櫻坂日向坂の上り方

ブログ移転しました…長い間本当にありがとうございました!

乃木坂10thバスラに見る、グループにおける「節目」の意味 2022年5月14日付

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乃木坂46、10周年。

 

かつては私も乃木坂の握手会に参加したことがあった。

メンバーで言うと、卒業生の中田花奈新内眞衣寺田蘭世、現メンバーでいえば秋元真夏与田祐希山下美月といった面子と握手したことはある。元を辿れば、坂道シリーズの握手会デビューは、川村真洋である。

とはいえ、それも4期生が入ってくる前の話。4期生以降は正直、顔と名前が一致しない人もいる。

 

そうは言っても、それは私の個人的な話なので、客観的に乃木坂46が10年続いたということは賞賛に値する。もっといえば、私にとって、坂を切り開いてくれた先駆者としてのリスペクトは、この先何年経っても同じである。

 

どこかの時期から、欅坂、日向坂、欅坂が転じた櫻坂へと完全にシフトしてしまった私ではあるが、その理由は単純なもので、3つのグループを同時に推すほどの力は私にはなかっただけである。乃木坂が悪いわけではない。私の力不足なのである。

 

完全に欅坂日向坂方面に軸足を移した私から見た乃木坂は、もはや羨ましいことしかないグループである。たとえ礎を築いた一期生が大量に卒業しても、地味に映るかもしれないけれど着実に地力をつけていた二期生が卒業しても、新しいメンバーが加入したとしても、乃木坂46というグループの懐の深さを常に感じることができる。いろんなことが言われようと、その色は全くもって失われていないと感じる。

もちろん、ずっとグループを推してきた人には、いろんな意見があるだろう。あって当然だ。

それは、私たちが欅坂櫻坂日向坂に対していろんなことが言いたくなるそれと、ほぼ同種のはずだ。

好きだからなんだ。

愛してやまないグループには、どうしても理想像が描かれる。その理想像から少しでも離れようとすると、一言言いたくなる。

知らぬ間に理想を作り上げる。

その理想との齟齬が発生すると、攻撃的になる。

常に自分を振り返り、自分と対話しながら、行き過ぎはないかチェックしなければならない。

 

まぁ、それはそれとして。

 

さすがに10周年ということもあって、例年のバスラでは考えられない規模。日産スタジアム

乃木坂の何が羨ましいと言って、このスタジアムライブがなんとも煌びやかに見えて仕方ないことだ。

櫻坂や日向坂には、乃木坂をリスペクトしているメンバーがたくさんいる。堂々とスタジアムライブをこなす乃木坂の姿に自分を重ね、あの場所に立ったら自分ならどうするか、という視点で見ていたとしても不思議ではない。

 

日向坂46は、春に念願だった約束の卵に立った。

あの場所をあれだけ満員にできる力があると名実ともに明らかになった。

とすれば、次は当然、全国スタジアムツアー、さらに進んで全国ドームツアーにまで夢を広げてほしい。

 

話は飛ぶけれど、日向坂のドキュメンタリー映画に描かれていたような不遇さは、実は私は感じていない。

もちろんひらがな初期の頃には、漢字欅に差をつけられた、というのはあったかもしれない。それでも、だ。

それを不遇と嘆くよりも、そこから今の状況にまで自分達の環境を変えていった彼女たちの力を称賛するべきではないのかと。

そこが原点であり、今の日向坂を語る上でも絶対に外せないトピックではないのかと。

だから彼女たちに10周年がやってきたとしたら、まずその部分に光を当ててあげたいなと感じている。

 

櫻坂46は欅坂時代に、同じくドームの舞台に立った。

改名ということは、別のグループになるということ。

欅坂時代にドームに立ったとて、それは一つの実績ではあるけれど、櫻坂の実績ではない。

だからこそ、もう一度目指さねばならない。

そもそも櫻坂のライブは、何故か箱が小さ過ぎる。運営が過小評価しているのか何なのか、もっと大きな箱でも確実に埋まる力はあるはずだ。小さすぎてチケットが当たらない問題が出てくるくらいなのだから。

 

話を戻す。

 

乃木坂10thバスラでは、卒業生のサプライズ出演があったとか。

10年間ずっと推してきた人たちにとっては、もうたまらない瞬間だったに違いない。

それを聞いて…

 

櫻坂や日向坂が10thを迎えたとき、卒業生がその場所を踏める懐はあるのだろうか。

日向坂は既に二人卒業生を出していて、今回渡邉美穂が卒業する。10thの頃には他にも卒業生がいるだろうが、できる限りその場に揃っていてほしいと願うのは私たち共通の心である。

