櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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想像力ー櫻坂46二期生曲を望むメンバーとファンの声 2021年1月20日付

最近、仕事でもそうなんですが、ちょっとした想像力で事態が切り開けるのに…と感じることが多いです。

 

例えば、この冬の電力需給が逼迫している、などというニュースもあって、節電を、という東日本大震災後の計画停電以来の言葉を目にしました。でも正直思ったこととしては、夏くらいから当然冬にはコロナ禍がまたやって来て、ステイホームになるかもしれない、という想像はつきますよね。冬には第三波→ステイホームでみんな家にいる→暖房の需要が高まる→電力需給が逼迫するかも??という想像ができなかったんでしょうかね。私のような素人でもできるのに、電力のプロが想像できないということがあり得るのか、と思います。想像ができれば手を打てますが、そんな形跡がないということはやはり想像できていなかったのではないかと思います。

 

国語で物語や小説を題材として扱うとき、そのポイントになることは想像力だ、という話をよくします。

場面を想像する、主人公の心情を想像する、作者の伝えたい主題を想像する、そして最終的には出題者の意図を想像して解答を導く、と。

これもよく言うんですが、想像力を鍛える練習だったりするんですよね。

世の中に出た後に必要になってくる力って、もちろん記憶力もあるんでしょうが、意外と空気を読む力だったりしませんか。

そんな空気を読む力って、想像力から来てるんじゃないかなと思うんですよね。

学校の評価の仕方が、結局記憶力を試すようなテストで得点を取ることばかりになってしまっているので、どうしても「頭の良さ=記憶力の良さ」みたいに思う人が多そうですが、全くもってイコールではありません。

 

ま、それはさておき。

 

 

有料のメッセの話なのであまり具体的には書けないんですが、かいつまんで言うと、松平璃子も二期生曲をやりたかった、という旨の発言をしていた、ということです。

 

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卒業を控えたということもあるんでしょうが、メッセが今までの二期生の苦悩、そして喜びを凝縮させている内容で、身につまされます。そして、その中にあった、二期生曲をやりたかった、という言葉___

 

期生曲というのは他の坂道Gでも見られるものですが、あまり詳しくありませんが例えば乃木坂で言えば、三期生曲の「僕の衝動」、四期生曲「I see…」などがそうですよね。日向坂も「沈黙が愛なら」という二期生曲、「この夏をジャムにしよう」という三期生曲があります。

櫻坂の場合は、そもそも欅坂時代の9thがずっと遅れていたこともあり、二期生曲どころか二期生が楽曲に参加することすらままならない状態が続いていました。その9thが出る前に改名、という運びになったことは今更申し述べるまでもないと思います。

そして櫻坂46としての1stシングルは、最初に運営からこういう発表がありました。

 

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運営の批判なんてあまりしたくはないんですが、そもそもこれが歪だったわけです。

「全員で楽曲を届ける」ことに拘るというのなら、初めから全員選抜にすればいい。ところが、あの9thのときからそうですが、どうしても選抜に拘ろうとする姿勢がある。増員したのもそれが目的だったと言われました。

運営の本音はたぶん選抜にあった。でも、その選抜制度があまりにも批判を受けたために、全員で楽曲を届ける、という姿勢を打ち出さざるをえなくなった。だからこその苦肉の策で考え出されたのが櫻エイトであり、エイト以外のメンバーが3列目を飾る、という方法論だったのだと私は見ています。

 

結局、本来あって然るべきの二期生曲がない理由は、その「全員で楽曲を届ける」という姿勢に弾き飛ばされた、というのが正しいのかもしれません。

そもそも、ファンやヲタクの言う「全員で」というのは、やはり「全員選抜で」という意味合いで言っている人の方が圧倒的に多いと思います。少なくとも、櫻エイトのようなシステムで序列を作って、なんなら櫻エイトのメンバーに全楽曲を担当させるような負担を強いる、そんなことを望んでいたファンはまずいなかったに違いありません。

選抜メンバーにしたい運営と、全員選抜を望むファンという、全くもって正反対のベクトルを同時に実現させようとしたら、そりゃ何かがおかしくなるに決まっています。

その結果、ユニット曲がなくなってしまい、そうすると必然的に二期生曲も存在しないことになります。

 

同じ坂道合同オーディションで他坂に加入したメンバーは、期生曲をもらってパフォーマンスしている、それを横目で見ていた彼女たちが自分たちにも欲しいと思うのは自然の成り行きです。たぶん欅坂二期生としては楽曲がそもそも出せていない状況でそんな要求を出すわけにいかないと思い、櫻坂二期生としては最初に「全員曲のみ」という足枷をはめられてしまって言葉に出せなくなった、そういうことではないかと思っています。

 

もちろん単なる私の憶測にすぎませんが、こういった想像力が誰かを推そうと思える力になることだってあるのです。

 

ただ言えることは、二期生曲は少なくともメンバーが望んでいた、ということ。これは想像ではなく、彼女たちの発信によるものなので間違いないのです。

 

そのグループにいて、メンバーが何を目指そうとしているのか、或いは何を求めているのか。

私たちの側が何を求めていて、どういう道を、坂を、進んでいってほしいと考えているのか。

一つのグループを運営するということは、もちろんマネジメント能力が必要なのは言うに及びませんが、そのグループの方向性とかコンセプトも作り上げるわけですよね。そのときにどういう想像力を働かせて今の形になっているのか、それをぜひお聞きしてみたいものです。

 

りこぴが櫻坂にいられるのは、Nobody's fault期間まで。

単純に考えれば、全握の代わりのミーグリが最終日を迎える、3月14日が最後ではないかと。

 

その日までに何か事態が進めばいいなと思うんですが…

 

確かに欅坂の9thに関しては、或いは欅坂の改名に関してはNobody's faultだった。そんなのを誰かのせいにするのは美しくないし、仮に誰かのせいにしたところで時が戻るわけでもありません。

ただそれとは別の話として。

だからといって、本来あったであろう欅坂二期生の曲までが、葬り去られていいはずがありません。

 

二期生には二期生の、一期生のそれとはまた違った意味の強い絆があります。

とはいえその絆も永遠ではありません。

であるならば、そのとき彼女たちがそこに存在した、という証が作られるとしてもそれが何故ダメなのでしょうか。

そんなに罪深いことを彼女たちがしたのでしょうか。

 

いいえ、そんなはずはありません。

 

全員が輝くことをコンセプトにすると言うなら、りこぴも含めた二期生全員が輝ける場所を作っても、誰に文句を言われるものでもないと思うんですが、いかがでしょうか。

 

最終的にシングル収録曲を決めるのは、秋元康なのか、ソニーなのか、運営なのかは私なんぞが知る由もありません。

ただ、何かにこだわりすぎて、実は本当に大切なものを何か見落としていないか。

 

そんなふうに一歩立ち止まって考えてみるのも、また想像力だと思うのです。

 

 

 

 

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