櫻坂日向坂の上り方

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覚悟が試される一つの指針ー小林由依休養発表 2021年9月10日付

 

欅坂46、そして櫻坂46、もちろんひらがなけやきから続く日向坂46も含めて、推している期間は気付けばそれなりに長くて。

6周年を迎えて、そのほとんどを見てきたわけですが、そこにはいろんな発表がありました。

欅坂から平手友梨奈の脱退、鈴本美愉と織田奈那の卒業、そして推しメン佐藤詩織の活動休止発表、それのあった1.23は言うに及ばず。

欅坂が幕を閉じると配信ライブで行われた発表も、授業の合間に知って動揺を抑えられないまま仕事をしてたのを覚えています。

 

そして今回の小林由依休養発表も、久々にそれと似た感覚で知った情報でした。

 

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櫻坂46の一期生は、もちろん欅坂46一期生からスタートして、前述のとおり先日6周年を迎えました。

他のグループでも当然ながら、それぞれの歴史を刻むためにメンバーが奮闘していることとは思いますが、欅坂は出来事が多すぎてその度ごとのメンタルをどう処理していいかわからないままずっと走ってきた気がしています。

まして一期生というのは、これもどのグループでも同じですが、その礎を築く人たちであって、やはりそこには特別なものがあります。そして、そんな礎を築く人にしかわからない喜びもあれば、おそらく人生で経験したことのないような苦難もあったことでしょう。

 

欅坂はそういう意味では、エピソードには事欠かないグループではありました。楽しいことも嬉しいこともたくさんあった。でも、正直そうでないこともたくさんありました。それは、当然私たちよりも当のメンバーが最も感じていることであるはずです。

 

小林由依、という人がそのときどきに見せた立ち回り方。

 

平手友梨奈の代理センターとしてガラ割れを紅白で披露するとき、自分がセンターでと聞かされた瞬間。

ドキュメンタリー映画で受けたインタビュー、私が思うことはみんなと違うことが多いので、という理由で回答を濁した瞬間。

キャプテン菅井友香が配信ライブで改名を発表していた瞬間。

 

彼女の心の奥にあった本当の想いが何なのか。

 

そんなのは私たちが知る必要はないこと。それは十分承知しています。

 

ただ、自分が言葉で全てを投げかけることだけが正解ではない、自分ができること、すべきことは別にあるんじゃないか、と考えているようなその姿勢というのは、実は私たちが生きていく中でも一つのヒントになるような気がずっとしていました。私は彼女を一人のアイドルというよりは、その生き方というか、グループにおける立ち回り方がとても尊敬できる、そんなふうに見ていたところがありました。

 

正直な話、前述のとおり、欅坂46一期生は、その道程にあまりにもいろんなことがありすぎたこともあって、どこかで一息つける時間がないともたないだろうと思っています。彼女たちも当然初期の頃から比べれば成長はしていますが、それでも一人の女性、一人の人間であることには違いなく、弱い部分があって然るべきで、逆によくここまで持ち堪えているなと思うほどです。

できればターム制にでもして、1ヶ月くらいごとに交代で長期休暇をあげてもいいんじゃないか、とさえ考えているほどです。

 

だから、彼女が、彼女のタイミングで休養を決断したこと、並びにその決断を後押ししてくれた運営さんの判断には、共に敬意を評します。

 

Buddiesの皆様の反応も、概ねそんな感じでしたね。

もちろん驚きはしたし、寂しいに決まってるんだけど、その決断を尊重すると。

それに彼女自身が、誰もが心配することを先にわかっていて、それを払拭するブログなり、メッセなりを送ってくれるあたり、本当に痒いところに手を届かせる人だと感心しています。

 

ただそのことは別として、疑問と懸念点を一点ずつ。

 

一つだけどう考えてもよくわからないのは、本人がブログでも触れているとおり、3rdシングルの制作にはしっかり関わっているということ。本人の希望もあったかもしれませんし、どのタイミングで休養するかをかなり探っていたとは思いますが、そうするとどういう心境でポジションを受け入れたのか、というのは気になります。一方で運営さんも彼女の休養希望を知っていたはずなのに、そのポジションに置いた意味をこちらはどう捉えればいいのか。

