櫻坂日向坂の上り方〜川島雅隆的編集後記

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主役はあくまで渡邉理佐であるー理佐センターで観たい欅坂10選 2022年5月21日付

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渡邉理佐卒業コンサートが、いよいよ初日を迎える。当日の朝だ。

5月は中学生の中間テストの時期であり、加えてコロナ禍でテスト日程が流動的である。それもいろんな中学校から生徒が通っているために、学校によって日程もバラバラ。毎週どこかのテスト前だったりする。今日も明日も、御多分に洩れず、である。

そのために5月はほとんど休みがなくなるのだが、22日、理佐卒コンDAY2だけはどうしても外せないので、明日は昼過ぎまで。本当はそこから東京まで飛んで行きたいくらいではあるが、最低限配信だけでもリアタイできるように努めようと思っている。

逆に、本日DAY1はリピート配信すらギリギリになるかもしれないタイミングなので、結構ドキドキではあるけれど…

 

さて、理佐卒業の話はここのところメイントピックでもあったので、結構言い尽くしてきた感はあるけれど、実は一つ心の内を見せていないことがある。それは、この卒コンのこと。

 

頭が固いと言われればそれもそうなのだが、このライブ、主役は渡邉理佐であって、櫻坂46ではない、ということに拘っておきたいのだ。言い方を変えれば、厳密に言うと「櫻坂46のライブ」ではない、ということ。

どういうことか。焦点を当てるのはあくまで渡邉理佐。ただ、そうすることで何が変わってくるのか。

 

理佐の思うライブにするのが主の目的だと思うし、櫻坂のメンバーはそこに花を添える存在であるべきだというのが私の考えである。そしてそれを貫くことで、できることがある。

 

それはもちろん、欅坂の曲の封印を解くことができる、ということだ。

 

例えば、昨年のW-KEYAKI FES.。「KEYAKI」の名前が冠されていることで、欅坂時代から推してきたBuddiesは、欅坂の楽曲が解禁されることを期待した。その期待は、メンバー本人たちの耳にも届いてしまった。もちろん悪気は全くない。ないのだけれど、当のメンバーは櫻坂全体として初の有観客ライブだったこともあり、櫻坂46というものを直に届けたいとリハーサルをしていた。そこに、欅坂の楽曲解禁の期待が届いてしまったものだから、悔しい思いをした、というメンバーもいた。涙を流したというメンバーもいた。

 

心が痛かった。

 

どちらの気持ちもわかるだけに…

 

「KEYAKI」の名前があれば、そりゃそう思うだろう、という意見もわかりすぎるくらいわかる。一方で、櫻坂46というものの最初の晴れ舞台に意気込んでいたメンバーの気持ちも、当然わかる。どちらも悪くないだけに、だからこそメンバーが涙する事態になったことが、たまらなく心を荒れさせた。

 

でも、今回は違う。

 

主役はあくまで渡邉理佐であるから、理佐のアイドルとしての集大成を見せる、そこに櫻坂のメンバーが共にいる、という形である。

ならば、理佐のアイドルの原点である欅坂46に触れない方が、逆に不自然である。櫻坂の楽曲も当然大切だけれど、それだけで理佐のアイドル人生は語れないのである。それに、その大義名分があることで、櫻坂メンバーによる欅坂楽曲の解禁ということを、抵抗なくできるのではないかと。

そして忘れてはならないのは、それを望むファン、Buddiesは多い、ということである。

 

理佐卒業に纏わるグッズを見ていると、どう見てもそれが予定されていると捉えるしかない、いわゆる「匂わせ」としか思えないものがそこここに見られる。

 

だから私は、この2日間のどこかで、欅坂の楽曲の解禁はあるとみている。

 

もしそうだと仮定した場合。

次はしばらく封印されていた欅坂のどの楽曲が解禁されるのか、というところに注目が移る。

 

理佐が卒業前に発表した、思い出の10曲というプレイリストがあるが、確かにそれは一つのヒントだろう。

 

今回のブログのメイン。

渡邉理佐をセンターに見てみたい欅坂46楽曲10選をここに置いておきたい。

 

①二人セゾン

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ことあるごとに、欅坂で最も好きな曲は二人セゾンだと言っている理佐のことである。ある意味第一候補と言える。逆に、解禁があるとしたときに、最も好きな曲であるこの曲をやらない方が変な話だ。

では、理佐のポジションはどこになるだろう。

理佐センターで見てみたい気はするけれど、久しぶりの解禁でいきなりやったことのないセンターは荷が重いか。小池美波センターで理佐は元のポジション、というのが妥当ではある。

 

②月曜日の朝、スカートを切られた

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欅坂2ndアニラ。平手友梨奈不在の中での代理センター。その中で理佐が務め上げた曲。

