櫻坂日向坂の上り方

ブログ移転しました…長い間本当にありがとうございました!

惹きつける無ーロキノン平手友梨奈インタビュー 2019年5月4日付

 

前書き

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以前、平手友梨奈に関して超ロングブログを書いたのが、2018年元日。

ロキノンは度々平手友梨奈インタビューを掲載してくれていて、その都度彼女のいろんな側面が見れるわけだけど、今回は表紙+「平手友梨奈の17年」という内容。

 

欅坂46に注目する人は、良くも悪くも平手友梨奈を必ず通る。

 

「欅って、書けない?」第1回から観ている私にとってすれば、初期の平手の様子がどうにも頭から離れない。ある時期を境として今の平手になっていくわけだけど、そこからしか知らないファンにとっては、信じられないであろうバラエティを楽しんでいるように見える平手友梨奈の存在がある。

 

それと並行する形で、欅坂46の楽曲はずっと平手がセンターを務めてきた。もしかしたら、これからも変わらないかもしれない。そんな中で平手が何を思ってきたのか。

そんな平手のルーツは、やはり生まれ育った環境にあるんだろうと思っていた。それも、今までの彼女の言葉の端々から窺えるのは、何となくいい思い出がなさそうというところ。そこが妙に気になる。

 

このタイトルから考えれば、平手の愛知時代に触れないわけにはいかない。でも、すべてに触れることはおそらくしない。そこから得られるヒントは何だろうか。そのヒントから何を導き出せばいいのだろうか。

 

※注

本当はいけないことだとわかっていますが、ブログ構成の必要性から、インタビュー記事の引用が随所に行われます。ネタバレになってしまう可能性もありますので、これからご購入のご予定がある方は、自己責任でご覧いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

以下、文字の加工(太字等)は川島雅隆の独断です。

 

責任の背負い方

●(前略)本題の前に、まずアニバーサリーライブ初日、大阪に行きまして。

平手「ああ、ありがとうございます」

●本人はどうだった? 3日間やって。

平手「うーん、でも、毎回そうだけど、あっという間だなっていうのもあるし、長かったなっていう気持ちも、どっちもあります」

●それはいつもライブをやると共通した感覚なの?

平手「毎回ですね、うん。でも、1回、そうやって自分が関わらないことをやるのもきっと自分のために、グループのために、やらなくちゃいけないことなのかなあというのをずっと考えてて。うん、それはやって良かったのかなと思います

●迷いもあったんだ?

平手「迷いは……うん、毎回あるかな。迷いは尽きないです」

●でも、今までと違う考え方ができたっていうことなのかな。

平手「どうだろう?考え方はあまり変わってないかもしれないですね。『ああ、もっとこうしたらいいのかなあ』ってこともやっぱりずっと思いますし」

●でもやって良かった?

平手「うーーーん……『うん』とは言えない(笑)」

●それはどのあたりが?

平手「やっぱり……自分が入ってるグループだから、細かいところまで責任を持ってやるものだと思うし。うーん……あんまり良かったなとは思えないかな。今までが良かったとも思わないけど」

●そうか。自分は「あ、今までと違う覚悟で、違う背負い方をしてるなあ」と思ったけど、そう言われるとどう?

平手「ああ、でも、背負い方は違うかもしれないです。言い方悪いかもしれないけど、なんか……ずっと楽になったというか。たぶん、任せてしまったんですよね、きっと。大事な、大きなものを。だからじゃないかなって思います

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欅坂46のLIVEと、平手友梨奈

フェスティバルホールのアニラを観ることができなかった私に、語る資格はないのかもしれない。自分が観たのは昨年8月の全ツ神戸のみ。

どういう言葉で表すのが的確か答えが出ないところだが、ここをまとめると

 

  • 今までのLIVEには演出面でアイデアを出してきた
  • 今回のアニラ大阪ではそれをしていない
  • グループのためにはいいと思うけど、楽になった分やって良かったとは言えない

 

このあとのインタビューで一貫しているのが、常に「欅坂のために何ができるか」「どうすればいい方向に向かえるか」をずっと考えているという平手の姿。そのためになら、自分がやって良かったと思えないことも、敢えてやる姿。

おそらく、全てを任せてしまったらそういう感情が生まれることも最初から予想してたんじゃないかとさえ思える。そして、その通りになった。

ならば、逆にそこまですることが、欅坂のどの部分に寄与することになるのか。

私なら、次に出てくる質問は間違いなくそれだった。

 

そもそも、一般のアイドルに対するイメージは、大人の操り人形のように指示通り動いて、笑顔を振りまくというものかもしれない。指示されたことだけをこなしている、というか。

でもそれは本来おかしな話であって、パフォーマンスする側が何も考えずに指示通りしか動いていない、そのことに何も感じないとすれば、なんとも心の入っていないパフォーマンスにしかならないように思える。

 

…にしても、ここまで突き詰めようとする姿勢は、おそらくアイドルでなくてもなかなか持てるものではない気がする。

 

LIVEの平手友梨奈に関しては、前述の通り私は一度しか知らない。

そのときの平手は、お世辞にも100%の平手とは言えなかった。

もちろん映像越しだが、爆発したときの彼女がどうなるか知っている。

そして、どうしてもそれと比較してしまう自分がいた。

 

そもそも、そこまでアイディアを出し、常に欅坂のことを想い、そしてステージに立つ平手友梨奈が、どうしてああいう姿になるのか。

もちろん、平手のことを知れば知るほど、手を抜いているとかそういう単純な話ではないことはわかる。でも、では何が原因かと言われれば答えられない。

しかも、おそらく当の本人は覚えていないだろうし。

 

…覚えていない?

