尾関梨香が少し離れて手に入れたものーあなたにありがとう2021 2021年12月4日付
休養して戻ってくるメンバーには押し並べて言えることなのだが、休養するという決断にもエネルギーが必要だったはずだけど、戻ってくるという決断はさらに大きなエネルギーが必要だったのではないだろうか。
私も一度入院して仕事を二ヶ月ほど休んだことはある。同じ土俵で語ることはできないが、そのときの経験を基に想像はできる。
休む、ということは、大袈裟に言えばメンバーとは別の時空を進むことである。
メンバーが前に歩を進めているときに、自分はずっと立ち止まっていることになる。
つまり、そこに差ができる。
戻る、ということは、その差を埋めなければならない、ということである。
これは言葉に言うほど簡単なことではない。
リハビリ、というと語弊があるかもしれないが、たとえどんな形で休もうとこの事実は変わらない。もしこの休養期間に新しい曲が出ているとすれば、その振付も入れなければならない。長ければ長いほど、そのエネルギーが必要になる。
休まざるを得なかった期間に、では彼女が櫻坂46から完全に離れていたのかと言われれば、どうもそうは思えない。というか、これだけ全身全霊を捧げてきたものから、そう簡単に離れることなどできるのだろうか、という疑問が正しい。
見方を変えれば、一歩遠くから櫻坂46というものを見つめることができる機会、とも言える。
欅坂時代から尾関梨香は、そう目立つ位置にはいないものの、いないと困る人はたくさんいた気がする。
メンバーは言うに及ばず、私たちの側も彼女のいないフォーメーションは明らかに何かが足りないし、彼女のいない冠番組はやはり寂しい。
櫻坂46としての尾関梨香で思い出すというか、強い印象に残っているのは、1stシングルであるNobody's faultの歌唱メンバーに選ばれたことである。これは運営の大英断だったと今でも思っている。
ある意味、欅坂の良心。その一角を担っていたのは、間違いなく彼女である。
そんな彼女に、櫻坂のスタートの一員を任せる。
つまり彼女を大いに評価していたことの表れである。私はそう捉えている。
尾関梨香2022。
グループから少し離れて見えてきたもの、そして手に入れたもの。
これは彼女にしかわからない。でも、表現することはできる。パフォーマンスしかり、ラジオしかり、冠番組しかり。表現する場所はたくさんある。自分が得た宝物を大切にしまい込むことなく、今後のグループに生かす。当然、今後の尾関梨香にも生かす。
まだ今いる場所からさらに発展することができる。その余地はある。
実は相当楽しみにしているのが、尾関梨香2022なのである。