今までの歴史を辿って、多幸感に包まれる。もちろん基本はそれでいい。

だけど、欅坂46という、人間のマイナスな面にスポットを当てて寄り添ってきたグループの中心メンバーだった、そんな理佐の卒業である。

ならばもう一度「あんたは、私の何を知る!」と叫んでもいいかもしれない。

7年間、私がどんな気持ちでこの場所に立っていたと思ってるんだと。

言いたいことがあっても言えなかった、やりたいことがあってもできなかった、

そんな想いの何を知ってるんだと。

そう、私も知らない。知らないからこそ、そんな表面だけで何かを語っているような私たちに向けて叫んでも、、いいかもしれない。

 

③10月のプールに飛び込んだ

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10プーといえば、二期生中心の楽曲。ではあるものの、なにせ結局二回しかライブで披露されていない。加えてその二回とも配信であった。

客前で披露されることなく、タイミングのずれで眠らせる曲が、欅坂の後期にはたくさんある。それが勿体なさすぎる。

メチャカリのこのCM、流れ弾のアー写の構図と全く同じではあるものの、迫力がまた一味違う。何故か。それはやはり、理佐が真ん中にいるからではないか。

ライブでこの構図を見たい。ただそれだけであるが、それだけでもお金を払う価値はある。

 

④避雷針

あれはもうすぐ丸2年になるのか。

「KEYAKIZAKA46 Live Online,but with YOU!」

あの伝説の配信LIVEで、理佐センターで披露されたのが避雷針だった。

避雷針、志田愛佳が卒業した後、走ってくる平手友梨奈を受け止めてきたのが理佐だった。

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そんな理佐が真ん中に立っての避雷針に、伝わるものが違った、別の迫力があったのを忘れない。

自らの節目に、もう一度客前で見せることはあるのか。

 

アンビバレント 

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あのリサビバレントのインパクトは相当強かった。

小池美波、小林由依鈴本美愉といったメンバーも各所でセンターを務め、みんなそれぞれ自分の色が出ていて最高だった。そんな中で理佐が出した色は、女性らしさを前面に出した、というか出てしまったというべきか、とてもそこが顕著で新鮮だった。正直、同じ楽曲とは思えないほどの衝撃があった。

さらにそこから少し時が経過して。

今この曲のセンターを務めれば、また違った色が見えるかもしれない。

 

⑥世界には愛しかない

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これは、確か欅坂のベストアルバムCMで流れた場面だっただろうか。理佐のセカアイといえば、当時の映像にこのシーンが上書きされてしまった。

感情を表に出す、という意味では、この曲はかなり秀逸だ。

 

⑦危なっかしい計画

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現実的には、この曲の可能性が高いのは十分知っている。やはり欅坂のライブ映えといえば、この曲だ。願わくば、理佐の0番で観たい。

 

煽れ、理佐。

 

⑧キミガイナイ 

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理佐が思い出の曲としてプレイリストに入れてあり、セゾン以外に好きな曲として良く挙げるのがこの曲。

歌い出しが流れてきただけで泣くかもなぁ…

 

⑨エキセントリック

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エキセンの理佐といえば、踏切のこのシーン。

もちろん渡辺梨加の演技に注目が集まりがちであるのだが、理佐のこの無表情に立っている姿もかなり特筆すべき思い出。

そしてまさにあのエキセントリックな振りを、理佐が0番でどう魅せるのか、というのもラストを飾るには面白いかもしれない。

 

サイレントマジョリティー 

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LAST LIVEの、正真正銘ラストに披露されたサイマジョ。この曲をもって、欅坂46は封印されたと言ってもいいほど、大きな意味を持ってしまった。

確かに理佐センターのサイマジョは観たい。観たいけれど、そこまでの大きな意味を、卒業する理佐に負わせていいものかどうか、などと考えてしまったりもする。

あるとするなら、これはもう理佐の判断、運営の決断だろう。

 

 

 

もちろん、この中の曲でないかもしれないし、そもそも欅坂の解禁すらないかもしれない。もしそうなら、ただの戯言だ。たとえそうでも、まあいいじゃないか。

理佐のことを、櫻坂を、そして欅坂を想う人がいるというその事実だけでは不足かな。

 

 

 

おっと、仕事が始まりそうだ。。

 

卒コン初日の代々木には何が生まれるのか、、、

 

 

 

見届けよう。

 

 

 

 

推しメン富田鈴花は何を語るのか…?ー5月21日21時からSHOWROOMというタイミング 2022年5月20日付

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前日にSHOWROOMの予約が流れてくるのは、まあさほど珍しくはないかもしれない。そう頻繁にあることでもないけれど。

で、ちょうどこのタイミングというのは、松田好花がパーソナリティーを務める「日向坂高校放送部」に、渡邉美穂がゲストに来る、その直前ということにはなる。

そう、ゴリゴリドーナッツである。

 

いやまさかそれにしても、ゴリドーで雑誌の表紙を飾ることになるとは思わなくて、この表紙を見たときに衝撃を受けた記憶がある笑

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そして、渡邉美穂卒業で、ゴリドーよ永遠に…ということになるのか。

