも貶しているわけでもありません。

ただ、琴線に触れるか否かという点ばかりはどうしようもない。

 

言えることは、これだけのアイドルがいらっしゃると、世間にその名前や活動を知ってもらえるのはごくごく僅かであり、例えば叩かれたり炎上したり、というのも話題になるから起きる出来事であって、懸命に頑張ってるのに話題にすらされずに終わっていく方々のほうが圧倒的に多い、ということです。それを思えば、坂道グループというのはなんと恵まれているのだろうと。

 

一時期のブレイク時を考えれば、一般的には下火になったように見えるかもしれません。でも私は、坂道グループは安定期に入ったと捉えています。でも、この安定期こそ実は最も「次」を考えなければならない時期でもある、ということは忘れてはいけません。

 

諸行無常

盛者必衰。

 

安定に安住すれば、抜かれる身となる。

 

オワコンだとは全く思いませんが、業界のトップを常に走ろうと思えば、こなさないといけないことはそれこそ山のようにある。

 

紅白歌合戦出場。

もちろん当たり前でもないこの出来事に、そのことを改めて思わされるのが毎年の大晦日なのです。

 

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走り続けて、ふと空を見上げたー2022年初に置いておくべきこと 2022年1月1日付

2022年か…

では定番のご挨拶から。

 

新年明けましておめでとうございます。川島雅隆です。

旧年中は多方面の皆様に多大なるご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。

本年もどうかよろしくお願い致します。

 

例年はこの時期、年末にその年の一年を振り返るブログを書いていたんですが、今年は少し趣向を変えて、年初にブログを立ち上げてみました。

ということで、2022年川島的目標をここに置いておきたいという、いわば備忘録的なブログです。個人的すぎて申し訳ありません🙇‍♂️

 

では参ります。

 

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推し活2022指針①  年内は遠征しない

 

2022年、川島は若干の充電期にあてようかと考えております。

昨年はコロナ禍明け…でもないんですが、有観客ライブが復活したことによってそれまでの鬱屈したパワーが爆発し、7月のW-KEYAKI FES.、9月の櫻坂全ツ小倉、日向坂全ツ福岡、10月櫻坂全ツ大阪、日向坂全ツ大阪、櫻坂全ツSSAと弾け飛ぶようにLIVEに飛び回りました。それはもう楽しくて仕方ない。そのうえ現地でお会いいただいた皆様にも本当によくしていただき、何とお礼を申し上げていいかわからないくらい心から感謝しております。

 

ただ一方でかなり犠牲を払ったのも事実でして。

まぁそこまで深刻ではないにせよ、この職種でここまで代わりを探させるくらいの平日の有給を申請したことは、全く影響しないというわけではありません。

これはどうしても、職種の性格上、仕方のないことです。

私と全く同じ授業ができる方が他にいるなら話は別ですが、もちろんそうはいきませんし。言い方は悪いですが、そのときに来られた講師の方の振る舞いによっては、クレームになることだってないとは言えません。

というより、その代わりを探すことそのものが非常に困難を極めます。

昨年2021年は、そのリスクを考慮しても自分の行きたい気持ちを優先しました。ここまで頑張ってきたんだから、たまにはこういう我儘をしたっていいじゃないかと。いろいろ交渉で揉めたこともありましたが、それでも貫き通しました。いつ体が動かなくなるかわからないし、行きたい場所には今の間に行っておきたい、そんな気持ちもありました。仕事ばかりの日々を過ごしていることに少し嫌気がさした、というのも正直ありました。

 

結果それがために、というのもあるんですが、3月の日向坂46「3回目のひな誕祭」参戦は完全にアウトになってしまいました。

約束の卵を諦めざるを得ない、というのは、実に身を切るくらい辛いことではあります。

でも休むなら、その分の給与を覚悟しなければならない。いや、それ以上に、さらに社の中で立場が悪くなるのも、それと同じくらい辛いです。

そして、こういう無理をして参戦することを、何と言っても当のメンバーたちが喜ばない。

自分の生活を犠牲にしてまで推してもらっても、素直に喜べないというのは、何となくわかる気がします。

 

そもそもこの職種が、こういう推し活に向いていないことは、初めからわかっていたことです。

今ではゴリゴリの現場派、現場の魅力に取り憑かれてしまった私ですから、それはなおさらです。

かといって、今更転職して全く違う仕事に就き、9時5時の生活を始めるというのも、かなり辛い。もっと年齢が下ならば話は別ですが、ここで一からは相当のエネルギーを要します。

何より、ここからゼロスタートになると、現実的な話、有給が取れるとは思えないし。

 

というわけで、今年一年は、遠征を自粛します。

ただ推し活そのものを自粛するわけではないし、なんならそのエネルギーがずっと湧き上がっている状態であることは間違いないのですが😅、関西方面のLIVE、さらにもし復活すれば握手会、そちらの方には参戦させていただくつもりです。

 

遠征はいったん、1月のBACKS LIVEがラストとなります。

 

もちろん今年一年自粛して、来年遠征が解禁できるように、誰にも文句言わせないくらい働いてこようと思ってます!💪

 

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推し活2022指針②  できるだけブログの毎日更新を目指す

 

昨年11月中頃から、櫻坂日向坂メンバー一人ずつへのブログを書いていますが、年末に向かっていくにつれて自分の多忙さが尋常ではなくなってきたので、なかなかうまく進みませんでした…これは最大の反省点です。

その反省の意味も込めて、かつて毎日ブログ更新100日を達成したときのように、ブログの更新ができればと考えていますが…季節の講習時に一日中授業などとなると結局達成できないのは目に見えているので、中には超短編ブログなども誕生するかもしれません😅

それでも一度挑戦してみたいですね…今度は200日達成を目標にしたいです。

ちなみに、前回の100日ブログがなぜ途絶えたかというと、ユニゾンエアーが始まったからです😁そちらに取られる時間が増えてしまったため、というのが大きい。魅力あるコンテンツができるとね…時間は有限なので☺️

元日はもう一つブログ更新するかなぁ…紅白に触れないわけには♪

 

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推し活2022指針③  Twitterフォロワー様目標5000人!インスタ本格始動も…?