 

そういえば思い出したけど。

以前、どこかのインタビューか何かで、平手が「LIVEの最中のことは何も覚えていない。聞かれても覚えていないから答えようがない」「時間が経つと本当に何もなくなるから、終わった直後に聞いてほしい」というようなことを言っていたこと。

ところが、今回は良い意味ではないにせよ、しっかりと記憶に残っているはず。だからこそ、よかったとかよくなかったとかいう感想が出るのであって。

 

…この変化は本人が気づいているのかわからないし、本人にとってプラスなのかマイナスなのかもわからないけど。

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欅坂46の「シンクロニシティ

平手「(前略)でも、その中でも、(乃木坂46の)“シンクロニシティ”をやらせていただいたんですけど、あれがやっぱり自分的に大きくて。すごく好きな曲だから、届けたいなって思ってた。たぶんそれしかなかった。そのためにやったっていう感じもあります

●そういうふうに見えた。あの曲が平手を支えてたよね。

平手「支えてくれてました、ほんとに」

●あの曲を今、平手の中で大事な存在として、伝えたくなったのはどうしてなの?

平手「え、ただ単にー1回、ラジオで話したことあるんですけど、秋元(康)さんからでも曲としていろいろ聴かせてもらってて、あの曲が来て、これは絶対欅でやりたいと思ってたけど、まさかの乃木坂さんになっちゃって

●ははははは。

平手「めっちゃ怒ったんですけど、いつかどうしても欅でやりたくて、やらせてもらったっていう感じです。まあ、大阪でしかやれないかなとも思ったので、アニラの大きな目玉というか、サプライズじゃないけど、感動とか感心っていう感情を与えられるところがなかったから、やるべきだなって思いました」

●すごいはまり方だったよね、あの曲。

平手「うん、今でも好き」

●でも、人は、やりたいことをやりたいようにやる時も輝けるけども、やらなきゃいけないことを一生懸命やる時にもやっぱり輝けるんだけどね。

平手「うんうんうん」

●そういう平手の姿を見たのは、もしかしたら初めてなのかなあと思って。

平手「ああ……確かに。それは、たくさん経験して思えたことかもしれないです」

●「ああ、こういうふうにもできるんだ自分は」って思ったところもあった?

平手「いや、そこまではまだ、見つけられてないですね。でも、苦しい時にこそ、出たら何か変わるとか、イヤな時ほど、やったら何か違うっていうのは、ここ数ヶ月で学んだことで、それはちょっと思いながらやってたと思います

●でも、「やって良かったね」って言われた時には「うーん」って感じなんだ(笑)

平手「そうですね……任せてしまった分、言い方悪いですけど、これこそが欅坂なんだって思われたくなくて、だから、イヤでした……うん

●任せたままはー。

平手「は、やっぱり、違うんだなって思いました」

 

平手友梨奈にアンチがどれくらいいるのか、その総数がファンやヲタの総数を分母としたらどれくらいの割合になるのかはよくわからない。

で、ロキノンのインタビューが出た際、最初にTwitterで話題になったのは、昨年の秋元康のラジオにゲストで出た際に話していたくだりが、実はシンクロニシティであったこと。

すると、あまりにそれはわかりやすすぎるくらい、アンチのネタになってしまった。

まぁどなたかが

 

「その部分だけを取り上げて載せるから叩かれる。アンチに材料を提供するのもアンチ行為」

 

と書いてる人がいて、たしかにその通りなんだろうなとは思うけども。

 

合う合わないは人それぞれの意見になるとは思うけど、平手の言葉に少し考えてしまうのは

シンクロニシティが好きだからやらせてもらった」

と言いつつ、

「任せてしまった分、これこそが欅坂だって思われるのがイヤだった」

という、少なくとも私から見れば矛盾にしか聞こえない流れ。

 

でもそれも、本当は平手友梨奈の中では矛盾でもなく、ひとつの一貫した流れの中で出てきている言葉なんだろうけど、それを理解するとなると高度な考察が必要になってくるなとは感じた。

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感情を読み取る

●学校好きだった?

平手「いや」

●どうして?

平手「勉強、勉強、ヤだった、ついていけなかった」

●それはもう、最初からついていけないと思ったの?

平手「いや、小4くらいからついていけなかったかな」

●そういう時、小4の平手はどうするの?

平手「え、たぶんもう諦めてたんじゃないかな(笑)。普通に授業受けてても、『ふーん』って感じだった。追いつこうとも思わなかった気がする(笑)。一応頑張ったは頑張ったけどできなかった、っていう感じです」

●努力する子だったんだね。

平手「努力ーしないと、めっちゃ怒られるから、頑張ってしてました。でも、したけど無理だよっていうのはちゃんと伝えなきゃと思って。その姿は一応見せてはいました」

●「やるべきことはやったけども、それでもダメなんだからダメなんですよ」っていう、そういう認識を持ってたの?

平手「ああ……そうかもしれない」

●そのぐらいの歳の子だと、やらないにしても、もっと幼稚な、「やりたくないからやんない!」みたいな。あるいは、「褒めてほしいから一生懸命頑張んなきゃ!」とかね。どっちにしても、わかりやすい熱がある感じがするんだけど、平手はだいぶフラットだよね。

平手「確かに、そうですね」

●周りとはうまくやれる子だった?