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B.L.T.さん本当にありがとうございます。

 

どうせなら推しメンもゲストに呼んでゴリドー回にしてほしかったところだが、まぁいろんな都合もあるだろうから仕方がないか。

それにしてもこの三人、仲がいいとかいう当たり前の理由以外でも、とにかくバランスがしっかり取れているユニットだなとつくづく思う。

もちろん、彼女たち一人ひとりのキャラが際立っているので、誰と組んでもバランス良く見えるのだろうけれど、それぞれ担当する得意分野がしっかりしているので、余計にこの三人は安心感を持てる。

もちろん、ゴリドーについて何かを語る回になるのは間違いないのだけれど。

 

(追記)

そうか、ひなこい関係でもこんなのがあるんだね…動画の中でサラッと「26日特番」とか言ってたので、その関係もあるだろうね。

(追記ここまで)

 

そういう意味でも絶妙なタイミングではあるのだけれど。

 

 

 

 

もう一つ。

 

 

 

 

実は櫻坂46・渡邉理佐卒業コンサート初日が終わり、リピート配信が始まるまでのタイミング、でもあるのだ。

 

そもそも欅坂46の、感情のマイナス面を癒しに変えられるところに惹かれたという彼女のことだから、このタイミングに何も感じていないはずはない。推しメンから理佐の名前を聞くことはあまりないのは確かだが、それとは関係なく、欅坂46、櫻坂46の「節目」となるこのライブを意識していないはずはない。

 

観るのか、観れるのか。

 

観るとすれば、最も熱量の高い状態で、自分の感想を伝えることのできる場となる。

 

しかも、1時間のSRだとしたら、終了直後からリピート配信が始まる、という「タイミング」である。

 

そこまで計算しての時間設定かどうかは知る由もないし、全く触れない可能性だってあるわけだけど、どうにもそうとは思えない何かがある…仮に触れなかったとしても、思うところは必ずあるはずだし。

 

 

 

うん、触れなかったら私がミーグリで聞こう笑

 

 

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心から、無事開催できることを祈りますー櫻坂46、渡邉理佐卒業コンサートまであと2日 2022年5月19日付

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渡邉理佐卒業コンサートが、あと2日に迫った。

 

グッズが製作され、メモリアルフォトブックも発売され、メディアにはこれから理佐を売り出すのかというくらい掲載されている現状。理佐の卒業はもちろん大きな出来事ではあるし大切な節目でもあるのだけれど、心のどこかでここまでしてもらえてることにほんの少し違和感も感じながら、時は進む。

 

 

欅坂時代からたくさんの卒業生を輩出した。その礎となった一期生は、理佐の卒業で8名となる。原田葵の卒業も控えているので、その日が来ると7名となる。

過去卒業脱退でグループから巣立っていったメンバーのときは、公式サイトにお知らせだけで終わることも少なくなかった。

私はあまり触れたくはないのだけれど、とは言ってもどうせツッコまれる可能性もあるから触れておくが、その卒業生の中には週刊誌に報じられたことが原因だったかもしれないメンバーもいるにはいた。そんなメンバーに、卒業コンサートはおろか、卒業までの道のりを運営が飾ろうとしないのは当然のことだという意見もあるだろう。

 

でも、だから、と理由づけをするには、あまりにも違和感が拭えない。理佐の卒業までの道のりは、それくらいの至れり尽くせり感である。

 

誤解なきように言っておきたいのは、理佐のそれが悪いと言っているのではないということ。むしろそこまでしてくれて本当にありがたい。ただだからこそ、過去の卒業生たちになぜ同じことがしてあげられなかったかという、その違和感であるということ。渡邉理佐も、守屋茜も、渡辺梨加も、それ以外の一期生も礎を作る苦労は皆同じだったはず。

いや、同じこととまでは言わなくても、もっとできることはあったでしょう、という想いはずっと心の中にあって。

あの頃卒業セレモニーを行ってくれた長濱ねるは、逆になぜその中でできたのかとか。もちろんありがたいに決まってるけれど、この差って何なんだろうとか。

そして、この後一期生がもし卒業していくことがあるとするなら、それと同等のことはしてもらえるのだろうか。しないとしたら、その理由は何なのか。その理由は果たして誰もが納得できるものになるのか。

 

いろんな意見のあるところだとは思うけれど、あまりにもそのコントラストが激しすぎて納得しようにも心が拒否してしまう感じだ。

 

大事なことではあるけれど、それはそれとして。

 

コロナ禍はまだ終わってないという認識でいいとは思うが、海外ではそろそろマスク着用義務が消えてきたり、国内でも感染者は高止まりしてるにも関わらず、もう何となく人々の意識の中で、終わりもしくは終わりに近づいているように肌感覚としては感じられる。

