法律はいったい誰を守るためにあるのか 2017年10月2日付
懲役2年。執行猶予3年。
執行猶予(しっこうゆうよ)とは、罪を犯して判決で刑を言い渡された者が、定められた一定の期間(執行猶予期間)中に刑事事件を起こさずに済めば、その刑の言い渡しが将来にわたり効力を失うという制度。( 懲役等の刑の言い渡しがあったとしても処せられない(処せられていない)という事になる。
(Wikipediaより)
そもそもが、威力業務妨害と銃刀法違反での立件なので、量刑が軽くなるのも目に見えていたし、別段驚くこともない。
司法は実際に起きた違法行為にしか目が向いていないので大して期待もしていないが、この事件は実は、様々な方面へ与えた精神的ショックのほうが遥かに遥かに大きくて。
そのレーンにいた平手友梨奈と柿崎芽実に与えたショックの大きさは、もはや誰にも理解できるものではない。
それだけではなく、その場にいた他のメンバーや、普通に握手会を楽しむためにその場にいたファンに対しても、動揺を与えたのは疑いない。
法的に、それは罪ではない、といわれれば一言もない。
であるならば、それが罪ではないという現状が問題なのではないか。
ヤフコメもこのことに関しては、野次馬的に大きく二分されている。
- 判決が軽すぎるんじゃないか→刑法改正せい!
- 握手会なんてするから悪い→やめちまえ
握手会やめちまえという意見は、結構ずっと前からある。
そもそもはCDの売り上げが握手券に左右されるから、純粋なCD売り上げではないと他のアーティストのファンがずっと嫌悪感を抱いているのが根底にあった。
もう一つの理由は、こういう事件が起き出してから、何かあったら取り返しがつかないし、警備もしきれないならやめるべきだという意見。(実際にAKBの握手会の事件で負傷者も出たのは有名)
どちらかというと現状は、前者が後者に乗っかっているような印象があるけどね。
こちらにもまた書こうと思うけど、握手会初参戦が決まった。ただ、だからといって、実は握手会は何が何でも続けるべきだ!という意見でもない。
それは、この裁判で明らかになった「精神的ショックを受けたメンバーが複数いる」「そのために仕事を制限せざるを得なくなっている」という内容を知ったからだ。
法律が危険人物を執行猶予などで守るというなら、被害を受けた側としては自衛するしかない。
メンバーの立場に立つと、休憩を挟むとはいえ、一日中立ちっぱなしのうえ、次から次へ人は流れてくるし、一人一人に集中して対応しなければならない仕事。そのうえ、稀にではあるけど、そういう変なヤツも紛れている可能性がある。
体調不良になったって、全然おかしくない。むしろ自然だ。
だから。
最もいいのは、やはり開催しないことだ、という結論になる。
とはいえ。…そう。
とはいえ、ですよ。
個別握手会参加を決めたくらいだから、感情の部分としてはやめてほしくないに決まっているじゃないか。
メンバーの心に傷をつけるという、刑法上には乗ってこない大きな罪を犯したのと同時に、ファンの心に、こういう答えの出ない葛藤を植え付けてしまったというのも、一つの罪じゃないか。
法律は、被害者を守るためにないんだなあ。
つくづく感じた。
虚しさだけが残った。