 

櫻坂46。

欅坂46として結成されてから10年を数えるなら、2025年ということになる。

 

ここからは極めて個人的な意見なので、異論反論オブジェクションはあって当然だけど。

 

今回、渡邉理佐卒業コンサートでどういったセトリになるかは注目されるわけだが、一縷の望みとして、欅坂曲の解禁はあるかもしれないと思っている。守屋茜渡辺梨加卒業時の青マリのように。

櫻坂が発足してから欅坂楽曲が解禁された例は、上記ユニット曲と、昨年のケヤフェスにおける「W-KEYAKIZAKAの詩」のみ。純粋な欅坂の曲はまだ解禁されていないと言っていい。

理佐の卒業が本当にこれでもかというくらいクローズアップされ、私たちが思う以上に様々なことが企画され、進められている。

そんな中での卒コンだけに、逆に今回解禁されなければ、もうあとはキャプテンの卒業時くらいしかそのタイミングを考えられない。

 

だとしたら、いっそのこと欅坂46の10thまで引っ張る可能性もあるかもしれないし、そこで解禁となった方が涙は止まらない気がする。

何より、その頃ならばさすがに、欅坂46と櫻坂46を本当の意味で分けて観ることができるようになっているかもしれない。そうなっていればこそ、そのタイミングで欅坂の曲のイントロが流れてくれば、身体中の血が反応しそうなのだ。

 

もし仮にそうだとして。

そのとき解禁される曲が「サイレントマジョリティー」だったとして。

 

そこに立っているのは、いったい誰だろう。

 

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メンバーや元メンバーに決まっているのだけれど、誰が立っているか予測がつきにくい。

彼女たちは、そんなグループであり、だからこそ惹かれる。

 

 

 

 

偉大なる先輩グループである乃木坂46は、横浜で「節目」を迎えた。

その瞬間、後輩である櫻坂日向坂は幕張にいた。

それぞれがそれぞれの仕事をこなす。それだけ各方面に必要とされている。その状況をまず喜びたい。

たとえどこにいようが。

何をしていようが。

後輩グループが乃木坂をリスペクトする気持ちは、絶対に変わらない。

リスペクトしながら、自分たちの上るべき坂をしっかり見上げている。

 

それでいいんだ。

 

自分たちは、自分たちの歴史に忠実であるべきだ。

 

 

 

 

乃木坂46のメンバーならびに卒業生の皆さん、そしてスタッフを含めた全ての関係者の皆様。

10周年という節目を迎えられたこと、心よりお慶び申し上げます。

後輩グループ一人ひとりが、じっとあなたたちの煌びやかな姿を見つめています。

ずっとそんな彼女たちの目標でい続けてくれますように。

そして常に輝いているグループでありますように。

 

 

 

ますますのご発展を祈念しております。

 

 

 

 

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ミニラを観なかった私が4thパフォをツイートを頼りに妄想で語る笑 2022年5月13日付

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欅坂46を本格的に推し始めたのが2017年の風吹かの頃で、そこから4年半が経過した。ライブはもちろん、個別握手会、全国握手会、フェス、公開収録、そしてミーグリと結構いろんなイベントに参加はしてきたけれど、未だに配信ミニライブは観たことがないし、スペイベは参加したことがない。両方とも「仕事の都合」である。

全国握手会があったときは、その場でミニラを観たことはあったけど、配信ミニラはとにかく平日なので、どうしようもない。スペイベに至っては、以前から土曜日夕方なので、そもそも応募して当選したところで参加できない。

 

というわけで、だから昨日のミニラ、当然気にはなっていたのだけれど、おそらく理佐卒コンで披露されると信じて、今回は表題曲、MV曲を除いた4曲について、TLからパフォーマンスを色々巡らしてみたい。

ミニラをご覧になった方は、観てない人間の妄想が過ぎると一体どんな状態になるかを、勝ち組のように高みの見物してください笑

 

 

#恋が絶滅する日

櫻坂になってから、いかに音楽のジャンルというのは幅広く存在するかを知った。

新境地なるものが、こう次から次へと出てくるとは。

例えば後述する「断絶」などは、まともに欅坂の色である。一方でこの曲は、欅坂時代にはおそらく世に出てこなかったのではないかと考えている。まぁカップリングならまだしも、表題としてはまず出てくると考えられない。

この曲は、音源だけで言うのなら見どころはやはり天ちゃんの英語ソロだとは思うけど、全体としても英詞がふんだんにあるので、ダンスしながら英語で歌うというのは結構難易度が高そうな気もする。とはいえ、天ちゃんが英語をあれだけこなせるという事実があるから、ここでこの曲が生まれたとも考えられるわけで、それも櫻坂の幅の一つ、と言える。