平手「いや、どうだろう……そんなに、友達多いほうじゃないから、みんなの感覚がわかんないです。どれくらいをもってうまくやれたって言えるのか、何人友達がいたら、とか、どこからどこまでが友達って言えるのかもわからないし、今でもまだ『友達って何?』くらいなところにいるから」

●でも、友達って、気づけば友達になってたりするものじゃない?

平手「ああ……何をもって友達って言えるんだろうなあっていうのは、すごく、ずーっと不思議に思ってます。今で言う、LINEを交換したら友達とか、電話をしたら友達とか、いろいろあるじゃないですか。だからそこは……どうなんだろうって思います」

●小学校の時にもうなんとなく違和感があったんだね。そこまでの言葉にはなってなかったと思うけど。

平手「うん、なってない。でも、そういうことは思ってたと思います」

●「みんな友達って言うけど、何をもって友達なのかな」って思ってたんだ?

平手「うんうんうん」

●その当時、みんなは気づかずにいるし考えずにやれてることを、自分はどうも、気づいちゃうし考えちゃうんだなあ、みたいな感覚はあったの?

平手「うん。人の感情をたぶん、読み取りやすいのか、読み取っちゃうのか、わかんないですけど、そういうのもあって、人間観察が好きってわけでもないけど、見られてる側だったらイヤだから。だけど、『ああ、この人、今きっとこう思ってるんだろうなあ』みたいなことはずーっと考えてたと思います

人間というのは、自分を基準にして全てのことを説明したくなる習性があると思っている。

逆にいえば、自分を物差しにするしかないとも言える。それしか評価基準がないからだ。

だから自分の知識が標準であり、知っている量が標準であり、自分の経験が標準で人や物事を判断しようとする。それがいかに間違いかわかっていても、なかなかそこから抜け出せない。

すると、そこから外れた人や物事は、もはや「理解できない」ということになるわけだが、肝心なのはここからだと思う。

理解できないから排除するのか。

理解できないから理解しようと近づくのか。

もちろん自分の興味のあるなしで全部変わってしまうんだけど、「理解したくても理解しようがない」とすればいったいそれは何故なのか。

 

仕事柄、どうしてもその原因を「家庭」に帰結させてしまうきらいがある。

 

もちろんそんなことまで知る必要性はないんだけど、ご両親の話が一切出てこないところに、何かこう、つっかえたものを感じてしまうのは気のせいだろうか。

その端々から感じられるのは、誰に、という部分がないからわからないものの、やはり怒られるといえば普通に考えて保護者だろうと。とすれば、保護者が彼女に結構厳しくあたっていた、というのは見て取れるかもしれない。

 

家庭環境がその人の性格を構成する上で最重要な要素になることは間違いないところだし、だとすれば、ここから続く「ない」というパワーワードの源泉、そのヒントもそこにあるような気がするんだけど…

 

語られない、というのがいっそう真相に包まれている部分を表しているようにも思える。

 

友達についても同じで、定義がはっきりしないと友達がいたことになるのかどうかもわからない、というあたりは本当にキツい生きかたをしているなと。

一つのことについてきちんとした答えを出して納得をしてからでないと先に進めない、とすれば、それは実は私にも通じるものがある。

「これをやることになんの意味があるんだろう?」

と考えたら、一歩も先に進めなくなる。

かつて友人に言われたことがある。そう思ったらお前は仕事を辞めると。

で、実際にそうなったこともあった。

 

平手ほど物事の様々なことに発動はしないけど、気持ちはわからなくもない。

ただ、しんどい。確かに。その生き方は。

しんどくても、それを選ぶしかないんだから仕方ない。

 

平手の「読み取っちゃう」について言えば、これは心理学的にどうかわからないけど、読み取るのはほぼネガティブなことばかりな気がする。

例えば、平手の目の前に本気で自分を褒めてくれる人がいたとして、その人がいろいろいいことを言ってくれるし、平手としてはたぶん本気でいってくれてるとは思える。ただしそう思ったとしても、それを「読み取る」とは彼女は言わないのではないか。

自分の演じたパフォーマンスに自信がなくて、それでも「よかったよ」って言ってくれる人をじーっと見つめて。「いや、そんなことは思ってないはずだ」と思えるようなこと。それを「読み取り」と言ってるような気もして、もしそうなら、自分で下した自分の評価にソースを与えるために使っている、そんな気もする。

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平手友梨奈が届けたい「対象」

というか、そもそも論として。

平手友梨奈のパフォーマンスに「対象」が見えない、というか、見えにくいのは気になっている。

 

私の中には、芸能人というのは芸を見せて稼ぐ、という大前提があって、ということは多かれ少なかれその対象が「見てくれている人」であり、その人たちがどう感じるか、というのをどうしても考えて演じるというのがあって当然じゃないかという気がしている。

パフォーマンスは誰かに見せるため、そしてその評価が自分の食いぶちになる。

芸能人とはそういうものだと思っているし、今もそうだ。

 

ところが、平手友梨奈の場合は、その「対象」がいったい誰なのかどうもはっきりしない。

これは賛否両論あるだろうけど、ファンとかお客さんと彼女が称する人たち。彼らに向けてパフォーマンスをしているといえばしているんだろうけど、どうにも私が観た全ツ神戸ではそれが感じられなかった。