佐藤詩織さんがいよいよイギリスへ留学できるようになった、というのも、世界中の人々の中で終わりが近づいているという証拠のような気もする。そのことについては、ちゃんとまたブログにしたいと思う。

 

乃木坂46の10thバスラにおけるサプライズ、それを含めてSNSでも話題になっていたコール問題。ルールは守るべしと批判する意見も当然わかるし、感情面では、あの場所に白石麻衣西野七瀬が登場して声を出さずに見ることのできるヲタクはさほどファンではない、という意見も、まぁわからなくもない。

乃木坂といえば、ちょうどコロナ禍が始まる直前にもライブがあったと記憶しているし、あのときは本当にギリギリの開催だったなと思ったものだが、今回の敢えて「コール事故」とも呼べるこの現象で、逆にクラスターが起こらなければ、それは今後を考える一つの材料になりはしないだろうか。

災い転じてナントヤラ、ではないけれど。

 

生活のしかたという一般常識まで変えられてしまった、そんな社会現象であったが、私はコロナの専門家でもないし、マスク云々の是非などをここで論じるつもりもない。

ないけれど、そろそろ以前の状況に戻りたいというのが人情だ。いい悪いは別として。

 

ライブでコールしたい。そりゃそうだ。

ミーグリもいいけれど、握手会を復活させてほしい。本人に実際に会える機会というのは、本当に貴重だ。ミーグリで逆に再認識した。そして何より、同じヲタクの皆様にお会いできるというのが相当大きな意味を占めていた。

とは言っても、おそらく世の中が徐々に元の生活を取り戻しつつあるとしても、握手会の類はいちばん最後かもしれないな…という思いは、コロナ禍真っ只中の頃からずっとある。

 

一方で、日向坂のドームでもそうだし、乃木坂10thバスラもそうだったが、コロナ陽性で出演できないメンバーが出てくる可能性も、また存在する。

そしてもし、メンバーが集団で陽性反応になろうものなら、当然ライブそのものの開催に影響する。

 

昨日菅井友香がメッセージでそのことに触れていて、ハッとなった。

確かに2日後に迫っている。

でもまだ、無事開催できるかどうか決まったわけではないのだ。

 

当日になるまでわからないのだ。

 

感染対策は必要不可欠だ。でも、それでも陽性になる人はなる。

逆に、人混みにいても、ならない人はならない。

もはや運次第な気もしなくもないが、だからこそ祈らずにはいられない。

 

渡邉理佐の節目。

そしてある意味、櫻坂46というグループの節目。

 

 

無事開催できますように。

 

 

 

そして終了したあとも、メンバーはもちろん、現地に行かれる全ての皆様が感染しませんように。

 

 

 

心から祈りたい。

 

 

 

 

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櫻坂4thと日向坂7thの根幹に共通してそうなもの 2022年5月18日付

 

THE FIRST TAKEに、日向坂46・齊藤京子がソロで出演した。

以前にも数人でドレミソラシドを披露したことがあるが、そこに彼女がいなかったのは確かに不思議だった。

ソロ出演を控えていたのなら、納得だ。

そして披露するのは、まだ発売されていない日向坂7th「僕なんか」。

 

齊藤京子の歌の実力については、今更言うに及ばずである。

逆に、ソロボーカリストがグループで歌い踊っているような印象さえある。もともと彼女はソロの歌い手を目指してオーディションを受けてきた経緯がある。ひらがな1期生として活動を始めたとしても、そもそも持っているソロボーカリストへの憧れが強ければ、彼女はもしかしたら最初の卒業生になっていてもおかしくなかった。それがここまでメンバーとして活動を続けることになっているのは、もちろんグループそのものへの魅力もあるだろうし、他にも私たちが預かり知らない理由があるかもしれない。

 

齊藤京子がその曲を歌うと、どの曲であろうと彼女の世界に引き込むことになる。この曲もそうだった。そんな曲を聴いて、改めて認識する、「五月雨よ」と「僕なんか」に共に存在する「何か」。

 

ずっと考えていたのだが、4月6日に櫻坂46の4thである「五月雨よ」が発売され、当初はその約一ヶ月後に発売される予定だった「僕なんか」。この2曲、曲調が全く違うのに、何故か共通点が多そうな気がして仕方がない。

もちろん、共に作曲者が温詞さんである(それを言うなら作詞者だって同じいつものあの御大なのだけれど)ことはわかっているんだけれど、それだけで語りきれない共通項が多く潜んでいる気がする。

櫻坂と日向坂の兼推しの方は、ご一緒に考察していただけないか、というブログである。

 

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これだけメロディラインが違うのに、共通点を感じる。もしかすると、底流にあるものが重なって見えるのかもしれない。では何故重なって見えるのか。そもそも私が「櫻坂と日向坂は元が一つ」という論者だから、そう見えてるのかもだが、どちらかというと表裏一体という表現の方が近いかもしれない。

決してネガティブな意味ではないのだが、仮に二つのグループが表裏一体であるならば、目を背けてはならない側面がある。それは…

 

