櫻坂日向坂の上り方

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アイドルの裏側を知る勇気があなたにあるかー日向坂46DOC映画タイトル発表 2022年5月31日付

 

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ようやく7thシングルの発売日を翌日に控えた日向坂46。

その前日である本日、ドキュメンタリー映画第2弾のタイトルが「希望と絶望 その涙を誰も知らない」に決まったと発表された。

コロナ禍中心で描かれる第2弾、かなりハードな内容になりそうではある。

ちょうどソンナコトナイヨ発売の頃にコロナ禍に突入したので、本当に勢いをつけてこれから!というタイミングだったのをよく覚えている。

かなりネガティブな発言だったり、俯いている姿だったり、中には車椅子で運ばれたメンバーが映っていた、という話も聞こえてきた。

おそらく、おひさま新規の人にとっては、あまりにもショッキングな内容かもしれない、という想像はつく。

 

私は、アイドルのドキュメンタリー映画は欅坂と日向坂第1弾しか観ていない。観てはいないけれど、2グループ以外のその他数多あるアイドルグループ全てにおいて、表に出てこないドキュメントが存在するはずだと思っている。

今更言うまでもないけれど、アイドルがアイドルらしい姿を見せているのは、全体のほんの数%にしかすぎなくて、いわゆる氷山の一角でしかない。その大部分は、アイドルとして活躍するための、地味な努力の積み重ねの時間である。表に出るその短いときのために、膨大な時間をかけて準備をする。別にアイドルに限らず、世の仕事というものは多かれ少なかれ準備に時間をかけるものではないだろうか。

ただ、人前でその姿を見てもらう以上、その裏の努力は表に見せない、というのがプロの流儀なのだろう。だから私たちはキラキラとした部分だけを見ることになる。当然、日向坂にその部分を期待している人はたくさんいる。多幸感を与えてくれる彼女たちだからこそ推している、というおひさまも多くいるに違いない。

 

となると、今回制作側が見せようとしているものには、どういう意図があるのだろうか。

 

これも今更で、アイドルをずっと見てきた人は、いやあれだけ笑顔で輝いていても、裏ではこんな大変なんだな、などということは先刻ご承知に違いない。そんなアピールをするために公開しようと思うはずはない。でも日向坂のひとつの売りを飛ばしてでも、日向坂の裏側を見せるには、必ず何か訴えたいことがあるはずなのだ。

 

日向坂46。またその話か、という感じもするかもしれないけれど、ケヤフェスも近いからやはり触れておきたい。

けやき坂46、通称ひらがなけやきが原点である。その位置付けは難しかったものの、漢字欅とは一味違ったグループであったのは間違いない。ただ漢字欅と共通する部分もちゃんとあって、それは「楽曲を届ける」ということを重視する姿勢だった。そしてそのことそのものは、今でも日向坂に根付いていると感じている。

だから、というと語弊があるかもしれないが、その頃からずっと日向坂を見てきて思うのは、ハッピーオーラとか、みんな明るくて楽しくて、という世間的な日向坂のイメージとは私の見方は少しずれるということなのだ。彼女たちが明るく振る舞えば振る舞うほど、その奥にある芯の強さが見て取れる。純粋にその明るさを楽しむ、というよりは、どうしてもけやきの木の幹の太さを先に感じてしまうのだ。それはひらがな時代からそうだし、デビュー曲で「キュン」というひらがな時代では考えられなかった楽曲を披露したときもそうだし、日向坂が軌道に乗ってからもずっとそうだ。

 

とはいえ、けやきの木の幹はやっぱり太いんだね、で終わらされるはずはない。そう思わされるということは、メンバー全員がおそらく相当ストイックに事に当たっていて、一つ一つのことに言葉にできないくらいの真剣さを持って向き合っているからなのだろうと。その気迫がそれぞれから感じられる。日向坂の強さは、バラエティがどうとか、そんな薄い話ではない。何事にもこちらが心配になるくらいの真剣さで取り組もうとする姿勢と、今の自分たちが本当に恵まれているということへの、周囲への感謝にある。

それだけ真剣に対処すればするほど、ネガティブな事象は起きる。明るく振る舞うほどに、一人でいるときにその反動は来る。必ず来る。それとの戦いが、最も彼女たちを苦しめてきたはずだ。しかもそこから、何がしかの答えをそれぞれが出さなければならない。そして、出してきた。

 

ある程度人生を経験してきた人なら、おそらく誰でも知っていることであろう心の動きが、彼女たちにも表れていると捉えるのが正しいのではないかと考える。例えばそこに、どこかと比べてどうだとか、そういう発想自体がナンセンスなのである。例えば他のグループと比べれば日向坂は恵まれているんだから!と言ったところで、その「他のグループ」の状況を日向坂メンバーは経験していないのだから、それと比べろというのは無理強いというものだ。

人間はすぐ誰かや何かと比較したがる。比較して上だとか下だとか、言ったところで何がどうなるというのだろう。知らないことと比較しろと訴えることがいかにバカバカしいことなのかを冷静に考えてもらいたい。

 

 

 