音源だけで言えば、4thで最もカラオケに挑戦してみたい曲である。英詞をカッコよく歌えれば、相当テンションも上げられる曲だ。

一つ気になるのは、土生ちゃんの名前が意外と出てくるところ。

この曲において、土生瑞穂がどういうスパイスとなっているのか。それとも一気に主役に躍り出ているのか。

これは注目してみたい。

 

#I'm in

ここでも土生瑞穂

土生ちゃんセンター曲といえば、自分の中では例のカタミラが至高の存在なんだけど、曲の雰囲気からいって全然違うものになっているに違いない。でも全体的な画から考えたときに、長身の彼女をセンターに置く、ということは、パフォーマンスのどこかにこだわりというか、その見せ方がかなり考えられている、とみる。

それと葵の上にあがる演出、は結構気になっている。というより、4thだからなのか、なんとなく欅坂4thへのオマージュがあるのかもしれない…というのは妄想が過ぎるか笑

欅坂の4thとはもちろんこれなのだが。

 

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このときは、全員がそうだったけど、強さを纏った原田葵がそこにいた。ただ今回は曲調が180度違う。上にあがるとして、そこから彼女に何が起きるのか。

気にはなる。

 

#制服の人魚

今回のこの4曲の中では、この曲が最も動きを想像させにくい。曲調が往年のポップス調で、テンポはあるんだけど、どちらかというと音を刻む、というよりは、音が流れていく感じ。となると、動きもそれに近くなる気もするし、でも敢えてここに縦ノリ入れても面白いかなーという気もしなくもないし。

櫻坂は誰でもダンスメンだと私は思っている(ダンスが苦手でも克服しようと努力している姿は、しっかりダンスメンである)けれど、彼女たち「M4」(非公認ユニット名)だって相当なダンスメンだ。強い動きはお手のものだろうが、逆に体をしっかり使ってゆったりした動き、例えば水の中を表現するとしたら、動きが非常に繊細になる。もちろん彼女たちならそれはできるだろうから、それが入っているととても面白い気はする。

まぁ歌詞についてはいろいろ言いたいこともあるんだけどこの曲は笑

それはまた別の機会で。

 

#断絶

 

 

坂道シリーズを推す人に限ったことではないけれど、自分で意識するしないにかかわらず推したくなった理由があって、その理由をずっと追いかけているのが結局ファンの姿だと思っている。そのことに救われた人もいるだろうし、自分と同化させた人もいるだろうし、自分もこうありたいと目標にする人もいるだろう。そのどれもが正解である。

たとえば櫻坂46を推す人たちの中には、私もそうだが、欅坂46の影を追う人は少なからずいる。

このブログでは何度も繰り返してきたけれど、それを「亡霊」などという言葉で表現したくない。何故か。いけないことをしているような印象しか与えないからだ。欅坂を追うことが何故いけないのかという合理的な説明がなくてはならない。

それはともかく。

そもそもイメージで語るようなことがよろしくないと言われればそれまでだが、私のような欅坂の影を追いながら櫻坂を見る人にとっては、女性らしく優しい曲が櫻で歌えてよかったねと思う反面、欅の幹の強さをことあるごとに感じたいという欲求が生まれる。

4thで言えば、その部分を担当したのがこの曲のような気がする。

 

だから、ある意味最もパフォーマンスが気になった曲であった。

 

もう一つ。欅坂のあの強さに魅了された人たちは、目が肥えている。少々のことでは評価できないくらい、ある意味の麻痺が起きている。ところが、彼女たちの何が凄いといって、いつでもこの肥えた目を満足させるパフォを仕上げてくるところである。それも数段飛び越えたところに到達してしまう。


振付が、s**t kingzさんということで、つまりジャマイカビール路線なのである。

私の場合はもちろん全然詳しくないので、ジャマビを観ただけの感想なのだが、女性らしさもあり、女性の強さも弱さもしっかり取り入れる振り付けだったと記憶している。それが、この断絶という強さの曲と融合すれば、何が起きるのか。

 

全員がセンターに見える、という言葉があった。

ということは、代わる代わるセンターポジションに立っては動きを見せる、ということなのだろうか。それとも、センターと同じくらい目立つアクションがあったということだろうか。

 

いずれにせよ、メンツがとても強いので、あの曲調とあの歌詞は彼女たちのパフォーマンスというエッセンスで完成する。ジャマビから想像するに、生やさしい動きではないはずだ。相当複雑な動きをしてくると見ている。だとすれば当然練習量は半端ないはずだが、おそらく涼しい顔でこなすのだろう。

