あなたには「いってらっしゃい」がよく似合うー日向坂46、渡邉美穂卒業 2022年6月28日付
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— 日向坂46 (@hinatazaka46) 2022年6月28日
🏀「渡邉美穂卒業セレモニー」⛹🏻♀️
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終演直後の美穂からファンの皆さまへメッセージが届きました!✨
「これからも日向坂46の応援をよろしくお願いします!ありがとうございました!」 by #渡邉美穂
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— 日向坂46 (@hinatazaka46) 2022年6月28日
楽しい。
渡邉美穂が卒セレで何度となく口にしていた言葉。
卒業、というのは誰でも経験することではあるけれど、何から卒業するときでも、それは大きな節目であり、自分でも気づかないほどのエネルギーを使う。環境が変わる瞬間というのは、卒業だろうが入学だろうが、あるいは結婚離婚引越に至るまで、相当のエネルギーを使うのだ。
新しい環境には不安がつきまとう。誰だって少なからずある。
自分で決めたことであったとしても、マイナスな感情だって薄くでも混ざる。だからこそ、そこにプラスの感情が欲しいのだ。
楽しい。
その後のことは、今はいい。
この瞬間。
自分が信じて信じきった仲間とともに、舞っているこの瞬間。
その楽しさに身を任せる。
そんな渡邉美穂が、美しかった。
ひらがなけやき二期生、初めての冠番組は「欅って、書けない?」だった。
〝埼玉が生んだ怒涛の起爆剤〟誕生の瞬間だった。
中途半端に物事を進めても、何も得るものはない。
よく言われる言葉だけど、それを実践して見せる人はなかなかいない。
美穂は何にも全力投球で、だからこそ感情が溢れて、笑顔も満面なら、その一方で涙するときも全力で涙する。
人間は感情の動物であり、それを抑え込むことに何の意味がある。
彼女からはそうずっと教えられてきた気がする。
私もこのブログがそうであるように、感情が理屈を制する人間である。正しいかどうかなんてわからない。わからないけれど、感情で自分を精一杯に表現することが是とされるのは、見ていて本当に共感できた。共振、と言ってもいいほど心が震えた。
感情が豊かであるならば、当然その涙も至るところで見られる。
まず思い出されるのは、初めての冠番組でオードリー春日と1on1対決をするシーン。
ドリブルしながら泣き始めて後退りするという印象的なシーンとなった。
このときの涙の意味を、後に彼女は「あまりに目が綺麗すぎて、本能的に殺られると思った」と発言している。
もちろんバラエティ向けの発言ではあるけれど、この感覚の鋭さに渡邉美穂の真髄があったと私は思っていて。
美穂といえばトークもうまく、実に理性的に物事を考えられる人というイメージも強いのだけれど、実はそこに裏打ちされるのはこの鋭敏な感覚。本能的な部分なのではないかと。
自らの感覚を理論で説明できる人、ということになるかもしれない。
日向坂46への改名の瞬間。
今更ながら、このときの涙にはどんな種類の感情があったのだろう。おそらく一種類ではない。種々の感情が混じりあっての涙だったと確信している。おそらく自分でもわからないかもしれない。でもここに、ひらがなけやきとしての活動の怒涛さと、思い入れと、そんなものが入ってのは想像に難くない。
さらに全力で物事にあたるというのが如実に表れたのは、ひなあいでのあのシーン。
5年も美穂を見てくれば、彼女が愛される理由がわかる。
メンバーが口々に言うのは「いちばん近いところで支えてくれたのは美穂だった」という内容のセリフ。
悩んでるメンバーのそばにいつの間にかいて、そして、励まし癒してくれる。
物理的な距離だけではない。
たとえ遠く離れていても、それは同じだった。
卒セレでの小坂菜緒のMC。休養中もずっと自分を離さないでいてくれた、と彼女は語った。
だからこそ私はこの場所に戻ってこれた、とも言った。
美穂がいなかったから、なおの復帰は、もしかしたらなかったかもしれない。