目の前にいる、自分たちを観に来てくれたお客さんに向けたパフォーマンス。そこに至ってないように思えた。もちろん、見方を変えればそういうところがアンチを呼んでしまうんだろうとは思うが、私はそこよりも先に、だとすればいったい誰のために何のためにパフォーマンスをしているんだろう、という平手友梨奈の「戦い」に思いを馳せてしまった。

あれだけ「曲を届けたい」と思っているにもかかわらず、そうなってしまうとしたら本人の中で壮絶な戦いがあるはずで。

 

そして、このインタビューを読んでいても、やはりその「対象」の見えないことは同じ。

この辺りが、やるせなさの根本なのかもしれないなと思ったりする。

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「ない」というパワーワード

●その頃は、将来何になろうと思ってたの?

平手「ない。今もないけど、ない。ほんとにない。だから学校の先生とかに、『将来の夢、なんですか?』って訊かれるし、図工とかで絵を描かなくちゃいけないって時も、すっごい悩んで、隣の人のパクったりとかしてた(笑)」

●それ、平手のパーソナリティーとしてすごく重要かなと思うんだけど、要するに「何もなかった」っていう。

平手「え、そうですか?」

●「何になりたいの?」「ない」。

平手「ない」

●図工で、「描きたいものは?」「ない」。

平手「ない」

●何を道しるべに生きてたの?

平手「わかんない(笑)。なんだろう?特にないかな。でもなんか、常に干渉されないようにはしてたかもしれない、学校で。先生に当てられるのとかもほんとにイヤだったから、できるだけ目立たない方向にいた」

●もうこの頃には、活発だった平手がだいぶ後ろのほうに行ってるね。

平手「ああ、そうですね。だから、学校が合わなかったんだと思います」

●じゃあ小学校低学年ぐらいから、学校はあんまり好きじゃなかったんだ。

平手「うん」

●それは、勉強がついていけなくなったってことだけじゃないよね、きっと。

平手「じゃないですね、うん……」

●何か熱中してたことはあるの?

平手「ない………………ないです」

●自分から、「これやりたい!」って思ってたことって何かあるの?

平手「ないですね」

●ないんだね(笑)。

平手「ない!(笑)。ない。習い事も、自分からやりたいんじゃなかったから。ああ、今思うと不思議。ない!」

●それはなんでなんだろうね?

平手「なんでかな……………わかんない」

●でも、周りには「将来はあれになりたいから今これやりたい」っていう人もいっぱいいたと思うんだよね。

平手「うん。でも、そういうの聞くと『絶対、大人になったら考え方変わる』って冷めた思いになっちゃって(笑)。だってほんとに、なった人見たことないから。ずーっと子どもの頃から、まあ、いるとは思うんですけど、あんまり見ないから、つまんない子どもですね」

●子どもながらに感じてたんだ。「そう言ってても絶対なれないよ」みたいな。

平手「うん(笑)」

(中略)

●将来どうなると思ってたの?

平手「なんにも考えてないと思う。ただ時間が過ぎていくんだろうな、みたいな」

●楽しみはなかったの?その時

平手「え、なんにも楽しみなかったと思いますよ。今でも見つかってないし、それは、なんですかね……」

●周りの子たちは平手友梨奈のこと、どういうふうに思っってたんだろうね。

平手「学校の?どうなんですかね。もしかしたら変な人って思われてたのかもしれない」

●そういうことは気にならなかったんだ。周りからどういうふうに見られてるのかなあ、とか。

平手「ああ、ならないかなあ、あんまり」

●「わたしって孤独だな」っていう感じじゃなかったの?

平手「でも、どこかで孤独さは、絶対感じてましたね、うん。ただそれが何かって言われたら、答えられないけど」

●寂しいじゃん、単純に。寂しくならないんだ?

平手「うん。寂しくならない。なんでだろ……でも、昔は思ったかもしれないですね、ちょっとは…………」

●今振り返ると、小学校の時って何色の記憶なの?

平手「色?」

●要するに、淡い思い出なのか、暗い思い出なのか、明るい思い出なのか。

平手「ほんとになんにもないかなー特に、ま、記憶がないってのもあるけど、なんか、自分が生きてきたと思えない。思いたくない。だからもう、それこそ、欅坂に入ってからスタートした、みたいな感覚が大きいかな

●そうなんだ。まだ自分の人生を生きている感覚がなかったんだね。

平手「ない、今もあんまりないけど(笑)」

 

たぶん、お読みになった多くの人が感じていることだと勝手に思うわけだけど。

平手友梨奈は本音を全部晒していないなと😅

もちろん、全部晒す必要はないから意図的に隠したって全然構わないし、逆に本当に全くもって覚えてないケースも多々ありそうだし。

 

それにしても、この「ない」という言葉の持つ強さ。

「ない」という言葉がパワーワードになる日が来るとは思わなかった笑

平手に興味のある人は、ファンやアンチも含めて本当に多いと思われる。だから、どんな人なのか知りたい。でも、その言葉を聞けば聞くほど理解できない。そのせいで、ファンかアンチかに道が分かれていく。

でも理解したい。そういう人にとって、この「ない」という言葉は本当に、死刑宣告に近いくらいに打ちのめす力を持っている。

きっかけなんかありません、なんか知らないうちにそうなってました、って言われたら、同じ経験の持ち主以外は納得のしようがない。

この部分が最もやるせない。

 

実は、ウチの生徒にもいます。何もない、って言って悩んでる子は。

ない、と言われるのが一番辛い。持って行きようがないから。

何がしか言ってくれれば、そこからいろいろ広げられる自信はあるけど、ないって言われるとね…。

 

でも、平手友梨奈のスゴいのは、ある意味これだと思える。

 

何もない、という人に何故これだけ多くの人を引き付ける力が備わっているのか。

 

アイドルとして惹かれる、というものとは全く異質の、パフォーマーとしてというか、それを超えて人間・平手友梨奈の虜になっている人が何故これだけいるのか。

何もない、という人にそんなことができるという理屈はあり得ない。あり得ないと思う。

 

つまり本当は…「無」ではなく「無」を装っている??