 

 

理佐卒コンで、全てが披露されるかどうかはわからない。

 

とはいえ、この4thの表題カップリングは、現状の櫻坂としての集大成に近いと音源では思っていた。最後のピースであるパフォーマンスでどんな完成型が見られるのか。

 

 

 

 

 

理佐の卒業は嬉しさも、悲しさも、寂しさも、同時に襲ってくる。

でもそこに、楽しみという新しい感情が加わることで、さらに色が多彩になった気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

(ツイート引用させていただいた皆様、もし不都合あればご連絡ください。)

 

 

 

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この日の富田鈴花が吸収すべきことたちーラヴィット!、上島竜兵さん逝去に触れず 2022年5月12日付

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坂道推しにとっては、感謝しかない朝の番組といえば「ラヴィット!」である。

朝の生番組といえば、どこも判で押したように時事ネタを扱う。これは私が幼少時代から全く変わらない。いわば昭和の構成である。古くは「モーニングショー」だったり、「ルックルックこんにちは」だったり、「おはよう!ナイスデイ」だったり、やってることはさほど変わらなかった。そして、それは令和の今になっても大きく変わってはいない。

 

同じような番組を放送したところで、視点を変えると言っても限界があるし、でも速報性というトピックの食いつきの良さから逃れられない。視聴率至上主義というのなら、他がやってないことに挑戦する方がいいと思うのは素人考えなのだろう。なんだろう、同調圧力でもあるのだろうか。

 

そういう意味で、「ラヴィット!」の一般層好感度が高いのは、時事ネタを一切取り扱わないという点に尽きる。ワイドショーネタに辟易している層を一挙に取り込んだと見ている。その点に、坂道メンバーが実にマッチしている。

 

 

 

 

 

 

5月11日。ダチョウ倶楽部上島竜兵さんが亡くなった、というニュースが世間を駆け巡った。

 

 

 

 

 

著名な方が亡くなることについて、例えば私なんかはメディア越しに見て、親近感を湧かせていただけであるにもかかわらず、その喪失感は堪らない。まして、ご家族ご親戚は言うに及ばず、仕事等でご一緒されていた芸人仲間の方及びそのすべての関係者の皆様にとってのそれは、想像を絶するものがある。

 

某朝の生番組は、上島さんの自宅前から中継までしていた。

あれは、昭和のワイドショーで、芸能人の何かがあれば自宅前、事件があれば事件現場、そこから中継していたまさに名残である。当時は誰もそのことに疑問を抱かなかった。でもこれだけコンプライアンス云々が騒がれ、さらにSNS時代になって誰もが発信者となれる昨今、何のために自宅前から中継するんだという声が相当数上がった。考えてみれば当然の話である。

 

一方で、「ラヴィット!」である。

MCの麒麟川島明氏は「報道フロアからのニュースが来て、その後にスタジオでひと言もやりません」と言ったという。つまり、番組では時事ネタに一切触れない、ということを条件にMCを引き受けたということになる。

となると、こういう話題のときの苦しさというのは想像するに余りある。

 

報道特別番組に差し代わるくらいの出来事は別として、それ以外は何が起きても一切触れない、という姿勢。それは本当に称賛に値するし、今回の対応でその覚悟は本物だと知った。

生放送前にその「事実」を知らなかったとは思えないし、川島氏を始めとするあの場にいた芸人の皆さんは、少なからず上島さんと共演したり、お世話になった人もいたかもしれない。

 

知っていたのなら、何も思わなかったはずはない。

 

それでも「ラヴィット!」という番組のコンセプトを大切にした。最後までその姿勢で、番組を終えた。2時間という長丁場を。

川島氏を始め、出演者の皆様、そしてスタッフの皆様に最大級の賛辞を送りたい。部外者が上から目線で申し訳ないけれど。

 

 

 

そして、偶然とはいえ、その場にいたのが、推しメン・富田鈴花である。

 

人は生きていく中で成長し、成長を目指しながら日々を進む。それは意識するとしないにかかわらず、である。

人間が最も成長できる瞬間は何か。外部から受けるたくさんの刺激の中にその要因を見ることはあるけれど、個人的に思うのは「本物」に触れた瞬間、である。もちろん受け止める側の心根がそれを「本物」と認識できなければならないのであるが、自分にまだ備わっていない「本物」は、必ず自分の糧となる。

 

既に多くの芸人さんと共演し、多くのバラエティをこなしている彼女ではある。元が真面目な性格であるが故に、悩むことも多いはず。でも、この偶然の中で、人を楽しませるために日々を生きている人たちの、プロの仕事がどういうものかをその場で感じることができたのだ。

