櫻坂日向坂の上り方

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世がいかに変化しても、変わらず必要なものー櫻坂46「流れ弾」音源解禁 2021年8月8月25日付

 

よくよく考えたら、このブログで歌詞の考察、ほとんどしてないんですよね。

歌詞考察って結構いろんな方がしていて、その深さに触れてしまうとどうしても自分の底の浅さだけが目立ってしまうようで腰が引けてたところはあります😁

 

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先日、櫻坂46の3rdシングル「流れ弾」の音源が初オンエアされました。

あまり考えたことがなかったのですが、冷静に思い直すと、正確な歌詞というのは、発売されて手元に歌詞カードが来てからでないと分かりませんよね。歌詞サイトもありますが、間違っていることも結構あります。

まして、音源が解禁された直後とあっては、誰もが自分の耳を頼るしかないわけです。

ところがそれを嘲笑うというか、挑戦的というか😅

速い上に、正直音質も良くない。

そこに、おそらく英語の歌詞も入っているので、リスニング能力までが試されると。

 

まあそれでもネット上には猛者の方もたくさんおられるので、こちらとしてはそういった方々にお任せして、おそらくこれでほぼ正解と大差ないだろうというところまで今は来ています。あくまで想像ですけど。

 

正確な歌詞が出される前の歌詞考察、というのは結構危険なんですが、もし不都合があれば追記していくとして…

 

ずっと聴いていて思ったことは、欅坂46の表現してきた世界と、櫻坂46が伝えようとしていることを、どうやら分けて考えないといけない、比較して考えてはいけない、ということでした。

欅坂時代からずっとご覧になっている方、もちろん私もそうなんですが、どうしても第一報→音源解禁→MV解禁→TV披露と流れていくときに、膨らむ期待というものがあります。そして欅坂時代の私たちの記憶として、その期待を軽く飛び越えてきたところに欅坂が与えるインパクトがあって、それはファンが感じるだけでなく、一般層にまで与えるインパクトだった、だからこそ欅坂の名前が刻まれた、というのはあると思うんです。

 

でも、今や欅坂46ではなく、櫻坂46なのです。私たちが見ているのは。

 

期待はしています。そしてこの音源、もう既に今の時点でその期待を遥かに超えてきています。

この後MV、そしてTV、或いはLIVEと期待値が上がる理由しかありません。

 

でも、敢えてそれでも、欅坂46のそれとは分けて考えたい。

 

世はコロナ禍。世界からは一周遅れる形ではありますが、日本全体がある意味感染爆発の状態になっているこのご時世。

外へ出ることが躊躇われるとなると、体だけでなく、心までが内向きになります。

とはいえ、外部との接触が断たれては心が死んでしまう。当然、コミュニケーションは取りたい。

かつて伝染病が流行した時代はどうだったか知る由もありませんが、現代はネットという空間があり、コミュニケーションだけなら手段はかなりあります。ただし、匿名性が高すぎるが故に、不都合な現実もそこにある。

 

私も活字をこうやって打ちながら思うのですが、手書きとはまた全く違う力を感じるというか、明らかに人間が打っているはずの文字の羅列なのに、通っている血が感じられない文章も多々見られるわけです。見ず知らずの人に対して攻撃したくなるその感情というのは、一体どこから来るのか。それも不思議であれば、自分が攻撃されているかもしれないと分かりながらわざわざ見に行ってしまう感情も一体どこから来るのか。

 

ネットリンチの被害は、著名人であればかなり多くの人が経験しているようですが、一般人のそれはもっと悲惨です。理由が不明の攻撃に晒され、人知れず悲しみに暮れる方も多くいる。それなのにそこには光は当たらない。

私自身も経験したことがあるし、今こうしているこの瞬間にも、私のことを誰かが攻撃しているかもしれません。

 

今までは、人が人として隠さなければいけない部分、使い分けるべき本音と建前というのがあって、その折り合いをつけた社会に身を置くことで成り立っていた部分はあります。ただその分、そのストレスを自分が引き受けるために、そのことが精神を蝕む現実もありました。

 

もちろんだからといって、他人を攻撃していい理由にはなるはずがありません。

 

 

話を戻しますが。

 