両グループが共に日の当たる場所にはいられない、ということ。

 

表と裏。

昼と夜。

そして、陰と陽。

ポジティブあれば、ネガティブあり。

 

ただし真逆の方向を見ることができるからこそ、両グループは一つなのだ、という根拠にもなりうる。

漢字欅が躍進を遂げていた時期は、ひらがなけやきの存在は確かに「陰」だった。ひらがなの勢いに拍車がかかってきたのが2018年頃だが、この頃には漢字欅も7thから8thはまだ勢いがあったものの、その後様々な事情で9thが出せないという停滞に陥る。欅坂が苦しんでいた頃には、日向坂は改名してからのブーストがそのまま破竹の勢いへと化し、上昇気流を作り上げる。欅坂46はそのまま櫻坂46へとこちらも改名の機に接することになる。ならば櫻坂にとっては、欅坂での歴史をいったん封印して、新たな土台から作り上げなければならない。そして、その頃の日向坂は、もはや改めて言及するまでもない好調ぶり。

 

両雄並び立たず、などとはよく言ったものであるが、だからと言ってもちろん、私の中にどちらが上とか下とかそんな概念は存在しない。グループの波が並行しない、というだけのことである。

 

話を戻すが、それでいて面白いのは、ほぼ同じ時期に発売される両グループの新曲が、世間一般が持つそのグループへのイメージとは共に真逆の楽曲で勝負してきたことにある。同じような曲ではない。しかも、自分達が今まで挑戦してこなかったジャンルへの、挑戦。その意味で二つのグループの見ている方向は、やはり真逆なのだろう。でもそこは、表と裏。陰と陽。

 

闇なきところに、光なし。

 

底流には同じものが流れてのことであると解釈すれば、見えてくるものもあるだろう。

 

櫻坂46は、欅坂46で培ったものをベースに、さらに発展形を目指す。魂を伝えるのはそのままに、そこに女性らしさ、人間として成長した姿をも取り込む。4thでは特に生歌に力を入れた。歌の部分で表現力に輪をかけた。そのことが、曲の温かみをさらに何倍にもした。櫻坂になってから増やした笑顔を振りまく姿は、おそらく欅坂時代の彼女たちしか知らない人から見たら、一体誰なんだろうという思いさえあるかもしれない。欅坂時代は、確かにいろいろあった。でもそれを乗り越えて今が来て、本当に今自分たちは幸せなんだというその想いに溢れた曲になっている。

日向坂46のイメージは元気いっぱいだった。ハッピーオーラを届ける、自分たちを見た人たちに幸せになってもらいたいというメンバーの想いが具現化されたのが彼女たちの楽曲であり、またステージだった。ところが7thでは、メンバーも言っていたとおり、おそらく初めてネガティブな歌詞に挑戦する。明るくアイドル活動をしていればその反動もまたあるもので、あれだけ明るく幸せそうに活動していても、精神的な疲労は半端なくある。誰かに幸せを振り撒く分、自分たちの幸せが削られているという可能性だってある。その折り合いがつかないと、精神がもたなくなる。明るければ明るいほど、ネガティブさはすぐ隣にある。そのネガティブさから、伝えようとするものはなんだろう。

 

やはり、表裏一体。

 

 

両雄並び立たず、という昔からの言い回しは前述したとおりだ。だが、そんなのは過去の遺物で、両雄が並び立つ世界があってもいいじゃないか、と思う。競わせようとすると、ろくなことが起きそうにない。どちらも勝利でいいじゃないか。どちらも上昇気流に乗って文句を言われることなどあるものか。

 

表現の仕方が違う。ただそれだけのこと。

魂をもって、誰かに何かを伝えようとするグループである、という根幹は未来永劫変わらない。

 

 

 

 

 

五月雨式に彼女を好きになった主人公が、自信を持てずに「僕なんか」と呟く。

でも好きになる気持ちは止められない。だから「僕なんか」とはもう二度と言いたくない。

 

そして主人公は…

 

 

 

 

 

 

二つのグループが向いている方向は、真逆のようでいて

実は、同じものを見つめているのかもしれない。

 

 

 

 

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まだ見ぬ人たちへ伝えたいいくつかのこと 2022年5月17日付

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乃木坂46には、5期生が加入して、すでに表舞台に立っている。いろいろ話題はあったものの、本来のアイドルとしての活動でぜひ話題になってほしいと願う。

日向坂46は、今こうしている中でも4期生のオーデが進んでいる。その進捗が全くこちらに伝わってこないのでなんとも言いようがないけれど、合同オーデと違って初めから日向坂に入りたいという気持ちで応募してきてくれているはずなので、一体どんなメンバーが揃うのか非常に興味はある。

誰もが、ああ日向坂のカラーに合う子だよね、と思える人を合格させるのか、それとも敢えて、今まで日向坂にはいなかったタイプだよね、という人を選ぶのか。

日向坂をこれからどうしたいか、という運営の意図まで見えてくる気がしている。

 