ブログとは直接関係ないですが、Twitterのフォロワー様が4000名を突破しました!アラフィフの坂道垢をフォローしていただき、本当にありがとうございます🙇‍♂️

2022年内で、5000名という緩やかなような、そうでもないような、という目標を掲げておきたいと思います!

これには理由があります。

今以上の拡散力を身につけたいからです。

その分、確かに責任もさらに加わります。デマや噂の類にいいねやRTをしないことはもちろん、これはいつも思うことですが、メンバーも間違いなくSNSは気にしているはずですし、見る専用のアカウントを持っていてもおかしくはない。

SNSで彼女たちを推す人は全員心に留めておくべきことだと思うんですが、本人に見られても恥ずかしくない投稿を心がけないといけないわけです。しかもフォロワー様が増えれば増えるほど、その傾向は強くなる。

たとえそうであったとしても、ここまで育てていただいたこのアカウントを、さらに大きくしていきたいと思ってはいます。

それは決して私のためではなく、彼女たちのことをもっと広く発信したい、という願望のためなのです。

インスタ本格稼働もその一環です。

こちらは何といっても卒業生がアカウントを持っていることが大きい。

推しメンをはじめ、あかねん、梨加、りこぴ、虹花、もんちゃん、ねるなど…今はただ自分の垢があるだけの状態ですが、これを何とか軌道に乗せたいと考えています!

 

推し活2022指針④  ミーグリは「浅く広く」から「深く狭く」へ

 

おそらくしばらくはミーグリが続くだろう、というのが現実的な話ではありますが、今まで握手会からの流れとして、箱推しのベースがある自分としてはどうしてもいろんなメンバーと話してみたくなる、というのを繰り返してきました。それは初参加の2017欅坂風吹か個握のときからずっと変わりません。推しメンを中心に、いろんなメンバーへと。

そのせいもあってか、結果として昨年のミーグリをもって現櫻坂メンバーとは欅坂時代からの通算で全員と話すことができましたし、日向坂メンバーも濱岸ひよりと新三期生以外は全員と話しています。

ただ、今度は別の弊害も起きてきまして。

初めてのメンバーなら「初めまして」と躊躇なく言えるんですが、厄介なのは「初めてじゃないけれど、一度目が遥か昔なので確実にこちらのことを覚えていない二度目ましてメンバー」とのミーグリ、言葉にかなり迷ってしまいます😁

櫻坂日向坂のほぼ全員に会っているのに、覚えてもらってると自信を持って言えるのは数人…

というわけで、今年は推しメンとの時間をもっと長くすることにします。

考えてみれば、いつもは毎部3枚で臨んでいたので、あまりそれ以上の時間を経験したことがありません。1次で完売してしまうメンバーは仕方ないにしても、櫻坂4th、日向坂7thは推しメンを買い増すやり方で、長めの会話を楽しんでみたいと思います。

あと、全握ミーグリももう少し投げれたらなぁとは考えています。

 

遠征しない分をここで使うと😁

 

推し活2022指針⑤  握手会が復活すれば…

 

指針④と矛盾するようですが、実際の握手会が復活した暁には、またいろんなメンバーに並ぼうかとは思っています。特に日向坂は前述の濱岸ひよりと新三期生三人とだけ会っていません(実はひよたんだけは、ソンコト握手券がまだ手元にあったりしますが…😅)。まぁもちろん復活といっても、おそらく2019年以前のような形はしばらく望めそうにないですが、実際に会うということがとても重要です。空気感なんかはまるで違うので…

そして何より、握手会はお祭りです。あの感覚が本当に忘れられないんです。

もちろん握手会が復活したとしても、今年一年は遠征はしませんが、何とか2023年にはかつての握手会の形が戻ってくれるよう願ってやみません。

 

2021年あまりにも暴れた分、2022年は少しおとなしくしようと、まぁそういうことです。

おとなしいと言っても、Twitterやブログでまでおとなしくするつもりはさらさらございませんので😁

当面のラスト遠征が、欅坂46初のワンマンライブが行われた地であり、二人セゾンのMVロケ地が近くにあることでもお馴染みの有明である、というのも何か奇妙な因縁を感じます。

 

1月8日と、1月9日。

BACKS LIVEの地。東京ガーデンシアター。

この機会にお会いできる方はぜひお会いして、日頃の感謝を述べさせていただきたいと思います。

 

 

あ、あと関西圏ではフツーにウロウロしますし、もちろん推し活そのものはこれからも続きますので…それこそ、命ある限り、永遠に😁

関西圏の聖地巡礼なんかは、考えてます♪

ですので、関西近辺で何かあればぜひ呼んでください!

というわけで、2022年最初のブログでの、本年の決意表明でございました。

どれだけ達成されるのかは…正解は一年後(ん?)

 

2022年も、櫻坂46・日向坂46とともに、川島雅隆も変わらぬご愛顧を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

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2022年1月1日 川島 雅隆