番組は、たとえどんな時事ネタであっても扱わない。

たとえそれが、普段お世話になっている方の訃報であっても。

たとえ悲しい話がすぐそばにあったとしても、芸人としての本分を果たす。

自分が悲しくても、誰かのために、誰かを楽しませるためにそこにいる。

 

 

これぞ「プロの仕事」である。

 

 

彼女のことだから、必ず何かを感じたはずだ。

そしてそれを糧にできる力も持っている。

私たちにそれを言う必要はない。

そのことに触れる必要すらない。

でも本当の意味でのプロとはどういうものなのか。

 

 

 

ある意味の成長を促すには、これ以上ない場所であったということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改めて、上島竜兵さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

歴史に浸る、歴史を感じるー日向坂46一期生曲「真夜中の懺悔大会」MV解禁 2022年5月11日付

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どのグループでもそうだと思うけど、その礎を築いた一期生というのは、やはり特別な存在だと思っている。

特に初期から追ってきた人にとっては、たとえその後に加入する後輩たちがいかに有能であろうと、魅力で溢れていようと、一期生の存在というのは何かが違う。後輩と比較することそのものがナンセンスだ。

ひらがなけやきからスタートする日向坂46。一期生といえば、最初は長濱ねるの仲間として集められたメンバー。経験者もいるが、ダンスそのものが初めてのメンバーもいて、しかも根本的に何に向かって頑張ればいいかわからないという時代をくぐり抜けてきた人たち。

 

人間、環境に揉まれれば成長するのは当然のことではあるけれど、一期生だけの期生曲を見ると、特にそれを感じる。

 

漢字欅のメンバーにレッスンを受けていた、最初期が実に懐かしい。

 

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もちろん、あの頃から今に至るまで、数えきれないくらいの経験値を踏んだ一期生は、今や貫禄すらある。

 

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なんと言っても、特筆すべきは潮紗理菜センター曲。

そうか彼女がセンターになるとこんな見え方になるのか…というのが印象。当然のことだけど、センターに立つ人がその曲の「顔」になるので、雰囲気から何からやはりその人が前面に出る。

歌詞はかなりヤバめで笑、ハロウィンのカボチャが割れたときの彼女につながる怖さを感じるんだけど、曲が全くそれと無関係なくらいノリノリで明るい。そしてそれが、なっちょにとても合っている。

 

歌詞に関して言うと、確かに直球で受け取ればまた若干アブない彼女にも聞こえるんだけど、これ全体が何かのメタファーと捉えればどうだろう。

日向坂46は、文字どおり日向のように明るい。

だけど、人間である以上、日々を葛藤に次ぐ葛藤で過ごしていたかもしれない。実際、ひらがな時代は楽しいことばかりではなかったと思う。大変なこと、泣きたくなることの方が多かったかもしれない。あの頃、誰も卒業しなかったのはそれこそ奇跡に近い。

アイドルとして、人前に出るときはそんなことをおくびにも出さず、アイドルとしての本望を全うしなければならないのはいわば宿命である。だから裏と表が云々などと言われるのかもしれないけど、逆にいえば、だからこそ人間なのだ。

 

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アイドルである前に、私たちと同じ、一人の人間だ。

 

どうもアイドルを推す人というのは、時に彼女たちに対してそれを忘れているような瞬間がある。

 

懺悔、というと、やってはいけないことをやったと告白しろと聞こえてしまうけれど、そうではなく、あのときの内幕はこうだった、という「噂の真相」とか、オールで告白大会があっても確かにいいかもしれない。もしかすると、彼女たちメンバー相互でも、知らないこともまだあるかもしれないのだ。

 

それを、私たちヲタクに見せる必要はない。

けれど、メンバー一人ひとりが、一つの事象と相対するときの感情は極めてナイーブで、メンバー間における心のずれなどあって当たり前である。それはさすがに、言葉で擦り合わせるしかないだろうし、それをすることでまた、強い絆に結ばれるグループになるかもしれない。

 

…気球に乗る彼女たちを見ながら、そんなことを考えていた。

 

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君は君らしく生きていく自由があるんだー2022年5月10日付

気づけば3年ー尾関梨香、こち星パーソナリティ卒業へ

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時期的にどうだろうという気はしたけれど、やはりそうだったか…というのが、こち星パーソナリティ尾関梨香卒業。