 

さて、そんな中。

 

とても不思議に思うのは、改名した後でも既に何人かの卒業生を送り出しているにも関わらず、メンバーが追加されていない櫻坂46のこと。

もちろん人数合わせという意味ではない。

さらに言えば、無理やりポジティブに考えるなら、全員選抜になってもおかしくはない人数になってくるし、そうするというのならこれほど嬉しいこともない。

 

でも本当にそういうことなのだろうか。

 

乃木坂日向坂には既に新しいメンバーが加入したり、これから加入しようとしている、そんな流れの中で、逆に櫻坂だけ加入なしという合理的理由が見つからないと言えば見つからない。

時期に関してはもちろん不明ではあるが、今言えることとしては、メンバーにも心の中で受け入れ準備が整いつつあるように見える。二期生が渡邉理佐への感謝の言葉を述べる、冒頭のツイートがそれを物語る。

 

 

オーディションというのは、当然ながら運営が欲しい人材を選ぶものである。そして前述のとおり、運営としてそのグループの目指す方向性まで指し示す。詳しくはないけれど、乃木坂5期生をチラ見すると、ああなるほど、こういう方向かと納得させられるものもあるし、それは日向坂4期生の顔ぶれを見たときにもおそらく同じ感想が得られるだろう。

そうだとすると、櫻坂46の追加メンバーを入れるとき、何が透けて見えるのか。

 

かつて坂道のオーデといえば、SHOWROOM審査があった。ヲタクの青田買いと言ってしまえば身も蓋もないけれど、あれはまさしく、ヲタクの支持する候補者がメンバー入りするという、自分が選んで自分で育てているような感覚に陥らせる、とてもユニークで、なおかつヲタクが離れられないシステムでもあった。

乃木坂も日向坂も、今回はSR審査がない。ないので、合格するまでこちらには顔が全く見えない。裏を返せば、運営が加入させたい人100%で事が進んでいる、とも言える。

 

櫻坂46の源流は、言うまでもなく欅坂46である。

 

ところが次に3期生が入るとすれば、その人たちはグループの歴史上初の

欅坂46を知らずに加入する人たち」

ということになるのだ。

この意味は、あまりにも大きい。

 

現状櫻坂が欅坂の楽曲を披露する機会はないかもしれない。

でも、いつか「その日」がやってくるかもしれない。

そのとき。

一体これから加入してくるメンバーは、どのポジションに立つのか。

そして、欅坂46を内側から経験していない人たちが、どこまでやってくれるだろう。

 

グループが活動休止した以上、そのグループの「時間」はそこで止まっている。2020年10月13日で止まっているのだ。

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でも実際の時間は無情に流れる。当然、欅坂46の全盛期を知らない人がこれから出てくる。そんな人が、櫻坂46に加入する。そんな未来が見えてくる。

でもそれは、時の不可逆性から考えれば、私たちが抗うことができないものである。

 

だから、覚悟が必要だ。

大げさではなく、おそらくその覚悟がないと、欅坂からずっと推してきている人を納得させられるかどうか定かではないからだ。

確かに、櫻坂46は欅坂とは別物だ、と認識はしなければならない。でも、その姿、その影に欅の幹を感じる人はたくさんいるし、できるならやはり欅坂に対する強い気持ちの持ち主に加入してほしい、という想いはある。

そして、そのとき加入する彼女たちだけではなく、私たちの側にも覚悟はいる。

図式的には、改名直後に心の占める範囲は

 

欅坂46>櫻坂46

 

だった。

記憶にこびりつく欅坂と、まだ海のものとも山のものともわからない櫻坂なら当然だ。

 

それが、徐々に櫻坂としての活動が増えてきて、相対的に欅坂はどんどん伝説になっていく。記憶の中だけで生きるようになる。すると、これも至極当然の流れとして

 

欅坂46=櫻坂46

 

まで広がる。伝説になったグループは確かに強いが、現在進行形には現在進行形の強さがある。

 

そしてついに、そう遠くない将来。

欅坂を知らない、櫻坂しか知らない人が、メンバーとして加入する現実に直面することになる。ということは、とうとう…

 

欅坂46<櫻坂46

 

の時代がやってくる。

 

櫻坂の追加メンバーに応募するくらいなら、櫻坂を愛しているのは当然だろう。

でも同時に、できれば欅坂に対しても強い想いが欲しい。

 

そういう意味では、他のグループへ応募するのとは、一味も二味も違う内容になりそうなのが、櫻坂次期オーデではないだろうか。

二期生は全員、欅坂志望だったと聞いた。

あの頃の欅坂に加入することと、今の櫻坂に加入することの意味合いはやはり違う。違うけれど、欅坂を受け継ぐグループに入る以上、そのパフォーマンスにも血肉が求められるわけで、さらにその原点が気持ちであるからには、やはり自然と求めるものが決まってくる。

