それだけみなさんに熱き想いがあるなら大丈夫だー昨日のブログの反響を語るブログ 2019年11月23日付
上は昨日のブログのリンクですが、Twitterのお知らせツイートのほうに相当数のいいねをいただいております。
リプや引用RTを含めるとかなりの数にのぼっています。
そこに付随して、フォロワーさんの数が一気に100名強増えるという、川島史上前代未聞の動きもありました。
仕事の合間になって覗いてみたら、なんかえらいことになってて驚いてます😅
— 🌸🎨🧢🏦 川 島 雅 隆 ◢͟│⁴⁶ 🌳🐴🗒☀️ (@hiroty0526) 2019年11月22日
たくさんのリプ・引リツによるご賛同ご批判、さらにはフォローしていただいた約50名の皆様、本当にありがとうございます🙇♂️
現在仕事中ゆえ、もうしばらくお待ちください。 https://t.co/CWLsQS6OtJ
正直言うと、まさかこんなことになってるとは夢に思わなかったので、少々怖くなったくらいです😅
というのも、別に斬新なアイデアを書いたわけでもないし、皆様にそこまで読んでいただけるようになるとは本当に思っていなかったので。。
昨日のブログにご賛同いただけた方、素直に嬉しいです。ありがとうございました🙇♂️
昨日のブログにご批判をいただいた方、想いはそれぞれです。ただわざわざお読みいただけたということだけでも十分嬉しいです♪
当然だとは思いますが、皆様いろんなご意見があるわけですよね。
一つのものを見ても感じることは様々。
例えば欅坂46で言うなら、グループとしての彼女たちを見て思うこと、例えば平手友梨奈を個人として見て思うことと、佐藤詩織を見て思うことが違う、とか。
一期生という括りで見る彼女たちと、二期生という括りで見る彼女たちで感じることが違うとか。
または運営やスタッフさんも含めたトータルとしての欅坂46プロジェクトに対して思うこととか。
「一つのもの」の中にそれだけ様々な側面があるので、多種多様な意見にならないほうがおかしいんです。
特に欅坂はその傾向が強いように思います。
今回は引用RTを相当数頂いた、というのが特徴だったかなと。
ツイッタラーの皆様にお聞きしたいんですが、他の方のツイートを利用してご自分の考えを表明なさる場合、リプと引リツの二種類がありますよね?
この使い分けというのはみなさんどうされているんでしょうか。
特に今回のような私のブログに対して何かを言いたい!となったときに、リプも引リツも文字数は変わらないわけですよね。リプも確かにたくさんいただきましたが、敢えてそこで引リツにされるのは何故なのか…?
逆にリプをお送りいただいた方は、なぜリプなのか。。
などという、少々脇道に逸れた疑問を持ったりしました😅
まぁ見る限り、私へ直接何かお伝えになりたい、という場合はリプを選択された方が多かったような印象です。引リツはあくまでツイートなので、私のブログを引用してご自分の意見を広く知ってもらいたい、ということなのでしょう。合ってますかね?😅
ただ私は私で、自分の気持ちがこうである!と書いただけであって、別にお読みになる方にこうしてほしい!ということをお願いしたわけでもなく。というかそんなおこがましいことが私にできるわけもなく😅
みなさん、Twiitterももちろんいいんですが、せっかくなのでブログおやりになればいいのに、と思いました♪
あれだけみなさんいろんなご意見がおありになるんですから、文字数制限のないところで思い切り想いの丈をお書きになってもいいんじゃないかと思ったりしますが。。
語彙力が豊富なブロガーの方は、他にもたくさんおられます。
私はあまり他の方のブログを見ないようにしてるんですね。それは理由があって、実は私自身かなり流されやすい性格をしているので、自分の意見がブレてしまうことを危惧しているんです。ブログをやめてしまえばそれでもいいんですが、何かを書く参考にしようとして、あっちの意見もわかるし、こっちの意見も確かにそうだよなぁ…となったら、文章の柱がなくなってしまう気がして。
まぁそれはいいんですが、私は文章力があると自分で思ったことがないんです。
ただ冗長なだけで、自分でもどうにかしないとといつも思いながら結局直らないという笑
よくご覧になれば私の文章の傾向はすぐおわかりになると思います。
実は同じような言葉しか使っていないという笑笑
塾で国語も教えているのに、語彙力は本当にダメダメです😅
ただ、じゃあなんでそんな人がブログを書いているのかというと、これも言い方が正しいかわかりませんが、「欅坂46や日向坂46がブログを書かせてくれている」と私は思っています。つまりそれだけ気持ちが溢れてくる。
だから、長くなると笑
自分にとっては昨日のブログもそれの延長でした。
これもあまり言いすぎると煽ってるように見られるのかもしれませんが😅、否定的なご意見もやはり尊重しなければならない、というのは本音です。(ただの誹謗中傷は別ですよ笑)ただどうしてもそちらの声は大きくインパクトも強いので、いや欅坂それでいいんだ!という意見があるなら大きめに叫ばないと不公平というか、もしかしたらメンバーにネガティブな意見ばかりが伝わってしまうかもしれないと思うと本当に辛い。
今回はなんか、ちょっと大きすぎたというか😅、書いた本人がたぶんいちばん驚いているというのが本当のところだと思いますが。。
とはいえ、ちょっと補足しておきたいなと思うことはあります。
あれでいいんだ欅坂!というのは基本線変わりませんが、それは全体的なコンセプト或いは方向性としては、十分楽しんでいる人がたくさんいるのだから間違ってない!という意味です。
だからといって現状維持で向上心なき状態がいいとは言ってません。
もちろん彼女たちがそんな感覚になるとは微塵も思ってませんが、今の路線のままさらなる進化を遂げてほしいと本当にそう思っています。
ツイッタラーの皆様にもう一つお聞きしたいのですが、
いいねボタンというのは、どういうときに押されますか?