3年と聞いて驚いたし、歴代パーソナリティの中でも最長というのはもっと驚いた。

平手友梨奈時代はインパクトも強かったし、こち星といえば今でも平手のそれが頭に浮かぶ。

長濱ねる時代は一気にまったり感が濃くなった気がした。そもそも番組が持つ空気感はこちらに近かったし、そういう意味ではベストキャストだったとも思える。

そんなねるの時代を引き継ぐ形となった、そう思えるのが3代目尾関梨香時代だった。

全てを聞いた訳ではないけれど、そこにこち星があって、おぜがそこで話しているという事実があるだけで、何かこう…安心するというわがままな時間でもあった。

 

そもそも平手時代からそうだったけれど、欅坂の持つ空気とこのラジオがとてもミスマッチで、それこそ「強い」欅坂しか知らない人が聞いたら、まず誰のラジオなのか当てられないだろうとも思っていた。でもその一方で、こち星という番組の色は残しつつ、パーソナリティの色にしっかり染まっていく構成であるのも、またこの番組の魅力であった。

 

4代目パーソナリティに思いを馳せながら、尾関時代をしっかり懐かしみたい。

 

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伝説はついに学校教科書にまでーサイマジョ教科書を購入

教育業界に身を置いてはいるものの、この教科書を手に入れるということについては、様々な段階を経ないといけません。

なにせ一般の書店ではなかなか取り扱われていなかったり、扱っていたとしても別注だったりで手に入るまでとても時間を要します。

以前にもそれで苦労したことはあったんですが、そのときのノウハウを活かしてなんとか手に入れました😁

 

学生生活から離れてしばらく経過した皆様には、教科書の手に入れ方がよくわからない、という方もいらっしゃると思うので、学生以外の方が教科書を手に入れる方法を置いておきます。

 

まず下のサイトに飛んでください。

www.text-kyoukyuu.or.jp

「教科書のご購入(販売)について」という項目をクリックすると、各都道府県の教科書供給所サイトに飛ぶので、中でも教科書購入に関する項目をクリックしてください。特に教科書取次書店のリストが出てくるかと思うので、そちらからお近くの書店を探してご注文ください。都道府県によってはサイトの仕様が違うかもしれませんのでよろしくお願いします。

電話注文、メール注文、来店注文いろいろあると思いますが、私が注文したときの経験をお伝えすると、店員さんが最も気にしていたのは、教科書向かって右上の番号でした。なにせ同じようなタイトルの教科書も多く、同じ出版社から同じ科目の教科書が複数出ていたりするので、この番号をご確認の上お伝えいただくのが最も確実ではないかと。

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ちなみに、サイマジョが掲載されているのは、第一学習社『高等学校 新歴史総合 過去との対話、つなぐ未来』ですが、伝え方が半端だと別の教科書が注文されてしまう可能性もあるので、くれぐれもご注意ください。

価格ですが、教科書には掲載されておりませんが、確か700円強だったと思います。

 

あと、私はGW直前に注文してしまって、GW明けまで約二週間待ちましたが、今なら在庫次第でもっと早くなる可能性もあります。

 

手続きさえ踏めば、確実に買えるとは思います。学生以外の方だと、さすがに教科書を買うという機会はなかなかないとは思いますが、これからそうそうこういう機会はないと思いますので、ぜひご検討ください。

 

ちなみにですが、次の教科書改訂まではおそらく買えます。改訂は数年後だとは思いますが、お早めの方がよろしいかと。

二人セゾンは永遠に心で生き続けるー次回そこさく渡邉理佐卒業お祝いロケであの場所へ 2022年5月9日付

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5月8日深夜放送の「そこ曲がったら、櫻坂?」は、「〝好き〟の熱量プレゼンショー」で、推しメン大薗玲含めて様々に見どころがあった回ではあった。

だが、やはり心が激しく揺れ動いたのは、冒頭の次回予告。

 

渡邉理佐卒業お祝いロケという名目で、理佐メモリアルとはまた別にいろんなところに行ったようだけど、もうこの階段と壁見ただけで条件反射に涙が出てくる体になっている。

 

 

 

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「二人セゾン」は、欅坂46の3rdシングル。2016年11月30日発売。

 

もう、5年半になるのか…にもかかわらず、ここまで心を掴んで離さない曲も珍しいなと感慨に浸る。

欅坂を推してきた人たちの中で、この曲が好きではないという人にまずお目にかかったことがない。

欅坂といえばサイマジョしかり、不協和音しかりで、どうしてもメッセージ性の強いメロディラインや歌詞が注目されることが多く、当然のように今でもその認識の人たちが多いはず。