 

 

ある意味。

最も加入する人を「選ぶ」オーディションになるかもしれない。

SHOWROOM審査でヲタクが選ぶのも確かにいい。いいけれど、例えば顔や雰囲気やアイドルらしさなどという物差しだけで加入していいグループなのかどうか。

 

 

 

 

求めるレベルは相当高い。

でも、そこに挑戦してほしい。

 

 

 

 

 

加入すれば、最高の先輩があなたたちを待っているのだから。

 

 

 

大丈夫。

 

きっと今までの経験を

背中で語ってくれるから。

 

 

 

 

 

一瞬の光が重なって折々の色が四季を作る 2022年5月16日付

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5月15日深夜放送の「そこ曲がったら、櫻坂?」は渡邉理佐の卒業記念回前編ということで、理佐の思い出の場所の一つとして登場したのが、二人セゾンMV撮影で訪れた、撮影当時の名称がNTT幕張ビル、現在のエム・ベイポイント幕張であった。

 

理佐は実は、ずっと自身の最も好きな曲として、二人セゾンを挙げている。

握手会だかミーグリだかのレポで、一番す…と言っただけで「二人セゾン!」と答えたという話を読んだことがあるくらい。

もちろん、理佐に限らず、二人セゾンを最も好きな曲と推す声がメンバーに多いのもよく知っている。

 

それは私も同じで、欅坂46の数多ある曲の中で、ベストワンを挙げるとするとやはりこの曲が来る。

この曲は、奇跡のような曲なのだ。

 

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この曲に惹かれる理由。

サイレントマジョリティーと双璧で、欅坂46の原型というか、ある意味の具現化された形というか。

不協和音もいい。ガラスを割れもいい。

世間から欅坂をイメージすると、それらの曲が出てくるのかもしれない。

でも、私たちからすると、本当は欅坂46というと、二人セゾンの世界観が出てきてほしいのだ。

 

MVの作り方もそうだったが、あんなに全員が輝いて見えたのはそれだけでもない。実際にあの頃の彼女たちが本当に輝いていた。もちろん曲もそうだった。その二つの光が重なった。

21人の光が重なった。

 

ただ、輝くというのももちろん強い要素であり、アイドルの楽曲を表すのに必要不可欠なものではあると思うのだけれど、この曲はそれだけではない何かがある。

 

MVを撮影した新宮良平監督が、彼女たちに語ったとされる言葉については、やはり今回も話題にされていた。

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この曲、心を捉えて離さない理由の一つが、輝きとコントラストにあるような「儚さ」にあるのだ。輝きは他よりも眩しいものの、手を添えるだけで、脆く崩れ去ってしまいそうな、そんな儚さ。刹那。一瞬の尊さ。

新宮監督は、見えていたのかもしれない。

このグループが本当に順風満帆でここまで来て、でもどこかしらに漂う危なっかしさ、危うさを。まるで刃の上をみんなで歩いているような、この先に何が待ち構えているかわからない不透明さを。

当の本人たちには、それがよくわかっていなかった。

でもこのあと、メンバーはその言葉の意味を身をもって知ることになる。

 

齋藤冬優花が「永遠なんてないんだ」とSRで言ってたのは、おそらくこのことが起因しているのではないかと思っている。

 

でも逆に、ただ煌びやかに人々の記憶で輝いているだけではない、その裏側にある儚さにフォーカスが当たることによって、この曲が永遠になったと捉えることもできる。

光は、影のあるところにしか生まれない。

だからこそ、その一瞬の煌めきを人は愛する。次に同じ輝きが来るとは限らないことを知っているから、だからこそその一瞬を大切にする。

 

欅坂46は、グループとしては結果として短命だった。先輩の乃木坂46が10thを迎えたことを考えても、その歴史の短さは顕著だ。

でも、それもまさに、二人セゾンの世界観をグループそのものが体現してくれた、とも取れる。

 

一瞬の光が重なって 折々の色が四季を作る

そのどれが欠けたって 永遠は生まれない

 

21人のメンバーの誰が欠けたって、永遠は生まれなかったんだ。

一人、また一人。

グループを去って行くメンバーが出てきている以上、欅坂46が続いていくことにそもそもの意味を見出せなくなってしまったのかもしれない。いろんな理由があったにせよ、もしかしたら根本的な理由はそこにあるのかもしれない。

 

グループを存続させる、意味。

 

欅坂は、人のマイナスな感情に寄り添ったグループだった。誰にでも人に言えない悲しみや苦しみを抱えながら生きていく時間はある。そこに寄り添い、隣にいて背中をさする。そんなグループだった。人のマイナスな感情に寄り添う分、そのマイナス面を吸い取ってしまうきらいがあった。メンバーもおそらくギリギリだったに違いない。いろんな人のマイナスな感情を吸収してしまって、まともでいられるはずもないのだから。

 