 

欅坂46として彼女たちが活動していた頃、このネットの攻撃性に相当「被害」に遭ったのは、このブログをご覧になる皆様なら周知の事実だと思います。その文言が真実か真実でないか、それは私たちにはおそらく永遠にわかりません。ただ、その中には明らかに人格に対する誹謗中傷があったことも事実でした。

今更ながら思うのです。あれだけの逆風を受けながら、今もこのグループで活動しようと思い、それを実行できるのは並の決断力や行動力ではない。並の精神力でもない。誰かが真似しようとして、果たしてできる類なのかどうかさえわからない。

 

そんな彼女たちが、顔を隠した、どこの誰かわからない人間から攻撃される、或いは元々は自分に関係ないことで批判に晒されてしまうという「流れ弾」を歌う、それも小池美波がラジオで言っていたように「狂うように踊る」ことのセンセーショナルさは、彼女たちの真骨頂であると同時に、その歴史を知れば知るほど涙なくして見れないかもしれない。

 

だからこそ、なのです。

だからこそ私は、欅坂と櫻坂を分けて考えたい。

 

もちろんそこにいるのは、欅坂を素地から作り上げた一期生であり、そんな欅坂に強い憧れを抱いて加入してくれた二期生です。それは当然承知しているのですが、それこそ欅坂の顔ではなく、櫻坂の顔、つまり「あのとき」とは別の人格になることによって、この世界観を弾け飛ぶようにパフォーマンスできるのではないのか、と思っているのです。

この曲を、この歌詞の世界を、例えば心の底から楽しんで歌い踊ることによって、この閉塞感が蔓延する世の中に鋭く突き刺すメッセージとなるのではないか、そんなふうにも思うのです。

そして何より、もはや櫻坂46となって少しずつとはいえ歴史を刻んでいる彼女たちが望むのは、欅坂としてではなく櫻坂としての自分たちを見てほしい、という気持ちなのではないのかと。

 

ネットの文言にイヤというほど傷つけられ、メンバー同士で支え合った時期もあったはず。その傷を共有するからこそ、傷の痛みがわかる。ネットリンチの恐ろしさもわかる。自分たちの存在意義にまで疑問を持ってしまう気持ちもわかる。辞めたい、逃げてしまいたいと思うことなんかごまんとあった。

 

そんな彼女たちが歌うから、伝わる。

 

愛がなくちゃ世界は終わる、と。

 

芸能に生きる人は、人生で降りかかる全てのことを芸の肥やしにせよ、とは昔から言われていることです。そのメンタルがなければ芸の世界で上を目指せるはずはない。

私たちからすれば、彼女たちを悪く言う言葉には逐一反論したくなるわけですが、彼女たちはそれをじっと黙って耐えた。そこにはもちろんいろんなことがあり、いろんな葛藤があり、途方もない涙の量があったはずなのですが、それは表に出さない。乗り越えに乗り越えて、今その場所に立っている。

 

そんな彼女たちが歌うから、伝わる。

 

信じ合わなきゃ世界は終わる、と。

 

欅坂時代にこの曲がもし彼女たちの前に出されたら、それはもう悲壮感のみで歌い踊るしかなかったかもしれません。それは、インパクトはあったかもしれませんが、果たして伝わったかどうかは謎です。

そう考えると、やはり改名し、ある程度彼女たちの中に櫻坂46としてのアイデンティティが確立されてきたかもしれない今だからこそ、この曲なんじゃないのかなと思うわけです。

 

楽曲の専門的なことは、私にはわかりません。

プロのライターさんのように、世界観を語れるほど語彙力もない。

 

私が語れるのは、自分の知る彼女たちの歴史と、その歴史から想像する彼女たちの感情といかに曲がマッチするか。

ある意味全て想像だけの代物かもしれませんが、彼女たちがどこに向けて世界を表現するかといえば、真実などまるで知らない、そんな人が圧倒的な数の私たちに向けて、なのです。

 

彼女たちが届けたい人、刺さってほしい人に届きますように。

そして、一人でも多くの人が彼女たちの存在で救われますように。

 

 

 

櫻坂46、3rdシングル「流れ弾」は10月13日発売です。