ということは、ちょうどのその2曲の間に挟まる形の「世界には愛しかない」とこの「二人セゾン」は、世間的なインパクトという意味では埋もれているのかもしれない。

もちろんサイマジョ不協和音がダメだという意味ではないけれど、セカアイセゾンも実は相当高い評価を受けていることは特筆しておきたい。

 

 

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私も欅坂の曲で5曲選べ、と言われたら真っ先に出てくるのはセゾンである。

セゾンを語る向きは過去たくさんあったし、5年半も経てばそれは当然とも言えるのだけれど、今でも神曲として位置付けられるこの曲が、心に棲みつく原因は何なのか。

 

推しメン佐藤詩織さんの初フロント曲、平手友梨奈のソロダンスパートなど、エモーショナルな部分はたくさんあるんだけど、2022年5月現在、セゾンを語るとするなら外せないのは、先日のSHOWROOMでふーちゃんの言っていた

 

「永遠なんてないんだね」

 

というセリフ。

 

MVを撮影した新宮良平監督が、撮影中メンバーに言ったとされる言葉がある。

 

ずっとメンバーと何年間も、何十年間もいるわけじゃなくて、今しかないから、そのメンバーといる時間を大切にしてほしい

 

もしかすると、ふーちゃんはこの言葉を思い出してのSRでのセリフだったのかもしれない。

 

欅坂46は一期生21人でしばらく活動していた。1期生、という言葉すら存在しなかった。その最中は、あまりにもみんながそこにいるのが当然のように感じられてしまい、いつか終わりを迎えるなどとどれだけのメンバーが考えていただろう。でもその瞬間は呆気なくやってきて、次から次へとメンバーが卒業・脱退していく。

そこに二期生が加わり、さらには新二期生も加わり。

挙句、グループ名そのものまでが変わってしまう。

 

これは批判覚悟で感じたことを吐露するわけだけど。

もしかすると、この「永遠」という言葉にずっと囚われていることこそが、心が苦しくなる原因でもあり、また尊さが増して見える原因なのではないだろうか。

それがいいとか悪いとかいう話ではない。

誰が、とも言わない。

メンバーのことかもしれないし、私のことかもしれないし、この文章をご覧のあなたのことかもしれない。

 

万物はやはり流転する。

理屈ではわかっているけれど、心が納得しない。

欅坂46は、あのメンバーで始まり、あのメンバーで完結する。

そのことが現実的ではないとわかっていても、どこかでそこにこだわってしまう「自分」がいる。

 

「二人セゾン」という曲を聴くと、その想いが爆発してしまうのかもしれない。

その感情の行き所はもはや存在しない。

 

ならば、涙となって溢れるより仕方がない。

 

誤解なきように申し上げておくけれど、もちろん二期生新二期生にほ心の底から感謝している。応援もしている。彼女たちが入ってきてくれたことで助けられた場面は枚挙にいとまがない。

ただそのことと、この話は全く別物なのだ。

自身も欅坂ファンだった二期生メンバーには、このことの意味をわかってもらえるのではないかと思う。

 

 

 

永遠。

 

 

 

あるのか、ないのか。

もちろん私はあると信じているし、そう信じる方が前を向ける。

 

でもそれはやはり心根の問題だという気がする。

 

敢えて言うなら、この曲をそれぞれが思う気持ちというのは、その人がこの世に生を受けている限り、永遠に続くものではないのかな。

 

渡邉理佐卒業記念の回でこの場所に行く、ということは、彼女の発案なのかスタッフの発案なのかわからないけれど、いずれにしてもあの曲の持つ力に魅せられた人が少なくとも作り手の側にいた、というのは間違いない。

理佐の卒業に合わせる形でこの場所に行くのなら、理佐の卒業とともに、この美しき思い出を本当に懐かしく感じられる感情の昇華を目指さなければならない、その節目になるような気もする。

囚われる、という言葉はあまり良い響きではないかもしれないけれど、グループから巣立って前へ進もうとするメンバーがいるのに、いつまでも過去に縛り付けることが正しいとも思えない。

もちろん忘れろ、という意味ではない。

だから、感情を昇華させる、と書いたのだ。

 

ずっとこの場所に心が留まっている人全てが、何かから解き放たれる回になればいいのに。

理佐のためにも。

葵のためにも。

過去巣立っていった卒業生たちのためにも。

 

そしてもちろん、現在進行形で坂を上り続けているメンバーのためにも。

 

 

 

 

 

2018年11月。私は初めてこの場所を訪れた。

 

一人で行きたかった。

 

何故か。

 

 

泣いてしまうからだ。

もう行く前からわかっている。

 

 

