櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

毎日ブログ、2022年9月1日から再開します!

山﨑天ブログからSNSというものを考える

このツイート、昨日のブログでも取り上げたんですが、今日も少しずつ伸びていました。

それだけ山﨑天のことを心配している人がたくさんおられる、ということなのでしょう。

一方で、何が気に食わないのかよくわかりませんが、そんな彼女を叩く人がいるというのも事実です。

 

彼女のことを本当に大切なメンバーの一人だと考えているのは、昨日のブログでも言ったとおりなので、ここはちょっと視点を変えてみたい。

 

タイトルに書きましたが、ネット社会ならではの問題に切り込んでみたいと思います。

 

TwitterSNSなのか否か、というのはときどき論議になることがあります。

Twitterはツイート、つまりその人の言葉をつぶやくのがそもそもの目的なので、交流を主としたSNSにはあたらない、という意見をたまに目にします。

仰ってることはわからなくもないんですが、つぶやくのが目的だというなら、極端な話チラシの裏に書いても同じことですよね。じゃぁそちらにしますか、と聞かれたら、Twitterユーザーのほとんどが同意されないと思います。

 

何故でしょうか。

 

やってることは同じでしょう。

つぶやきをそのまま書くだけなら同じことなのに、どこに違いがあるかといえば、やはりそれは「誰かに見られる、見てもらうことを目的にしている」からではないんですかと。

つまりコミュニケーションを裏目的にしているつぶやき、独り言であると。

だとすれば、個人的にはやはりTwitterSNSの一つだと思うわけです。

 

何が言いたいかというと、自分の言っていることはただのつぶやきだから、他の人に文句を言われる筋合いはない、というのは詭弁だということです。

 

話を戻しますが、誰でも目にすることのできる状態で、ややもすると本人が目にするかもしれないと知りながら、ただのつぶやきだから見る方が悪いというような詭弁を振りかざして誹謗中傷を行なっているなど、いったい誰が得をするというんでしょうか。

もし誰か得をする人がいるとするなら、それはストレス解消、カタルシスの解放ができた、書いた本人のみです。

 

誰かのことを中傷しておいて、見たくなければブロックすれば良い、というのは通用しないということです。

 

こういうことを言うと、必ず出てくるのが「Twitterって思ったことを呟いちゃいけないの?」という言葉です。

私に聞かれたら、Yesと答えます。

TwitterSNSである、という前提が成立するならば、思ったことを何でも呟いていいわけがありません。

 

もう一度言いますが、Twitterのつぶやきって誰かに見てほしいからでしょ。

見て賛同してほしいからでしょ。

この二つがもしなければ呟かないでしょ。

だから「○○嫌い」とか書くのも、この「見てほしい→いいねがたくさん欲しい→なんならリプ欄で〝マジ共感!〟とか言ってもらいたい」という流れに沿っているでしょ?

 

でもそこで少しでいいから冷静になってほしいんです。

その嫌いな相手がもしそのツイートを見たら…。

嫌いだから見ようが見まいがどうでもいいんですか?そういう人もいるだろうし、これが個人だったら私もそれ以上は言いません。

ただそのグループのファンが、他メンを叩くというような光景は、箱推しとして見たくはないです。正直言えば。

好きになるのも嫌いになるのも自由。そりゃそうでしょう。

でも、嫌いだからといって、叩いて潰してしまう自由なんかあるんですか。

 

あなたの推しメンは、あなたが同じグループの他メンを貶している姿を見て喜ぶ人なんですか。

 

なぜそこまでしてメンバーの将来を潰そうとするんですか。

何の権利があって。

 

ちなみにですが、私のことを快く思わない方が複数おられることも知っています。

しかもその方々からは、直接何かを言われた経験はありません。

いろんなところに張っているアンテナから、そういう情報が入ってきてはいます。

 

でも、それがどうした!です。

私くらいの年齢になれば、自分の人生に関係ない人間が何を吠えてようとどうでもいいと思えるし、直接攻撃してくれば遊んであげますが、天ちゃんくらいの年齢でそんなことができるわけがありませんからね。

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ただ、それでもです。

この世界でやっていく以上、アカウントは持ってないにしても、SNSの反応というのが気になるのは仕方のないこと。そしてファンもいればアンチもいます。いるのが当然。

ファンにもアンチにも言えますが、その書いている内容に責任を感じていないのです。感じていないからいろいろ書ける、とも言えます。

 

つまり。

正直に生きているのです。

そこから発せられることは確かに正直です。

だからこそ切っ先が鋭くなる。

 

また厳しいこと言って申し訳ないんですが、それでも負けちゃいかんのですよ。

その切っ先の鋭さに怯えて足が前に進まなくなったら、芸能人として先はないと思います。

 

正直な言葉に、正直な自分を返せるかどうか。

 

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自分を取り巻く環境が劇的に変化した中で、これができるようになること。

 

そのときが、本当の意味で山﨑天というアイドルが誕生する瞬間なのだろうと思います。

 

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