或いは気づいていない…??

もっと言えば、気づこうとしていない???

 

そこが何かはっきりすれば、また違う世界が平手に見えるだろうし、こちらに見せてくれる世界も広がってくるんだろうと思っている。

 

もし本当に、平手友梨奈の感情が欅坂で形成されたとするなら、ある意味「生まれたて」だ。

そうすると、欅坂のメンバーは「家族」ということになる。

そして、そうなると平手が欅のことをずっと考えてるという言葉にも、これで整合性がとれる。

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紐解くカギ

●でも、部活やってたんだよね。

平手「部活やってました。バスケ」

●それは燃えてたんじゃないの?

平手「まったく(笑)。イヤでイヤで、って感じだった」

●じゃあ、どうしてバスケ始めたの?

平手「バスケは小学校の低学年くらいから部活に入って、そのままって感じで。絶対入んなきゃいけなくて、部活に。だったらっていう感じで入ってました」

●楽しかったんじゃないんだ。

平手「まったく」

●なんで続けてたの?

平手「やめたら、怒られるし、っていう感じで、嫌々やってました」

●習い事はバレエをやってたんだよね。

平手「やってました」

●それは自分がやりたかったんじゃなかったの?

平手「じゃないですね。やらされてた、って感じです」

 

ここも、誰に、という部分がない。普通に考えれば保護者に、だけど。

はっきりそうだと言い切れないけど、生育環境が言わせている言葉にしか、私には感じられない。

 

●訊き方変えるけど、今でも忘れられない思い出ってある?

平手「なんかあるかなあ……………えー……………バスケの練習をしてた時に、今思ったら絶対やんないですけど、木の柵みたいな?なんて言うんだろう……木で覆われてるおうちがあって、バスケのパス練習代わりで、その壁に当てて返ってくるっていうのをやってたら、穴が空いちゃって。それで怒られたとか、そんな感じかな(笑)」

●それで謝りに行ったの?

平手「行ってない。逃げた(笑)」

●(笑)ああそう。他には何かある?

平手「うーん…………まあ、たくさんあるはあるけど。でも、話したら、今いる自分の欅坂っていうグループに対して、余計なことを足してしまう気がする。あたしがなんかいろいろ喋ってしまうことで、お客さんがそれに囚われすぎてしまったらヤだなって思うから。余計なことは言わないほうが欅のためなんじゃないかなあ、とかいつも思う。でも話したら話したで、いいこともあるのかなあとも思って。それは自分の中でも、まだ答えは出てなくて」

 

正解も間違いも、ない。

もちろん平手が届けたいものは確かに存在する、はず。だけど、それを押し付けるわけではなく、逆に言うとそれは最もやりたくないことであって、そのためにはある意味まっさらに近い状態のほうがいいんだと。「平手友梨奈はこういう人」と決めつけが入ると、曲を届ける妨げになるということなのだろうか。

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孤独になれ

●一回、どこかで書いたことがあるけど、今日の“サイマジョ”は今日の“サイマジョ”であって、明日の“サイマジョ”は明日の“サイマジョ”であって、要するに同じことを再現しているわけじゃない、っていう。

平手「うんうんうん。そうなんですよね」

●それは、平手の中ですごく、自信を持って言えることなんだよね。

平手「うん。そうですね。でもどうなんだろう、どう捉えられてるのかもわからないし、もう信じるしかない。『これでわかってくれる。きっと!』みたいな感じでやるしか、もう方法がない

●だから、とっても孤独だと思うよね。

平手「うーん、どうだろう……」

●でも、平手は孤独に強いよね。

平手「え、そうですか?初めて言われた。秋元さんとかには言われたことない。でも、孤独になれとはよく言われます

 

ここが唯一、「対象」が垣間見得た瞬間。

誰にわかってほしいのか。誰に捉えてほしいのか。そこはやはりはっきりしないけど。

 

そして、おそらく秋元康に言われるという言葉。

 

「孤独になれ」

 

強いな、、これは。

17歳女子に放つ言葉じゃない。

 

闘うなら孤独になれ

群れてるだけじゃ始まらないよ

(『ガラスを割れ!』より)

 

平手友梨奈は、やはり闘わないといけないのだろうか。

何に?

何のために?

そして孤独に身を置かせて、彼女をどこへ向かわせようとしているのだろうか。

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兄よ君には何が見えていた

●自分で受けようと思ったんだ?

平手「いや、お兄ちゃんです、全部

●でも、よし頑張ってみよう、っていう感じでもなかったの?

平手「ない(笑)。そうでなきゃいけないとは思うんですけど」

●「何時にどこに行って何をやる」って言われたから、じゃあとりあえずやってみます、って感じだったんだ?

