来るべきときが来たー佐藤詩織、欅坂46卒業発表 2020年10月10日付
佐藤詩織に関しまして#欅坂46https://t.co/XPVYqN5jmJ
— 櫻坂46 (@sakurazaka46) 2020年10月9日
まずは、ご心配の声をDM、リプ等でたくさんいただいておりまして、本当に申し訳ありません。
そして…ありがとうございます。
最近、ブログに書くべきことは実にたくさんあったんですよね。
虹花のこともそうだし、イオンカードライブのこともそうだし、ベストアルバムのこともそうだし。
でも、書けなかった。
いえ、正確に言うと、下書きはたくさんあるんですよ。それぞれに未完のまま収納されてまして。なかなか完成させる言葉が見つからない状態で…
そこに…
遂に来てしまった…
今まで散々このブログにも推しメンへのメッセージめいたことを書いてきたわけですから、これに触れずしてどうするというのはもちろんあります。
推しメン・佐藤詩織さんの卒業。
思えば、例の1.23で活動休止→留学というのを発表したときから、実はずっとその卒業のタイミングがどうなるかと考えていた自分がいました。もしかしたらそのまま戻ってこないんじゃないか…その可能性も十分あった。帰ってくるにしても、何ヶ月後か、もしかしたら何年も先か?それなら卒業してから行ったほうがいいんじゃないか?そんなことを考えもしました。
それが、今般のコロナ禍で留学が頓挫してグループに戻ってきてくれました。
これ、今考えても本当に異例なことだと思います。
よく、活動休止を発表してから復帰するのには、相当心的ストレスがあると聞きます。
それは当然で、自分がいない間にグループの空気も変わっているだろうし、それに馴染めるかという不安もあるでしょう。また活動を休止した理由によってもそのあたりは変わってきます。
推しメンの場合も活動休止を発表してからの期間が短かったとはいえ、同じような想いを持っていたとしても不思議ではありません。
本当によく帰ってきてくれたと感謝しています。
そしてそのときから、いつ卒業という報が来てもいいように心の準備をしてきた、というのは確かにありました。
欅坂46の佐藤詩織、と考えるなら、卒業は確かに寂しくて仕方ありません。それは推している者として当然あります。
ただ、彼女も一人の女性であり、これからの人生というものがあるわけで…ヲタクという立場でそんなことを考えるのもおかしいのかもしれませんが、彼女の人生を考えたときに、夢があるなら実現させてほしい、そのためにこの両立がなかなか難しいのも冷静に考えればわかることです。
にもかかわらず、帰ってきてくれた。
ただ時系列で考えれば、活動休止→コロナで留学できず→復帰となった後で、彼女は触れてはいませんがもしかしたら、改名が決まったタイミングで決断したのかもしれません。というより、そう考えるほうが自然です。
そして、もうとにかくブログ読んでいただきたいです!私のではなく、推しメンの。
振り返れば、私のブログが感情先行型になっているのも、元はと言えば推しメンの、静かなようで熱い熱い気持ちと、それを言い表す言葉の数々に触発されていたところがあったように思います。
いつかやってくる、いつかやってくると思いながら、この日を迎えるというのも、なんか妙な感じで。
人というのは、受ける傷に本当に弱いところがありますよね。
傷になるとわかっていて、その傷の深さを最小限にとどめようといろんな準備をするんだけど、いざその瞬間がやってくると結局思っていた以上のダメージを受けてしまう。
体の傷は三日で消えるなんて言いますが、心に受けた傷は大きさも深さも自分ではよくわからない。わからないだけにより痛みを強く感じてしまいます。
これはヲタクの宿命です。
いつかやってくるもの。
いつか経験しなければいけない、痛み。
私が佐藤詩織という人を推してからというのは、実に3年ほどしか経ってないんですが、それでもたくさんの贈り物をいただいた気になっています。そして何より、こんな素晴らしい女性を推せたということを誇りにしたい。
寂しいという感情。
苦しいという感情。
その一方で、清々しさもどこかにあって。
もっと言えば、これらが混ざり合うと、実に客観的に物事が捉えられる「無」の心境になる。
この歳になるまで知らなかった感情を味わった、推しメン卒業発表の瞬間でした。
欅坂46のラストライブが、推しメンのラストライブでもあります。