このとき、佐藤詩織さんの誕生日直近の握手会。幕張メッセは握手会を開催していた当時定番のスポットであったが、ここに参加するという目的以外にもう一つ、セゾンな場所にゆっくり浸りたかったという目的があった。

 

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印象的だった。

 

この日は本当に人けがない。

だからこそ、ゆっくりと彼女たちを思いながら時を過ごした。

 

 

 

 

 

ここは必ず、もう一度行く。

 

一期生が全員卒業したタイミングで。

 

 

果たして、どんな感情になるか。

 

 

 

それを試しに。

 

 

 

 

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日向坂46の影山優佳です!はキラーワードだったー影山優佳生誕祭 2022年5月8日付

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日向坂はもちろん、乃木坂や櫻坂を見渡しても、影山優佳ほど毛色の違うメンバーは本当に少ない。

およそアイドルとは違うジャンルに進んでいてたとしても、おそらく何らかの形で世に登場したのではないかと思えるほどの多才ぶり。

日向坂にはいろんな自称「最強」がいるが、彼女もまた、彼女にしか進めない道で「最強」を極めつつあると言っていい。

 

 

学業で休業したときは、まだひらがなけやきの時代だった。そしてその休業中に、グループは日向坂46に「進化」した。つまり、メンバーで唯一「日向坂46の○○です!」という自己紹介をしたことのない人であった。

だからこそ復帰した直後、この挨拶をしている影ちゃんを見たとき、涙したというのはあまり言ってない話。

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影山優佳といえば、なんと言ってもこれである。

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頭脳がどうとかいう話はまさに今更な話ではあるけれど、彼女の頭の良さというのは実は学校の勉強云々という話ではない気がする。いや、正確に言うともちろんそれもあるのだけれど、それ以上に洞察力とか観察力とか、そこからの瞬発力とか臨機応変さという部分がもっと評価されていい。中でも最も評価されていいと思うのは、コミュ力の高さである。

本人がどう思っているかわからないけれど、たとえ自分の好きなことで外番組に出ているとしても、ある意味アイドルにとってアウェーな空間でそのポテンシャルを発揮し、認めさせてしまう、しかも彼女自身を受け入れてもらえるというのは、知識の有無だけじゃなく、人間力を買われているからに他ならない。その部分が、影山優佳の最大の魅力ではないかと思うのだ。

 

東大は失敗したかもしれない。でも、その後に選んだ道は再度の挑戦ではなく、再びアイドルの道に戻ることだった。

これは並の決断ではない。

そして、一般的な話だったらおそらく周囲がそれを許さないだろう。東大に入れる力はあるはずなのに、それを投げ打ってアイドルに戻るというのは。

 

私自身、塾講師という立場ではあるけれど、実はさほど東京大学というものに固執しているわけではない。世間が思うほどの魅力は感じていない。

東京大学京都大学もそうだし、他の大学でもそう。なんなら大学ではなかったとしても、要はその人に合っているか否か、もっといえばその人が後悔しない道かどうかが遥かに重要である。東京大学に進学した人全てがそのご幸せな人生を歩んでいるかどうかは、わからない。

 

彼女のもう一つの魅力は、こちらも言わずと知れたサッカーだ。

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影ちゃんブログで、いつになったら私の推しクラブである京都サンガFCが取り上げられるのかとずっと思っているのだけれど笑(ちなみにどうやら清水エスパルスで止まっている模様)

 

正直初めは、人よりサッカーに詳しいアイドルがいる、というところが出発点となって、物珍しさからサッカー関連に呼ばれていたというのが本当のところではないだろうか。それが「人より詳しい」レベルではなく、下手すればどこかのヘッドコーチができるのではないかというほどの専門性の高いレベルだと知られ、それがより話題性を呼んでいる、とも思える。

ということは、例えば何か好きなことや得意なことがあるのなら、それを突き詰めることによって仕事につながっていくということが改めて証明されたことになるのだ。

影山優佳のそれ以上に、はっきりとした例はないだろう。

 

それに、あまり触れられることがないことが不思議なくらいだが、歌も上手い。ダンスもしっかり自分のものにしているのがよくわかる。

 

 

 

本当に、いつも思うけれど、そして繰り返しになるけれど。

彼女こそもっと評価がされなければならないメンバーのはず。

 

 

 

 

 

影山優佳さん。

21歳のお誕生日おめでとう。

あなたのポテンシャルはこんなものではない。

まだまだ何か隠して持っているものがあるように思えてならない。

 

 

 

いずれにしても、日向坂の司令塔であるあなたの広い視野で

メンバーと共に、私たちにも素晴らしい景色を見せてもらえたら嬉しい。

 

 

 

 

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