平手「うん。そうですね。あんまり外にも出ない子だったから。まず、第二次審査が名古屋とか大阪と、なんかいっぱいあって。もう、名古屋に行くのでさえもすごい緊張!って感じ(笑)。名古屋なんてあんまり行ったことなかったから、っていうぐらいでした」

●でも、あれよあれよと進んでいき。その時はどう思ってたの?

平手「絶対受からないと思ってました。お兄ちゃんからも、『絶対受からないから』って言われてたから

●でも、進んでしまって。『ああ、受かっちゃった』って感じだったの?

平手「はい」

●これで何かが始まる、何かが変わる、みたいな期待っていうのはー。

平手「ない

 

平手友梨奈兄と、一度でいいからじっくり話がしてみたい。

まず、留学の方向性で話が進んでいた妹に、欅坂46(当時は鳥居坂46)を何故受けさせようと思ったのか。

そして、進んでいくうちに何故「絶対受からない」と言ったのか。

今の妹の姿を、どういう気持ちで見ているのか。

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自分が褒められない

●じゃあそこから始まる日々はその時の平手にとってどういうものだった?

平手「そうですね、もう……いろんなことが起きすぎて、わかんない、って感じでしたね。なんかおっきい目標っていうのもほんとになくて、ただ、一日をどう生きるかみたいな感じでした」

●一日が終わって家に帰るとほっとするっていう?

平手「とりあえず終わった、っていう感覚。今でもそれは変わらない。明日のことは考えてない。とりあえず今日のこと、です

●自分自身を責めることはあると思うんだけれども、「今日はよくやったよ」とか、そういうのはないの?

平手「ない。一回もない。そう思いたいけど、思えない。よく、『自分を褒めてあげて』っていう言葉を聞くけど、できない……」

●しちゃいけないと思ってるの?

平手「ああ、どこかで、しちゃいけないと思ってるかもしれないです

●それはストイックだから、っていうことでもない気がするんだよね、平手の場合は。褒められない?自分を。

平手「うん。褒められない」

●褒め方がわからないし、自分で自分を褒める自分というのは何かが狂っている、っていう感覚なんじゃないの?

平手「(笑)うん。それに近い」

 

自分を褒められない感覚、というのはわかる。

そもそも褒めるという行為そのものと無縁でここまで来た気がしているし。

ただ…平手のそれは、私のものとも種類が違う気がしている。

それが何なのかはわからないけど。

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家から出たい

●欅坂が結成されて、客観的に見たら、刺激的な日々が始まるんだと思うんだけど、本人としてはどうだったの?

平手「もう、毎日が初めてのことだらけで。ついていけなかった部分も絶対あったと思うし、発見もあったりとか。当時は大変だったと思うけど、今は、すごくいろんなことを最初っから経験させてもらったなって、すごく思います。欅は特にいろいろ恵まれてるから」

●それから寮に入るんだろうけど、それはひとつ覚悟を決める瞬間というか。

平手「そうなの?まったく、なかった

●単純に「そうしたほうがいいならそうします」って感じだったの?

平手「うん……でも早く家から出たかった。それこそ留学も考えてたし、それは嬉しかったです」

●寮に入ることを決めて、新幹線に乗って、東京に来るわけだよね。その時には、きっと多くの人が、感傷的な気分になるというか、「もう自分は違うところで生活を始めるんだ」っていう、そういう感慨は平手の中にあったの?

平手「ない

●普通の一日がまた始まるって?

平手「うん」

●愛知にいる一日は今日で終わって、東京で過ごす一日が今日から始まるっていう、それだけ?

平手「うんうん。でも東京の街はちょっと、怖かったは怖かったけど。ほんとは東京じゃなくてもよかった。どこかに行きたかった。ほんとに家から出たいって思ってたのかな

 

“早く家から出たかった”

やはり案外、こういうところに本質を突くポイントがあるのかもしれない。

何故平手がそう思ったのかは置いておいて、ここまで垣間見える愛知時代の平手友梨奈から、幸せそうな様子が欠片も見られない。かといって、不幸という感じもあまりしない。

ただただ、無の毎日。

いや、厳密に言うといろいろあるんだろうけど、平手の記憶に残っていない(或いは意識的に消去している)とすれば、そんなところに長くいたくないというのは自然の流れだろう。

 

いったい、何があったのか??

 

結局その疑問に戻ってきてしまう。

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大人に与えられるもの、それに抗うもの

●でも今の平手は「こういうことがやりたいんです」とか、「こういうパフォーマンスがやりたいんです」「こういう演出をやってみたいんです」って思えるようになっているわけだよね。

平手「うん」

●そこまでは、何がやりたいなんて決して言わない子だったけど。

平手「うん」

●その変化っていうのは、自分ではどういうふうに説明できる?

平手「楽曲の力が大きかったんじゃないかなあ。たぶん“不協和音”くらいから、自分の意見を言うようにした気がします。言ったり、思い浮かんだり……誰に言えばいいかとか、誰に相談したらいいかというのも、わからない状態だったと思うけど」

●「でも言わなきゃ」って?

平手「うん。自分から行動しないと何も変わらないとは思うから」

●そこで平手は自分の人生に対してまた違う責任の背負い方をすることをしたんじゃないの?