いかに美穂の存在が大きかったか。
日向坂のファンの総称が「おひさま」であるのは今更だけど、そういう意味では渡邉美穂こそ「おひさま」、つまり太陽のような存在であったと思うんだ。
みんなのことを照らして、元気を与える。
力を沸き起こさせる。
自らが燃えることで、明るく照らすことができる。
けれど、実際の太陽もそうだけど、それがノーダメージでできるわけがない。
自らを燃やす、ということはいろんな弊害ももたらすに決まっている。
彼女の中で、いろんな葛藤もあれば、迷いもあったに違いない。
そばにいる人の支えになりながら、人知れず涙する。
そんな日もあっただろうと想像する。
でもそんな彼女だからこそ、これだけの盛大なセレモニーが開かれ、そしてたくさんの人に愛されていることを再認識して卒業していくことができる。
なんと幸せなことだろう。
そんな彼女を推せる人たちも、なんと幸せなことだろうか。
拝啓 渡邉美穂様
あなたをずっと見ててわかったことがあります。
それは、強い人とは一体どういう人か、ということ。
涙を見せない人でもなければ、何があっても動じない人、というわけでもない。
もちろん喧嘩が強いとか弱いとか、そんなことも全く関係ない。
それは、自らの道を自ら決められる、ということです。
強い人は、優しい。
本当の強さがあれば、他人に心から優しくなれるのだ、芯からその人のことを考えることができるのだと。
見せかけだけじゃない。
まして、優しくしたら自分にいいことがあるかも、なんてこと考えもしない。
自分の真ん中に一本の芯があって、ブレずに生きていける。
そんな強さをあなたから感じます。
でもたぶん…
あなたのことだから、そんなことはないと首を横に振るでしょう。
自分はそんなに強くない、弱い部分もたくさんあると。
そんな自分を認められるのも、また強さだと思うのです。
強さは優しさに繋がり、そんな本物の優しさがあるから、素敵な人たちが周りに集まる。
あなたの周りに集う人を見れば、自ずとその強さの形がわかると思うのです。
個人的な今更話で申し訳ないけれど…
数年前、日向坂46の推しメンを決めるのに一年かけたことがありました。
日向坂のメンバーは素敵すぎて、推しメンが決められない。本当に苦労しました。
今でこそ富田鈴花を推しメンにしていますし、それは変わらないけれど、彼女を含めてずっと3人のメンバーで悩んでいて。
そのうちの一人が、渡邉美穂さん、あなたでした。
だから、ずっとずっと気になってた。
たぶん、私の中に、自分にないものを持っている、私がずっと憧れているような強さをあなたの中に見ていたからだと思います。
二期生の中で、最初に卒業する。その勇気も半端ではなかったと思います。
それもまた、あなたの中にある強さがさせたのではないかと。
申し訳ないけれど、弱い人にできる芸当ではない。
そんなあなただから、気にはなっても、心配はしていません。きっと自分の信じた道で成功を収める、そんな絵しか浮かんできません。
あなたの人気は凄まじい。
なぜ卒業セレモニーが東京国際フォーラムなのかと思ったこともある。いや、フォーラムが悪い会場だというのではなく、単純に美穂推しが全員入れないだろう、もっと他にキャパの大きいところはあっただろう、という意味で。
そして、ラストミーグリも取れなかった。
もうこれは仕方ない。
でも、そう遠くない時期に、また会えるような気がしています。
泣きたいときは、泣けばいい
笑いたいときは、思い切り笑って
それができる日々を心から楽しんで
なりたい自分になれる、そんな日が来ることを心から願っています。
5年間か…早いね。
次のステップに進みたくなるのも当然か。
ひらがなけやきのオーディションを受けてくれてありがとう。
日向坂46という名前を受け入れてくれてありがとう。
私たちと出会ってくれて、本当にありがとう。
私は、いつも誰かの卒業ブログになると書くのだけれど、「卒業おめでとう」という言葉にどうしても抵抗感が強くて言えない。
美穂卒業を前後して、Twitterでは
#渡邉美穂いってらっしゃい
というタグが流れていた。
そう、これだ。
帰る場所は、ずっとある。
何かあったら、いつでも帰っておいで。
そのときは、全力で「おかえり!」って言うから。
じゃあ…
いってらっしゃい。