どんな感情で観たらいいのかな…
いや、そんなことを考えるまでもないのか。
自分の内なる声に素直になればいい。
佐藤詩織さんにとっての前途を本気で祝福したいのであれば、自ずと気持ちは決まってくるはず。
推すということは、離れるからイヤだイヤだと言い続けるのも素直な感情表現だとは思うけど、相手を一人の人間として尊重するのであれば、そしてその人の人生をも尊重するのであれば…
前を向く。
前を向いての卒業なんだから。
そして。
推しメンが愛してやまなかった欅坂46、その欅坂を受け継ぐ者たちが集う、櫻坂46。
私ももちろん、推しメンと一緒に見ていきたいと思います。
拝啓 佐藤詩織様
私があなたと初めて出会ったのは、2017年11月5日の京都でした。
既にそのときには、私はあなたを推しメンに決めていて、そして並んだレーンでした。
私はそこから3年だったけど、実にいろんなことがありました…
容姿端麗でありながら多才で、それでいて何故か目立とうとしない。
逆に言えばその目立たなさ、自己主張があまり得意でないところが、逆に目を引きました。
あなたの大好きな平手友梨奈さんに、みんなまず目を奪われる欅坂46ではありましたが、その平手さんを突き抜けて、私の目は後列でとてつもない曲線美を描いているあなたに留まってしまいました。
不思議な感覚だと自分でも思います。
私があなたを本当に推そうと思ったきっかけ、あなたに言いそびれていました。
でもそれはここには書きません。
レターでちゃんと伝えようと思います。
どうしても忘れられないのは、2018年初めのメッセで、あなたが意を決して自己主張をしてきてくれたことです。
個別握手会でどうしても一次完売枠を出したいと。
そしてフロントに復帰したいと。
それも、その理由が自分のためというより、応援してくれる人に対する恩返しをしたいからだと。
グループを推し、そしてあなたを推すという私の欅坂人生が完全に決まった、そんなターニングポイントでした。
だからつくづく心残りなのは、その一次完売枠を達成させてあげられなかったこと。
あなたのそもそもの希望はフロント復帰にあったし、当時はその方法が一次完売枠としか思いつかなかったんですよね。
ただ、8th黒い羊でフロント復帰が達成されたので、希望は叶えられてよかったとは思っていますが…
なんとか達成させてあげたかったね。
まあそれも今となってはいい思い出です。
一つのことに向かって頑張れる、それができたことにも感謝しなければ。
こんなことを言うのもおかしいかもしれませんが、あなたとはまた会える気がしています。
どうもこれで、全てが終わってしまうような気がしない。
あなたがブログで書いているとおり、「その後」がきっとやって来るような気がしています。
もちろん、そんな「その後」がいつになるのかはわからない。
それこそ何年も先かもしれない。
でも。
それでも。
たとえ何年かかろうとも、私の永遠の推しメンは、佐藤詩織さん、あなたです。
そしてあなたを推していたこと、いや、これからもずっとずっと推せることが胸を張って言えます。
あなたは、それくらい素晴らしい人。
そんなあなたが次の第一歩を踏み出すのに、なぜ泣いてばかりいなければならないのか。
もちろん寂しいに決まってる。
でも、それと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、あなたの前途を祝福したい気持ちが強いのです。
あなたからは数え切れないくらい、たくさんのものをいただきました。
ずっとずっと、宝物です。
アイドルを推す、ということに無縁だった私に、こんな素晴らしいものがあると教えてくれて本当にありがとう。
last。
「最後の」という意味もありますが、もう一つ意味があるのを知っていますか。
動詞として使うと「続く」という意味にもなるのです。
続く。
人生は、続く。
あなたのこれからの行き先も、続いている。
LAST LIVE。
最後のライブ、という意味に、これからも道が続くんだ、という意味を重ね合わせたい。
そして、どこかでまた…
あなたの道と、私たちの道と、そして、できれば櫻坂46の道が交叉する
そんな瞬間が訪れますように。
ありがとう。
本当に心から、心からありがとう。
あなたと出会えて、本当に幸せでした。
改めて…
これからもずっとずっと、あなたは永遠の推しメンです。
川島雅隆