あれだけ一つ一つのことに、真剣に取り組む姿勢ができているグループのことである。その反動で見る方が辛くなることもあったはずだ。でも、日向坂を本当に好きだというなら、その裏の姿もしっかりと愛してあげなければ本物ではないと思う。表面上だけを好きで、裏側はどうでもいいとか、見たくないというのは、そりゃおひさまそれぞれかもしれないし別にいいんだけど、個人的にはできそうにない。

なぜなら、全てひっくるめて一人のアイドルが誕生し、そのアイドルが集まってできているのが日向坂46であるからだ。である以上、ロボットではない、同じ人間としての彼女たちが集まって見せてくれる全てのことに意味があるとするなら、やはり全てを受け止める覚悟が要るのではないかなと。なんなら、ドキュメンタリーに映っていない部分まで愛せるくらいの度量が欲しいのだ。

そりゃ確かに怖いだろう。

でもそれを言うのなら、メンバー本人の方が何倍も何十倍も何百倍も怖い思いをしている。それを一つ一つ乗り越えて、今がある。

 

社会人というのは、もっとありていに言うならば、お金を稼ぐというのは、そんな生半可ではない。そんなことは社会に出ている人の多くは知っていることではないのか。

 

 

そうか、だから逆に言えば、普段からアイドルを馬鹿にしていると言うか、一段下に見ている人にこそ見てほしい内容かもしれない。職業に貴賎なしとはよく言ったもので、これも比較という罠からくるものではあるが、なぜアイドルという職業はそういう目で見られがちなのだろう。どの職業だってその裏側が壮絶で、およそ人に見せられないような内情はたくさんある。私のいる塾業界だってそうだ。アイドル業界の過酷さなんて裏に回るでもなくわかるのだから、裏側がとんでもないことになっているのは明白だ。にもかかわらず、なんかテキトーにやっているように見ている人がいるのだろうか。それを考えるだけで悔しいし情けないし腹も立つんだけど、そういう人にこそ見て欲しいと思ったりする。

 

 

 

ここでこの話をするのは少し趣旨が違うかもだけど、欅坂のドキュメンタリーのとき、やはり観る人の多くが視線をやったのは、平手友梨奈の動きだった。平手があれだけの力でグループを牽引し、どれだけ叩かれても何も反論することなく、そのエネルギーをパフォーマンスにぶつけた結果、入魂の果てに倒れ込むことも少なくなかった。それをプロ意識の欠如だとかなんとか、ろくに知りもしない連中がそれこそ適当に寸評してたのを見て堪忍袋の緒が切れたことがあった。車椅子云々、と冒頭に触れたが、その車椅子姿で集合写真に写り、しかもそれがなぜかまた叩かれるという謎の攻撃に遭ったこともあった。

平手があれだけ叩かれたのは、結局最も目立つ位置にいたから、というのもあっただろうけれど、平手そのものが誰にも媚びることもなく、忖度することもなく、己の道を進もうとしていたことが、アイドルらしからぬというか、アイドルをステレオタイプに嵌めて見ている人にとっては我慢ならないという部分もあったのだろう。そしてそれは、ドキュメンタリー映画に写る平手友梨奈も全く同じだった。それを見て、また叩かれるという。

 

結局アイドルを見る人の多くは、やはり彼女たちを一人の人間として見るより、多幸感を与えるロボットのように見ているというか、それを求めている人が一定数いるんだろうなあと思わされる。人間としてのその人より、アイドルとしてのその人の方が大切で、裏側なんてどうでもいい、見たくないという人もいるのだろう。でもそれを私は間違っているとは思わない。いろんな見方があっていい。

 

ただ私はそんな見方はできない、というだけの話。

 

血の通っている人間がアイドルをしている。そうであるならば、一人の同じ人間として感情の揺れ動きは肯定したいし、グループにあれだけの人数がいればバラつく方が自然だと言えるし、一人ひとりのメンタルが心配になるし。私には、そういう応援のしかたしかできないのだ。

だから、ドキュメンタリー映画、全てを全身で受け止めてくる。

 

日向に出るためには、そこまでの日陰が必要なのだ。

ずっと日向でいたら、きっとここまでグループを保つことすらできない。それくらいのエネルギーが日向にはある。

 

 

だから、課題というか、宿題があるのだ。

前述したとおり、制作サイドはなぜこのグループの裏側を見せようと思ったのか。見せて何を訴えようとしているのか。

それを観た人それぞれが考えなくてはならない。

エンタメは、制作側に必ず意図がある。

この映画の意図。

一人ひとりが感じ取るべきことなのではあるが、あなたは一体何を受け止めるだろうか。

 

 

 

日向坂46が心から好きだと言うのなら、、、、

一面的ではなく、多面的な彼女たちを愛してあげてほしいのだ。

だってそれが当然だから。

グループを構成するのは人だし、人は年月で変化を見せる。

でも変わらないものもこの世には存在するだろう。

 

 

 

 

 

日向坂46の明るさは、何に裏打ちされているのか。

 

 

 

 

 

 

それを知ることで、もっと深く愛せるかもしれないじゃないか。

 

 

 

 

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