平手「うーん……」

●自分がやりたいと思ってることがあって、それを信じているんだとしたら、それを言う人生を生きていかないと、これから先、ただやりすごすにはこの日々は重すぎる、というかね。

平手「えー、どうだろう……そこまで細かくはわかんない……………でも、一個はライブが大きかったです。おととし?一番最初のアニバーサリーライブ」

●代々木の。

平手「うん、うん。が、もうほんとに、イヤでイヤで。そこからかなあ」

 

結局、誰かに決められたセトリや演出がイヤで仕方なくて、それで意見を言うようになった。その後押しをしてくれたのは、不協和音をはじめとする楽曲の力だった。

これも、ある意味平手友梨奈のターニングポイントだったのかな。

 

イヤでイヤで、か。

大人が練った演出は、あくまで大人の感性でしかないから、パフォーマーとしての平手友梨奈にすれば嫌悪感すら抱くくらいのものだったのかもしれない。

だからこそ、話し合いが必要だと気づいた。

それこそが、平手の成長だった。

 

本当に、ギリギリのところでうまく歩いてきてるよなと思う。

一歩間違えたら本当に危ない人生な気がする。

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生まれて初めて「感情」に出会った

●平手にはやっぱり表現欲ってものがあるじゃない?

平手「えー、どうなんだろう?」

●これもすごく覚えてるんだけど、「わたしがやりたいかやりたくないかは、表現がしたいかしたくないかなんだ」って言ってくれたことがあったよね。

平手「ああ、うん。うんうんうん」

●表現をするということに出会って平手は変わったわけだよね。

平手「それは思う」

●変わった時のことは覚えてないの?

平手「うん。それは覚えてない」

●でもきっと、かなり早い段階で、一回気づいたんだよね、それは。

平手「うん……確かにそう思う」

●それはいつだったんだろうね?

平手「そうだな……。“(二人)セゾン”の頃かなあ。そんな感じはする」

●きっと、平手という人が人生で初めて自分を形作っているものに気づいた瞬間だと思うんだよね。たったひとつだけど、自分自身の中には「これがある!」っていうものに初めて気づいた。

平手「それはそうだと思います」

●それは自分にとって嬉しいことだったのか、「厄介なものに出会ってしまった」だったのか、驚きだったのか。どういう感覚だったのかが知りたい。

平手「え、全部なんじゃないかな。たぶん。嬉しいこともあっただろうし、つらいこともあったから。それは今も変わらずあるし……うん。初めて感情っていうものに出会ったかもしれないです、欅坂に入ってから

●自分自身の中に湧き上がってくる感情に、ってこと?

平手「うん。人と触れて感じる感情も、すべてを含めて、ここで出会ったんじゃないかなとは思います

 

これ、サラッとスゴいことを言っているわけで。

表現のアヤなのかもしれないけど、取りようによっては、愛知時代は感情がすべてなかったとも取れるわけで。

何も覚えてないし、感じてもいないという14年間だった、とすれば…

なんかこう、胸が締め付けられる思いがする。

もちろん想像だけど、なかったというよりは、殺していたような。言葉の端々からはそういう感じを受ける。

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表現欲が枯渇する日

●さっき、表現したいという気持ちに出会ったことが、自分の中の大切なものに気づいた初めての瞬間なんじゃないの、って言ったじゃない。それは合ってるような気がするんだよ。

平手「うん。わたしもそう思う」

●でも逆に、この感情を知らなきゃよかったなって思うことも、もしかしたらあるのかな、平手は。

平手「全然ありますね。でもたぶん、書けないことばっかだから(笑)」

●(笑)君の場合、書けないことばっかじゃないか、いつも。

平手「ははははは。確かにね」

●でもこの話は、実はすごく一貫性があって。平手は子どもの頃から希望なんか口に出さなかったわけだよね。「こうなりたい」もなかったわけだし、無邪気さすらなかったわけじゃない。

平手「うん」

●でもそんな人が、表現をしたいという欲望に気づいちゃったわけだよね、どこかで。これって希望じゃないの?

平手「ああ………………」

●「希望なんて持っちゃダメだよみんな、叶わないんだから!」ってどっかで思ってたわけじゃない?

平手「思ってた」

●でも、今はその希望を持ってしまっているっていう。そこに対する戸惑いが、きっと平手の中ではまだあるんだろうなって感じがする。

平手「うん、ある。今はできるだけ持ってはいたいかな、希望は

●それはなぜ?

平手「えー………………なんでだろう……え、絶対書けないわ、こんなこと(笑)」

●表現欲はやっぱり失えない?

平手「うん……欅坂は、ずっと、世の中に何かを届けていくグループだと思ってるから、それがなくなったら、終わりかなあって思う

 

インタビューで全てを曝け出す必要性なんてない。それはよくわかっている。

平手友梨奈が嘘を言っているとは思えないから、本当に記憶がない部分と、敢えて言葉にしない部分の二通りに分かれるわけだけど。

希望は持ってはいたい。でも、その理由を聞かれると、それは書けないことだと言う。

ポジティブな話になればなるほど、平手の口が重くなる。

以前からなんとなくその傾向はあるような気がしてた。

原因はすべて同じではないにせよ、そこに共通する何かがあってもおかしくないかなとは感じる。

 

欅坂は、世の中に何かを届けていくグループ。

それがなくなったら、終わりだと。

おそらくこれを読んだ人の中には、平手に表現欲がなくなるなんていうことがあるのだろうかと思っているひともいるだろう。

 

私は、あると思っている。

 

それは決して、平手が欅坂というグループに対して、或いは表現することそのものに対して興味を失うという単純な話ではなく、自分に満足してしまった瞬間にそれはやって来るのではないかと考えている。

もちろん、そんな簡単な話ではない。ここまで自分を褒められない平手にそんな瞬間はやって来ないかもしれない。

でも、何が起きるかわからないのも、また世の常。

 

あるかないかで言えば、ある。

少なくともその可能性は、ある。

そうなったとき、欅坂46に、何が起きるか。

私たちに、何が起きるか。

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大人の平手友梨奈が寄り添う人たちとは

●繰り返しになっちゃうけど、欅坂に出会ったことによって変わったものっていうのは、なんだったの?