欅坂としての永遠は、生まれなかった。でも…

この曲が「その後」を預言していたのではないかと思われるのは、平手友梨奈のソロダンスシーン。

 

花のない桜を見上げて 満開の日を想ったことがあったか

想像しなきゃ 夢は見られない

心の窓

 

春夏秋冬 生まれ変われると

別れ際君に教えられた

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花のない、桜。

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春夏秋冬、生まれ変われる。

 

欅坂が刹那の向こう側になったとしても、それを受け継ぐ者は必ず現れる。生まれ変われるんだと。

 

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儚さが裏テーマでありながら、その実やはり永遠を見据えてもいる、この曲。

 

メンバー、スタッフ、そしてファン。

見ていたものはもしかしたら違ったかもしれないけれど、そのどれもがまさに永遠を生み出すファクターであったこと。

それがこの曲の特別感を演出していると、年々強く感じている。そんな曲もまた、実に珍しい。

 

多幸感。

多幸感のバックに横たわる、寂寞感。

感じたい永遠という理想の裏にある、残酷なまでに突きつける、一瞬で過ぎ去る現実。

 

それを悲しいと思うなかれ。

だからこそ、人は一瞬を大切にしなければならないんだと。

永遠がないんだとしたら、だからこそ大切な人には寄り添わなければならないんだと。

 

この曲が今も新鮮さを失わずに輝いて見えるのは、そういう意味も多分にあるはずなのだ。

 

 

 

 

花のない桜には、見事な白が咲き誇る。

生まれ変わった坂道はもちろん茨である。でも登り甲斐のある坂道。そして、欅坂という坂で地力をつけた人たちにとっては、何がなんでも克服したい坂道。

 

二人セゾン。

それは、欅坂46から櫻坂46への、心を具現化した手紙なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

卒コン卒セレが開催できるグループに…なった…?? 2022年5月15日付

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以前、確かラジオだったか、渡邉美穂が自身の卒業に触れて「卒業コンサートがしたい」旨の発言をしたとか。

そのときに開催が既に決まっていたのか、美穂の発言を聞いて準備したのか定かではないが、日向坂としても初めての卒業イベントが開催されることになった。東京国際フォーラムとは、いくらなんでも美穂推しの数を考えても全員入り切れるとは思えないけれど…他になかったのかねぇ

 

さて、櫻坂は渡邉理佐卒コンまで数日。

日向坂も美穂卒セレが決まったということで、ここにきてやっと、卒コン卒セレができるグループになった、ということでいいのだろうか。もしそうだとすると、素直にそのことを喜びたい。

もう今更関連画像を出すのも憚られるけど、櫻坂46、欅坂46時代から卒業生は結構な数にのぼるのに、卒業時にイベントが開かれたのはおそらく長濱ねるのみ。あとのメンバーは握手会終わりに、そこに集まったファン向けのセレモニーが開かれたり、ちょうどそのときに開かれるLIVEが卒業のそれに充てられたりと…それはそれで尊いものではあったけど、本当にそれで終わりでいいの?という思いが消えなかったのは事実だ。

 

それこそ乃木坂の卒業生の送り出しなんかを見ていると羨ましくて仕方なかった。

こう言うと必ず、欅坂のメンバーの場合は悶着があったから云々、と言われるかもしれないけど、それは後からわかったこともあったし、円満卒業ですら卒コン卒セレは存在しなかった。

何でも乃木坂の真似をすることが正しいとは思わないけれど、やはり門出を華やかに彩ってあげてほしいという気持ちは間違いではないと思うし。

まぁそれがあるからか、やたらと渡邉理佐の卒業にまつわる一連の動きと、過去のそれのコントラストが激しすぎて。

一体何があったんだと思ってしまうくらいに。

 

 

美穂にとってもそれは同じで、もはや日向坂46の現メンバーで、いや卒業した柿崎芽実井口眞緒も含めて、グループに貢献しなかったメンバーは一人もいないわけで、全員が卒コン卒セレの権利を持っていると断言できる。

企画する側には様々な現実と戦ってもらわないといけない、とは思うけど、やはり観る側推す側にとっては、その舞台を設けてもらいたいと思うのが人情だ。

 

だから、これでいいんだ。

 

卒業は確かに寂しいし辛い。でも、新たな出発だから祝ってあげたい。この二つの、まさしくアンビバレントに近い感情がいつも生まれる事象。そして、卒業生それぞれにドラマがあるので、慣れはしない。

推す側の一つの心の区切りとしても、この節目は必要じゃないかと思うんだよね。

 

 

 

 

だから、願いたい。

これからも出てくるであろう卒業していくメンバーにも、同じようにコンサートやセレモニーの場を与えてあげてほしい。

そうでないと、理佐や美穂のときにはあったのに…と必ず比較されるから。

 

推している人々に、なんで??を連呼させるような運営のしかただけはどうか勘弁してほしい。

 

 

 

 

切なる願い。

 

 

 

 

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