これ書いてる時点で、現在1100件以上のいいねを頂いているんですが、文字通り「いいね!」と思ったとき以外でもいろいろあると思うんですね。例えば、①既読感覚②ブックマーク感覚③アンチな意見を後で書くための、言わばしおりのような(not佐藤😅)感覚、など…
③のような方の行動の源泉もわかるんです。
例えば欅坂から日向坂に流れて行かれた方の中には、昨日の私のブログを見て気分を害された方もいるかもしれない。これもあくまで想像ですが、その理由というのがやはり「欅坂はもうダメだ」ブログを書かれた方のそれと似ているからでないかと。
それから、欅坂と日向坂を推している時点で前提が、というご意見があったように思います。前提、というのが何を指していらっしゃるのかわかりませんが、私は日向坂との兼推しであり、自分の中でそのことは全く矛盾しません。
何故か。
これも昨日の繰り返しになりますが、「欅坂の血を感じているから」です。そもそも日向坂のルーツはひらがなけやきであり、それは誰も否定することができない事実です。おそらくそこを否定したら、最も悲しむのは日向坂一期生だと思います。
名前やコンセプトは変えられても、血まで入れ替えることはできない。
これも以前申し上げたことがあるかと思いますが、そういう意味で私の中で欅坂と日向坂は一対であり、だからこそ全く矛盾しないんです。
ところが、日向坂新規の方の中には、それが受け入れられない方もいらっしゃるかもしれません。いえ、もっとはっきり言えば、これから「ひらがなけやき」、つまり欅坂の一部だったということすらご存知のない新規の方も増えていくでしょう。
傍から見たら、全く色もコンセプトも違う欅坂と日向坂の両方を推すということに違和感を感じる方が出てくることは、ある意味仕方ないかもしれない。
でも、やはり日向坂メンバー、特に欅坂のメンバーに憧れて応募してきた一期生が欅坂のことを語るときの想いというのは、私たちには計り知れないものがあるように感じます。
だから言い方を変えれば、私の中で欅坂と日向坂を推すということは、トータルで欅坂46を推すということなのです。(あくまで私の中では、です)
私の中にも確かに信念があります。
流されやすいとは言いましたが、根幹の部分だけは絶対にブレない自信があります。
その信念に基づいて行動する、あるいは言動を行う。
とはいえ、ですよ😅
自分の書いたこと、それが世に放たれて反響があること。プラス面にせよマイナス面にせよ。
そのためにもちろん書いてるわけではありますが、予想以上に大きな反響がもたらされているのを見ると、申し訳ない気持ちにもなってきますね笑
なんか途中から、自分の書いたブログの話ではなく、どこか他人事を見ている感覚になっていきました笑
それくらい昨日のブログが浮世離れしてしまった。
繰り返しますけど、私の感覚を書いただけですからね?
「欅坂があれでいいとは思わない」というのも一つのご意見ですし、それはそれでいいじゃないですか。
でもそれを私にぶつけられても、私が変えることはできないし😅
当然すぎるくらい当然の話をしておくと、私の意見が絶対ではありません。正解かどうかもわからない。もちろん私の信念ではありますが、それが私以外の方に必ず当てはまるとも思っていません。
だから、やはりご自分のご覧になったもの、お聞きになったもの、お感じになったものを信じてください、というのが私の最も言いたいことなのです。
欅坂46が好きなら、好きを貫いていただきたいです。たとえ誰に何を言われようが貫く。
欅坂46が嫌いなら、それはもう仕方がない。見てストレスを溜められるなら離れた方がいいですよと。
シンプルにそれだけのことです。
私は、欅坂46・日向坂46がこの世から消えてなくなるまでずっとついていく。
それが私、川島雅隆の流儀なのです。