平手「うーん……前を見るようになった。あんまり、もう、過去を振り返らないようになったかな。歌詞にもそういう歌詞があるから、そこから受け取った言葉でもあるからかなあ、それは」

●教えられた?

平手「うん。そんな感じです。あたし、ほんと、先生運がなかったから、いい先生にたくさん出会ったんだなと思ってます。秋元さんとか、TAKAHIRO先生とか、新宮(良平)監督とか、うん。学校の授業では習えないことをきっといっぱい学んでるんだろうなとすごく思います。だからそこはちょっと、みんなの10代と違うところかな。でも逆に、みんなが学んできたものを学べないから、そこの苦しみを共有できないのはすごく申し訳ないなって思いつつ、できるだけ、寄り添って共有したいっていう気持ちが大きいです

 

あまり過去を振り返らなくなった。

この言葉の持つ意味は重い。

翻れば、過去を振り返っていた時期があった、ということだから。

矛盾するようで繋がる話なのかもしれないけど、平手に愛知時代の記憶がないのは、自分で抹消していたんだとしたら、当然何かのきっかけがあったはず。

後悔…という言葉が正しいかわからないけど、そこから自分の心を守るために敢えて記憶を残さないようにしていたとすれば。

何気なく出てきた「過去を振り返らなくなった」という言葉の持つ意味は本当に重いと言える。

 

それと以前から気になっていることではあるんだけど。

平手友梨奈は、令和元年に18歳を迎える。

選挙権が手に入る、成年といってもいい年齢だ。

 

つまり、大人の最初の年なのだ。

 

10代ではあるけれど、例えばあと2年も経つと20代に突入してしまうわけで、そうなった平手はいったい誰に寄り添うのか。何を共有するのか。

自分と世代の違う10代に寄り添うのか。

それとも、20代に突入した自分の同世代に寄り添うのか。

このあたり、必ず直面する「課題」を解決するとき、先に挙げた欅坂46がどうなるかの答えがでるのかもしれないなとは思っている。

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楽はしちゃダメなんだ

●アニラの話から始まって、ここまでよく話してくれました。

平手「でも、絶対いいと思ってないと思った。それはなんか、わかった」

●ん、大阪?とても良かったよ。

平手「嘘だ。絶対思ってないはず」

●なんで?(笑)

平手「たぶんね、責任だと思う。ちょっと楽な気持ちでやれちゃったからだと思う。たぶん、それじゃダメなの

●そうか。

平手「いつも、スタッフさんから『すごくいいライブだって言ってくれたよ』っていうのは聞くんですよ。でも、今回は、『お疲れ様』って帰っちゃうんだろうなって予想してたの。『良かったです』も言わないかもなあって」

●すごく明るいライブだったけど、「ああ、この人は暗闇にいる気分なんだろうな」と思って。そのうえでやりきる姿はとてもかっこよかったよ。

平手「うん。明るくはなかった(笑)」

 

最後のくだり。

やはり、楽になりたいと言いながら、楽になっちゃダメだとも言う。責任が全うできないからだと。

そして、これが続く限り、平手友梨奈は表現をやめないんだろうなとも思う。

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最も知りたいことは、最も語られないこと

結局、平手友梨奈に見えているその「対象」は誰なのか…?

目の前にいるファンではないようにも思える。

それは、客観視する「自分」に対してなのか。

届ける、という言葉をいったい誰に対して使っているのか。

いつもいつもそうなんだけど、結局いちばん知りたい部分はいつもあやふやだ。

 

あれだけカメラのほうを向いていた欅坂初期の平手友梨奈

カメラが苦手なはずの平手が、あそこまでバラエティを頑張っていたのは何故なのか。

今ほどじゃないにせよ、極端にカメラに自分の顔が写るのを明らかに嫌がっていた時期があった。

その気持ちと、曲を届けたいという気持ちの整合性をどうつけていたのか。或いはつけようとしていたのか。

 

そして何より、、

 

平手友梨奈にとって、欅坂46のファンとはいったい何なのか。

 

…いずれ彼女の口からその想いが放たれることがあるのだろうか。

 

でもこれだけは言える。

自分にもがき苦しみながらそこに立っている平手友梨奈が、自分のことを褒められないと嘆く平手友梨奈が、アイドルファンとは無縁だった人も含めてこんなに多くの人の心を掴んで離さない。

それで平手が自分を褒められるかどうかは別の話だ。

だけど、それは厳然たる事実。

 

「無」が生み出す「有」の世界。

それは「無」に見えて、実は誰もが心の中にある、目を背けたかった自分に敢えて正面から立ち向かう姿。

そこに心が震わされるからこそ目が離せなくなる世界なのかもしれない。

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