それでいて、この時期の休養発表となれば、フォメに影響が出るのは自明の理です。

例えばの話、この時期の休養が以前から決まっていたとするなら、3rdのあのポジションはなかったと思うのです。いや、それ以前に、櫻エイトにすらいなかったかもしれない。表題曲メンバーから外れていた可能性だってあったはずです。

というか、そのタイミングで休養を発表するという選択肢もあったはずなのに、なぜここなのか。

ミーグリも完売となった後で休養の発表がある、というのは、ビジネス的には正しかったと言えるかは疑問です。

3rdの活動には一切参加せず、休養するという方が、タイミング的にはスッキリしたようにも思えます。

 

何が言いたいかというと、何かこう、以前から用意周到に決まっていたことではなく、バタバタで決まった印象が拭えない、ということ。

もしそうだとすると、それは何故なのか。

 

それから懸念点。

 

sakurazaka46.com

 

自分がいなくても、櫻坂を支えてくれる後輩であってほしい、とはおそらく彼女が願っていることであるでしょう。

そして後輩も、その想いにこうやって応えようとしている。

 

それが懸念点なのです。

 

結局根は同じで、自分が強くなってグループを支えたい、という想いが悪いわけではありませんが、それは同時に自分を蔑ろにしてでもグループに貢献したい、という気持ちへと繋がります。

一期生全員、少なくともそのほとんどがそういう気持ちで突っ走ってきたのが欅坂46だったと思っています。そんな想いの結晶が、あのグループだったと。だからこその爆発力というか、ある意味での奇蹟というか、それが体現された素地であろうとは思うのですが、これを求めるのは実に酷です。

 

強くなるな、と言っているのではなくて。

 

強さを履き違えないで、と言って差し上げたいのです。

 

強くなって周りを支える人になるためには、まず自分が潰れてはどうしようもないわけです。

 

欅坂は私も今でも当然大好きだし、推しているし、心から決して離れない存在ではあるんだけど、唯一の不満というか、どうしても許せないと言うと言葉が強いですが、その点はまさにそこなのです。

 

あまりにも個を殺しすぎた。

 

グループありきが先に出過ぎて、メンバーが自分を大切にしていないんじゃないかと思える場面は少なからずあったからです。

 

誰一人、欠けていいメンバーなんていなかった。

だからこそ、自分をもっともっと大切にしてほしかった。

 

環境が許さなかった、というのはあったかもしれません。それを差し引いても、メンバーのために、グループのためにと、自分を後回しにして活動していたメンバーの何と多かったことか。

なぜもっと自分を大切にしてくれないのか。

 

それが今でも許せないし、同時に愛おしすぎる部分でもあるのです。

 

小林由依、休養発表。

体調を崩したなどの理由のない、休養。大いに結構だと思います。

ずっとグループにいると、逆に見えなくなることも増えてくる。

ゆいぽんには、ぜひ誰にも気兼ねせずに外の空気を思う存分吸ってもらって、一回りも二回りも精神的な成長を見せていただきたい。そして、できればそれをグループに還元してほしいなと心から願います。

 

LIVEが何よりも大好きなゆいぽん。

私は忘れません。

W-KEYAKI FES・DAY3。

花道の、私と目と鼻の距離で、心の底から本当に楽しそうに歌い踊っていたあなたのこと。

TVでもなく、映画でもなく、ある意味作られた世界ではない、これ以上ないリアルな小林由依がそこにいて。

ああ、この人は本当にLIVEが好きなんだな、誰かに見られているという実感のある、リアルなLIVEが何より好きなんだなと心から思えたあの瞬間、忘れません。

 

卒業ではなく、休養を選択したその意味を。

 

あなたが描く、復帰後のイメージの具現化を。

 

私たちはいつまでも楽しみに待ちたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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